第20話

「うぅがああああぁぁぁぁ!!」


 けれど、そんな清々しい気分というのはあっという間に吹き飛んでしまうというのが世の定石で、昼休みに入ってものの数分、ベアトリスは絶賛不機嫌真っ逆さまだった。

 ベアトリスの目の前にいるのは奇声を発する乙女ゲームの主人公ことマリアだ。可愛い顔が台無しとしか言いようのない格好の彼女は、どうやら学園で悩みの種があるようだ。けれど、乙女として、淑女として、正直に言ってこの格好はまずい。この声はまずい。ベアトリスはぎゅっと眉間に皺を寄せて、パチンと扇子を閉じた。そこそこ大きな音を立てたためか、マリアの奇行はあっという間に収まった。


(めでたしめでたしと言いたいところだけれど、多分ここからが本番よね………)

「イケメン成分が足りない!!」


 何が悩みなのだろうかと必死に頭を悩ませたのも束の間、ベアトリスはすんと顔を無表情にする羽目になった。


「学生の本分は勉学。イケメンなんて不要でしょうに」

「梨瑞っち冷たい!!イケメンオンパレードは最高なんだぞ?最強なんだぞ?」

「………不要ね」


 呆れた声を出しながら、なぜ唐突にマリアがそんなことを言い出したのか考え、その思考の狭間にベアトリスは昼食を口の中に突っ込んでいったのだった。


「私もさぁ!梨瑞っちに付きっきりでお勉強を教えてもらってる手前、文句は言うまいって決めてたの。でもさぁ!流石に!流石にイケメン成分が足りない!!」


 食事を終えて床でギャンギャン喚きながらジタバタしている彼女を見つめて、ベアトリスはやっとのことで彼女の言わんとすることを理解した。乙女ゲーム『虹の王子さまを落としたい!!』は、1学期が最もラブラブを深めるイベントが多い。だが、ベアトリスはマリアのあまりのできないことの多さに、そのイベントをそう潰しすることを選択した。

 まず初めに魔法基礎では魔法を上手に扱うためにノアとクラウゼルによるラブラブレッスンが行われるが、その基礎に行くまでの魔法操作ができなかったために、ベアトリスは彼らに魔法レッスンを頼めなかった。完璧主義のクラウゼルにぐしゃぐしゃ能力値のマリアを持っていったところで、好感度爆下がりなのが見え見えだったからだ。

 中間テストでセオドリクとクラウゼルによるビシバシレッスンが行われるが、ここももちろんパスさせた。知っての通り、マリアには2人によるビシバシといえども乙女ゲームのイベントの一環である甘ちゃんレッスンでは、全くもって勉強量が足りなかった。あれだけ勉学を詰め込ませたのにも関わらず、そこそこの点しか出なかったのが異常だ。ベアトリスは実のところ、マリアを宿泊研修までに特進クラスに持って行く気満々だったが、全くもって無理だった。期末テストではどうにかならなくもないが、やっぱり厳しいかもしれない。

 集団宿泊研修でローガンルートを開く鍵の23個に上るイベントのうちの4つが回収可能となるが、ここはクラウゼルルートのイベントがあまり多くない。故に、このイベントももちろん勉学のためにパスさせようと思っていたが、どうやらマリアにはもう限界のようだ。


(まあ、これだけできていれば、諸々の問題はあらかた解決するかしら)


 大きなため息をついて、ベアトリスは未だに耳がキーンとするような声をあげているマリアに、面倒くさい物を見るような視線を送ったのだった。


 昼休みが終わる前、マリアに無茶苦茶な量の自主学習課題を手渡し、ベアトリスは職員室へと向かっていた。ベアトリスが歩くたびに周囲の空気に黄色いものが混じり、同時にピンと空気が張り詰める。前世で言うところの超人気アイドルのような扱いを受けているベアトリスは、そんな雰囲気を受け流すということを身につけ、自由気ままに廊下を闊歩した。


「失礼いたします」


 ノックと共に返事を待たずに特進クラスの担任専用の職員室に入室し、ベアトリスはカウチで頭に本を載せていびきをかいている男を見下ろした。そして、ベリっと顔面から本を引っぺがした。


「っ、………ーーーー」

「ご機嫌麗しゅう、ローガン先生。少しお話しがございますの」


 優雅に微笑むベアトリスとは対照的に、特進クラスの担任ローガン・ウィーズリーは不機嫌そうに顔を歪めていた。気配もなく室内に押し入られ、挙句の果てに安眠を妨害されたのだから、当然の反応だろう。けれど、職務中に爆睡をかましているローガンも悪い。


「………ーーー、………ーー何のようだ」

「私、女性1人の空間で過ごすというのには抵抗がございますの」

「………特進クラスは選ばれた人間のみのクラスだ。他の人間は入れない」


 静かな口調には圧倒的強者の、そして上に立つ人間に相応しい重みが含まれている。

 やっぱり、国王と王弟に似ている。

 そう感じるはベアトリスだけではないだろう。クラウゼルも稀に違和感を感じるのか不思議そうな顔をしている時がある。


「えぇ。存じておりますわ。でも、お世話係は別でしょう?」


 にっこりと妖艶に微笑んで、ベアトリスはローガンに自分の目的を押し通したのだった。


▫︎◇▫︎


 晴れ渡る大空、どこまでも広がる青々とした森、森に似合わぬ真っ白な美しい神殿のような建築物。

 ベアトリスの交渉という名の脅しから数週間、学園の生徒たちは宿泊研修へとやってきていた。


「うぅー、僕しんど~い!」

「あぁ。本当に、馬車で移動するものではないな。俺の筋肉が運動を望んでいる」

「2人とも大人しくしておいてください。それも学習です。しっかりと全てを学んでください」


 遊び人であり魔法師団長の息子であるノア・ガランドールが大人数が乗る馬車から降りてすぐに暴れ始め、その隣で脳筋であり騎士団長の息子であるキース・ナイトメアが腕立てを始めた。そんな2人を束ねるのは2人よりも1つ年上のセオドリク・ヴァレリアンだ。


(なんというか、絶妙にに均衡が取られた人選よね。流石は運営側の策士)


 クラウゼルにエスコートされて馬車を降りたベアトリスは、そんな3人組を観察しながら凝り固まった肩をぐるっと回した。今のベアトリスのコーデは綿のズボンに白い少しひらひらしたブラウスと男らしい格好だ。故に、多少動いたとしても問題がないところが大変ありがたい。


(あのダサいジャージを着ずに済むなんて、一生懸命に働いてスクールジャージを無くしたかいがあったわ。まあ、ノアさまもキースさまもセオドリクさまもジャージを着たままだけれど)


 面倒くさがりであるキースはまだしも、残りのメンバーはジャージを着ると思っていたベアトリスにとって、この結果は意外だった。遊び人のノアはもちろんもっと見た目がいい物を着ると思っていたし、セオドリクも機能性を優先すると思っていた。けれど、2人とも変えなかった。

 ノア曰く、彼は案外ジャージのウケがいいらしい。普段見れない姿が見られていいとかなんとか。ちなみにセオドリクの場合は家訓である『伝統を重んじる』という部分から、変えなかったらしい。なんというか、ご愁傷さまという感じの案件だ。


「ベアトリスさまあああぁぁぁぁ!!」


 そうこう考えていると、ベアトリスの背後から嫌な声が聞こえてきた。

 後ろからの叫び声にすかさず風魔法をぶっ放して、ベアトリスは穏やかに微笑んだ。


「王太子殿下、羽虫が煩いわね」

「じゃあ、虫取りを行わないといけないな」

「うふふっ」


 風魔法の弾丸を受けた鳩尾を抑えながら、マリアはフラフラと起き上がった。

 そして、変わらぬ叫び声を上げた。


「いやちょっ!ベアトリスさまもクラウゼルさまも酷くないですかぁ!?」

「酷くないわ」「酷くない」


 バッサリと切り捨てられ、マリアは半泣きになってぐずぐずとし始める。だからこそマリアは気がついていない。ベアトリスがそんな光景を楽しんでいるという事実に。


(いやもう、これ可愛すぎない!?王太子殿下がこんなに楽しそうなのってあんまりみたことないし!)


