第13話
結局、神社付近まで行ったものの、針葉樹ばかりでそのまま引き返してきた。昔に行った場所は、クヌギやナラが密集していたはずだった。徐々に視界が暗くなっている事に気付いた大地が空を見上げると、太陽が隠れ始め、雲の隙間から残光が薄っすらしているだけだった。大地は慌てて来た道を早足で引き返した。
家に戻ると、玄関で母が大地を出迎えてくれた。
「どこに行ってたの?」
「神社」
「あら、お祭りに行くの?」
「――わからない」
大地は母の顔を見ずに答えた。
「手を洗ってね。夕食、出来てるから」
そのまま母の横を無言ですり抜けた。
夕食が並べられたテーブルには、同じ系統の皿に盛られたおかずとは違う食器が幾つか紛れていた。近所の人たちが持ってきたものだと、直ぐにわかった。大地はそれに手を付けることはせず、母が作った料理だけに箸を付けた。
テレビを点けていない部屋は静かで、箸が椀に当たったときになる陶器の音と、衣擦れの音。自分のかみ砕く音が、あごから耳にやけに響いていた。食事から少し意識を反らすと、クーラーの音に混じって虫の合唱が聞こえてくる。
そろそろ大地の食事が終わろうとした時、母が口を開いた。
「奈帆子ちゃんを誘って、お祭りにいくのはどうかしら?」
突然の提案に、箸を持っていた手が止まった。少し考えてから大地は、「考えておく」と答えて席を立った。襖を閉める寸前でまた母の声が、大地を止めた。
「何か、悩みでもあるの?」
悩み……父の浮気、それを知った自分がどうやって両親に接すればいいのかわからなくなっている。と当人に言えるわけが無い。言うことができたら、苦労はないだろう。大地は母の言葉を背中で受け止めながら「別に」と返して、部屋に戻った。
夜、布団に入ったのが早かった大地は、変な時間に目が覚めてしまった。起き上がって部屋の時計を見ると、十二時前だった。今日も彼女は海岸に来ているんだろうか。しかし田舎とは言え、夜女性一人では危険じゃないだろうか。観光地から離れてはいるが、シーズンオフとは違い羽目を外した観光客もいるだろう。
急に彼女の事が心配になってきた大地は、音を立てないように玄関に向かい、懐中電灯を手に海へと向かった。道を照らしながら歩いていると、まばらにしか虫の声が聞こえてこない。空には星も月も出ているのに、その静けさが妙におどろ恐ろしい物に感じられた。
浜辺に着くと、昼間と変わりなく、波が押し寄せては引いてを永遠に繰り返していた。
その先を見ると、昨夜と同じように黒い棒状の影があった。大地はその影に近づいていった。
「毎晩、来てるんですか?」
「え?」
今日は髪を一つに纏めていないせいか、振り向いたときに長い髪が波風に靡いていた。それを顔に当たらないように手で押させる仕草が、妙に大人っぽくて色気があり、大地の心臓が一段飛び跳ねた。
目を大きく見開いた彼女は、「ああ、驚いた。君か」と言った。
「幽霊を待っているのに、驚くんですね」
「意地悪な事を言うわね」と言った彼女は、柔らかい笑みを浮かべていた。その笑みを見た大地の胸は、感じた事がないほどにざわめいた。故郷を思い浮かべた時のような懐かしいようで、哀しい気持ちだった。同時に愛しくも感じられ、抱きしめたいという衝動にも駆られた。しかしそれをしてしまえば、羽目を外した観光客に自分がなってしまうではないか。理性でその衝動を止めた。彼女は続けた。
「そうね……晴れて月が出ている時はね。それに夜の海は嫌いじゃないし」
「でも、危ないですよ。夜一人で。いくら田舎でも、女なら誰でもいいって人間もいるでしょうし」
「え?」
彼女は、世の中にそんな人は居ないとでもいうような、そんな顔をしていた。
「女なら誰でもいいって……私、そんなに不細工かしら」
「え? いや……」
明るければ、彼女の大きな少しつり上がった目の中に、自分の姿が映っているのが見えるのだろうが、今見えるのは瞳の中に閉じ込められた月だけだった。
「嘘よ。心配ありがとう。でも、私は大丈夫だから。それより君。何かあったのかね?」急に先生のようなおどけた口調で、背の高い大地を下から覗き込みながら聞いてくる。
戯交じりの彼女の表情が、さっきと打って変って幼く見え、笑いが込み上げてきた。
大地はそれを抑え込むように顔をしかめてみたが、抗う事が出来ず、笑いが口元から漏れ出てしまった。
「何よ。笑う所、あった?」
「あはは。いえ……何だか面白い人だと思って」
「そうかな? でも君、昨日もそうだったけど、難しそうな顔をしているよりは、笑っていた方がいいよ。その方がハンサムだもの」
「え?」と大地が言うと、彼女も「え?」と返してきた。それがまた可笑しくて、腹を抱えるように笑い始めた。格段面白い話をしたわけでもない。ただ可笑しかった。そして久々に大地は笑った気がした。
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