第2話


翌朝、俺は疲れの取れていない身体を無理矢理起こし支度を始める。昨夜は結衣たん事変があったことで本当に眠れなかった。でも急がなければ、誰も助けてはくれない。とは言っても一人暮らしも慣れれば案外大丈夫なものだ。手慣れた様子で支度をするがその間も小林の言葉が頭から離れなかった。


「よし、行くか」


自分に言い聞かせるようにして俺は外に出た。家から学校までの距離は遠いが節約のため電車は利用せずに毎朝歩いて行っている。その分家を出る時間はかなり早い。だけど別に生活に困るほど貧しくはない。趣味などにお金をかけたいがために倹約家になりきっているだけだ。

外に出た瞬間、冷たい風が吹いた。季節は夏だけどやっぱり朝は冷える。

しっかりと鍵を閉め俺は学校に向かった。


(告白か······)


昨日告白しそびれたということは今日告白される可能性は十分にある。現実世界での恋愛なんて自分とは程遠いことだと思ってた。というかまだ告白されてもないくせに何を妄想してるんだろ。俺気持ち悪いな。


通学中、ほとんど告白の件で頭がいっぱいだったが考えているとすぐに学校へと着いた。並木道を通ると俺の高校の正門が見えてきた。


私立星街ほしまち高等学校。ここの高校は割と進学校として有名だ。正直なぜ合格できたのか分からない。


「ん? あれは····」


正門の前に誰か立っていた。俺は毎日かなり早くに学校に到着する。だからこの時間帯はほとんど人がいないのだ。だけどその人はお手本のように綺麗な姿勢で正門の前に立ち髪を耳にかける仕草はとても絵になっていた。

一瞬で釘付けになるその人は昨日ずっと考えていた女性——永井結衣だ。


このまま進めば俺はリア充へと昇華することが····


(どうやってバレないように通るか)


しかし気づけばそんなことを考えていた。俺にあの人の前を通る勇気などない。あるわけがない。


「おーい!! 南雲氏ぃ〜〜!!」


「······あいつッ」


その時、学校の窓から俺を呼ぶ大きな声が聞こえてきた。見ると二階の窓から身を乗り出し小林が手を振っていた。完全にしてやられた。普段なら小林が俺よりもはやく来ることなどない。全てを予期してあいつは今あの場所にいる。何という予知能力と無駄な行動力。


「あっ」


勿論、響き渡るような小林の声は結衣たんの耳に届き、俺は結衣たんと目があった。その顔はパァっと輝きすぐさまこちらに駆け寄ってきた。再び小林を見るとグーサインを出し何処かへと消えて行くのが見える。


「な、南雲君。おはよう」


細く綺麗な手を振りそう挨拶してきた。可愛すぎるだろ、これは夢か? 夢なのか?


「お、おはようゥ」


できる限りイケボで答えてみた。客観的にはどう聞こえているのか分からない。だがおそらく気色悪い。二人で話すこの状況を朝早く来ている数名の生徒が見ているのが分かる。


「あ、あの突然ごめんなさい。実は昨日伝えたいことがあったのだけれど、南雲君すぐに帰ってしまって」


恥ずかしそうにする顔は赤みを帯びて身体は少し緊張で固まっている。だけどこんな可愛い子が俺に告白するなんて駄目だ。俺の返答がどうとかではなくて俺に告白したという事実が彼女にとって黒歴史となる。


「ねえ、南雲君? 私ね、その····」


どうして、俺か分からない。だけど絶対に駄目だろ。どうにかして止めなければ。結衣たんに黒歴史をつくわせるわけにはいかない。


「私、南雲君のことがッ——」


「好きです」


「ッ———」


咄嗟に放った言葉は告白になっていた。勿論俺は告白するつもりなどなかった。だけれどこの状況、どう見ても俺が告白した形になっている。一度口に出した内容を今訂正することなんてできない。


俺の言葉を聞くと彼女は一瞬驚いたがすぐさま安心するように、そして何故か懐かしむように微笑んだ。


「でしたら、付き合うのはどうでしょうか」


「ふぁッ——!?」


幸いその言葉は誰にも聞こえていないようで周りの人は誰一人としてこの会話を聞けてはいない。だけどこれは完全に俺のミスだ。「好きです」は一番駄目だろ。これじゃあどう転んでも付き合うことになってしまう。どうする、こんなことなら朝早くまた賢者になっておくべきだった。


