第2話 ふたりの間には

 その日の「まこ庵」のランチ、メインのどんぶりはさわらを使ったそぼろ丼にした。魚は火を通すと繊維のところで離れやすくなるので、へらでほぐしながらごま油で炒めていく。


 味付けは日本酒、みりん、お砂糖、お醤油とベーシック。臭み抜きのために白ねぎと生姜のみじん切りも加えている。彩りに大葉の千切りを添えた。


 ほぐされてはいるのだが、旬の鰆のふっくらさは味わえる。どんぶりなので少し味付けは濃いめなのだが、脂の乗った鰆のコクは充分に伝わる。ふんわりと生姜の香りが立ち、風味も良いのだ。


 5品のお惣菜は、突きこんにゃくのおかか炒め、白菜とお揚げのくたくた煮、人参とちくわを入れたひじき煮、葉ごぼうのごま炒め、卵焼きである。


 特筆すべきは葉ごぼうのごま炒めだろうか。葉ごぼうは大阪八尾やお市の名産品だ。他の地域でも栽培されるが、関西では八尾産が出回ることが多い。


 要はごぼうを早摘みしたものである。根っこ部分のごぼうが育つ前で、柔らかい茎や葉が可食部分となっている。葉の部分は灰汁あくが強いので、茹でて取り除いてやる。


 もちろん根っこの部分も余すこと無くいただける。それらをまるっとごま油で炒め、みりんとお醤油で調味をし、すり白ごまをたっぷりとまぶし、仕上げにもごま油を落とす。


 しゃきっとした歯ごたえのある葉ごぼうは、ごぼうの瑞々みずみずしい若い香りがふんわりと立つ。そこに白ごまの香ばしさが合うのだ。


 大阪にはこの葉ごぼうの他にも、いろいろな名産品がある。メインに使った鰆も大阪湾で水揚げされるものだし、なにわ伝統野菜などもある。


 それらはコストに見合わない場合もあるのだが、可能なら使ってあげたいと思うのだ。せっかくの大阪の味覚なのだから。


 やはりお料理は楽しい。今日はそぼろ丼なので作り置きだが、卵焼きはご注文を受けてから作っている。小さな卵焼き器で、1人前で卵1個。


 そうしてランチタイムも落ち着いたころ、雅玖がくのお昼ごはんと李里りさとさんの賄いを用意する。内容は基本ランチと同じだ。


「李里さん、賄いできましたよ」


「はい!」


 李里さんの声が浮き立つ。李里さんの雅玖好きは最初からあからさまだ。なのでお昼は上のダイニングでふたりきりで食べてもらう様にしているのだ。


 今や李里さんもふたつのトレイを両手で軽々と運べる。わくわく顔を隠そうともせず、ランチ2人前を持って上に上がって行った。


 そんな李里さんが微笑ましくもある。李里さんが雅玖に持つ執着の種類は真琴の知ったことでは無いのだが、幼いころから雅玖のお世話係をしていたと言うのだから、思い入れも強いのだろう。


 雅玖は人間相手に結婚相手を探していたし、それは李里さんも承知の上だったはずだ。李里さんの立場で雅玖の決めたことに異を唱えることはできなかっただろう。それでも割り切れないものがあるのかも知れない。やはり情というのはやっかいなものでもあるのだ。




 夜のお店が終わり、リビングでは真琴と雅玖のふたり時間である。缶ビールと日本酒を開けるのもいつものこと。雅玖が持つ切子グラス、今日は緑色だった。


「今日もお疲れさまでした」


「お疲れさん」


 ビールグラスと切子グラスを軽く重ね、真琴はぐいっと、雅玖は舐める様に美酒を味わった。


「今日、おかんから久々に連絡があったわ」


「良かったですねぇ。お母さま、お元気でらしたんですね」


「めっちゃ元気。今日も喧嘩になってしもたわ」


 真琴が苦笑すると、雅玖も「そうでしたか」と苦笑いを浮かべる。


「……子どもだけは産めって、言われた」


 真琴の呟きに、雅玖は目を見張る。雅玖が何を思ったのか、真琴に知るすべは無い。だがこんなことに雅玖を巻き込みたくは無かった。けど心をざわつかせるこれを、誰かに聞いて欲しかった。


 吹っ切りたかったのだが、時間が経つごとに薄い金属の様なものが胸の中に降り積もり、もやもやとしたものに変貌して行った。


 これが他人に言われたのだったら、余計なお世話だと一蹴していただろう。だが実の母に言われたことは、どうしても心に引っ掛かってしまう。本当に情とは面倒なものだ。


「そんなん言われてもって思うやんなぁ。私、子どもたちが可愛くて、忙しいこともあるけど、自分の子を産もうって気になれんのよ。産んだらどうなるやろって考えたことはあるけど、産みたいって気持ちにはならんかった。おかんからしたら、多分私は女としておかしいんやと思う。でも今は子どもを産まん女の人も結構おるみたいで、多様性っちゅうたらええんかな、考え方もいろいろやから」


「そうですね。それはあやかしも同じです。真琴さん、覚えてらっしゃいますか? 私たちが最初に出会った結婚相談所、たくさんお客さんがいたでしょう」


「ああ、そうやったね」


 職員さんの数が足りないほどだったなと、そんな記憶がある。


「あやかしも、昔は結婚をすると子を儲けることが前提の様なところがありました。ですが人間さまの意識の移り変わりに従って、あやかしも考え方を変えて行っているのです。子を産むのはどうしても女性ですので、女性の負担が大きくなってきます。それは人間さまもあやかしも同じです。だからこそ、私は真琴さんの意思を尊重したいのです。もし真琴さんが子を産みたいと言うのなら、私は全力で応援しますし、それが私との子なら、こんな嬉しいことはありません」


「へ?」


 真琴は驚いて目を見張る。何を言っているのだこの人は。真琴は思わず「何言うてんの」と声を荒げてしまう。


「私が子ども産むんやったら、雅玖との子以外あり得へんやんか。私らは夫婦やねんから、当たり前やろう!」


 すると雅玖が目を見開き、やがて破顔した。


「真琴さん、ありがとうございます。とても嬉しいです」


「あ、いや、あの」


 真琴は自分がとんても無いことを言ってしまったことに瞬時に気付き、顔を熱くしてしまう。雅玖にろくに触れたことも無いくせに、何を口走っているのか。


「ごめん、私ら夫婦やけど、愛とか恋とかそんなん、無いやんな。ごめん、変なこと言うてもた」


 真琴は雅玖を嫌いでは無い。むしろ好感を持っている。真琴を大事にしてくれるところ、子どもたちをいつくしむところ、それらはとても素敵なことだ。夫として父親として、理想なのでは無いだろうか。


 そんな雅玖を見てきたから、真琴が雅玖を憎からず思うのは無理からぬ話である。忙しさにかまけて自分の気持ちに向き合って来なかったし、雅玖とて真琴のことはそう特別視していないだろうから、どうしても後回しになっていたのだ。


 雅玖は少し困った様な顔をし、だがいつもの柔らかな笑みを浮かべる。


「もし、真琴さんが私との子を望んでくれるのなら、私はとても嬉しいです。でも生命を儲けるというのは簡単なことで無いことは重々承知しています。お母さまのお言葉もあるのかも知れませんが、真琴さんはどうか、真琴さんの思う通りにして欲しいのです。私は真琴さんと幸せになりたいと思っているのです。どうか、考えてみてください」


 難しいな。素直にそう思った。だが、答えを出すときなのかも知れない。


「うん」


 真琴は短く応え、温くなり始めたビールをぐいと煽った。

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