第9話
そういえば昔から、夜外に出る時は、懐中電灯を持って出ていた。街灯はあるが、大阪の家とは違って極端に少ない。街灯が少なくても、家が密集していればそれなりに明るく感じるかもしれないが、それもない。中に入り瞳子から懐中電灯を出してもらうと、ちょうど風呂から上がってきた母と出くわした。
「何? カブトムシでも捕りに行くの?」
「違うよ」
すると今度は、瞳子が話に入ってくる。
「あら、そうなの? 虫捕りじゃないんだ」
「もうそんな年じゃないから」
これ以上いると、また話の餌にされそうな気がして、足早に玄関へと戻った。背中から「気を付けるのよ」と声が聞こえた。
屋敷を出て左に進めば畑や山、右が海へと抜ける。山側は、明かり一つないのに、そのそびえたつ黒い輪郭が半月の明かりによって浮かびあがっていた。まるで全てを飲み込んでしまう、ブラックホールにも見えた。
大地は月がある方向、海へと足を伸ばすことにした。草むらからは、大阪ではあまり聞かなくなった虫たちの合唱が、絶え間なく聞こえてくる。大阪でも全く聞こえない訳ではない。公園、それなりに雑草などが茂っている場所では耳にすることもある。しかし家の窓を開けていても、こうして普通に道を歩いていても耳にすることはない。それに虫の鳴き声は嫌いではなかった。暑くむさ苦しい夜でも、少し涼しく感じるからだ。
しかし海が近づいてくるにつれ、波音に飲み込まれるように虫の声はかき消される。街灯もちらほらと設置されていて、反射光でそれなりに明るい。一キロもない浜辺は海水浴には適しておらず、見た目穏やかな入り江でも、かなり潮の流れが強いので遊泳が禁止されていた。
浜に降りると、直ぐに細かい砂が靴に入り込んできた。浜辺に立つと、昼間の青かった海は黒く、地獄にでも繋がっていそうな程不気味に見えた。しかし海面に映る月光が波に揺られて、そこだけ星屑を散りばめられているかのように綺麗だった。昼間には、数メートル先まで海面下が見渡せるのに、今は波打ち際から直ぐ先が見えないので、不気味より恐怖心の方が勝っていた。それなのに波音を聞いていると、妙に心が落ちついてくる。
生物は海から生まれてきた。もう何億年と昔の出来事なのに、DNAの隅っこにそれが残っているのか、ずっと波音を聞いていたい気分になった。
どれくらいの時間そうしていただろうか。携帯も時計も持っていなかった大地には分らなかった。そろそろ帰ろうかと、ふと浜辺の先に目を向けると、黒い縦長の影が目に入った。女の人? と大地が思ったのは、足元が浜風によって靡いているのが、月明かりで確認できたからだった。自分と同じように、散歩にでも出てきた人だろうか? その影が大地に近付いてきて少し怖くなった。でも大地が懐中電灯を相手に向けた時には、相手はもう目の前に立っていて、逃げそびれてしまった。
一番始めに思ったことは“足はある”という、子供じみた事だった。ひざ下までのスカートの裾は、薄いピンク色で波のようなうねりがあるデザインだった。そのまま明かりを上げていくと、そのワンピースが白を基調としているものだとわかった。
「こんばんは」
直接顔に明かりを向けるのは失礼だと咄嗟に考え、首元辺りを照らす。それだけで相手の顔を認識するには十分だった。身長は一七〇センチある大地よりも低く一六〇センチ程で、スラっとした体だった。着ているワンピースが体に程よく密着していて、線の細い体の割には程よい膨らみが胸元にあった。長い髪を一つに束ね、大きな目元は少し吊りあがっていた。意志の強そうな目だと思った。
「あなたも誰かに会いに来たの?」と彼女は言った。唐突な、それも意味の分からない質問に思わず「は?」と間抜けな声を大地は出した。
彼女は驚いたという顔して直ぐに、
「ごめんなさい。そうよね。夜の海を見ているからって、誰でもかれでも自分と同じとは限らないわよね」と言いながら、笑っている。笑う見知らぬ女性を目の前に、大地は戸惑っていた。思わず話の流れで「あの、あなたは、誰かに会いに来たんですか?」と聞いてしまった。
「そうなのよ。会いに来るって約束したのに、全く来ないのよね」と投げやりながも、小さな子供を言い聞かせるような言い方で、そこには悲観した感情は無いようだった。
女性は海に顔を向けて言った。
「全く、いつまで待たせる気かしら」
「こんな時間にですか?」
「まあそうねえ……ところで君はここで何をしてるの?」
「何となく……散歩です」
「ふうん、そうなんだ。でもあまり君みたいな年頃の子は、夜の海には来ないほうがいいんじゃない?」
「え?」
「あれ? 君、この辺の子じゃないのね。あのね、この辺ではある海のモノを祭っているんだけど、それがたまに、若い子供を海に引きずり込んでしまうっていう話があるのよ。実際に、何年かに一度、君くらいの子が亡くなってるわ」
今どき、そんな子供だましな話に……と思いながらも、大地は黒くうねる海が気になった。それにここは田舎で、都会では考えられない風習などもある。
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