第11話

 あっという間に馬車は王城へとたどり着いた。

 クラウゼルは馬車に積み込んであったサンドイッチ6枚を全て食べ切って人差し指をぺろりと舐めた。


「ごちそうさま」

「………テスト、難しくないと良いわね」


 弁当箱を片付けた彼はベアトリスを馬車から降ろしてくれる。


「………難しくなければ意味がない。俺たちは国を統べる王になるのだから、」

「完璧でなくてはならない。ーーーでしょう?」

「あぁ、」

「そのためには妥協も何もかも許されない」


 ヘラヘラと笑わず真面目に頷いた彼の横顔を見つめながら、ベアトリスはそっと息を吐いた。


(彼も大概、生きるのが下手ね)

「何が言いたい?」

「いいえ、なんでも。けれど、人はどんなに努力しようとも完璧になんてなれないわ」

「いいや、なれる。なれるから努力を重ねるんだ」


 彼のまっすぐな深い海色の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えながらも、ベアトリスは諦めたように微笑む。


「私が、私はあなたの努力に付き合ってあげるわ」

「………そうか」


 ーーーどきっ、


 心底嬉しそうに破顔した彼に、ベアトリスは変な動悸を感じて胸を押さえる。けれど、それをクラウゼルに悟られるのがなんだか癪で、ベアトリスは彼に意地悪な表情を向けた。


「あら?甘~い微笑みの王子さまはどこに行ったの?王太子殿下」

「なっ、お前がやめろって言ったんだろ!?」


 ぎゃいぎゃいと文句を言ってくる彼に、けろっと答える。


「そうね。とっても生きづらそうだったんだもの。あなた、甘~いマスクの王子さまっていう役は似合わないのではなくて?」

「………俺は父上のように恐怖で押さえつけられるほどのカリスマ性も強さも持ち合わせていない。柔和な態度で円滑に物事を進めるのが1番良いんだ」

(彼はずっとずっと悩んでいるのね)


 自分の感情を押さえつけるように苦しげな声音で言った彼とベアトリスの間を少し強い風が駆け抜けていった。


「さあ、テストを受けに行こう」

「そうね。終わったらあなたが魔法を教えてくれるって約束をしてくれたから、ちょっとは頑張らないといけないわね」


 2人は足早に勉強部屋に向かい、教師にテスト用紙をもらう。

 中身を見て1番、ベアトリスは苦々しい表情になる。


(うげっ、これ異常に難しそうじゃない)


 どんなに難しくてもやることは変わらない。けれど、人生をちょっとでも楽して過ごしたいベアトリスはテストに恨みをぶつけながらテストを受け始めた。


▫︎◇▫︎


 ーーーカリカリカリカリ、


 ベアトリスの隣に座るクラウゼルは、颯爽と問題を解き始めたベアトリスを横目にテストを受け始める。彼女は簡単そうに解答欄を埋めているが、難易度としてはとても難しい。


(分からない)


 テストはものの2時間で終了した。いつものテストよりもずっと短くて、けれど2時間という長い時間座ったままだったために身体は凝り固まってしまう。テストの丸付けが終わるまで約30分間何をしようかとベアトリスに視線を向けると、彼女は今まさに外に出ようとしていた。


「どこに行く」

「先に着替えを済まそうと思っただけよ。このテストが終わったら、私に魔法を教えてくれるのでしょう?」


 小悪魔のように笑う彼女は妖艶でいて愛らしい。

 クラウゼルはそんな彼女と一緒にいる時間を少しでも伸ばしたくて彼女の後を追う。怪訝な顔をするところすらも愛おしくて、クラウゼルは自分の壊れっぷりに自嘲すらも溢れてしまう。


「俺も着替えに行く」

「乗り気で教えてくれるようで嬉しいわ」

(あの魔法がお前をイメージしたものだと知ったら、お前はどんな顔をするだろうか)


 クラウゼルはふっと届かない想いに寂しげな顔をした後、彼女をエスコートするために手を伸ばした。


 『黒薔薇姫』


 ベアトリスが持つ異名の1つで、筆頭公爵家の一人娘であり大輪の薔薇の如く美しい容姿に漆黒の髪を持つ彼女にぴったりだと、誰もが口を揃えて呼び始めたものだ。

 だからこそ、クラウゼルは今回の魔法の結晶で薔薇を採用した。この王国の国花であり、彼女を意味する花。魔法の構造を練る際にこれ以上に相応しい魔法は存在しないと思った。


「ねえ、あの魔法はどうやって扱っていたの?」


 きらきらといつもより輝いている期待にいっぱいになった七色の瞳に、羨ましさと苦しさが胸に広がる。


「見たままだ」

「つまり、1個1個全て違う形になるように制御していたと」

「あぁ」


 ベアトリスはクラウゼルが頷いたのを見て、少しだけがっかりしてしまった。彼に教わったのならばもっと効率的な方法で会得を可能にするのではないかと考えていたからだ。


(魔法に近道なんてない、か………)

