第18話

▫︎◇▫︎


 マリアの寮室で魔道具製作を行なってから1ヶ月の時間が経った。惰性的な日々しか流れなかったここ1ヶ月、特に筆頭すべき変化が起こらなくて、ベアトリスは大嫌いなイケメンに囲まれて飽々とした地獄のような日々を送っていた。

 クラウゼルは相変わらず何を考えているのか分からないぐらいにベタベタしてきて、キースは相変わらずの筋肉バカで、ノアはチャラ男で相変わらず女の子を侍らせてはいなくて(ベアトリスから婚約者への告げ口があって泣かれたため)、セオドリクは相変わらず寡黙だ。

 マリアはここ1ヶ月で目まぐるしい成長を遂げたが、特進クラスへの編入切符を1ヶ月後に控えている中間テストで入手できるかは微妙なラインだ。


「はぁー、」

「そんなに大きなため息をこぼしてたら、幸せ逃げちゃうよ?」

「………あなたのせいで私はこんだけ大きな溜め息をこぼしてるんだけど?というか、なんで何も起こらないわけ?」


 そう。ここ1ヶ月、本当に何も起こっていないのだ。

 つまり、攻略のためのイベントが何1つ起こっていない。マリアはヒロインの仕事を何1つしていないのだ。


「あははー、仕方ないよね~。というか、梨瑞がそれっぽいイベントして回る羽目になってる気がする。ん~!この和菓子美味しい!!」

「それは良かった。鯉のぼりの練り切りって結構可愛いよね」

「5月っぽい」


 菓子切りで1口分を切ってもう1口練り切りを口の中に放り込んだマリアは幸せそうに頬を押さえた。


「でしょっ!!この世界で分かってくれるのは本当に真里だけだわ!!」

「うん、大袈裟」


 ぶんぶんと手を振られながら、マリアはごっくんと練り切りを飲み込む。


「にしても、ほんと不思議だよね~。まあ、私たちがやるべきはイベント起こしだから関係ないけど」

「そのためにはその学んでも学んでも覚えない頭脳に勉強を叩き込んで、あんたを特進に入れなきゃね~」

「ひぃっ!!」


 ただでさえ鬼畜な放課後レッスン、明日からのレッスンが過激になることがベアトリスによって宣言された。


 マリアの寮室では、ベアトリスの宣言が行われた次の日から漆黒をも揺るがす悲鳴が上がり始めた。


「ひぃー!いやあああぁぁぁぁ!!」

「ワンツーワンツー、はいそこでターン」

「びゃああああぁぁぁぁ!!」


 ある日は、ベアトリスにくるくると回されながら社交ダンスのレッスンを受け、


「うぎゃああああぁぁぁ!!」

「ほらほら、守りが緩いわよ」

「いやあああぁぁぁ!!マジで死ぬううううぅぅぅ!!」


 またある日は、永遠とぎりぎりを高速の剣に打ち込まれ続けるという剣術のレッスンを受け、


「びゃああああぁぁぁぁ!!さぶいいいいぃぃぃ!!」

「ほらほら、ちゃんと制御できないと氷漬けになるわよ」

「光魔法は暖房じゃないいいいぃぃぃぃ!!」


 またまたある日は、氷漬けにされながら光魔法で熱を作り出すというレッスンを受け、


「いぎゃあああああぁぁぁぁ!!変なの出たああああぁぁぁぁ!!」

「ほらほら、ちゃんと作らないと攻撃性の高いヘンテコスライムが生まれるわよ」

「それ先に言ってえええええぇぇぇぇ!!うぎゃあああああぁぁぁぁ!!殺されるうううぅぅぅ!!」


 またまたまたある日は、失敗をすれば殺傷力の高いスライムが生まれるという高難易度の錬金術のレッスンを受け、


「痛いいいいいいぃぃぃぃ!!タンマタンマアアアアアァァァ!!」

「ほらほら、ツボ押しはまだ始まったばかりじゃないの。腰が痛いんでしょ。コルセットが問題なく入るようになるまでデトックスのマッサージをしてあげるわ」

「いぎゃああああぁぁぁ!!そうじゃないいいいぃぃぃぃ!!」


 またまたまたまたある日は、ベアトリスの毎夜のお夜食によって太ってしまったお腹周りを大人しくさせるためにベアトリスによる効率的なデトックスマッサージを受けた。


 毎夜毎夜、毎夜毎夜毎夜毎夜そんなこんなでベアトリスに悲鳴しか上げられないような無茶に無茶を重ねてホットサンドのように押しつぶされた日程を詰め込まれたマリアは、1ヶ月後の中間テストの日に、精神的にぐったりとしている姿が見られた。


