第19話
▫︎◇▫︎
「ふぁぅー、」
「朝っぱら欠伸とはいい度胸だな、ベティー」
「………………」
一緒に登校している馬車の中、抗い難い睡魔を感じたベアトリスは大きな欠伸をこぼしてしまった。昨夜は可愛らしいマリアを眺めながら20キロメートルを全力疾走したのが悪かったらしく、眠りが浅かったのだ。
「お、王太子殿下こそ隈が酷くて眠そうよ」
(不健康そうね。最近、公務が激化しているけれど、侍従の管理曰く眠る時間はちゃんと確保できているはずだけれど………)
じっと顔を見つめ続けていると、彼の顔が少し赤く染まる。
(熱かしら?)
すっと手を伸ばして額を触ると、やっぱり熱い。
「な、なにをっ!」
「あなた、熱があるのだったら早く言いなさい。体調管理も立派な仕事の1つよ」
「ち、ちがっ」
あたふたとする彼はやっぱり顔がいい。
(………顔がいいやつが全てアイツと一緒じゃないっていうのはちゃんと知ってる。でも、どうしても、顔がいいやつは全部クソ野郎と結びついてしまうのよね………)
ベアトリスの前世楠木梨瑞の初恋の相手にして元彼と。
「ベティー?」
「ひっ、あ、ぅ、」
彼の顔を思い出していたからか、クラウゼルに近寄られた際、ベアトリスはビクッと怯えてしまった。
(彼はアイツじゃない。彼はアイツじゃない。彼はアイツじゃ、ない………!!)
ベアトリスは、否、楠木梨瑞はずっと元彼と別れてからイケメンが嫌いだ。というか、イケメンが怖い。ずっとずっと心の奥底でイケメンに怯えている。
(私は、いつもいつも怯えてばかりね)
クラウゼルに心配そうに見つめられながら、ベアトリスはそっと溜め息を吐いた。
ベアトリスの前世楠木梨瑞の初彼にして最初で最後の彼は束縛が激しい人間だった。学校で他の男子と話しては嫉妬され、話すなと凄まれて、ペアルックの物は必ず身につけなければならなかった。1日の行動をトークアプリで報告させられると言うのも当たり前で、ゲームオタクで空き時間は全てゲームに注ぎたかった梨瑞にとっては苦しい日常だった。そんな梨瑞が彼の束縛に早いうちに悲鳴をあげると言うのは当然の流れで、梨瑞はその男にすぐに別れを切り出した。
けれど、それからが1番酷かった。別れたのにも関わらず1日中付き纏われ、ネット関連のアカウントを全て漁られ、しまいには学校で空き部屋に連れ込まれた。
それから、梨瑞はイケメンが苦手になった。何故なら、その初彼は相当のイケメンだったからだ。それまではイケメンも平気だった梨瑞だが、彼と別れてそれから騒動に巻き込まれてからは全くダメになってしまった。
それからだ。梨瑞の好みが変化して他人と意見が合わなくなってしまったのは。梨瑞流オタクルールなんて物を作って誤魔化したけれど、結局のところ梨瑞は怖いのだ。イケメンが。ヤンデレが。
「………ベティー?」
学園に到着したのか馬車は止まっていて、クラウゼルはベアトリスをエスコートすべく先に馬車を降りていた。けれど、今は彼と一緒にいる元気がベアトリスにはない。
「………………ごめん、今日は先に行って」
(私を苦しめたのは王太子殿下じゃない。でも、私はイケメン全部が気持ち悪くて、怖い。彼だけは触れられても嫌悪しないけれど、それどころかこ、好ましいと思うこともあるけれど、でも、私は、………やっぱり彼とは添い遂げられない)
ベアトリスは苦しい思いを飲み込んで、イケメンだらけの教室に向かうべく呼吸を整えた。
「梨ー瑞!」
「………真里」
取り繕わなくて構わないマリアが目の前に唐突に現れて、ベアトリスは少し驚きながらもほっと息を吐いた。危なく自分の弱い部分を赤の他人に見られるだなんて、死んでも嫌だ。
「どうしたの?この馬車は王族専用でしょ?」
「ん?クラウゼルが梨瑞がなんか沈んでるから元気づけてほしいって」
「そう………」
(王太子殿下がこんなに気遣いできるだなんて、明日は槍でも降るのかしら)
ベアトリスは無意識のうちに淡く微笑むとくとくと優しくぽかぽか脈打つ心臓を抑えた。マリアはそんなベアトリスを優しく見つめると、馬車の座席にぼふっと深く腰掛けた。
「うわっ、ふっかふか!!」
「ふふふっ、でしょ?私がもこもこになるように設計したの」
「へー、梨瑞ってすごいんだね!!」
「………ただ時間が有り余っていただけよ」
ベアトリスは生まれた頃から暇だった。ただただ有り余った時間を使って前世にあって今世にない欲しいと願う物を作り続けたのだ。そりゃあ文明トリップするし、天才と持て囃される。だってベアトリスは前世と合わせて30年は生きているのだ。
(王太子殿下はそう考えると本物の秀才よね。天才でもあるけれど、天才に重ね掛けした努力の質と量がそもそも違う。彼の行動は、無駄を一切省いた完璧としか言えないものだもの)
「………羨ましいわ」
「?」
「こっちの話」
「えー、酷い」
「ふふふっ、あなたの才能が羨ましいなって話」
「えぇー、私からしたら梨瑞っちの才能の方が羨ましいよ~」
ぶーぶーと文句を言いながらほっぺたを膨らませて、バタバタと足をばたつかせる彼女は控えめに言って幼くてお行儀が悪い。
「だって、そもそもの持ってるものが違うじゃん。前世の記憶然り、美貌然り、魔力属性然り、運動神経然り、私からしたら、梨瑞の持ってる物は遠くて遠くて届かないもん」
「そんなことないわ。あなたにはあなたにしかない、………かけがえのない才能がある」
(でなければ、たった数ヶ月でこんなに変われないもの)
ベアトリスはやっぱり、マリアのことが羨ましい。心底羨ましくて、憎たらしくて、そしてなによりも親近感が湧いて愛おしい。愛憎は表裏一体とはよく言ったものだと思いながら、ベアトリスはマリアと共に馬車を降りて校舎内へと入っていった。
「遅い」
「知ってる」
クラウゼルの隣の席に腰掛けながら、ベアトリスはべーっと舌を出した。悪戯っ子のような仕草はどうしても彼の前では抜けないという難点があるベアトリスは、やってしまったと後から後悔する。マリアを送り込んでくれたお礼を言おうと思っていたのにも関わらず、彼の意地悪な言葉のせいで言えなかった。
なんだか気を使わせてしまったみたいで、少しだけ癪に触る。
この借りはいずれ10倍にして返さなくてはならない。
「………何があったんだ?」
「ちょっと思い出しただけだから気にしないで」
「………俺は昔、お前に何かしたか?」
「していないわ」
「………イケメン嫌いは俺のせいじゃないのか?」
(そんなことを思っていたのね)
ぱちぱちと瞬きをして、ベアトリスは驚きをできるだけ隠した。彼に気づかれていないわけがないが、どうしても顕著に驚くのは癪だ。
それに、そもそも、彼にイケメン嫌いをしっかりと悟られているとも思っていなかった。
やっぱり、凡人のベアトリスでは天才のクラウゼルにどう努力しても勝てない。
「違うわよ。ただきらきらしたのが嫌いなだけ。きらきらしてる人って、眩しくて、自己中心的なように思えるのよ」
「………そうか」
彼はそれだけを呟くと何事もなかったかのように、効率的な予習を始めた。質問だけを投げかけるだなんて失礼な人だ。自分を棚に上げたベアトリスは、ベアトリスも自分なりの方法で予習を始めた。だから、隣に座っているクラウゼルからじっと見つめられていたことにベアトリスが気づくことはなかった。
「席につけ~。授業を始める」
一応真面目な生徒全員が席についている状況では不要な言葉を、あくびをしながら言ったローガンの言葉を聞いて、ベアトリスは手慣れた手つきで教本をしまった。初めの方は新鮮さを感じていた教室入室と同時に毎日発せられる彼の言葉に、ベアトリスは最近少々味気なさを感じていた。
慣れとはとても怖いものだ。
「今日の授業はみんな楽しみ半月後に控えた集団宿泊研修についてだ」
紙を読み上げる気怠げな先生にあるまじき声を聞きながら、ベアトリスはじっと彼の顔を見つめる。ゲーム内の集団宿泊研修で起きる大量殺戮事件唯一の生還者、特進クラスの教師であり非公式の王弟であるローガン・ウィーズリーを。
ゲーム内での最大にして最も最悪なエンドと呼ばれる集団宿泊研修大量殺戮事件はヒロインマリアを筆頭としてベアトリスとクラウゼルを含む17名が死亡する。毒ガスのこもった部屋で全員が複数箇所を刺されて死亡してしまうのだ。
返り血によって血だらけの部屋に、高位貴族の子供を含む子供たちがズタボロでいて虚な瞳で死んでいるのだ。最悪のエンドとしか言いようがないだろう。それに、ベアトリスはそんな薄暗い場所でいとも簡単に死にたくない。どうせ死ぬのならば、ド派手な場所で戦い抜いた上で戦士として死ぬか、暖かなベッドの上で大好きな人たちに見守られながら死にたい。
