第24話
大地はこの数日、父に電話をして自分の見たことを伝えようとしていた。でも結局、携帯のリダイヤルボタンを押して父と話すものの、本題には切り出せなかった。そんな大地に父は呑気な声で「お父さんが恋しいのか?」と、冗談を言ってくる。恋しい……その言葉を聞いた時は、この年になって馬鹿馬鹿しいと思った。だが今まで自分が思い悩んでいる事を客観的に見た時、結局はそういうことなのかもしれないと思えた。
忙しい合間をぬって学校の宿題を見てくれていた父。休みに一緒に遊んでもらった記憶。まるで今回の事のために自分の中で蓄積させてきた父への想いは、切り崩されながらまだ残っている。少し前の父に対する怒りが、積み重ねてきた思い出という塗り薬のおかげで少しだけだが、和らいでいる気がした。
その日、トイレを済ませてちょうど電話の前を通り過ぎようとした時だった。電話が鳴り、ディスプレイに瞳子と文字が点滅していた。
「もしもし? 伯母さん?」
「大ちゃん。ちょうどよかった。今、ミチは?」
「ちょっと待って」
「ああ! 違うの。大ちゃんに話したいことがあるのよ。で、ミチは今近くにいる?」
母はさっき、近所の人が果物を分けてくれると言って、出て行ったばかりだった。そのことを瞳子に言うと、
「ベストタイミングかしら。前に電話した時、途中で話を終わらしてしまったから」
「じゃあ俺の携帯に掛けてくれたらいいのに」
「あら! そうだったわね。まあこれからそうするわ。ところでミチ、あの後からどうかしら?」
「人形を居間に持ってきて、人間と同じように接してた。何だか……」
その後は、母を常人ではないと自分で認めているように思えて、大地は言葉を濁した。
「あのね大ちゃん。ミチが持って来ているあの人形の服。昔、秀敏さんが着ていた服なの。多分だけど対の女の子の人形の方は、ミチの昔の服をリメイクしたものだと思うわ。あの人形を見た時、見たことがあるなあと思ってたのよ。結婚する前の若い頃の秀敏さんに似ているって、急に思い出したの。それでね大ちゃん。もうあなたは高校生だし、妹、ミチを支えて欲しいから言うわ。あなたのお父さん、浮気してるの」
自分だけだと思っていたのに、他にも知っている人がいることに驚いた。同時に、一人で悶々と悩んでいたことが馬鹿らしくなった。瞳子は、息子の大地が少なからずショックを受けていると思ったのだろう。別の意味でショックを受け、喉の奥が空気で圧迫されているように声が出ない大地に、
「ごめんなさいね。でも夏休みが終われば、ミチは帰ってしまうから心配だったの」
瞳子は付け加えた。大地はゆっくり息を吸い込んで、喉元に空気の通り道を確保して言った。
「俺、知ってた。見たから。でも人形の事はわからなかった」
「え? 見たって……」
今度は、瞳子が言葉を詰まらせた。その間に大地は簡単に説明をした。瞳子は大地から話を聞いた後、
「そう……辛かったでしょ。でもこればっかりは夫婦の問題だから、私から秀敏さんに言うのもねえ……それにミチにも止められているし」
「え? 母さん、知ってるの?」
「え?」
声が重なり、しばらく沈黙が続いた。
電話を切って部屋に戻った大地は、自分の間抜けさに愕然としていた。そして何より母が、父の浮気を知っていても、普段通りにしていた事に驚いた。同時に、頭の片隅に引っかかっていた物が取れた気もした。聞いた話を自分なりに考え、まとめみたが、瞳子が言うように夫婦の問題で、血を分けた息子の自分がどうすることもできない。仮に自分が知っていると母に告白したところで、相談に乗れそうにもない。結局は、母の前では知らぬ顔をしながら過ごすしかなかった。
そしてあの人形。瞳子が言うには、父を象ったものだという。もしかして母は、気付いて欲しいのではないだろうか。いや、思い出して欲しいと思っているのかもしれない。だから対の人形を飾って、片方を若い頃の自分に似せて作らせ、家に置いてきたのはないだろうか。もしそうなら、父はそれに気づいているのだろうか。気付くだろうか。自分としては気付いて欲しいと願っていた。
玄関からガラガラという音が聞こえてきた。大地は玄関まで行き、少し気怠そうにしながら、祭りに祖母を連れて行ってはどうかと告げた。母は「それは難しいわね」と大地の気遣いに喜んでいるのか、嬉しそうな顔をしながら、手に野菜を抱えながら台所へと入っていた。
あれから奈帆子が屋敷に来ることはなかった。大地もほっとしていた。
祭りが三日と迫った頃、大地も何だかんだと手伝わされることが多くなった。祭りになるとこの屋敷の和室の一部が解放され、宴会会場のようになる。そのための手配を、母に渡された用紙を見ながら酒屋などに連絡を入れていた。毎年の事なので相手も手馴れていて、格段難しいことはなかった。
だが栂尾の家からの電話、それも長男の祥太郎ではないと分ると、「あんた、ミチちゃんの息子さんかい?」から始まり、母の小さい頃や栂尾の家の話を長々と話してきた。だから必要以上に時間を取られ、数分で終わりそうな作業が、一時間、二時間と掛かった。全ての注文を終えたのは、昼になってからだった。長時間耳に受話器を当てていたせいで、耳殻が痺れていた。
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