「………お前は本当に魔法が好きだな。剣も勉強も魔道具作りもお前自身が心の底から好きだっていうのが伝わってくるが、魔法はそれらの上を軽く行く」

「ーーーだって、魔法はロマンじゃない。夢のようで非現実的。決して科学的でないのに実際に起こる出来事」


 ほうっと熱っぽい吐息を漏らして前世にはなかった美しい概念に感嘆する。


「カガク?」


 彼が不思議そうに首を傾げる。


「ねえ、あなたは幽霊アンデットを信じる?」

「………信じないな。死体が動くという現象は闇魔法によるものだ」


 断言する彼の言う通り、この世界では死者の復活は全て闇属性魔法の仕業とされる。死者の怨念だのなんだのという地球上にあったような概念は存在しない。


「そうよね。幽霊アンデットは非科学的だもの。死者はどんなに努力しようとも復活しないし、死者の復活は魔法ということで片付けられる。でも、魔法がなかったらその事象は説明がつくかしら」

「………………」

「それを、そんな非現実的なことを説明しようとするのに使われる数式や物事の現象を説明する学問を科学と呼ぶの」


 ベアトリスと説明した言葉を彼はあまり深く理解していないだろう。けれど、彼が同じ質問をすることは2度と存在していないから、彼にこのことについて質問される機会はないだろう。


「さあ、着替えて戻りましょう」

(これ以上はボロが出るわ)


 前世の地球の知識や技術はこの世界では異端すぎる。大貴族の娘でなかったら、ベアトリスはとても危険な目に遭っていただろう。だからこそ、ベアトリスはどうしても譲れない場面以外では前世の知識を公の場で話さないようにしていた。シャワーと食洗機、ドライヤー、その他諸々の便利用品を学園のサロンに持ち込んだことはこの際気にしてはいけない。

 ベアトリスとクラウゼルは途中で別れてからお互いに動きやすい訓練着に着替えると、勉強部屋へと戻った。教師はちょうど丸付けを終えたのか、少しだけぐったりしている。


「テスト結果はいかがでしたか?」


 ベアトリスがにこやかに尋ねると、教師は困ったように頭を掻きながら微笑んだ。


「ブラックウェル公爵令嬢99点、クラウゼル王太子殿下98点です。もうわたくしめに教わることはないのではないでしょうか」


 口外にもう教師から外してくれと頼んでくるおじさま教師は、この国最高峰の帝王学の教師だ。彼に匙を投げられるともう誰も教えてくれる人間がいなくなるベアトリスとクラウゼルは、必死になってにこやかに止める。


「いや、其方の教えはとても上手い。もう少し教えてくれるとありがたいのだが」

「わたくしからも、お願い申し上げますわ」


 こうして、頭の毛が寂しくなってきたおじさま教師は、今日も隠居に失敗したのだった。



「それじゃあ、訓練場に向かうか」

「えぇ、そうね」


 漆黒のスラックスに純白のシャツを着たラフな格好のクラウゼルに頷いて、藍色のズボンに純白の少しだけふわっとしたデザインのブラウスを着たベアトリスは彼の後に続いた。


「相変わらず、ブラックウェル公爵令嬢は素直ではありませんね………」


 去っていくベアトリスの背中に教師から意味不明な言葉が掛けられるが、意味がわからないため放っておく。

 廊下に出て数分、彼は歩きながら指導を始める。


「ひとまず身体を中心にして5メートルまでの距離を操れるようになったら、あとは普通に制御するのと同じだ。だから、まずはどういうデザインを展開するかを明確にする必要がある」

「なるほどね………。ねえ、王太子殿下。訓練場に着いたらもう1回魔法を見せてくれる?知っての通り、私はあなたほど芸術面に秀でていないから」

(料理と刺繍、音楽にお絵描き、工作についてはすぐに負けてしまったのよね………。彼が習い始めて1回目にして楽々追い抜かれるって本当に心がぽっきり折られてしまったわ)


 クラウゼルは完璧王子の名に相応しく、芸術面についてもとても優れていた。

 料理をすれば一流のシェフが作るようなものが出来上がり、刺繍を刺せば美しい女神が布の上に現れ、音楽を奏でれば周囲の花が彼の奏でる音の力によって一瞬で咲き誇り、絵を描けば画廊でもトップに飾られるような女神を描き、工作をすれば優美な女神の彫刻が出来上がる。

 なぜ毎度黒髪の女神を作り上げるのかは謎だが、教師にそれは突っ込んではいけないと言われたため聞かないようにしていた。


「はぁー、本当に羨ましいわ。芸術面だけは生まれ持った才能がものを言ってしまうのだから、どう努力してもね………」


 何年練習しても一向に上達しないベアトリスは、大きな溜め息を落とすのだった。


「俺はお前の作ったものの方が好きだが………」


 真顔で言ってくるクラウゼルに、ベアトリスはツンと止めたい表情を返す。


「お世辞はいいわ。私がやって出来上がるのは精々、数週間お腹が壊れるご飯に、ミミズがはったような刺繍、普通の演奏に、普通の絵、普通の彫刻よ」

「料理と刺繍は今はマシになったじゃないか」

「そうね。食べれるけど美味しくないご飯に、マークっぽいイラストの刺繍にはなったわね」


 ベアトリスはここ数年必死に練習した末に、必死に練習したもののみご飯が食べられるものになったし、刺繍はにこちゃんマークや花びらが5枚のお花やクローバーや星やハートが縫えるようになった。