「······南雲君? どう······でしょうか」


「何故に······俺?」


「さあ? 何故でしょうか」


覗き込んだその顔はまるでアニメの美少女キャラだった。間近で見ても毛穴一つ見つからない。血色がいい肌で髪はサラサラ。鼻にはいい香りが抜けて耳には心地のいい声が聞こえてくる。俺は思った、下心なんてものは一切ない、ただ健全に、高校生の意見として、この声でASMRをしてもらいたい。


「ご、ごめん。小林が呼んでる」


「小林さん? 小林さんの姿は見当たりませんが······な、南雲君!?」


いつの間にか結衣たんを置いて走り出していた。かなり失礼だけどこの行動は間違っていない。某恋愛ゲームが俺に教えてくれた。好きな人がいる女の子は他人が想像する何倍もそのことに思い悩んでいる。まああれは百合だけど。俺は真面目に向き合って彼女に応えないと失礼だ。


教室に向かった俺は勢いよく扉を開けた。俺が所属する3年A組の教室に入るとニヤニヤした顔で小林が俺を見ている。朝早いためほとんどの生徒はいない。


「こ、小林。お前図ったな!?」


「どうだった? 恋のキューピット小林と呼んでくれてもよいのだぞ。フハ、フハハハハ!!」


何も言わず小林に近づき俺は首根っこを掴むと教室の外に出た。


「どこに行くんだ? 彼女がもう少しで来るではないか」


「逃げてきたんだよ。ホームルームが始まるまで教室には戻れないだろ。あの勢い、周りに人がいてもお構いなしだぞ······多分」


俺は小林と屋上に出て雑談を始めた。朝の時間帯は珍しいけどほとんど毎日この場所でしょうもない話をするのが俺の小さな楽しみになっている。


「なるほど。そんなことがあったとはな。折角のチャンスだったんだぞ。想像しろ南雲氏。其方がやったのは恋愛ゲームにおいて間違った選択肢を取ることと同じだ。その場合どうなる?」


「······好感度が下がる」


「そう、その通り。仮に結衣たんの南雲氏に対する好感度が100で告白に至ったとしよう。だけど先程の行動により今の好感度は······98になったとしよう。失った2はどう取り戻す?」


「だけどキャラによって好感度の上がり方は違うだろ? 結衣たんは頭を撫でると照れて好感度が上がるキャラ? それとも逆?」


「下がりはしないだろう。ただ想像してみてくれ南雲氏。其方が突然結衣たんの頭を撫で始める姿を」


「············」


「優しい我が友としてオブラートに包むと······相当気色が悪い」


「火の玉ストレートだろ」


「さあ、もうすぐでホームルームが始まるぞ」


「······ふぅ」


覚悟を決め俺は大きく深呼吸し屋上を後にした。


結衣たんは同じクラスだ。勿論教室に戻れば彼女がいる。運命とは残酷で席の並びは絶望的だ。窓際の列、一番後ろの席が俺で隣は小林、そして俺の目の前の席には結衣たんがいる。教室の扉を開けた途端、視線を感じた。


「南雲氏、結衣たんが見ているぞ。さぁ! 見つめ返せ!」


小林は周りに聞こえないように俺の耳元でそう囁いた。そんなことできるわけがない。俺は結衣たんの視線を感じつつも目線を下に落とし席についた。恐る恐る前を見ると結衣たんは微笑み前を向いた。


「よーし、ホームルーム始めるぞ。席についてくれ」


3年A組のクラス担任である九条実くじょう みのり先生はいつも通りのナチュラルメイクで朝から美人だ。毎朝クラスの男子が誰一人眠ることなく真面目に話を聞いているのは先生の影響が大きい。というか殆どがそうだ。


「念の為言っておくが今日も進路相談するからなー。放課後該当者は残ってくれ。それと配布物がある。邪魔だからって教室のゴミ箱に捨てるんじゃないぞー学年主任に見つかれば面倒だ」


「せんせー、バレなきゃいいですか?」


「馬鹿もーん。紙が勿体無いだろ。裏面を使え裏面を」


このように九条先生は見た目も素晴らしいしとても接しやすい。なので女子からの人気も凄まじい。おそらくこの学校で九条先生を嫌いな生徒は、いいや先生もいないと思う。


(待てよ? 配布物····)


「はい、南雲君」


当然のことながらプリントが回ってきた。目の前の結衣たんは可愛い顔で笑いかけている。


「ありがとぅ」


先生に朝から癒しをもらったものの今日を乗り切るのは相当難しい。目の前にいる結衣たんの接触を如何に避けていくか。それが今日の課題だ。いつものように、今日も無事に終えなければ。

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