第12話

 2時間後、先程までの威勢はどこに行ったのやらベアトリスは盛大に尻餅をついていた。理由は簡単、魔法が全く成功しないからだ。


「………先程の木に花が咲いていたものはうまくできていたのにも関わらず、なぜ薔薇はうまくできない」

「………………私が聞きたいわよ」


 ベアトリスの隣で同じく尻餅をついている彼も、ベアトリス同様に疲れ切ってる。


「そもそも、なんで1輪だけの薔薇すら作れないのかしら」

「………本当にそもそも論だな、おい」

「だってできないんだもの。宝石みたいに幾何学型なら作りやすいのだけど………」

「植物を紋様のように正確に作ってどうする」

「そうよね………」


 2時間の必死の練習の末に出来上がり、ベアトリスの手ににぎられているのは左右対称のおもちゃのような薔薇だ。


「もうどうにもならないわね、これ」

「………もうカットを変えるだけでいいんじゃないか?」

「カットを、変える?」


 ベアトリスは彼が何を言いたいのか分からなくて、こてんと首を傾げた。


「そうだ。………君の考案した“ブリリアントカット”は確かに美しい。七色に乱反射する輝きを作るためには、他の宝石のカットよりも高い難易度を必要する。けれど、やっぱりそれだけでは美しいがつまらない。例えば磨き上げられた雫型、四角い結晶、三角やハート、星でも構わない。さまざまなカットを作り上げるんだ。花も宝石風に乱反射するようにしてしまえば、もっと美しくなるのではないか?」

「宝石のような、花………」


 ベアトリスは何か思いついたようにばっと立ち上がって、ふわっと魔法を展開させる。彼が作り上げたような美しく優美な本物と見間違うかの如くそっくりな花ではない。けれど、宝石を削り出して生み出したかのような美しい薔薇の花が生まれた。


「できたっ!できたわっ、王太子殿下!!」


 心の底から嬉しそうな表情をしたベアトリスに、クラウゼルはくちびるの動きだけで『おめでとう』と呟いた。


(うぐっ、い、イケメンのきらきら………)


 野花のようなクラウゼルの笑みに、ベアトリスは少しだけ怯んでしまう。


「わ、私、今日はもう帰るわ。夕食の時間になってしまうもの」


 友人という道を選択したベアトリスは、彼を避けることができない。けれど、どうしてもやっぱり、イケメンという人種の生き物がベアトリスは苦手だ。

 ベアトリスの前世楠木梨瑞に深い傷を残したイケメンなど、どうしても許せない。許す気もない。


「………居酒屋」

「?」

「………居酒屋に行ってみたい。連れていけ」


 彼が何を言っているのかわからなくて、ベアトリスはぱちぱちと瞬きをした。言葉はわかる。けれど、意味がわからない。なぜ、ベアトリスがお荷物を連れて飲み屋に行かないければならないのだろうか。そもそも、彼はベアトリスがどんなにぞんざいに扱っているにしても一応この国の未来を背負うことになっている王太子だ。飲み歩きなんてできるわけがない。


「………なんで私が連れて行かないといけないの?自分で行きなさいな」

「行けないから頼んでいる。そもそも、俺は今日お前のためだけに何時間もの間魔法の特訓に付き合った。居酒屋にくらい連れて行ってくれてもバチは当たらないのではないか?」


 一息に言われた言葉に、ぐうの音も出ない。


(彼は居酒屋に行くのが目的で私に魔法を教えてくれたのね)


 心の奥深くで何故か少しだけガッカリしながらも、ベアトリスは目の前に大好物をブラブラされた子犬のように爛々と目を輝かせるクラウゼルにうっと顔を歪ませる。


「………」

「連れていけ」

「………」

「連れていけと言っている」

(本当に、不器用な人)


 王太子という立場を誰よりも理解してその立場に誰よりも誠実にある彼は、多分1人では居酒屋に突撃すらできない。だから、引きずってでも中に連れ込んでくれる人間と一緒に飲みに行きたいのだろう。

 そして、幸か不幸かこの国には彼を堂々と引きずって歩ける人間は同年代ではベアトリスしかいない。


「………………はああああぁぁぁぁぁぁぁー………………」


 これでもかというほどに大きな溜め息をついて、ベアトリスはへなへなと座り込む。


「お小遣い、今いくら持ってる?」

「金貨100枚は即金で出せる」

「じゃあ、奢って」


 ベアトリスが不服そうにしながら願うと、彼はなんて事ないことのようにあっさりと頷く。


「元よりそのつもりだ。女性に食事を払わせる気などさらさらない」

「じゃあ、行こっか」


 手を伸ばすと彼は嬉しそうに頷いた。

 そんな彼が少しだけ憎たらしくて、ベアトリスは即刻魔法を展開する。髪と瞳の色を2人とも焦茶になるようにする幻惑魔法と、身体をすっぽりと隠すローブを作り出す魔法、あとはお馴染みの『ど○でもドア』の転移魔法だ。


「!?」


 目を見開く彼にしてやったりと悪戯っ子のように笑って、ベアトリスは問答無用で路地裏へとたどり着いた。


「!?」

(ど、どう言う仕組みなんだ!?)


