第16話 魔王
ゾンビ化とは、悪質な状態異常で五本指に入るほど冒険者から嫌われている。
ゾンビ化した者は、意識と身体が腐り、魔獣の
「冒険者が捕らえた感染者は、風邪を拗らせた患者にしか見えませんでた。我々も治癒術師の診断結果がなければ、信じられなかったでしょう」
初期症状は風邪に似ており、判別が難しい。精神と肉体が腐敗するまで気づかず、看病に当たるNPCが感染する負の連鎖が発生する。
「ゾンビ化した者は何処に?」
「自警団の詰所で、一時的に隔離し、拘束しています」
対応に問題は無さそうだ。だが、胸騒ぎがするのは事実。早めに治療しておこう。
「はぁ、はぁ、…先生! 先生!」
僕らの深刻な会話に、能天気な声が割り込んだ。
振り返ると、クズハが身の丈以上ある
「実はこの樽いっぱいに、聖水を購入していたんです! クソ教会に騙された私、可哀想だと思いませんか? 可哀想ですよね!? そこでなんですが、この水も聖水にできませんか」
確かに今回、クズハは被害者である。
商人は自己責任とはいえ、全財産を失うのは余りに酷だ。それに、彼女は僕の友達なのだ。
「……こんな大量の聖水を、よく購入できましたね。大聖堂で仕入れたのなら、屋敷が建つ大金が必要だったでしょう?」
それほどの損失は、いくらなんでも可哀想だ。僕が同情の眼差しを向けると、クズハは樽が重かったのか、ダラダラと汗を流して視線を彷徨わせる。
「え、ええ…そうそう、私がコツコツ貯めたお金でしてぇ、メッチャ頑張って稼いだと言うかぁ」
歯切れの悪い物言いが引っかかるが、僕の教育を受ける前なら、悪どい手口で稼いだ金かもしれない。流石の僕も、過去まで咎めるつもりはない。
樽に魔力を注ぎ込み、水に聖水性能を付与する。
「はい、これで聖水になりました。お仕事、頑張って下さい」
「やったーー!! 先生の聖水だあああぁ!」
なんか嫌な言い方だった。
「先生、チョロい! 大好き! ありがとうございます!! これだけ先生の聖水があれば、市民権どころか、安全に暮らせるマイホームも夢じゃないですよ。えへへへ」
大樽に頬擦りするクズハはとても幸せそうで、純粋に喜ぶ姿を見ていると、僕も温かい気持ちになれる。
「あの……よろしいのですか?」
「……? 何がですか?」
「いえ、プラナ様がそれでよいなら、私どもが口を挟む問題ではありません」
「はぁ…何もないなら、詰所に向かいましょう。案内してもらえますか?」
歯に物が詰まったような態度が気になるが、優先すべきはゾンビ化の治療である。
「はい。こちらです」
男たちの案内に従い、詰所へ移動を始める。
「それで、感染者の病状は?」
「初期症状です。高熱のため意識が
。感染者も2人ですので、隔離は比較的楽でしたが…」
「待って下さい。2人……ですか?」
まずい!
「『
七星を詰所に先行させ、『
「ピカイチからピカナァ! 全力で『
光球が線で結ばれ、星の銀幕を下ろして結界を構築する。同時に
目視で確認した詰所は、赤黒い霧が渦巻き、結界を食い破ろうと荒れ狂っていた。
「こ、これは一体」
追いついてきた男たちが、驚きの声をあげる。
「『トルネンブラッド』……
「そんな……それはバリア王国で3年前に発生した大災害と同じじゃないですか」
1万人以上の死者を出した大災害。
ポルカが王都壊滅を救った英雄となった災害であり、大量虐殺を是とする引き金となった元凶。
だが、誰も彼を責める資格などない。あの時僕は、間に合わず、ポルカがいなければ、間違いなく王都は滅んでいたのだから。
「ピカイチからピカサンは結界を維持。赤霧を何がなんでも食い止めて下さい。ピカシィからピカナァは迷宮へ向かって下さい。僕も後を追います」
「……なぜ、迷宮に?」
「現在、迷宮入り口から感染が拡大しています。現場を見ないと分かりませんが、おそらく迷宮から赤霧が湧き出ています」
詰所と迷宮、全くの同時に発生したゾンビ化の災害。大怪獣が本能的に行うにしては、あまりに計画的だ。
「ポルカさん。貴方の懸念通り、NPCがからんでるようですね」
⭐︎⭐︎⭐︎
「はぁ、はぁ、指定された場所はここですね」
