第22話
奈帆子は大地の手を取ると、自分の胸に押し付けた。自分の理性は絶対だと、大地には自信があった。相手が誰だろうと、自分が心を許していない相手を突き放すことが出来る。でも体の底に眠っている本能が、理性に牙を向け始めていた。
奈帆子は掴んでいた大地の手を、服の下に潜り込ませた。感触が変わった。掌に吸い付いてくる肌。少し関節を曲げるだけでそれがいかに柔らかい物か、大地は知っていた。奈帆子の唇が緩みきった大地の唇と重なり、その隙間から熱くて肉厚のある、触覚のような舌が入り込んできた。
後は獣がそれこそ肉を食らうように、大地は奈帆子の体を貪った。身体が本能のまま、欲するままに突っ走っているのに、大地の頭の一部分は妙に冷え切っていた。全身で奈帆子の体に欲望をぶつけている自分の姿と、小学生の頃に見た猫の交尾を重ね、その動きを滑稽に思いながら見ていたなあと考えていた。
初めての体験は済ませていたし、アダルトビデオを見ていてもそんなことを振り返ったことはなかった。それなのに何故か今、少し離れて傍観している大地がいた。
身体中の熱を一気に外へと吐き出し、組み敷いて不格好になっていた奈帆子の横に倒れ込んで目を閉じた。筋肉の弛緩しきった腕に、奈帆子が頭を乗せてくる。その重さに大地は強い不快感を覚えたが、振り落す気力もなかった。
さっきまで身体の主導権を握っていた本能は、跡形もなく消え去っていた。その変わりにやってきたのは、今まで感じたことがないほどの虚無感だった。今、自分がしていた行為は、誰かを裏切るものでも悲しませるものでもない。それなのに自責の念が、大地を蝕んでいく。
「大ちゃん、結構激しいんだね」
目を開けて奈帆子を見た。情欲をぶつけた相手なのに、何の感情も沸いてこない。
「ねえ。もう一回する?」
奈帆子は、まだ返事も何もしていなのに、手馴れた手付きで大地をまさぐり始めた。それを撥ね退けるように起き上がり、素早く服を着込んだ。
「大ちゃん。もう行っちゃうの?」
「――」
「気にすることないよ。別に悪い事をしている訳じゃないんだし。それに誘ったのは私なんだから」
大地が今、奈帆子に対して罪悪感を持っていると自惚れているのかと思うと、怒りがこみ上げてきた。
「あのさ、もう屋敷には来ないでくれないか?」
「どうして? もしかして照れくさいの?」
奈帆子を強く睨み付けると、それ以上は何も言ってはこなかった。大地はそのまま振り返ることなく小屋を出て行った。
屋敷に戻った大地は、直ぐに風呂場に駆け込んだ。滝のように流れ出た汗で、シャツが体に纏わりついて気持ちが悪かった。服を脱ぎ捨て大地は、シャワーを浴びた。まだ体に残っていた情事の後を、冷え切らない水で洗い流す。それでも体の奥にある核のような物が、燻りつづけていた。
大地は自分で制御しきれない熱を否応なしに感じながら、父に抱いていた感情をどう処理すればいいのか苦悶していた。同時に、今まで築きあげてきた自分という存在を削ぎ落とされ、その部分から今まで気付くことがなかった得体のしれない自分の一部を認識してしまった恐れが、大地を襲った。
祖母の部屋はやはり落ち着いた。部屋の住人である祖母は相変わらずではあるが、自分が作り上げた世界で幸せに過ごしているならいいと思える。実際、今自分自身がそんな世界に溶け込んでしまいたいと大地は思っていた。
結局、奈帆子は何を考えて、何がしたいのだろうか。欲のままに体を解放して、何があるのか。いや、奈帆子自身、何がしたいのかわかっていないのかもしれない。でもだからといって、奈帆子の事を責めきれない。でも憤りを感じる。同時に、父の浮気相手も案外そうなのかもしれないと嫌な考えが頭をかすめた。
父はただ感情のままに行動し、餌に食いついてしまったのではないだろうか。どちらにせよ、欲に踊らされている父が情けない。しかし万が一本気だったら自分はどうなるのだろうか。高校は公立だが、大学はどうなるかまだ分からない。私学になれば金銭面が公立と違ってくる。それに母は仕事をしていない。生活はどうなるのだろうか。自分は周りが青春を謳歌しているのを横目で見ながら、働かなくてはいけなくなるのか。
大地は最終的に心配しているのは、母の事ではなく自分の事だと気付いた。
「婆ちゃんはいいな。婆ちゃんの世界があって。それにしても驚いたよ。こっちの中学生もませてるっていうか、凄いんだな。そういえば婆ちゃん、お祭りはいかないの? 俺もいるし介助らしいことは出来るから。折角だしさ。その前に母さんに言わないとな。そうそう。父さんから電話があったんだってさ。父さんの心って、今どこにあるんだろうな」
思いつくまま、大地は祖母に話した。祖母が動きだしたので、大地は何かを期待した。しかし、例の時代劇の時間かと肩を落とした。この時間だけ、祖母が半分こちら側に戻ってくる。でも戻ってきてもそれは、家族には向けられない。「ヒデジ、ヒデジ」と小さい子がアニメを喜んで見ているような無邪気さに、少しだけ心が和んだ。
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