第32話

 

 私はこちらの世界に来て赤子に生まれ変わった。シオンという名の代わりに永井結衣という名前を授かり人生が始まった。だけど前世の記憶は残っている。前世と同じ顔、同じ背格好。私は文也に付着している魔王の魔力を辿り必死に探した。魔物が存在しないこの世界は平和でとても新鮮だった。だけどこの世界を楽しむのは文也と二人がいい。立ち上がれるようになり手がかりを見つけるまで十年以上の月日がかかった。


 この世界に生を受けて十八年。ようやく会えた。


 変わらない穏やかな顔。すぐに抱き締めて好きと伝えたかった。だけど多分、文也に向こうでの三年間の記憶はない。”シオン”の見た目で話しかけて何も言われなければどうにかなってしまいそうだ。


 だから私はよく文也が読んでいる小説のヒロインのように髪型も、性格も変えて関わりを持った。十年以上、文也を探していただけではない。少しでも好かれるように香水や服装やメイクを学んで自分を磨いた。しかしもちろんと言うべきか、文也は私を見ても気づいていないようだった。


 三年で何度も聞いた小林さんの話。文也の言う通り本当にいい人で私の告白を手伝ってくれた。嫉妬してしまうことも多いがこの人には感謝してもしきれない。


「······ふぅ」


 明日ようやく、告白の答えが聞ける。そう考えるだけで緊張してどうにかなってしまいそうだ。


「結衣? 帰らないの?」


「ごめんね千春。今日は少し用事があって、先に帰ってて」


「あぁ、なるほどぉ。それじゃあ楽しんでね」


 告白の答えが聞けるのは明日だ。

 でも待ちきれない。せめて文也と一緒に帰ろう。


(あれ、この会話何処かで)


「·······」


 そうだ。難しく考えるのはやめよう。それ以上は何もない。

 だけれど何かが心をかすめる。私は何かを忘れているのか。


『お前がここへ転生した時を始点とし、我は一度この世界を経験している』


 最近になって何故か魔王の言った言葉が引っ掛かる。

 確かに魔王本人とはまだ遭遇していない。

 その時、進路相談を終えた文也が階段から降りてきた。


「さあ帰りましょう、南雲君」


「は、はい」


「南雲君、私傘を忘れてしまって、その······」


 何故か分からない。この会話も聞き覚えがある。


 私と文也は相合い傘をした。思えば相合い傘をするのはこれが初めてだ。

 文也は自分の肩を濡らし歩いている。

 これ以上、お前を好きにさせないでほしい。


「南雲君。今日仰ったこと必ず守ってください。明日待ってます」


「····うん」


「では最後に明日を迎える前に一つだけ伝えさせてください」


「——?」


 もう一度言っておこう。この抑えきれない気持ちがどうにかならないように。この世界に生まれてからずっと、お前を忘れたことなんてない。あの三年間の思い出を、仲間を、私は一生忘れない。


「初めて会った時から、私はあなたに惚れています」


「······」


 私に傘を手渡し真っ赤な顔のまま文也は走り出した。


「着衣のまま濡れるの····好きなんだ」


「フフフ、ではまた明日」


 これほど明日が待ち遠しい日は今まであっただろうか。みんなは最後まで私が幸せになることを望んでくれた。なら私は文也と幸せになろう。


「想いが伝わればいいな」


(—————頭がッ)



 ——————————···········キィーーーンッ



 突然、強烈な耳鳴りと頭痛が襲ってきた。

 私の身体が何かを伝えようとしている。何だ。私の身体は一体、何を伝えようとしている。


「これは····魔力」


 右手に淡い光が灯った。その光は今にも消えそうで微かに魔力を纏っている。



『シオンッ!!!————頼んだぜ』



 この声は······そうだ。文也はあの時、私に訴えかけていた。

 お前は私に何を託したんだ。


(助け······)


「何だ·····誰の声だ」


 頭の中に直接誰かが話しかけている。何処か聞いたことのある声。


(文也を····助けて)


「······そうだ」


 今私は何をやっている。

 私は一度見たんだ。文也の死を。

 同じ世界を経験····同じ世界を。


「文也ッ———!!」


 気づけばその声を叫んでいた。

 だが雨の中走り出した文也に声は聞こえていない。


「文也ッ!」


 だがこの叫びは間違いなくこの世界に特異点を生み出していた。


(そうだッ! このままだとアイツは魔王に殺されるッ!!)


