第3話

 大地は「わかった」と返事をしてから、襖を力任せに閉めると、数センチ跳ね返ってきた。大地は一、二秒考えて結局そのままにして祖母の部屋に向かった。

 祖母の部屋は西側の広い庭に面していて、眼下に海が見える見晴らしのいい、この屋敷で一番の部屋だ。車で走ってくるときは気付かないが、祖母の部屋に入るとこの辺一帯の家が、斜面に建っているのだと改めて感じられた。全面に開けられた窓から、潮の香りを含んだ風が、花びらがふんわりと落ちるときのように、優しく吹いていた。祖母は、縁側に座っていた。


 祖父の栂尾正志(まさし)が四十歳という若さで亡くなってから四十年以上、この家の主として、この地域の責任者として先頭に立ち家を支えてきた。しかし瞳子が婿養子を取ってからは、地域の行事や取り纏めを退いて、娘夫婦に任せた。外を見ている祖母は、大人に向かっている大地の体とは反対に、小さな子供へと逆行していっているかのようにこじんまりしていた。


「婆ちゃん」


 大地は、その小さな背中に向けて声を掛けたが全く反応がない。


「婆ちゃん」


 大きい声を出してみたが、やはり聞こえてないようだ。仕方なく大地は祖母の隣に座ることにした。


「婆ちゃん!」


 今度は耳元で声を張ってみた。そこでやっと自分の方に振り向くのを見て、祖母の数年と自分の数年とでは全く違うのだと感じた。そして祖母が言った。


「こんにちは。僕、どうかしたのかな?」と。


 前に訪れた時は、年の割に耳もしっかりと聞こえていて、はっきり会話もしていた。大地があまりのことで唖然としていると、瞳子が洗濯物を手に部屋に入ってきた。


「おばあちゃん、良かったわね。大ちゃんよ」と、耳に顔を近づけて、さっきの大地

と同じように大きな声で話している。

「そうか。大ちゃんというのね。初めまして」


 祖母はニコニコしながら、自分からの返事を待っているようだった。大地がふと瞳子を見上げると、寂しそうな顔をしながら、


「数年まえからね。急にきちゃったのよ。お母さんはボケないでそのままで逝くのかと思ってたんだけどね。ミチのことも私の事もあんまり分らないのよ。でも寝たきりじゃないから……」


 大地は、となりに座っている祖母から視線をずらした瞳子の目に、憐憫ともみえる感情を感じた。


「でもね、面白いのよ。うち衛星放送に加入してるんだけど、寝ていてもむくりと起きて、テレビの前に座るの。目覚ましも何もかけてないのよ。それで夕方の五時から放送されている昔の時代劇を見ながら、『ヒデジさんヒデジさん』って言うの。それがもう恋する乙女のようにね。その時だけお母さん、生き生きとしてるの。でも終わるといつもこう。ただぼんやりしながら海を見てるか寝ているか」


 大地は瞳子の顔に、愕然と憐れみ、哀しみと諦めが混ざり合った複雑な心情を垣間見た気がした。その時、玄関から「宅急便です」と声が聞こえてきた。


「ごめん大ちゃん。ちょっと出てきてくれる?」

「はい」


 祖母に視線を残しつつ大地が玄関に行くと、すでに母が荷物を受け取っていた。


「あら大地。どうしたの?」

「伯母さんに荷物の受け取りを頼まれた」

「そう。でもこの荷物、お母さんのだから」

「そうなの?」

「他の荷物と一緒に発送はできないから」


 少し大きめの縦長の箱。その大きさに何となく覚えがあった。

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