第5話 使い古されたネタ

 可愛らしいオレンジ色の装飾のカフェで、店員さんに案内された4人掛けの席に座る。真琴まこと壱斗いちとは上座を勧められたので、逃げにくくなったなと思いつつもそこは従う。


 真琴はアイスコーヒー、壱斗はオレンジジュース、山田やまださんはアイスティを注文した。ドリンクが来るまで、他愛の無い話をぽつぽつとする。


「ご旅行ですか?」


「ええ、まぁ」


 真琴は曖昧な返事でその場を濁そうとする。


「僕、綺麗な青いシャツですね。良く似合ってますよ」


「ありがとうございます。これ、お母ちゃまが買うてくれたんです!」


 壱斗は意気揚々と応える。壱斗としてはやっと手応えのある相手に出会え、Tシャツを褒めてもらえて嬉しいのだろう。


 そしてドリンクがまとめて運ばれて来ると、山田さんは「では」とトートバッグから濃紺の薄いファイルを出した。


「あらためまして、私は山田洋子ようこと申します。お名前をお伺いしても?」


 正直に応えるか否か。真琴が迷っていると、また壱斗が応えてしまった。


浮田うきた壱斗です!」


 きっとそう珍しい名前では無い。漢字さえ知られなければきっと大丈夫。だが真琴の名前は出すまいと。


「母の浮田です。よろしくお願いします」


 それ以上は言わないという意思表示も込めて、真琴は頭を下げた。


「うきたいちとくん。どうぞよろしくね。お母さまも、どうぞよろしくお願いします」


 ここまでは丁寧である。それでも警戒心は解いてはいけないだろう。壱斗がすっかり浮き足立ってしまっているので、下手をすると聞かれるままに応えてしまいかねない。どうしたら良いものか。


 壱斗は確かにやんちゃであるが、賢い子である。なのに目の前に夢の入り口をぶら下げられるとこうなってしまう。やはりまだまだ子どもなのだ。いや、大人であってもこういう状況になれば冷静さを失ってしまうかも知れない。


 真琴も自分のお店を持つという夢を持っていたから、壱斗の気持ちは良く分かる。雅玖がくとの縁は真琴にとって結果的には幸いになったが、この出会いがどうかは分からない。


 真琴は気を引き締める。悪徳スカウトにもいろいろなやり方があるだろう。マニュアル化だってしているかも知れない。幸いさっきのは判りやすかったのだ。騙されない様に、それだけは気をつけなければ。


 山田さんはファイルを広げ、真琴と壱斗の前に差し出した。


「我が社のシステムです。まずは最低3ヶ月、基本約半年ほどの研修があります。歌やダンス、演技のレッスンですね。ご本人さまがアイドルになりたいとおっしゃられても、他に適正があるかも知れません。なのでいろいろなことをしていただくのです」


 それは確かに理にかなっているのだろう。真琴は示された書類をくまなく見つめる。そこにはデビューまでのチャート図があった。今山田さんが言ったことが文章化されている。


 だがそこに、社名が記されていなかった。書類の作成方法などは企業によって違うだろう。なのでおかしくは無いと思おうとするのだが。真琴が疑って見ているからそう思うだけなのだろうか。


「あの、このファイル、見せていただいてええですか?」


 真琴が聞くと、山田さんは一瞬強張こわばる。だがすぐに笑顔を取り戻した。


「はい。どうぞ」


 見られて困るものは無いということなのだろう。真琴はじっくりと見ていく。見せられたチャート図から始まり、アイドルになったら、俳優になったら、などのテキストが挟まっていた。確かにおかしなところは無い。壱斗も横から興味深げに目を落としている。


 だがやはり、そのどれもに社名は書かれていない。やはり違和感がある。真琴は思い切って口を開いた。


「あの、御社の社名を、あらためて教えてもらえますか?」


「……なぜですか?」


 山田さんは笑顔を崩さぬまま問い返す。壱斗が不安げに真琴を見た。


「お母ちゃま……?」


 真琴は壱斗を安心させるために「大丈夫や」と微笑む。


「Yプロダクションの方だと、先ほど申しましたが」


 山田さんがまたそう言ったことで、先ほど感じた引っ掛かりの正体が分かった。


 今でこそ詐欺のほとんどはオンライン上や電話で行われる。だが一昔前には対面の詐欺が横行していたのだ。


 消防官の様な制服を着て、家を尋ねて「消防署「の方」から来ました」なんて、常套句じょうとうくでは無いか。訪問販売詐欺である。


 過去、真琴の母が引っかかり掛けたのだ。消防では無く、お料理用の包丁だったが。大手調理器具会社の名を出され、「〇〇「の方」から来ました」と言われたのだ。


 そのころは真琴もまだ学生で家にいたので、その日に母に話を聞いて請求書などを見せてもらい疑問に感じた。訪問販売詐欺の危険性がニュースなどでさんざん取り上げられていたからだ。


 そこで父とも相談して消費者相談センターに相談したのだ。結果その大手企業は訪問販売などしておらず、詐欺だろうということになった。


 お金を振り込む前だったことが幸いしたが、包丁セットは証拠品として警察に提出した。それからどうなったのかは分からない。


 もうあれから何年経ったのか。詐欺の方法も日進月歩で、世間に新たな技術が出てくる度に更新され、人々がだまされてしまい、警察の後出しの捜査が始まる。そんなことの繰り返しだから、いにしえの詐欺方法など記憶の隅に押し込まれていたのだ。


「では念のため、Yプロダクションに電話をして、あなたの在籍を確認させてもろてええですか」


 山田さんの片眉がぴくりと釣り上がる。それでも口元にはかろうじて笑顔が張り付いていた。


「私が信用できませんか?」


「ですから念のためです。こちらとしては大事な息子をお任せするか否かなんですから、慎重にもなります」


「信じていただかなければどうしようもありませんね。ですが、私はいちとくんを原石だと思いましたので、お声掛けしたんです。私の目は確かですから。いちとくんはきっとスターになりますよ」


 話が逸れている。向こうにとって都合の悪いことを、真琴は見事突っ込んだ様だ。あとひと押し。


「壱斗に万が一のことがあれば、そちらを潰す用意がこちらにはあります」


 冷静かつ、きっぱりと言い放った。壱斗が横で「ひゅっ」と息を飲む。山田さんの笑顔は、今度こそがれ落ちた。


 もちろん真琴にそんな力は無い。雅玖にだってあるかどうか分からない。雅玖にあるのは有り余る資産である。


 しかし壱斗に何かあれば、雅玖のことだから確実にお金にものを言わすだろう。そんな想像は容易にできてしまうのだ。


 山田さんは立ち上がると濃紺のファイルをひっ掴み、無言のまま早足でカフェを出て行った。真琴は心底ほっとして大きく息を吐く。良かった、何とか回避できた。


「お母ちゃま……?」


 横で壱斗が怯えた顔で真琴を見ている。真琴は(なんで壱斗がこんな目に)と悔しく思いながら、何とか壱斗を癒してあげたくて優しく抱き締めた。


「ごめん、壱斗。怖がらせてごめんなぁ」


「ううん、ううん」


 壱斗は真琴の胸の中で、首を振り続けた。

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