死に際について我が儘を言うものではないかもしれないが、ベアトリスはどうしても選びたい。自分の結末は、自分で締めくくりたい。
「ーーーいっ、おい、返事をしろ。ベアトリス・ブラックウェル」
「え、………あ」
ゲーム内での出来事を思い出していたからか、はたまた自分の死に方について考えていたからか、ボーっとしてしまったベアトリスは、ローガンに名指しをされてビクッと身体を震わせた。
「話を聞いていなかったな。情けない。………今年度から集団宿泊研修は希望者のみに変更になった。まあ、歴史ある筆頭公爵家のご令嬢が参加しないというのは許されないことだから、到底必要な要項とは思えないがな」
鼻を鳴らすようにして不愉快そうに言われて、ベアトリスはすっと表情を顰めた後ににこっと笑った。
「肝に銘じておきますわ、ローガン先生。けれど、この学園は平等を謳っておきながらもあくまで貴族社会の縮図を学ぶ場。わたくし、ローガン先生は少~し干渉が過ぎるのではないかと思いましてよ?」
「………………」
ぱらりと扇子を広げて口元を隠すと、ローガンは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。
「………当日の服装は自由だ。お前たちがジャージを無くした為にな。ジャージで着たい奴はジャージで来ても良いとのことだ。しっかりと頭に刻んでおけ」
ーーーゴーン、ゴーン、
ローガンの言葉のタイミングを見計らったかのように鐘が鳴って、1時限目が終了した。ベアトリスは教室から去っていったローガンの背中を薄めで睨みつけながら、最近強度を上げている鍛錬によって痛む身体をほぐした。
「なあ、ベティーは宿泊研修に参加するのか?」
「? ………しないわけにはいかないでしょう。私自身は行きたくないけど」
(だって最悪の場合死亡エンドよ?普通行きたがらないでしょ)
行ったとしたら面倒くさい、縛りに縛られた集団生活で、しかも、バッドエンドに進んだ場合は毒ガスの上に刃物での滅多刺しのロクでもない死亡エンドだ。例えバトルジャンキーで強者との戦闘ができる確率が高いと言われたとしても、ベアトリス自身はそんな場所に自ら望んでほいほいと気軽に行きたくはない。バトルジャンキーですら行きたくない、悲惨な死に方をするエンドである宿泊研修のバッドエンドだが、実は案外ゲームのバッドエンドの中でも結構可愛い方であったりする。
この人気ゲーム『虹の王子さまを落としたい!!』は結構鬼畜で、死に方つまりバッドエンドについてはものすごくクソゲーなのだ。
「じゃあ行かなけれなばいいではないか」
「そういうわけにはいかないでしょう。私たち生徒会のメンバーはその他一般生徒の模範であるべき存在なのよ?行事をサボるだなんて、公務以外では許されないわ。………それに、公爵令嬢である私は、こういう機会でないと自然と戯れるだなんてできないもの。ちょうどいい機会かしら」
実際のところ、ベアトリスは死亡エンドという最悪なルートさえなければ、少し、そう。ほんの少しだけ集団宿泊研修というものが楽しみなのだ。前世はこういう行事はぼっちもしくはおサボりだったがために、ちょっとだけ、そう。ほんのちょっとだけ楽しみなのだ。何度も何度も繰り返すが、ベアトリスはほんの少しでちょっとだけ、集団宿泊研修が楽しみなのである。
「………そうか。今年度からの希望者のみという特別ルールは作るまでもなかったようだ」
「? なんか言った?」
頬が少し緩んでいるのを引き締めながら、ベアトリスはぼそっと何かを呟いた彼に首を傾げた。無駄に整った綺麗な横顔は、物憂げに前方を見つめている。
「いいや、なにも」
ーーーゴーン、ゴーン、
鐘の音が甲高く鳴って、授業が再開した。魔法学に文学、剣術、歴史。どれもローガンが打てば響くようにベアトリスの疑問を答えてくれ、ベアトリスはいつもながらに充実した心意気で昼休みに突入できたのだった。
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