クズハは荷車に大樽を積み込み、迷宮入り口まで来ていた。
聖水の需要を考えれば、始まりの町ララーナで最も売れる場所は迷宮付近である。通称『魂の迷宮』と呼ばれるここは、『呪い』の状態異常を持つ魔獣が多い。
それが、バリア王国から聖水を仕入れた理由でもある。
売れる。確実に高値で売れる。
7日で効力を失わず、あらゆる状態異常を消し去る幻の聖水。巷では『星の聖水』と呼ばれるソレを、大樽いっぱいに手に入れた。
荷車を引く手足が痛むが、この重みが金塊と思えば軽いものだ。
「……ん? なんだか騒がしいですね」
見ると迷宮から赤い霧が湧き出し、ゾンビ化した魔獣が人々を襲っていた。
一瞬で事態を理解したクズハは、荷車を一転させその場から離れる行動をした。
「うあぁぁぁん!」
幼い鳴き声が聞こえた。
一際
実は所、クズハは道徳を知識として学んだが、全く理解に至っていない。
クズハは瀕死の子供を見ても『あ、これ先生の授業で見たヤツだ』ぐらいにしか思わない。寧ろ、子供が魔獣に喰われている間、自分はより遠くに逃げ、生存率が上がると喜んだ。
だが、意思に反してクズハは逃走せず、荷車を引いて子供を助けに向かっていた。
本能が、身体が、思考が、全力で逃げろと叫んでいる。
12年間。その選択を続けて生き残ってきた。
しかし、プラナと出会ってから、正しかったはずの選択は全て裏目となり、何度も死にかけた。故に経験から、逃走の先に死を幻視し、子供の救出に向かった。
「ガキんちょ! 荷車の後ろに隠れなさい!」
クズハは大樽に
効果は絶大だった。
ゾンビ化した魔獣は動きを止め、赤い霧は聖水に浄化され飛散する。クズハを中心に擬似的な結界が完成し、迷宮から吹き出す霧の侵攻が停滞した。
聖水をばら撒いて数分。
樽の聖水が半分を切る頃、思考がひとつの答えに到達する。
逃走を選択していたら、間違いなく自分はゾンビ化していた。
荷車を引く鈍足では、魔獣から逃げられない。そもそも、大切な聖水をばら撒こうなんて考えもしなかっただろう。
「先生の教えが、私を救ったんだ」
この瞬間、
存在進化。
魔獣や魔族の異端な成長、いずれ大魔獣や魔王に至る現象である。
「クズハさん、ありがとうございます。お陰で今回は間に合いました」
空から降ってきた声を聞き、クズハは自らの生存と、教育の正しさを確信した。
⭐︎⭐︎⭐︎
クズハが赤霧の侵攻を食い止め、多くの命を救っていた。先行させた七星から見た映像では、子供を庇う一幕すらあった。
やはり教育。教育は全てを解決する。僕の友達は遂に、人の心をその身に宿したのだ。
「ピカシィ、ピカゴー、ピカロック! 『星銀幕』を展開。迷宮入り口を封鎖して下さい」
星の銀幕が迷宮を包み込み、結界が完成する。これにより、霧による感染は完全に絶たれた。
後は迷宮に潜っているもう一人の友達が、突破口を開いてくれるだろう。
「へへへ、先生! 先生! 私、お手柄ですよね!」
「もちろんです。貴方はこの町の救世主ですよ」
「えへ、えへへへへへ」
子犬の様に寄ってきたクズハの頭を撫でてやり、全力で褒めてあげる。
「報奨金たくさん貰えますかね?」
「当たり前です。貰えなかったら僕がギルドに抗議しますよ」
「やったーーー!」
飛び跳ねて喜ぶクズハの傍には、半分以下に減った聖水入りの樽がある。人命のためとは言え、お金に執着していた彼女にとって、苦渋の決断だっただろう。
「すみません。貴重な商品を使わせてしまいました」
「あ、大丈夫です。そこら辺で買ったただの水ですし。後で水を買い足して、先生に聖水にして貰えれば解決ですよ!」
「ただの……水?」
どうやらこの大樽は、バリア王国の大聖堂で購入した聖水ではなかったらしい。
「ぁ……これは、違くて、口が滑ったと言うか、ねぇ?」
「クズハさん、結界の中にゾンビ化した人が見えますか?」
「ええ、たくさんいますね」
「残りの聖水を全部使って、浄化して下さい」
「え? 後で補填してくれるんですよね」
僕は黙って、普通に水の代金を手渡した。
「……先生、全然足りません」
「水の代金です。ただの水ですから問題ないですよね? 返事は?」
