第6話 兆し
季節は巡り、新年を迎え、
あびこ観音のご加護があるとは言え、あまり無理の効かない身体だ。その間は李里さんも少しは気遣ってくれた。働き具合はいつもの通り完璧なのだが、真琴に対する悪態が少し減った。
30日からはお正月休みをいただき、そのまま産休に入る。そのための休業は張り紙などで早めにお知らせしていた。真琴のお腹の膨らみで、理由に気付いたご常連がお祝いを言ってくれたりした。
夜に来るあやかしたちも出産を今か今かと待ち望んでくれていて、女性などは安産祈願を込めて、お腹を撫でてくれた。
大晦日、年末の掃除は
数の子は塩抜きをしてからお出汁に漬け、お煮しめの蓮根と人参の飾り切りも抜かり無く。干し椎茸を一晩掛けて冷蔵庫で戻し、風味高い戻し汁はもちろん無駄にしない。
飾り切りで出た端材はみじん切りにし、鶏つくねに混ぜ込んだ。味付けは子どもたちも好きな照り焼きだ。
おせちの基本は踏襲しつつ、子どもたちにも食べてもらえる様に工夫を凝らして行った。
そうしてお昼前、新年の用意が整ったダイニングで、3段の漆塗りお重に詰めたおせちの蓋を開けると、雅玖も子どもたちも「わぁ」と目を輝かせた。
「これママちゃまが作ったんやんな、凄い! ママちゃま、僕と
景五も食い入る様にお重を見ている。
「もちろん。おせちは種類があるから全部作るんは大変やけど、一品一品は難しく無いもんも多いんよ。ゆっくりと作れる様になって行こな」
「うん!」
四音が満面の笑みを浮かべ、景五も興奮した様にこくこくと頷いた。
「あけましておめでとうございます」
家族でそう挨拶を交わし、真琴と雅玖は梅シロップのロック、子どもたちはオレンジジュースで乾杯した。
真琴は妊婦なので、いくらあびこ観音のご加護があるとはいえ、お酒はご法度である。なので雅玖もお酒を控えてくれていた。成人してからお酒の無い年始は初めてで少し寂しくはあるが、今はお腹の子が第一だ。
梅シロップにしたのは、やはり少しでもお酒の雰囲気を味わいたかったから。今年は雰囲気で充分だった。赤ちゃんが産まれたら、祝杯は本物のお酒で上げたいところ。やはりそこは大好きなビールだろうか。その時が楽しみだ。
子どもたちはおせちを喜んで食べてくれた。おせちはそれぞれの品に意味があるのももちろんなのだが、お正月の三が日、主夫、主婦がゆっくり休める様にとの意味合いもあると言う。と言いつつ、そのおせちを用意するのに骨が折れるのが実情だ。
だが、今やおせちは買う時代になっている。スーパーや百貨店などでは
真琴は苦にならないのだが、作らなくてはならなかった時代の人は大変だっただろうなとしみじみ思う。ただでさえ主夫、主婦にお休みは無いと言うのに。
そうしてせっかくおせちを作っても、子どもは食べてくれなかったりする。気持ちは分かる。その一品一品は、確かに子どもが好むようなものでは無い。真琴も記憶はおぼろげだが、小さなころは好きでは無かった。甘い黒豆も甘じょっぱい田作りも、大きくなるにつれ好きになっていったのだ。
真琴の母は昭和脳なわりに、おせちは買う派の人だった。結婚観が凝り固まっていただけで、便利なものは
今でこそ洋風や中華、お肉ばかりのおせちなどバリエーション豊富だが、昔はいわゆる基本のおせちがメインだった。
そしておせちは、真琴が願った通りどんどん減って行く。オードブルからメインのお肉類や魚介類も詰め込んでいるので、今卓上にあるのはお重だけである。もし子どもたちがおせちを嫌がったら、おせちアレンジをしようといろいろ準備もしていたのだが、杞憂だった。
3が日保たせるどころか、今日だけで無くなってしまいそうだ。でもそれが嬉しい。真琴は食欲旺盛な子どもたちを見て、幸せを噛み締めた。
ごはんが終わると子どもたちは、リビングでゲームをして騒いでいた。部屋にこもって夢のための鍛錬を欠かさない子どもたちだが、休日だと時間もたっぷりあるので、息抜きに動画を見たり、ゲームをすることもある。
コントローラは子どもたちの人数分ある。プレイしているのはレースゲームだ。キャラクタが乗ったカートを操作して障害物や妨害を攻略しながら、勝利を目指すもの。
こういうときいちばん熱くなるのはやはり
真琴は雅玖と並んで、キッチンで洗い物だ。おせちは大分減ったので、お煮しめを詰めていた3の重に残りをまとめ、冷蔵庫に入れた。残りは晩ごはんにいただこう。
雅玖がスポンジで洗い、真琴がお湯で流して行く。そうして順調に洗い物を進めていたのだが。
真琴のお腹に鈍痛が走る。
「
思わず声を上げてしまうと、雅玖の顔が心配げなものになる。
「どうしました?」
「今お腹が痛くなって。今もなんか鈍いのが続いてる感じ。予定日近いから、張ってるだけやと思うんやけど」
出産予定日まであと2週間ほど。数日前から少しずつお腹の張りを感じる様になっていた。お医者さんから聞いていて知識だけはあったので、真琴も「あ〜近いからなぁ」と思うぐらいで深刻には捉えていない。
「無理しないでください。洗い物は私がしますから、真琴さんは座っていてください」
「ううん、大丈夫。もう痛み引いたわ。ちゃっちゃと済ませて、子どもたちんとこ行こ。ゲーム見てるだけでおもしろそうや」
「そうですね」
そうして洗い終えた食器類を水切りラックに立てて、リビングに行こうとした時だった。
「あれ? また痛い」
「早く座りましょう」
「うん」
そうしてソファの空いているところに雅玖と並んで掛けて、子どもたちがプレイするゲーム画面を楽しく見ていたのだが。
また、痛みが襲って来た。正確な間隔は計っていないが、体感的にこれはもしや。
「雅玖、これ、もしかしたら陣痛が来たかも」
「えっ!?」
予定日は確かにもう少し先だ。だがお医者さんに、もういつ陣痛が始まってもおかしく無いと言われていた。雅玖が真琴の肩を支えてくれた。触れてくれているだけで安心できる。
「真琴さん、すぐに相談所に行きましょう。三鶴!」
「何? 今ええとこやねんけど」
三鶴の視線はゲーム画面に釘付けになっていたのだが。
「赤ちゃんが産まれるかも知れません。相談所に電話してください」
「えー!」
驚いた子どもたちが一様にコントローラを放り出し、痛みに小さく呻く真琴を囲む。テレビからはカートがコースアウトしたのか、爆発音がいくつも聞こえた。
「お母ちゃま、大丈夫か?」
「ママさま、う、産まれるん?」
「ママちゃま、しっかり!」
「母さま……」
子どもたちは皆慌てている。その中でさすが三鶴だけが冷静で、「お母さま、すぐに電話するから!」と家の電話に飛んで行った。
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