第31話
大地はずっと机に置いたままだった貝の箱を持って祖母の部屋で本を読んでいた。課題も少しまだ残っていたが、家に帰った時、部屋から出ない為の口実として簡単なものを残してあった。それに祖母の部屋は海風が入ってくるので、クーラーがなくても涼しく、体にもいい気がしていた。
海を眺めている祖母の隣で大地は持って来ていたゲームに夢中になっていた。気が付くと、どことからともなく空腹を刺激する食べ物の匂いがしてきた。時間を見るともう昼を回っている。
「大地。お昼食べてちょうだい。おばあちゃんも一緒にね」と呼びに来た。大地は祖母が躓いてしまった時、直ぐに手を差し出せるように、二人の後ろから付いていく。食事をさっさと済ませて、ゲームの続きをするため祖母の部屋へ戻る時、母に聞いてみた。
「母さん。遠野って家、どこにあるか知ってる?」
「遠野? 遠野さんねえ……どうだったかしら。姉さんなら知ってるかも。明後日には帰ってくるから、聞いてみたらどう? その遠野さん、知り合いか何かなの?」
「いや、別にそんなんじゃないから。伯母さんが帰ってきたら聞いてみる」
「そう?」
これ以上、突かれても困ると、大地は素早く襖を閉じた。
時間が経って、祖母が母に支えられながら戻ってきたが、ゲームに夢中な大地に軽く母が声を掛けただけで部屋を出て行った。祖母は相変わらず定位置だった。大地は同じ姿勢で長時間いたため、体のあちこちが痛くなってきた。クリアしたところまで一旦保存をして、大地は畳の上で大の字になった。それから手足を伸ばせるだけ伸ばした。一定時間固定され続けていた筋肉や皮膚が、喜んでいる気がした。そして「ふうっ」と息を吐くと、体が畳と完璧に密着した。
そのまま首を横に向けると、あの箱が目に入った。手に取って蓋を開けてぼんやりと、中にある貝を眺めた。そして勢いをつけてダルマみたいに大地は起き上がった。大地は祖母の隣に移動して、持っていた箱から貝を取出し空に向かって掲げてみた。筆で書いた線のような白い雲と、真っ青な空。そこに桜色の貝は、絵のように美しい色の重なりに見える。そう言えば彼女はあの時、どうしたのだろうか。泣いているかと思ったがそうではなかった。悲しい顔をしていた気もするけど、怒っているような顔でもあった。
「ちょうだい」と声のした方を見ると、かざしていた貝に祖母が手を伸ばしていた。
「ばあちゃん。これ欲しい?」
祖母はただただ手を掲げて、大地の持っている貝を弱弱しく、それでいて必死に腕を伸ばしている。大地は祖母の手を取って、掌に桜色の貝を置いてやった。すると祖母は嬉しそうにその小さな貝の外側を、萎んだ指先で愛しそうに撫で始めた。猫の背中を撫でて和んでいるようだった。
「それ、飽きたら返してよ」と言ったところで、理解できていないだろう。大地は藍色の箱を、祖母の横に置いた。上向きで寝転がると、建物で切り取られた角ばった空ではなく、広々とした青一色の空。やはりここでは空を見ることに飽きないなと、改めて大地は思った。
あれから夜の海で待てど暮らせど、彼女は姿を見せなかった。子供に何かあったのか。大地は会ったことも名前も知らない彼女の子供の事を心配していた。
大阪に帰る三日前。瞳子が土産物を両手いっぱいに持って屋敷に帰ってきた。
「やっぱり家は落ち着くわ」と三和度で挨拶代り声を張って、そのまま座りこんだまま動こうとしない。
母が「お姉ちゃん、ゆっくりできた? 話聞かせて」と置かれた荷物を持って、部屋へと運ぶ。
「お帰り。伯母さん」
大地と瞳子は数秒、目を見つめ合った。瞳子は、大地の目の奥から何かを読み取ろうとしているように思えた。それを感じた大地は、その気持ちを汲み取って答えた。
「大丈夫だよ。その話はまた後で」
「そう。色々とごめんね」
瞳子は履いていた靴を、鉄の塊でもつけていたように脱ぐと、背中を丸めながら祖母の部屋へと入っていた。それに気づいた大地も、吸い寄せられるように後に続いた。
瞳子は祖母の隣に座って、小さな袋に入った土産を渡していた。祖母はそれをじっと見ているだけで、特に反応はない。瞳子が手渡したのは、青い服を着た小さな熊の縫いぐるみだった。
「テディベア?」
祖母を挟んで大地も座り聞いてみた。
「違うわよ。多分、ヒグマね。北海道のお土産。ほらクッキーとか食べられないから」
そう言えば、瞳子がどこに旅行へ行っていたか、大地は気にもしていなかった。ただ長い期間だったので、何となく海外だと思っていた。瞳子は大地のそんな考えを読んだのか、
「友達と北海道旅行してたんだけど、途中で解散してるのよ。そのあと私は、仲のいい友達が縁あって嫁いだ牧場で、農場体験とかしてたのよ。涼しいし楽しかったわ。でもなれない事はしないもので、夫の手伝いは断っちゃった。まあもう、あんまり忙しくないみたいで、いいよって言ってくれたしね」
旅行へ行ってわざわざ労働していては、旅行の意味がないじゃないかいと、心の中で呟いた。
「お姉ちゃんと大地。お茶が入ったわよ」
母が廊下から声を掛けにきた。「ありがとうミチ」と瞳子は言ったあと、「話は夜にでも」と大地にウインクをした。
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