 正直に言って、貴族の娘ならば8歳の時には取得しているべきものだ。


「お前は他のことができるのだから問題ない。芸術などは王政に必要ないしな」

「………完璧主義のくせに」

(本当は、心の中で見下しているくせに)

「ーーーお前が、お前が本当に美しいと感じるものを想像して作ってみたらいい。俺はそうするようにしている」

「………あなたにとっては女神さまが美しいものなのね」


 いつも違う色の動きやすそうながらにゴージャスなドレスを着た漆黒の髪の女神を思い出したベアトリスは、ふむふむと頷いた。あの女神は何の神さまなのだろうか。ベアトリスの記憶の中には、漆黒の髪に普通のドレスを着ている女神はいなかった気がする。


「………………」


 クラウゼルは気恥ずかしそうに頷いて、訓練場に辿り着いたからからストレッチを始めた。ベアトリスもストレッチをしてから、彼が魔法を展開するのを待った。


「じゃあ、魔法を展開する」

「お願いするわ」


 彼の周囲に青い薔薇が大量に生まれる。

 試験の時のような制約がないからから全てが違うデザイン、違うサイズをしている。


「………きれい」


 美しい花々は細部まで作り上げられていて、じっと結晶を見つめてやっと構造が分かった。これはデザインを1つにしたとしても、出現させるのに骨が折れそうだ。


「………これでいいか?」

「えぇ。私には無理だってことが分かったわ。構造は分かっても、芸術的センスのなさが絶対に足を引っ張る」

「そんなことはないと思うが………、」

「だから、違うお花であなたと同じことをしてみるわ」

(この世界にはない、私の思い出のお花で)


 穏やかに微笑んでから、ベアトリスは魔法を展開した。今回は制限がないために彼同様大きさに関係なく魔法を作り上げる。記憶が曖昧になってしまっている部分があって、少し抽象的になってしまうのは致し方ない。

 細く長い枝に、美しい小さな5枚の花弁。蕾は小さくふっくらと作り上げる。


「………美しい」

(王太子殿下も気に入ったみたいね。

 それにしても、ーーー懐かしいわね………。死んじゃった日の次の日に母さんと一緒にお花見のお約束をしてたっけ)


 ベアトリスが選択したのは、前世では春に美しく咲き誇る日本を象徴する花、“桜”だ。

 土魔法の焦茶の結晶で枝の色彩を、風魔法の緑の結晶で花と枝の繋ぎ目の色彩を、炎と光魔法を混ぜた桜色の結晶で花弁の色彩を表現した。

 そして、4つの魔法で主体を作って余ってしまった水や闇魔法の青や紫の結晶は艶やかな雫として花弁と一緒に舞わせた。

 幻想的な桜は、前世で見た生き生きとした生物という感じが一切ない。けれど、とても懐かしかった。


 ーーーぽろり、


 ベアトリスの宝石を砕いて詰め込んだかのような七色の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


『先に死んじゃってごめんね、父さん、母さん』


 日本語でぽつりと呟いてから、ぎゅっと瞳を擦って涙を拭う。長い時間展開しておけば、本格的に涙腺が崩壊してしまいそうなため、ベアトリスは早急に魔法をしまった。


「どうだったかしら?」

「………美しかった。なんという花だ?この付近には生息していないものだろ?」


 植物にも詳しい彼は、たった数分間だけ展開させた魔法であっても桜がこの世界には存在しない花であると見抜いたらしい。ベアトリスはその事実に一瞬ひやりとしながらも、にこっと小悪魔のような笑みを浮かべる。


「ーーーひみつ」


 この花の答えを知っているのはベアトリスとマリアだけだ。そして、知っていて構わないのもベアトリスとマリアだけだ。だから、ベアトリスは教えない。


「ねえ、次の試験ではさっきの花を展開させようと思うのだけれど、どう思う?」

「………枝は無理だな。やるとしたら花と花弁、あとは雫だけだろう」

「そっか………、」


 今考えても何故桜を選択したのか分からない。

 けれど、ベアトリスは桜を見せたいと思った。


「………やっぱりさ、薔薇の作り方教えて。この花は止める」

「綺麗だったが」

「止めるったら止めるの」

(この花は、見てて苦しくなる)


 もう前世は幼き頃のようにはっきりと思い出すことができない。けれど、忘れたくないことはこうやって結晶にするのもアリだとベアトリスは感じた。


「そうか。では、特訓を始めるとするか」

「えぇ、ビシバシ扱いてちょうだい」


 意地悪く笑った彼に、ベアトリスは余裕綽々に笑う。


(新しい魔法の開拓のためなら、私はどんな努力も惜しまないもの)

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