2章 「まこ庵」での日々

第1話 春に向けて

 もうすぐ訪れる春に向け、真琴まことと子どもたちの準備は着々と進む。


 外見が小学校低学年ぐらいの子どもたちは、春から小学校に入学することになった。家があるあびこをようする大阪市住吉すみよし区の私立小学校だ。


 子どもたちは真琴が驚くほどに優秀で、入学試験を難なく制した。あやかしの世界で、人間が受ける教育も受けていたそうだ。あやかしには人間世界で教職に就いているものもいるとのこと。面接など親が必要なシーンもあるので、真琴も就職活動以来の地味なスーツを着込み、雅玖がくとともに学校に赴いた。


 真琴は専門学校に進学するまではずっと公立学校で過ごしていたので、初めて足を踏み入れた私立小学校の豪華さや綺麗さに驚いたものだった。お勉強や遊びの設備もきっと充実しているのだろう。


 そして、真琴はメニュー開発に余念が無い。「まこ庵」は和カフェなので、スイーツの提供は必要不可欠だ。しかし製菓は専門学校で1年生の時に少し習った程度。


 真琴は様々な和スイーツのレシピを見ながら、出すものに目星を付けて行く。やはりパフェは外せない。厨房設備に鉄板を入れたので、パンケーキとどら焼きの皮が焼ける。焼きたてのそれはぜひ作りたい。


 オーブンでケーキだって焼ける。真琴はシフォンケーキを考えている。プレーンと抹茶、ほうじ茶あたりだろうか。甘さ控えめの生クリームを添えて、お茶の風味を引き立てたい。


 あと、和スイーツに欠かせないのが餡子あんこだ。どら焼きの中身や、パンケーキに添えたりと、色々使いたい。


 もうひとつ、季節限定メニューはぜひ作りたいところ。春は桜、夏はすいかやマンゴー、秋は栗やかぼちゃにさつまいも、冬はいちごやりんご。ああ、夢が膨らむ。


 スイーツ作るんも結構楽しいな。真琴はそんなことを思いながらも試作を重ねる。今日もお鍋で餡子を練っている。ふつふつと気泡ができ、それが弾けて鍋の持ち手や木べらを持つ手に当たり、小さな火傷を作る。だがこれは料理人、菓子職人の勲章くんしょうである。


 今日はどら焼きの研究である。餡子はすっきりしつつも少し甘めにし、どら焼きの皮を素朴なものにしたい。薄力粉に卵ときび砂糖に、艶を出すためのはちみつと、みりんを隠し味程度に少々。


 ベーキングパウダーや重曹を入れるレシピもあるが、真琴は卵の力でふんわりと作りたいと苦心していた。卵にきび砂糖を加え、ハンドミキサーで泡立てて行く。そこに他の材料を入れてゴムベラでさっくりと混ぜ、できた生地をお玉で鉄板にそっと落とす。


 ふんわりと膨らんで、表面にぷつぷつと気泡ができたらひっくり返す合図。金属製のヘラを使ってぽんぽんと返して行く。大阪人はお好み焼きのお陰でヘラ使いが堪能なのである。


 鉄板のお陰で綺麗な焼き目が均等に付いている。焼きあがったら網に乗せ、熱を軽く取る。


 その2枚の皮で、粗熱を取った餡子をたっぷりと挟む。それをペーパーで挟み、和の白いお皿にひとつづつ置いた。合計7個。家族の分である。


 真琴は厨房の壁に取り付けられている受話器を取る。これは住居のリビングにあるインターフォンの受け機に繋がっていた。


『はい』


 出たのは雅玖だった。


「真琴です。どら焼きが焼きあがったから、食べたい人は降りて来て」


『わかりました。ありがとうございます』


 少しして、雅玖と子どもたち全員がわらわらとフロアに降りて来た。雅玖と壱斗いちと四音しおん景五けいごが4人掛けのテーブルに、弐那にな三鶴みつるがふたり掛けのテーブルに着く。


「お母ちゃまのどら焼き、楽しみやで〜」


 壱斗が待ち切れないと言う様に、椅子の下で足をばたばたさせる。


「に、弐那、ママさまが作ってくれるお菓子、大好き」


「甘いものは頭にもええんやで。これでお勉強続けられるわ」


 三鶴はお勉強が大好きで、春から始まる授業に使う学校の教科書で、すでに予習を始めている。


「はーい、お待たせ」


 真琴はトレイに乗せたどら焼きを、それぞれの前に置いて行く。真琴の分はカウンタに置いて、揃ったら「いただきます」と手を合わせた。


 さっそくかぶりつく子どもたち。真琴と雅玖はその様子を見守る。雅玖は食べている子どもたちを見るのが好きな様だが、真琴は味の感想も気になるのだ。


「うまー!」


 壱斗が叫ぶ様に言い、次々とどら焼きが口の中に消えて行く。


「んふ、んふ」


 弐那は小さな口で懸命に頬張る。その目が輝いていて、満足してくれている様子が見られる。


 三鶴も目を細めながらゆっくりと味わい、四音も笑顔のまま口を開け、景五はむっつりと不機嫌そうに見えるが、口角が緩やかに上がっている。


「どうやろ。美味しい?」


 真琴がどきどきしながら聞くと、子どもたちは揃って「うん!」と頷いた。


「私はもう少し餡が甘くてもええかも。でも食間に手軽に食べるんやったら、これぐらいの方がええんかもやわ」


 三鶴の感想になるほどと思う。真琴としては餡子は甘めにしたつもりだが、三鶴の様にお勉強などで頭を存分に使う子には、物足りないかも知れない。


「……俺にはむしろ甘過ぎる。でも皮があっさりしてるから、これぐらいがええんかも」


 景五の様な男の子には甘過ぎたか。三鶴とは真逆とも言える意見で、真琴はどうしたものかと思案する。


「オレは美味しいと思うで」


「あ、あたしも」


「僕も〜」


 壱斗と弐那、四音が言ってくれる。ここで雅玖がようやくどら焼きに手を伸ばした。紙に包まれたそれを上品に口に運ぶ。


「……私もとても美味しいと思います。ですが、真琴さんが納得していなければ。真琴さんが美味しいと思うものが、「まこ庵」の味なのですから」


 それは確かにそうかと、真琴もどら焼きを持ち上げて一口かじった。餡子は生地きじの端までたっぷり入れたので、ひとくち目からしっかりと餡子も口に入る。


 素朴ながらもきめ細やかなふんわりとした生地と、甘さを効かせた餡子の相性は悪くない。両方を甘くしてしまうと、くどくなってしまう。みりんの量はこれ以上増やさない方が良さそうだ。


 きび砂糖もこれぐらいだろうか。まろやかな甘さが心地よい。艶出しのはちみつも加糖の一端を担っているが、これはもう少し少なくしても良いかも知れない。コクはみりんが担ってくれる。


「悪く無いけど、もう少し改良したいな。みんな、また食べてくれる?」


 真琴が言うと、子どもたちは「うん!」と元気に返事をしてくれた。そんな子どもたちを、雅玖はいつくしみのある視線で見守り、真琴も微笑ましくなって、やわりと頬を緩めた。

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