第15話
朝、目を覚ますと、いつものような窓から刺す陽の光が無かった。起きる時間を間違えたのかと思うほど空は曇り、薄暗かった。太陽が隠れているだけで、体は水分を含んだように重く気怠く感じられる。
時間はもう九時を差している。もう一眠りしようか迷っているうちに目が覚めてしまい、結局起きることにした。
昨夜、屋敷に戻ってきたのは深夜二時くらいだった。あれからただぼんやりと海を見ながら、たまに言葉を交わして時間を過ごした。自分が帰る時、まだ彼女は海を見ていると言った。危ないから一緒に帰ろうとは言ったが、そんな目に合ったことは無いし合わないから大丈夫だと言いきられ、後ろ髪を引かれる思いで屋敷に戻った。そういえば彼女の名前をまだ知らないし、自分も名乗っていない。それに夜、子供はどうしているんだろうか? 月の橋で待っているのが夫という事は、亡くなっている事になる。両親と住んでいて、預けて外出しているのか。今更ながら彼女の事について、色々と知りたいと思い始めていた。
布団を押し入れに詰め込んだ時、目の端にあの箱が入ってきた。月の橋のようにこのピンクの貝にも、何か意味があるのかもしれない。一度彼女に見せてみようか。大地は考えながら、居間へ向かった。
テーブルには大地の食事だけが配膳された状態で、部屋に母の姿はない。大地は素早く朝食を済ませ、食器を台所へと持っていく。そこにも母の姿はなかったので、祖母の部屋を覗いてみた。すると祖母は閉められた窓越しに、やはり一人で海を見ていた。
大地は母の部屋の前まで行き、声を掛けてから襖を開いた。天気が悪く、陽が入ってこない部屋の正面の机には、あの人形が置かれている。薄気味が悪い、よく一緒の部屋で過ごせるものだと大地は思った。
「あら、どうかした?」
「うわっ!」
急に声を掛けられた大地は、数センチ飛び跳ねる程驚き、思わず胸元で両手を神に祈るような格好になった。
「驚かせないでよ」
「そんなつもりじゃ無かったんだけど。それよりどうしたの?」
「え? ああ……あの人形、不気味なんだけど」
「そうかしら? 凄く可愛らしいわよ。それに……」
母は何かを探るように大地の顔をじっと見てきた。その詮索するような視線に耐えられず、大地が目を反らすと、
「――分らないのならいいわ。今日は天気が悪いから、屋敷の雨戸を閉めないと。少し手伝ってね。ちょっと立てつけが悪くなってる箇所もあるから」
「わかった」
あらかた戸締りが終わり、机に向かう気もなかったので、居間でテレビを点けて横になった。衛星放送が入っているので、バスケの試合を見ることにした。しかしただ映像が流れているだけで、熱中することができない。少し前までプロ選手たちの華麗なプレイに一喜一憂しながら興奮していたのに、今は何も感じない。
あの試合以降、練習にも身が入らず、顧問に激を飛ばされることが多々あった。自分でもどうにかしなければと思っていても、気が付けば父のあの時の姿とこれからの事を考えてしまって、上の空になっていた。夏休みに入る寸前、田舎に行くので夏休み中は休むと言った時に顧問が、
「安立、何に悩んでいるか分らないが、どうしても解決できなければ相談にのるぞ。まあ田舎でリフレッシュしてこい」
そう言って、思いっきり背中を叩かれた。少し申し訳ないという気持ちと、顧問が自分の変化に気付いてくれているという事が少し嬉しかった。でも解決できないからと言って、家の恥を赤の他人にいう訳にはいかない。あの時よりは幾分、気持ちは上向きでもそれは今、父の顔を見ていないからかもしれない。何度も心の中で呟き続けている、どうすればいいのか、という言葉。いつか爆発してもおかしくない爆弾を抱えているようで、自分の若さを消耗して、一気に年をとったような気分だった。
テレビを見流していると、家の固定電話が鳴っていた。スリッパのパタパタという音が止まると同時に、電話の音も止まった。暫くして母が居間にやってきた。
「姉さんが、大地に電話を代わって欲しいんだって」
「え? どうして?」
「お土産がどうのって言ってたわよ。とりあえず出てあげて」
起き上がって、廊下にある電話までいくと、エリーゼのためにの保留音が漏れている。
「もしもし?」
「ああ、大ちゃん? 今いいかな?」
「はい」
お土産の話をするには、どうも声のトーンがおかしい。
「ゆっくり話が出来なかったから……本当は電話で話すことじゃないかもしれないけど、よく考えたらその方が都合がいいと思って。ミチに変わった事ない?」
「え?」
急な質問だった。でも直ぐにあの人形の事が思い浮かんだ。
「人形、人形をペアで買ってきて……それまで全く興味なんかなかったのに」
「それって、家から持ってきたビスクドールのことね」
「そうだけど」
しばらく瞳子は何も話さず黙ったままで、大地はその沈黙に甘んじた。
「他には? 他にはないかしら」
「わからない」
「そう……」
「伯母さん、あの人形の事を何か知ってるの?」
「そう、ね」と言ったきり黙ってしまった。声だけで表情を見て判断はできない。しかしこの間に、何か意味がある気がした大地は、辛抱強く瞳子の声を待った。
「大ちゃんは、あの人形については何も聞いてないの?」
「聞いてない」
数十秒の沈黙が続いた。
「アレね」と何かを言いかけたところで、電話の向こうから瞳子を急かす呼ぶ声が聞こえてきた。
「ごめん。話はまた今度。お婆ちゃんとミチを頼んだわね。あ、そうそう! お土産、楽しみにしてて。じゃあ!」
「伯母さん!」
と言った時には、もう電話は切られていた。
大地はモヤモヤした気持ちを抱えたまま居間に戻った。テレビ画面は、選手がスリーポイントシュートを外したところだった。
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