第5話
大地は人形を見ないようにしながら、電子辞書を探した。しかしなかなか見つからない。仕方なく部屋を出た大地は、屋敷内の母を探した。広いと言っても使う場所は決まっている。祖母の部屋を覗いたが、さっきと変わらない位置で座っているだけだった。次に向かった部屋は仏間。部屋の前に立つと、ほんのり線香の香りが漏れてきていた。
「母さん」
人が二人ほどは収まりそうな大きな仏壇は、扉が開いているのでさらに大きく、金ぴかに輝いていた。壁には一番新しい祖父の写真から曾祖父、曾祖母と栂尾家の歴史の一部となっていった先祖の写真が、何代にもわたって飾られている。母は、長い時間そうしているのか、背筋をピンと伸ばし、目を閉じ手を合わせていた。窓から入ってくる陽がちょうど光のベールのように母に差している。
大地には気付いているが、まだ気が済まないらしい。一分ほど待ってやっと母は顔を向けてくれた。
「どうかしたの?」
「電子辞書がなかった」
「入れ忘れたんじゃない?」
「いや。それはないよ。だから母さんの荷物、調べてくれない?」
「わかったわ」
襖を開けようとした時、ちょうど瞳子がやってきた。今から買い物に行くけど、一緒に行かないかという誘いだった。だがあの硬いシートに揺られて尻が痛くなるのが嫌だった大地は、迷う素振りをしながら断った。
「じゃあミチ、買い物どう?」
瞳子が、大地を挟んで仏間の母に声を掛けた。
「でもお母さん、一人にできないじゃない」
「大ちゃんがいるから大丈夫でしょ。往復で三十分もあれば帰って来られるし」
「え? お婆ちゃんと二人きりなんて無理だよ」
慌てて大地は瞳子に言い返したが、「トイレも少し前に行ってるし、またずっと縁側に座って海を見てるだけよ。あの部屋からは出る時は、風呂とトイレだけだから。まあでも動こうとしたら、付き添ってね」
「それって、帰ってくるまでずっと見てろってことだよね?」
「まあ、そういう事かな。大丈夫大丈夫。動き回る小さい子供とは違うから。ミチ、行くよ」
「そうね。大地、直ぐに帰ってくるから、お婆ちゃんお願い」
「本当に、三十分くらいで帰ってきてよ」
大地は念を押して仕方なく、二人を見送った。
祖母の部屋へ戻ると、時間が止まってしまっているかのように変わらない光景がそこにはあった。大地は祖母の隣に座り、何を話すわけでもなく同じように海を見た。風向きが変わっているせいだろうか。着いて直ぐに部屋を訪れた時は仄かだった潮の香りが、今は密度が濃く、波の音も鮮明に聞こえてきていた。そして屋敷全体が、海の鼓動で包まれている。
「なあ婆ちゃん。俺は母さんと父さんは仲のいい夫婦だと思ってたんだ。今もそうな
んだけど……でも」
そこで言葉を切った。祖母は、自分の言葉など聞こえていないのだろう。ただただ先にある海だけを見ている。それは何かを探しているように大地には感じられた。
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