「……はい」
彼女への教育は、まだ続きそうだ。
⭐︎⭐︎⭐︎警⬛︎:
「この短時間で迷宮の最深部まで到達するか。流石だな、英雄狂いのポルカよ」
そこには黒い修道服に身を包んだ修道女が佇んでいた。
「よう、この先は行き止まりだぜ。勇者教幹部、日ノ
「……どこで私の名を?」
「今知ったんだ。
「ふん、魔道具の類か。真名を暴かれようと、私の勝ちは揺るがない。私の使役するトルネンブラッドが町を支配し、腐敗した眷属を量産している。……
眷属召喚。
ゾンビ化した者を傀儡として使役する。肉壁に特攻と用途は様々だ。だが、
「なにっ…。何故これだけしか召喚されない!」
茜は景気付けに100体のゾンビを召喚するつもりだった。しかし、それより遥かに少ない53体のゾンビしか召喚されない。
つまり、地上での感染者はたったの53人だと意味していた。
「地上には
「
眷属契約により、主人である自分へのダメージは全て、眷族たるゾンビへ向かう。つまり、茜を倒すためには、53人の犠牲が必要になる。
「ずっと…考えていたんだ」
ポルカは静かに呟き、
「3年前、俺はたくさんNPCを殺した。プラナが来なければ、王都の人を全て殺し尽くしていたかもしれない。だからずっと、どうすればよかったか考えていた」
その瞳は虚で、ここではない何処かを見つめていた。
「魔王兵装、
掲げた右手から、砂塵が巻き起こりゾンビの群れを一瞬で石化させる。
「は、はぁ!? 石化……だと。魂をも縛る牢獄だ
。死を凌駕する呪いだぞ! 気でも狂っているのか!」
「……治せるんだ」
「あり得ない。不可能だ。石化は死と同義だ。癒せる訳がない! それは死者蘇生を超える奇跡だ!」
「治せるんだよ!
フラフラと頼りない足取りで茜に歩み寄り、胸倉を捻りあげる。
「ひっ……わ、私を殺したら眷属もろとも消滅するぞ。脅しじゃない」
「知ってる。先に核を潰さないといけないんだろ? 1cmくらいの小さな蝶々」
「ふふはははははは、この赤い霧で満たされた迷宮から探せるかぁ。探せまい! 膨大な魔力で構成された核に下手な攻撃を当てれば、先に眷属が消滅だ! 一撃で仕留めることができるかな? 英雄様っ!」
「出来るさ。プラナも赤霧の蝶には因縁があるからな。対策は考えているだろうよ」
ポルカに答えるよう、石化したゾンビから光球がスッと姿を表した。
「あ、アレは……光の精霊……いや、もっと違う高次元のナニか……まさかっ!
⭐︎⭐︎⭐︎
3年前からトルネンブラッドが自身を守るため、眷属召喚をする性質は知っていた。だから、ゾンビに『七星』を仕込んでおけば、勝手に本体へ案内してくれると考えた。
手が届かない場所にいるトルネンブラッドへの対策は、とうの昔に確立していた。
「聖女兵装、
僕の最大火力。身の丈を超える兵装を地上目掛け構える。
『ば、馬鹿なっ! ここは地下52階の最下層だ! 地上から狙うだと!? イカれている! 嘘だ、あり得ない!』
「
『これだけの魔力が許されるなど、もはや神に等しい……なんだ、何なのだ!? 貴様はああああああぁぁぁ!』
これが3年間で僕とポルカが導いた、
「スターライトッ・レイ・ランサァァァァァ!!」
極限まで圧縮された一条の光が、大地を穿ち、迷宮を突き破り、霧に紛れて舞う赤黒い蝶を捉え、白く塗りつぶした。
『トルネンブラッドを討伐しました。メインクエスト【新大陸に向けて航海せよ】をクリアしました』
簡素な
「ピカナァ。石化とゾンビの治療を頼みました」
迷宮に潜り込ませたピカナァに指示を送り、後はポルカが何とかしてくれるだろうと、軽く伸びをする。
『トルネンブラッドが日本に出現しました。緊急クエスト【離島のトルネンブラットを討伐せよ】が受託可能となりました』
どうやらまだ
面白くなって来た。今度は日本でゾンビゲーだ。
僕はウキウキでYESを選択する。
現れた『
『あぁ…やっぱ、プラナはスゲェなぁ……チクショウ…どうせ、俺なんて……』
誰かの仄暗い呟きが聞こえた気がした。
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