第21話
ネット上でどこの誰だか知らない人の質問に、どこの誰とも知らない人が答える。逆にどこの誰とも知らない、繋がりのない相手にだからこそ、質問が出来るし答えられる。それを自分は今、リアルにしているだけだではないだろうか。そう考えると、確かに今の状態は不思議ではあるけれど居心地がいい。
「そうですね。俺も同意です」
大地が彼女に笑いかけると、同じように彼女も笑っていた。
時間が経って、彼女を照らしていた月の橋の明かりが、その隣の席に移動してた。
「今日はお開きにしましょう」
そう言って彼女が立ち上がり、大地も続いた。そしていつものように彼女が大地の背中を見送ろうとする。心配ではあるが、大地は「また」と言ってから歩き始めた。
「君 !」
大地は波の音に紛れた彼女の声を拾って振り向いた。
「何ですか?」
「ありがとう」
「え? どういうことですか?」
「いいの! じゃあまたね」
大地が、来た道を戻ろうとすると、「いいから。さ、早く帰りな」と幽霊のようにした手を前後に振るので、仕方なく大地は見送られる事にした。
あれから奈帆子は、気が付けば屋敷に来て、我が家のようにくつろいでいることが多くなった。昼は母がすすめるので、三回に一回は食べている。来る度にではないところを見ると、少しは遠慮の気持ちはあるらしい。それと大地の手前なのか、一応勉強道具をもってきている。
今朝も、大地が遅い時間に起きて居間へいくと、母と奈帆子の談笑をしている声が、廊下を歩いている時から聞こえてきた。部屋に入りたくないが、朝食はそこにしかない。今、起きたばかりだという雰囲気を精一杯全面に出して部屋に入る。女二人
の高めの声が朝の挨拶で重なる。何だか感に触った。
「――はよ」
大地は用意されたご飯とみそ汁だけを胃に詰め込んで、直ぐに部屋に戻ってしまおうと考えた。
「大地、お父さんから電話があったんだけど、部活は大丈夫なのか? って言ってたわよ」
ここに来て久々に父の話題が出たのに驚いた。あまりの不意打ちで、ご飯が喉に詰まりそうになった。
「父さんから、連絡あるの?」
「そうねえ、ここに来て数回はあったけど、どうして?」
「いや。何でもない」
とにかく胃に食べ物を詰めんだ大地は、身支度を整えて海へ向かった。
午前中の浜辺は、太陽が毛穴一つ一つを刺すようで痛く、ぎらぎらと魚の鱗のように海面を照らしている。汗がこめかみを流れた。
「大ちゃん。何してるの?」
振りむくと、相手は既に自分の隣に座ろうとしていた。奈帆子は大地の隣にぴったりと腰を下ろした。短パンから出ている奈帆子の足が、大地の太ももに張り付くように当たった。奈帆子の体温と自分とは別の性が持つ肉の柔らかさが、ジーンズ越しに伝わってきて、嫌でも意識してしまう。二の腕同士も少し身動きすると、汗の吸着力が手伝って触れ合った。三角座りをする奈帆子の胸は、前に組まれた腕によって谷間を作り、タンクトップの隙間からはっきりと見える。
大地は女をアピールしてくる奈帆子を疎ましく思い、少し場所をずれた。奈帆子は恨めしそうに自分を一瞥して、また海に目を向けてくれた。
「あのさ、何? 何か用事?」
「別に……」
「俺、一人でいたいんだけど」
「私は、海を見ようと思って来ただけだし」
「じゃあ、別にここでなくてもいいだろ」
「――」
何も言い返してこない、こじつけたような理由。なのにはっきりと言葉に出さない不快感と、自分の気持ちを察して欲しいという図々しさが伝わってくる。仕方なく大地は立ち上がり、家に戻ろうとした。
「大ちゃん!」と声がしたと同時に、左手に加重がのしかかる。奈帆子がまた恨めしそうに、自分を見上げていた。その目は、年下のくせに女そのもので、自分を欲しているように見えた。ただ単に今自分が欲求不満でそう見えてしまっているのか分らない。でも背中の皮膚が、逆むけた鱗が立つような感じがしているのは確かだ。
大地はそんな自分を少し恥じながら腕を振り解こうとしたが、しっかりと掴まれている手は反対に、より深く肉に食い込む。
「何だよ」
「あ、あのさ……大ちゃんが探してたカブトムシがいる場所、わかったよ」
「だから?」
「え? だから……夕方一緒に行かない?」
「場所だけ書いて教えてくれたらいいよ」
「ダメ! ちょっと道が複雑だし。ね? 一緒に行こう」
あまりにも一生懸命な奈帆子を見ていると、冷たくするのも可哀そうになってくる。
夕方前、一度戻った奈帆子が家に迎えに来た。朝方と同じ、タンクトップにホットパンツ。足元はサンダルで、山に行くのに大丈夫なのかと少し心配だったが、口を出すことでもないとそのまま一緒に家を出た。
黙々と歩いていると奈帆子は、大地の方へとすり寄ってくる。距離を取るために大地が横にずれていくので、道の端に追いやられてしまう。歩くところが無くなってきた大地は、スッと奈帆子の背後から反対側に移った。それでも同じことを何度か繰り返し、神社の前までやってきた。
「こっち」
奈帆子は大地と並ぶのを諦めたのか、数歩先を歩き始めた。
そこは神社より少し奥で、踏み慣らされた道が山の中へと続いている。ここだっただろうか? 曖昧な記憶を辿ろうとしても、やはり思い浮かんではこない。しかし進むにつれて周りの木々は、カブトムシが好むとされている木が密集していた。次第にホームセンターで売っている、既成の虫用ゼリーに近い香りが、どこからか風で運ばれてきている。
奈帆子は身軽な格好にもかかわらず、まるで平地の道路を歩いているように、道を上っていく。その後を追いながら五分ほど歩いた場所に、小さな山小屋があった。人の出入りがたまにあるのか、薄汚れた感じには見えない。
「ちょっと休憩しよ」
「いや。もういいよ。ここの場所だったか俺もよくわからないけど、周りの木はそうだし、休憩するほど疲れてないから」
「でも、私が疲れたの! ほら、入ろうよ」
大地はさっきまで話さずに歩いていたくせに急に何なんだと思いながら、奈帆子に腕を引っ張られた。
中は林業をするための道具が壁に掛けられていたり、工具がそれなりに整備されていて、機械から落ちた木屑がその下にたまっていた。そうかと思えば、ソファが無造作に置いてあった。
「ここ、勝手に入ってもいいのか?」
「いいの。ここ神社の敷地で、神主さんの小屋。木とか山を手入れするときに使うだけだから」
普段目にしない工具を大地は、博物館に飾られている品を見るよう眺めた。
「ねえ、大ちゃん」
奈帆子が腕を絡ませてきた。ぐいぐいと胸を押し付けてくる。押し付けてきても直ぐ元に戻る張り。それでいてこの世に同じような柔らかさを持ったものはないと思えるような弾力。奈帆子に魅力がなくても、女としての体は若い大地にとっての性(さが)に激しく揺さぶりをかける。その柔らかい胸をこの手に収めたいという欲望が沸々と沸き起こってくる。徐々に普段は檻の中で大人しく寝ている感情と理性の立場が変わり始める。何とも言えない甘い香りに、鼻と胃がつられてしまう。そしてとうとうその香りに負けた理性は、気が付くと檻の中だ。感情は眠りに就いていた分の体力を、思う存分に使おうとする。
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