「なんで、なんで精神的に超絶ぐったりしているのに、寝不足解消、肩凝りゼロ、栄養バランス完璧、お肌もっちもち、ボディーライン完璧になっているのおおおぉぉぉぉ!!」


 テスト終了後にベアトリスのサロンで机に突っ伏したマリアが悲惨な叫び声を上げた。ここ1ヶ月で、マリアは勉学や運動、魔法はもちろんのこと、作法に見た目がありえないほどに急速な成長を迎えていた。

 美少女っぷりに磨きがかかり、ベアトリスでも舌を巻きたくなるような完璧少女がここに誕生したのだ。本当に、『空気が読めない女第1位』というレッテルが貼られたマリアをここまで育て上げたことを誰かに褒めて欲しい。というか、控えめに言って褒めろとベアトリスは物申したい。だが、誰にもいえる人間がいないのが苦しい。

 クラウゼルに見て見てーって何度かやりかけるぐらいにはマリアのダメさに精神的に異常をきたしていたベアトリスは、けれどもそれをわずかの漏れもなく隠し切って、にこっと淑女の笑みを浮かべる。


「私のレッスンが完璧だったからね」

(にしても、どうやればあんなに叫んでなお喉が平気でいられるのかしら)


 凝り性の血が騒いで仕方がないのを必死に我慢しながら、ベアトリスはいずれ喉を徹底的に調べさせてもらおうと心の中で誓った。


「にしても、本当に化けたわよね。すごく美人さんになったわ」

「………梨瑞ももっと美人になったように見えるのは気のせい?」

「あなただけにやらせるだなんて酷いことは流石にしないわよ」


 他人だけにやらせて自分は高みの見物など言語道断。やるからには自分も巻き込んで徹底的にというのがモットーなベアトリスは、マリア同様にここ1ヶ月過激なレッスンを自分にも課していた。もちろん、マリアにやらせた分量ではベアトリスには効きもしないので、王太子婚約者としての公務、学園での学び、家庭教師から教わる専門的教育、美容についてはありとあらゆるプロフェッショナルをブラックウェル公爵邸に自分のお小遣いで呼び寄せた。


「うふふっ、私もここ1ヶ月で見違えるように美人になったわね」


 鏡を見つめながら、ベアトリスは満足そうに笑った。


「梨瑞ってちょっと、いいえ、だいぶ変人チックよね………」

「そう?普通だと思うわよ。この世界の貴族令嬢は美のためならば毒でも飲んじゃうくらいに盲目的だもの。私の美の追求は可愛いものよ。不健康なものには一切手出ししないもの」


 この世界の美容はベアトリスが法の整理をし直すまでは無法地帯に近かった。

 肌を白くさせるために幼少の頃からヒ素を摂取させたり、腰を細く見せるためにコルセットで内臓や骨が奇形するまでぎゅうぎゅうに締め付けさせたり、ちょっと太ったりちょっとお肌にトラブルが出たら食事を抜かせるという虐待行為は当たり前の行いだった。その他にもあげればキリがないほどに色々問題な行動はあったが、中でも最初にあげた3つはベアトリスの中でとても衝撃的だったのを覚えている。

 政略結婚の駒として美しいものを手に入れたいという親心は分からなくもないが、いや、分かりたくないが、流石にやり過ぎだとベアトリスは感じた。泣き叫ぶ子供を押さえつけてコルセットを締め上げるのが正義なのか、栄養バランスが崩れてしまったことで起こる肥満や肌トラブルを解消させるために1番栄養価が必要な時期に食事を全くさせないというのが正義なのか、ベアトリスはどちらも正義ではないと考える。

 この世界に入ったのならば、この世界の常識に従うことが正しいということは重々承知している。けれど、これだけは言わせてほしい。


(子供の虐待、絶対ダメ!!)


