第3話 悪い人だから
JR
壱斗は新宿のホテルのお手洗いを借り、真琴が以前プレゼントしたブルーのシャツに着替えていた。それは思った通り、利発な壱斗に良く似合った。真琴は自分に拍手喝采してしまうのだった。髪の毛や身だしなみも綺麗に整えてあげた。
そうして降り立った新宿駅の
大阪も
だがこの原宿、竹下口から続く竹下通りを見るとその比では無い。まるで某球団が優勝した時のなんば
今日は平日とはいえ夏休みなので、それなりの人出を予想してはいた。だがこれは想像以上だった。真琴はごくりと喉を鳴らす。通りを歩くだけで骨が折れそうだ。
手を繋いだままの壱斗を見ると、呆然とした顔で竹下通りを見つめている。
「壱斗、大丈夫か?」
その呼び掛けで我に返ったのか、壱斗はびくりと肩を震わす。強張る顔を誠に向けた。この人混みに臆してしまったのだろうか。
「お、お母ちゃま、すごい人やん。これ、オレ見つけてもらえるんやろか」
あ、心配してるんそっちなんや。真琴は少しほっとする。
「どうやろ。ここは駅も近いから余計に人が多いんかも知れん。ちょっと歩いてみよか。空いてる通りとかもあるかも知れんし」
「そ、そうやんな。うん、行ってみよ!」
壱斗は気を取り直した様だ。真琴は「ほな行こか」と、壱斗の手をぎゅっと握り直した。
原宿には駅の竹下口と繋がっている竹下通りの他、まっすぐ行けば左右に伸びる大きな
原宿エリアはスカウトの定番と言われているそうだが、その中でも竹下通りから明治通りに入り、
真琴と壱斗は手を繋いだまま、まずは竹下通りに入る。進むにつれ他の通りに人が分散されるからか、幾分歩きやすくなって来る。周りのお店を眺める余裕もできてきた。
原宿は真琴の知る限りだが、若者の街である。なのでお店も若い子が好みそうな雑貨屋さんにブティック、食べ歩きができるスイーツのテイクアウトにカフェなどが多く、そのどれも色とりどりでポップに可愛らしく装飾されていた。
「お母ちゃま、すごいなぁ。大阪とはぜんぜんちゃうんやなぁ」
「ほんまやなぁ。めっちゃかわいいやん」
「
「そうかもな」
真琴は「ふふ」と微笑む。三鶴は大人っぽいものが好みの印象がある。隠れ可愛いもの好きな可能性も否めないが、とりあえず一緒に暮らし始めて約半年、そんな気配は見られない。
壱斗は目をきらきらさせながら、きょろきょろと通りを見渡している。初めての東京原宿で、何を見ても珍しいのだろう。
大阪で若者の街と言えばなんば周辺が当たるのだろうが、雰囲気がまるで違う。壱斗ら子どもたちはまだ小さいこともあって、あの辺りに連れて行くことはほとんど無いが、グリコの看板などがある道頓堀橋周辺や
恐らく壱斗の記憶の中の「大阪の中心地」はそれで形成されている。そこと比べたら東京の都心部はどこを見てもおしゃれだろう。
一応大阪でも
そうしてぶらぶらと歩いていると、やがて大きな明治通りに差し掛かる。そこを右折すればラフォーレ原宿、明治神宮前駅に繋がっている。
「壱斗、こっちやわ」
「うん!」
お洒落な若い子たちが練り歩く通りに混じって、真琴たちものんびりと歩みを進める。壱斗に目を付けてもらうことが目的なのだから、早歩きはしない。
すると。
「あの、すいません」
明治通りに入ってすぐ、ひとりの男性に横から声を掛けられた。もしかして!?
「はい」
一瞬気が
壱斗と見ると、期待に満ちた目をぱちくりさせて、視線を真琴と男性とを行ったり来たりさせていた。
「可愛いお子さんですね! 芸能界に興味ありませんか?」
単刀直入に言われ、真琴が一瞬応えに
「あります!」
すると男性はにんまりと笑い、腰を下げて視線を壱斗に合わせた。
「そうか、僕、芸能人になりたいか?」
「うん、なりたい! オレ、アイドルになりたいねん!」
「そうかそうか」
壱斗にしてみたら、待ちに待ったスカウトだ。しかも原宿に来てからそう時間を掛けずに目に止めてもらえた。それは確かに
真琴は引っ掛かっていた。まず、男性は名乗っていない。名刺も出していない。
壱斗が旅行の前に調べていた、スカウトについての情報。そこには場所や格好などのアドバイスの他に、注意点もあったのだ。
悪徳スカウトに注意すること。
名前を言わない、名刺を渡さない、契約を急がせる。そうしたスカウトは悪徳である可能性がかなり高いとあったのだ。
壱斗がそれを見せてくれた張本人だと言うのに、声を掛けられたことに有頂天になってしまい、マイナス要素がすっかりとすっ飛んでしまっている様だ。
「じゃあ、うちと契約しようよ。すぐにアイドルになれるよ」
「ほんま!?」
「ね、お母さん。良いですよね? そこのカフェででも」
男性は真琴を見上げ、にっこりと口角を上げた。
まずい。真琴は壱斗の手を強く握り直した。何としても
「申し訳ありませんが、失礼いたします」
真琴は固くなってしまった声で言うと、壱斗を引きずる様にその場を後にした。
「お母ちゃま? お母ちゃま!」
壱斗が驚いた声を上げるが、真琴は構わず歩を進めた。一刻も早くあの男から離れなければ。
真琴は途中の路地を曲がり、男が跡を付けて来たりしていないか確認する。姿は見えない。大丈夫そうだ。ほっと息を吐く。
「お母ちゃま、なんで!?」
壱斗は怒り顔である。普段は元気一杯の顔を赤くくしゃくしゃにしてしまっている。せっかくのスカウトを邪魔されたと思っている。真琴はしゃがむと、壱斗の両肩に手を置いた。
「壱斗、あの人はきっと悪い人やわ。壱斗が見せてくれた悪いスカウトの例にあった、名前言わへん、名刺くれへん、契約を急ぐ。全部に当てはまってへんか?」
すると壱斗ははっと目を見張った。しかしすぐに目を伏せて。
「そんなん……、分からんやん。話聞いたらちゃんとした人かも知れへんやん」
拗ねた様にそんなことを言って、ぷいと視線を逸らしてしまう。
「うん、そうかも知れへんね。でもね、ちゃんとした大人の人は、こういうお仕事に関わるお話をしはるとき、ちゃんと名前を教えてくれて、名刺をくれはる。で、双方が納得できるまで話し合いをしてから契約の話をしはるねん。あの人、そんなんいっこも無かったやろ?」
落ち着いてゆっくりと諭す様に言う。分かって欲しい。これは壱斗を守るためなのだ。信用できない人に、大事な壱斗を任せるわけにはいかない。何をさせられるか分かったものでは無いのだから。
「うん……」
壱斗は
真琴は両手で壱斗の頭を優しく撫でた。壱斗はくすぐったそうに目を細める。可愛いなぁ。こんなに可愛いのだから、絶対にええ人に見つけてもらえる。そう信じて。
「さ、行こか。まずは明治神宮前駅に向かお。喉乾かへん? ラフォーレ着いたら何か飲もか」
確か2階にカフェがあったはずだ。壱斗は暑さ寒さに強いあやかしとはいえ、喉は普通に乾くだろう。普通の人間である真琴も喉からからである。
真琴と壱斗は手をつなぎ直し、また歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます