第11話

「それで、何か用事?」

「あ、そうそう。これ渡しておいて。婆ちゃんに頼まれたんだ」


 手渡れたのは、鍋と大きめの封筒だった。


「再来週、お祭りがあるからそれについての手紙と、婆ちゃん特製魚の煮物」


 奈帆子は鍋の蓋を開けた。茶色の汁に浸かった魚からは、甘辛い匂いがした。しかし……これと似たものを昨日から口にしている大地にとって、迷惑でしかなかった。追い打ちをかけるように奈帆子は続けた。


「また夕方になったら、うちとか近所の人が、おかずを持ってくると思うから」

「え? どうして?」

「どうして? って……瞳子さんが留守にして妹がくるからお願いねって、挨拶してたから」


 質問の答えになっていないと大地は思った。そもそもお願いというのは、食べ物の事ではないだろう。ただ家を空けるから、何かあった場合かもしくは、母に何か困ったことが起きた時に手助けを、という意味合いで言ったはずだ。食事の面倒をみてやってくれというお願いではないはずだ。


「食事は間に合ってるけど」

「そうだろうけど、ここはそういう場所なんだよ。それが普通だし、栂尾家はこの辺一帯を昔から世話をしてるから。絹代婆ちゃんに今でも感謝してる人は多いし」

「婆ちゃんに?」


 奈帆子の顔は、何も知らないのか? と侮蔑が混ざったような表情をしていた。


「とりあえず美智子おばさんに渡しておいて」と言うと、さっと立ち上がり玄関を出て行った。その後ろ姿を見ながら大地は「玄関くらい閉めて帰れよ」とボヤいた。

 大地は鍋を台所へ持って行ってから、祖母の部屋へ寄ってみたが、母の姿はなかった。あったのは縁側に座る小さな祖母の背中だけだった。封筒を持ったまま大地は、その隣に座った。相変わらず祖母はずっと海に目を向けている。

 大地は彼女の話を思い出した。もしかして祖母はあの話を知っていて、祖父が来るのを待っているのではないか。でももう足腰が弱っている祖母は海岸まで出ることはできない。だからせめて屋敷の縁側から眺めているんじゃないかと。しかし昼間に海を見ていても、月の橋を見ることはできない。


「婆ちゃん。月の橋って知ってる?」


 大地は祖母の耳元で、大きな声を出して聞いてみた。海を見ていた祖母が、自分の方に振り向いた。そして「知ってるよ」と短く答えてまた直ぐに海の方へと目を向けてしまった。大地は驚いた。月の橋を知っているという事にではなく、自分が昔から知っている祖母のはっきりとした喋り方に驚いた。もしかしたら今、ボケた祖母ではなく、昔の祖母に戻っているのかもしれない。大地は祖母に話しかけ続けたが、首をかしげる素振りを見せるだけで、これといった反応を得ることはできなかった。


「大地? お婆ちゃん、どうかした?」


 振り向くと、母が不思議そうな顔をしながら立っていた。


「あ、いや……それより、どこかへ行ってた?」

「ちょっと外に出てたの。大地に声を掛けたんだけど、聞いてなかった?」


 集中していて、聞き洩らしたらしい。大地は手に持っていた封筒を母に渡した。


「これ、箕川って子が持ってきた。あとおかずだって鍋も。鍋は台所に置いてある」

「あらそうなの! ナホちゃん、元気だった?」

「知ってるの?」

「ナホちゃんのお母さんとは同級生なの。ナホちゃんは確か……そうそう。大地より一つ下ね。昔、何度か遊んだことあるの、覚えてない?」

「ない」と大地は間を置かず答えて、部屋に戻った。


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