 なんだかんだと理由をつけて事態を正当化しながら、ベアトリスはうんうんと頷く。


「マリアはもっと淑女らしさを学ぶ必要があるから、このくらいの指導でいいのよ」

「………ベティーが言うことはなんでも正しい」

「………なんかズルしてる気分ね」


 少し不服そうに頬を膨らましたベアトリスは、けれどクラウゼルの肯定に満足してにっこり笑った。


「………ねえ、もうこれ攻略してない………?」

「? なんか言った?マリア」


 なんだかどんよりとした雰囲気を突然に纏い始めたマリアに、ベアトリスは首を傾げた。けれど、もう答えてくれなさそうな雰囲気の彼女には無駄なような気がして、ベアトリスは諦めたよいうに扇子を手に優しく叩きつけた。


「ううん、なんでも。ねえ、ベアトリスさま!お泊まりのお部屋って同室なのよね!?」

「不本意なことにね」

「えぇー!酷い!!」


 わきゃわきゃとはしゃぐマリアを見つめながら、ベアトリスはここ数日を振り返った。


▫︎◇▫︎


 研修旅行の1週間前、ベアトリスたちの所属する特進クラスにマリアが派遣された。

 理由は至極簡単。泊まりを含む研修に女子が1人ということが、マナー的に問題だからだ。

 よって、ベアトリスの次に成績のいい女子生徒を、特進クラスに研修旅行の準備期間中から派遣されることとなったのだ。そこで白羽の矢が立ったのが平民でありながら強い魔力且つ珍しい聖属性の魔力を持つ、マリアだった。

 特進クラスに派遣された当初は攻略対象のあまりに自堕落な姿に、ゲームと違う現実を叩き込まれたマリアだったが、やがてあっという間にメンバーに馴染んでしまっていた。挙句の果てには、ベアトリスが気がついたときにはマリアは生粋のお転婆と可愛さでローガンまでをも籠絡してしまっていた始末だった。


『クラウゼルさまよりも、ローガン先生の方が好みかもぉ!』


 宿泊研修の数日前お勉強中に漏らしたマリアの言葉に、ベアトリスが思いっきり頭をハリセンでしばいてしまったのは言うまでもない。

 だからこそ、ベアトリスは決めていた。この集団宿泊研修で、マリアには改めてクラウゼルに惚れ込んでもらわなければならないと闘志を燃やしているベアトリスは、この集団宿泊研修のために徹夜に徹夜を重ねて、徹底的に作戦を練ってきていた。

 ローガンのルートに入ってしまう分岐を全部避けさせ、尚且つクラウゼルルートの分岐を全て回収するための完璧な作戦だ。


「うふふっ、あははははっ!!」


 扇子を開いて持って、大空の下で高笑いを浮かべたベアトリスは、目の下に真っ黒な隈を作っていた。


「どうしたんだ?ベティー」

「うふふ、いいえ、何も?」


 そう笑いながらも、ベアトリスの目元にどうしても目がいってしまうクラウゼルはほとほと困っていたが、唯我独尊、自由奔放なベアトリスには関係がない。闘志に瞳を燃やしたベアトリスは、満面の笑みを浮かべて隣で少しだけプルプルと震えて、嫌な予感に耐えているマリアににっこりと笑いかける。


「一緒に頑張りましょうね、マリア」


 怖いほどの満面の笑みを浮かべたベアトリスに、マリアが悲鳴をあげ、その悲鳴を上げたマリアにベアトリスがうるさいと言いながら理不尽な怒りをぶつけて、水魔法で彼女のお口の中を水でいっぱいにしたのは、いつもと何も変わらない、ありふれた日常なのだった。


「もう!何で私ばっかりこんな目に遭うのよおおおぉぉぉぉ!!」


 懲りないマリアの叫びは、またまた大自然の大空へと広がっていったのだった。


▫︎◇▫︎


 子供たちが馬車から降りる傍ら、森の奥深くの光が薄い地にて、複数人の漆黒に身を包んだ大人たちがヒソヒソと会話を交わしていた。


「準備はできているのか?」

『はっ、どの班も滞りなく!!』


 低い眠たそうな声に、周囲の黒服たちは膝を地に突き、作り上げられた軍隊のような揃った声で返事する。男は返事に満足したように頷き、くあっと大きなあくびをしてから黒服を投げ捨てる。

 ふわふわとしたミルクティーブラウンの髪を靡かせながら、男は何食わぬ顔で黒服たちに背を向けて子供たちの方へと足を運ぶ。


「………さてさて、俺の計画する“教育”に、何人の子供が耐えられるかな?」


 男の言葉は、森の中へと消えていった。

 宿泊研修が終了までは、あと3日。

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