第41話
揺れる事無く垂直になっている月の橋。風が止んで海面の波が寝静まっているみたいだった。
歩いてくる影は徐々に近づいてくる。そして浜には降りる事無く、その境目で立ち止った。
「待たせたね。絹ちゃん」
「英児さん」
スラリとした背の高い和服を着た男性だった。顔は確かにあの俳優に似ている気はするが、この英児の方がもう少し甘い面持ちだ。
「軍服じゃないんだ」と、ただただ静かに見つめ合っている二人が同時に大地の言葉で振り向いて、しまったと! 思っても後の祭りだった。
「この子は?」
「孫の大地よ」
「絹代さんに少し似てるかな?」
「そうかしら?」
自分の顔をまじまじと見られ、思わず一歩引いてしまった。それにしてもこの二人は既に死者なのに、恐怖心というものが芽生えない。普通に生きている人間と同じで境目がなかった。
「ごめんごめん。気分を害したよね。いやあ、もし私と絹ちゃんの孫だったらって、ちょっと想像しちゃってね」
「そうね。どっちに似てたのかしらね。それより英児さん。ずっと待ってたのよ」
「ごめんごめん。中々ここまでくる道が分らなくてね」
英児は頭を掻きながら、悪びれる素振りをしているつもりだろうけど、そんな風には見えない。アハハと笑う姿が憎めないそんな男性だった。
大地が祖母を見ると目が合った。祖母が「しょうがない人でしょ」とでも言わんばかりな顔をしながら嬉しそうにしている。それで、ああ祖母は、この人のこういう所が好きだったのかと大地は感じた。
「絹ちゃん。私が迎えにきたけど、本当に私でいいのかい?」
「どうしてそんなことを?」
「いやね、少しそう思っただけだよ」
二人の間に、数秒の沈黙があった。
「婆ちゃん……」
大地は祖母に声を掛けた。祖母は目を閉じてそしてゆっくりと目を開けた。
「大地君、でいいかな? 一度私の事をお爺ちゃんといってくれないかい?」
目元に皺を寄せてニコニコとしながら、英児が大地に話しかけてきた。
「え?」
「いや、どんな感じだろうと思ってね。あ! お父さんでもいいよ」
英児はニコニコしながら期待の眼差しで大地を見てくる。死んでいる人間だ。それくらい言ってやっても何の問題もない。それなのに簡単なそれらの単語がどうしても出てこない。大地が魚みたいに口をパクパクしていると
「ごめんね。無理なお願いだったみたいで。そうだよね。大地君のお父さんもお祖父さんも世界に一人だもんね。無理を言ってすまなかったね」
「――」
大地はどうしようもない罪悪感に襲われた。
「気にしなくていいんだよ。私が悪いのだから」
彼が自分の肩に手を伸ばしてきたが、全く重みも温もりもなかった。まるで映像の手と実体を、誰かが上手く映像で操作しているみたいだった。
そして英児が言った。
「さて絹代さん。そろそろ行きましょう」
「はい」
そういって祖母は差し出された英児の掌に、自分の手をそっと添えた。英児がエスコートして祖母が橋の上に上る。二人が一歩踏み出したところで大地はハッとした。
「婆ちゃん! 天井の缶! あれどうしたらいい?」
「缶? ああ、あれね! 忘れてたわ。大地、燃やして処分しておいてちょうだい」
「あと、お父さんとお婆ちゃんって!」
大地の言葉に祖母は「元気でね!」と言っただけだった。
二人は楽しげに何かを話しながら滑るように歩き、あっという間に影は見えなくなってしまった。
帰る日、両親と伯母夫婦が話し込んでいる隙を見て大地は海辺に出た。もちろんあの缶を持ってだ。
浜辺に立つと、夏のまとわりつくような風はなく、さらりとした風が大地の頬と髪を滑るように通り過ぎる。
いつも会っていた場所辺りで缶を砂浜の上に置きしゃがみ込んだ。蓋を開け、仏間から持ち出したマッチをポケットから取り出す。
丁度祖母の写真と軍服姿の英児の写真が重なり合って、自分を見て微笑んでいた。
マッチを取り出して躊躇してしまう。しかし祖母に処分を頼まれたし、それこそ自分に対する遺言であり死者の願いだ。
大地が思い切ってマッチを擦ると、勢いよく燃えた。マッチを缶の中に放り込むと、紅い炎がジワジワと写真と手紙を侵食してあっという間に灰にしてしまった。
祖母は祖父に対して「愛情はあったよ」と言った。でも「愛している」と祖母は言っていなかったが、自分にはちゃんと祖父を一人の男として想っていたと聞こえた。言葉だけで判断したわけじゃ無い。祖母の表情がそう言っていた。結局祖母は……と考えた所で大地は考える事を止めた。
風が強く吹いて波が激しく打った。そして燃え尽きたもう一人の祖母の灰が空に舞いながら、海原へと消えていった。
了
不思議なお姉さんと月の橋 安土朝顔🌹 @akatuki2430
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