 子供を美しくしたいのならば、それこそ正攻法で挑むべきだ。内面を磨かせたり、持っている技術という名の武器を強化させたり、見た目が気になるのならば栄養価の高い食材を正しい分量正しいバランスで与えたらいい。肥満も肌トラブルも、その他腸内環境なども全部一気に解決するのだから、一石二鳥だろう。


「そういうものかな~」

「そういうものよ。今日の夜にでも、私が法律改正する前に行われていた絶版になっているこの世界の美容本を持ってきてあげるわ。読んだら私に土下座して『ありがとうございます!!』って言いたくなるはずよ」

「あははっ!!言うわね~!よしっ!言わなかったら和菓子ちょうだいね?」

「えぇ。言わなかったらね」


 ベアトリスは勝ちが確定している賭けに笑顔で乗ったのだった。


▫︎◇▫︎


「ありがとぉございましたあああぁぁぁぁ!!」


 その日の夜、ベアトリスの前にあったのは渾身の叫び声を上げているマリアの後頭部だった。ベシャっと地面に這いつくばった彼女の額の下の床はなぜか2センチメートルほど沈んでいるように見えるのだが、気のせいだろうか。気の迷いだろうか。ベアトリスは本を渡してちょっと賭けに勝とうとしただけだったのだ。よって、結果流血沙汰というのは想定していなかった。


「えっと………」

(真里はどこまでも私の想定外をいくのね)


 困り果てながらも、このままでは何もできないとベアトリスは彼女を床からベリっと剥がす。『殺生なああああぁぁぁぁ』という意味不明な叫び声が聞こえた気もしなくもないが、こういう言葉は無視するに限る。今世16年足す前世15年生きたベアトリスが言うのだ、間違いはない。しかも、今世は筆頭公爵家の娘にして王太子婚約者だ。波の人間よりも圧倒的にもみくちゃに世間に揉まれてきた自信がある。


「それじゃあ、今日からも5月中頑張り続けたレッスンを続けるわよ。半月後の7月の初めに宿泊研修、7月の終わりに期末テストが控えているのだから、グデグデしている暇なんて存在していないわ。早速マッハでお勉強よ」


 ベアトリスはピシッと教鞭を振るうと、ひょえっと悲鳴を上げたマリアに微笑む。


「私、やるからには徹底的にやり込む主義なの。あなたの育成はゲームみたいで楽しいし、やりがいもあるわ。任せてちょうだい。私があなたを完璧な王妃にしてあげるわ」

「あ、はい」

(こ、こうなった梨瑞はもう何を言っても止まってくれないんだよね………)


 涙を飲み込んだマリアは、これからも続くであろう玉の輿をゲットするための地獄のレッスンにげんなりとするのだった。


「今日は軽く魔法とお勉強にしましょうか。私が言った通り、回答はひかえて帰っているわよね?」

「あ、うん。これで何するの?」


 革製の学校カバンから中間テストの問題用紙を取り出したマリアはベアトリスに首を傾げる。


「自己採点に決まっているでしょう。テストは復習こそが最も大事なのだから」


 マリアと同じように首を傾げたベアトリスは自分の問題用紙を開きながら、自己採点ついでに魔法の訓練をするために魔法を展開する。


「いつもの訓練と同じよ。私が展開した魔法に当たらないようにこの部屋中に魔法を展開しなさい」

「りょーかい」


 不規則な水玉模様にマリアが魔法を展開するように制御したベアトリスは、彼女が一瞬だけ苦悶しながらも魔法を展開させたことに満足する。正直に言って、マリアがここまでのレベルに魔法を制御できるようになるまで半年はかかると踏んでいた。だからこそ、ベアトリスは彼女の才能を妬みそうになってしまう。

 けれど、今はそんなことに時間を割いている暇はない。ベアトリスがモブオと結婚するために必要なことを成し遂げるために、マリアに完璧を目指してもらう必要がある。


「まず初めの答えはーーー………」


 どんどん答え合わせをしていくベアトリスの解答はもちろん100点で、対するマリアは8割型問題を正解していた。魔法の実技試験に関しては全くもって問題ないと言うのは分かっているために、特に何も言わない。


「じゃあ、今日は控えめに5キロメートルランニングしよっか」

「ひょえっ、………きょ、今日はテスト明けだし休んでも問題………」

「テスト明けだからこそよ。あなたの目下の大問題は身体能力。バリバリ向上させるためにはまず体力付けが1番。さあ、走るわよ」

「ひょええええぇぇぇぇぇ!!」


 噂によると、テスト終了初日からも今までと同様に夜の帳をぶち破るような悲鳴が魔法学院女子寮には響き渡り続けていたらしい。

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