 雨の中結衣は走り出した。

 もう一人の自分が経験した記憶が堰を切ったように流れ込み結衣の記憶を満たしていたのだ。


「結衣たんッ———」


「ッ———小林さん!?」


「どうしタンゴ。我が手を貸そうか?」


 隣には自転車に乗ったずぶ濡れの小林が颯爽と現れていた。

 そして結衣はすぐさま自転車の後ろに跨った。


「文也の家までッ!! 手を貸してくれッ!!!」


「了解。しっかり掴まれッ——」


(お前に好かれるよう取り繕ったこの髪も、声も、性格も。全部どうでもいい。私は"シオン"としてあいつに好きと伝えたい。私を助けてくれたあの日から私はお前に惚れていた。くしゃりと笑ったその顔も、誰にでも優しいその性格も、私の感情に全く気づかない鈍感なところも全部全部ッ······)


「大好きだッ——」


「結衣たん。それは本人に会って直接伝えるんだ。行くぞッ!」


 雨の中、小林の自転車は風のように道路を駆けた。

 凄まじい速度で豪雨の中を走りすぐさま文也の家まで辿り着く。

 シオンは飛び降りその視界に文也の後ろ姿を捉えた。


「文也ッ!!! 後ろだッ!!!」


 振り返る文也の背後にはグレイナルの姿。

 シオンに気づいたグレイナルは走り出し手刀を向ける。


(間に合わないッ———)


「フンッ———!!!!」


 しかしその時、巨大な物体が結衣の頭上を通り過ぎた。

 小林が投げた20kgを超える自転車。

 自転車は綺麗な放物線を描きグレイナルへと直撃した。


「えっ······小林に結衣たん!?」


 驚く文也に小林はゆっくりと近づいた。

 小林の魂に刻まれた、たった一つのそして最も重要な記憶は結衣の持つ魔力に触れることで蘇ったのだ。

 一度は死んだ親友。小林はゆっくりと歩き文也を抱き締めた。


「会いたかったぞ····我が親友よ」


「······こ、小林?」


「そうか······もう一人の私の魔力で」


「文也!! 私の手をッ———」


 掴んだ手からシオンの魔力が流し込まれた。だが流れたのは魔力だけではない。記憶の全てが流れ込み"南雲文也"は全てを思い出したのだ。


「······ふぅ。待ってたぜ。久しぶり、シオン!!」


「まったく····お前というやつは」


「南雲氏、我を忘れておらんだろうな」


「当たり前だろ親友」


「うむうむ。それと彼奴は何だ?」


「話は後だ小林。とにかくアイツをぶっ倒す。シオンッ——もしかしてあいつもう魔力が····」


「ああ、あの時グレイナルは魔力を使い果たした。一気に叩くぞ」


「フンッ——貴様らなどに魔力は不要だ」


 グレイナルは小林の自転車を粉々に砕き起き上がった。


「シオンッ! 小林に魔力を!!」


「······なるほどな」


 生身の状態で自転車を軽々と投げるほどの筋力。

 それに魔力が加われば小林の強さは誰にも計り知れない。

 シオンの魔力は小林の拳を纏い放つ覇気は常人の域を遥かに超えた。


「ぶちかませッ!! 小林ッ!!!」


「行けッ———小林さん!!」


「人間ごときがァアアアアア”ア”アッ—————!!!!!!」


(南雲氏が死んだあの日。我は自分の無力さに打ちのめされた。ずっとお前に逢いたかった。会ってもう一度馬鹿をやりたかった。こんな我を親友と言ってくれてありがとう。これは我から親友へと送る最初の贈り物だ)


「ぬぅおオオオオ”オ”ッ——————!!!!」


「あぁああああアアアアア”ア”ア”!!!!!」


 果てしないほどの強さを持つ親友の拳。


 辺りは光に包まれ、その日魔王は世界の塵となったのだった。



***********************************



 澄み渡った空。今日は結衣たん。いいや、シオンに返事を返す日だ。

 俺は昼休みにシオンを屋上へと呼び出した。


「おーい南雲。小林が右手を怪我していたがあいつどうかしたのか? 私が聞いても魔王を倒したと訳の分からんことを言うものでな」


「あははぁ、あながち間違ってないかと。そう言えば九条先生。先生ってお姉さんとかいますか?」


「ん? よく分かったな。一人だが陽気で面白い姉がいるよ。それがどうかしたか?」


「·······いいや、よかったなぁって」


「まったく、小林に続いてお前も何処かおかしくなったのか。おっと、そう言えば忘れていた。引き止めて悪かったな。ニヤニヤしながら見ておいてやる」


「あんまり見ないでくださいよ」


 いつもなら小林と昼ご飯を食べる静かな屋上。しかしその日、屋上には多くの生徒や先生で溢れ返った。

 ただ、中心にスペースを開けた状態で。


「それで文也······その、返事は」


 多くの生徒と先生に見られている。だけどそんなことはこの際どうでもいい。

 シオンの顔は今まで見たことのないほど赤く染まっている。


 俺は向こうの世界で一つシオンに嘘をついていたのかもしれない。

 俺は鈍感などではない。今まで一体、いくつもの恋愛ゲームをやってきたと思っているんだ。

 シオンの好意には気づけていた、それに俺もお前のことが好きだった。

 

 だから俺はいつか元の世界に戻れたらやることが決まっていた。

 二十一年、俺はこの返事を返せなかったんだから。


「なあシオン」


「な、何だ。文也」


 始まりは告白だった。それも、焦って間違えた最悪の告白。


 だったら最後は正々堂々と—————



 “————結婚しよう”

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いつかまた元の世界に戻れたら @zin90bo

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