4章 宝物に会うために
第1話 心をざわつかせるもの
子どもたちは小学2年生になった。クラス替えは無く、担任教師ごとの持ち上がりだった。これまでも子どもたちは日々楽しそうに登校していたので、きっとクラス内でも問題無く過ごせているのだろう。
そんな子どもたちの登校を今日も見送り、洗い物を終えた真琴は「まこ庵」の支度をしようと下に降りる。その時、手にしていたスマートフォンが着信を知らせた。
母からだった。随分と久しぶりだった。真琴は少しばかり緊張してしまう。
「はい」
「真琴か? お母さんや」
「うん」
連絡が途絶えてから約1年。こちらから連絡を取ろうと思えば取れた。だが真琴にとって母は、どうしても自分から接触したい人では無いのだ。
娘として薄情なのは分かっている。だが口を開けば自分の理想、価値観ばかりを押し付けてくる母はどうしても受け入れがたいのである。
父とは連絡を取り合っていたから、母が元気にしていることは分かっていた。真琴の連れ子あり結婚と「まこ庵」開店にまだ
これでもあの母の子だ。それぐらいの想像はできる。だから真琴は連絡することを
そんな母親からの電話である。また文句を言われるのか、真琴がそう身構えるのも無理は無い。
1年分の
「あんた、元気にやってるん?」
「うん、元気やで」
母の声は落ち着いていた。予想外である。真琴は拍子抜けしながらも応える。
「お父さんとも話したんやけどな」
「……うん」
父は折りを見て、母を説得すると言ってくれていた。普段母にとって空気の様な父だが、だからこそ時折上げる声は効果的なのだ。
母は専業主婦至上主義なのに、それを支えてくれている父の扱いは雑なのだ。昭和脳なのに男性を立てる文化は取り入れていないのだった。それでもいざと言う時には聞く姿勢を取ることは評価できるのかも知れない。
「もうええわ。あんたが子持ちの男と結婚したんも、あんたが店やるんも、もう私は何も言わん。好きにしたらええわ」
「……うん」
ありがとう、と言う気にはなれなかった。真琴ももうとうに成人している大人。本来ならそこまで母に制限される必要は無いはずだ。真琴も今年27歳になるのだから。それでも少しはこちらに歩み寄ろうとしてくれているのだろう。
「その代わり、自分の子どもは絶対に産みぃ」
そう言われ、真琴は息を飲んだ。それもまた母が言うところの「女の幸せ」。だが今の真琴に出産願望は無い。雅玖との恋愛交渉も無い。したがって子宝を望むのは難しかった。
だがそんなことを母に言うわけにはいかない。真琴は「あー」と適当に濁すことになる。
「気が向いたらな。今は5人の子どもたちとお店で手いっぱいやから」
「そんなん、子どもらは旦那の連れ子なんやから任せたらええやんか。店かて適当にしたらええやろ」
まったく酷い言い草である。真琴は頭を抱えたくなった。少しは軟化したかと思ったが、とんでもない。母は何も変わらない。溜め息しか出ない。だがどうにか飲み込んだ。
「あの子らは私の子でもあるし、お店も適当になんかできひんよ。どっちも大事なもんやねん。こっちはこっちでちゃんとやってるから、あんま口出しとかせんといて」
少しきつい物言いだろうかとも思ったが、あの母はそんなことで
「今までも私の言うこと聞かへんかったんやから、それぐらい聞いてくれてもええやろ! なんであんたはいつもそうなんや。あんたのためやのに!」
もうこうなったら手が付けられない。母に分かってもらおうなんて思わない。それでもこれ以上の押し付けは
真琴はできる限り心を落ち着かせ、静かに口を開いた。
「お母さん、いい加減にして。私の人生とお母さんの人生は別のもんなんよ。性格かてやりたいことかてちゃうやろ。私はお母さんのいいなりになるロボットや無いんやで」
「ほんまになんてこと言うんや!」
さらにヒートアップしそうだったので、真琴はもう聞きたく無くて電話を切った。そしてすぐにメッセージアプリを立ち上げる。
『お母さんから電話あって、子ども産めって押し付けられたから喧嘩してもた。お父さんに被害行くかも。ごめん』
送信先の父は今仕事中だろうから、返信をもらえるとしてもお昼休憩だろう。既読が付くだけでも良い。真琴はスマートフォンを待機モードにする。
ああ、こんなことで心を乱されるなんて。これから「まこ庵」の仕込みなのに。美味しいご飯とスイーツを作りたいのに。大切なお客を笑顔でお迎えしたいのに。
こんな時こそ子どもたちの笑顔を見たい。だが子どもたちは皆学校に言ってしまった。となれば。
真琴は上に戻り、雅玖を探す。すると雅玖は洗面所で、背を向けてドラム型洗濯機に洗濯物を放り込んでいるところだった。
「雅玖」
真琴が呼ぶと、振り向いた雅玖は目を丸くし、次にはふんわりと微笑んだ。
「真琴さん。どうしました?」
子どもたちほどでは無いが、雅玖の裏表の無い微笑みもまた、真琴を癒してくれるのだ。
心がじわじわとぬくもりに変わっていくことにほっとして。
「ううん、何でも無い。お店の支度しに行くな」
「はい。行ってらっしゃい」
そして真琴は雅玖に見送られて、下に降りたのだった。
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