 空いた口が塞がらずに、目すらもおっかなびっくり開いたままの彼に満足したベアトリスは、いつも飲んでいる店まで彼の手を繋いで直行する。


「行くよ、ゼル兄さん」


 驚いたまま絶句している彼が面白くて、ベアトリスの行動がどんどんと悪化していくのは致し方ないことだった。


「私のことはいつもみたいにベティーと呼べばいいわ。あと、私たちの年齢ぐらいならば同年代にはタメ口、年上にはちょっと調子に乗った敬語ぐらいが1番ウケがいいわね。あとは~、」


 困惑している彼の様子が楽しくって、ベアトリスは彼の周りをくるくるとご機嫌に回ってしまう。


「今日は私とゼル兄さんは裕福な商家の兄妹だから、その演技をちゃんとしてね?」


 彼が無言で必死に事態を飲み込んでいるうちに、居酒屋へと到着した。途端に足が重たくなりかけた彼の腕を強引に引っ張って、ベアトリスは店へと入店する。


『いらっしゃいませー!!』


 威勢のいい声に歓迎されて、クラウゼルの身体が小さく跳ねる。


「大将!生2つに枝豆と焼き鳥10本ちょーだい!!」


 とりあえず定番の品を叫んで席に着く。フードを不自然にならないように脱いでクラウゼルにも同じようにするように促す。


「………化粧まで変えたのか」

「魔法って便利でしょ?」

「………お前が大層あり得ないことをやっているってことがわかった」


 呆れ顔の彼を豪快に笑って、ベアトリスは給仕のお姉さんが運んできたシュワシュワと弾けているビールを彼の前に傾ける。


「乾杯!!」

「………か、乾杯?」


 ごくごくと喉を鳴らして勢いよくビールを飲むベアトリスを真似て、彼もゆっくりとビールを傾け始める。少し飲んだところで味が気に入ったのか機嫌良さそうに大口で飲み始めた。


「美味しいでしょ?」

「あぁ。美味い」


 次にベアトリスを真似て枝豆を食べた彼は、驚きの連続なのか目を見開いたままカプカプと次々に新しい枝豆に手を出していく。


「え、枝豆は逃げないわよ?」


 ベアトリスの話を聞く余裕すら無くなっているのか、彼は1皿の枝豆を食べ切るまで一言も喋らなかった。

 でも、ベアトリスは特にそのことが気にならなかった。

 何故ならば、彼の枝豆が無くなった時の反応が可愛かったからだ。まず指の先が枝豆の入っていた木のお皿の底ぶつかって中身が空っぽになったことに気がついてしゅんと眉を下げて、そのあとベアトリスの分まで食べてしまったことに気がついて慌てて、周囲をキョロキョロとしてあわあわとし始めたのだ。


(な、なにこの生き物………!!)


 ベアトリスがそんな彼の反応に腹を抱えて爆笑したのは言うまでもなく、その様子にクラウゼルが頬を染めたのもまた言うまでもないことだ。


「大将!枝豆3皿とポテサラ1皿、生2つお願い!!」


 手を上げて反応した彼に頷いて、ベアトリスは彼が払ってくれた焼き鳥に手を伸ばす。


(んんー!パリッとした皮にジュワッと溢れる肉汁がたまらないわ!!甘辛のタレも控えめに言って最高ッ!!)


 ご機嫌になって食べていると、しげしげと焼き鳥を見つめていたクラウゼルも焼き鳥に齧り付いた。

 カッと目を見開いた彼によって次々に肉が消えていく様子は見ていてとても爽快だ。


(………これで私の食べる分がなくならないのだったら、文句ないのだけれどね~)


 そう、彼によってベアトリスはほとんど食べる物がなくなってしまっている。文句を言いたいところだが、ここまで美味しそうに食べられてしまうと怒る気すら失せてしまう。


「大将!焼き鳥10本追加!!」

「食べきれるのか!?」


 驚いたような大将は、次の瞬間皿と顔立ちに似合わずガツガツ食べるクラウゼルを見て、何かを悟ったかのように焼き鳥を数本おまけして持ってきてくれた。


「兄ちゃん、妹の分も残してやれよ?」


 大将の言葉でもう1度やらかしに気がついたクラウゼルは、また顔を赤くしてこくこくと頷こうとして、喉に焼き鳥を詰めて胸の辺りをバンバン叩いた。


「ぶはっ、だめだこりゃ。あははっ、あははは!!」

(何この生き物!?ほんっと可愛すぎない!?)


 ばんばん机を叩いてベアトリスは令嬢感のカケラもなく思いっきり笑う。

 そして、1口で大ジョッキ1杯を煽った。


(王太子殿下を肴にしての麦酒は)

「めっちゃ美味い!!」


 思いっきり叫んで大将にもう1杯頼む。

 今度は枝豆諸々全部多めに頼んだために、クラウゼルが普段ご飯を与えてもらっていない獣の如く物凄いスピードでご飯を食べたとしても、ベアトリスのおつまみはちゃんと残っている。


「………生と言ったか?この酒は美味だな」

「でしょ?私、麦酒大好きなんだ」

「確かに、これはクセになる」


 2人で笑い合って、次々と酒を消費していく。その様子に、言わずもがな周囲の人間は絶句していた。

 そして2時間後、クラウゼルのみが飲みつぶれてしまったのはベアトリスにとって少しだけ予想外の出来事だった。


「ゼル兄さん、私にあなたを家まで運べって言ってるの?」

「うにゃむにゃ………、」


 ゆすっても鼻をつまんでもぐっすり眠っている彼に少しばかり殺気が生まれてきてしまう。けれど、それもこれも彼の無駄に整った大嫌いなイケメン顔をじっと見つめたら吹っ飛んでしまった。目の下には男には珍しい化粧でしっかりと隠された深く深く刻まれた隈があったからだ。

 ベアトリスも隈は酷い方だが、彼の隈は優にベアトリスの隈を越えている。


「いつもお疲れ様、ゼル兄さん」


 優しくぽんぽんと頭を撫でたベアトリスは、彼をお姫さま抱っこして店の外に出て、路地裏で『ど○でもドア』を発動し、彼をお城まで送り届けたのだった。

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