第13話
▫︎◇▫︎
次の日の朝、クラウゼルは朝からとても狼狽していた。
(と、途中からの記憶がない………!!)
初めて酒に飲まれてしまった挙句、気がつけば帰宅していたというあまりにもな失態に、どんどん血の気がひいていく。とりあえず学園に行くために水浴びをして食堂に行ったクラウゼルは、けれど頭の中を昨日の失態がぐるぐると巡ってしまった。
「あら、クラウゼル。おはよう」
「………おはよう、母上」
にこにこと気色が悪いくらいにご機嫌に笑う母親クラウディアに、悪寒が走った。こういう表情をしたクラウディアを見た日にクラウゼルを待ち受けているのは、基本的には死をも望んでしまうような黒歴史なのだ。
「うふふっ、昨日はびっくりしちゃったわぁ!なんと言っても、」
「ディア、そのくらいにしてやれ。アレを教えるのはこいつの自業自得と言えども流石に可哀想すぎる」
「えぇー、いいじゃないのぉ~」
(き、昨日の俺は何をやらかんしたんだ!?)
微妙なラインまでクラウディアに教えられて、微妙なラインで父親アルノルトに教えられることを止められたクラウゼルは、とてもむずむずとした気分になった。気になるけれど知ったら最後、絶望が待ち受けているのが目に見えてしまっている。
「それにしても、お姫さま抱っこって萌えの絶頂よね~」
「………………」
(ち、父上。どうか母上の大暴走の原因をそれとなく教えてください!!)
心の中で叫んだ言葉は決して声にならず、クラウゼルは結局今後生涯において美少年チックな気だるげベアトリスによって、お姫さま抱っこをされて帰城したという事実を知ることはなかったのだった。
悶々とした心地で馬車に乗り込んで勉強を開始したクラウゼルは、勉強をしながらもどうしても頭の中に勉強内容が入ってこないという事態に頭を抱えてしまった。
ーーーがたん、
「殿下、ブラックウェル邸に到着いたしました」
馬車を運転している若い青年の声に大きく溜め息を落として、クラウゼルは教本をしまう。
ーーーがちゃっ、
「おはよう、王太子殿下。昨日はぐっすりと眠れたようね。………少しも隈はマシになっていないけれど」
「おはよう、ベティー。お前こそ隈が酷いんじゃないか?」
刺々しい挨拶に苦笑しながら、クラウゼルは隈に気づかれてしまったことに少しだけ悔しい思いを抱く。
「私はいいのよ。夜中まで本を読んで遊んでいるのだから」
「勉強しているの間違いだろ?」
「そうとも言うわ」
悪びれもせずに努力を認める高潔な姿勢が美しく、眩しい。
「………私は、勉強と公務を両立しているあなたのことを尊敬しているけれど、睡眠時間を削っている姿は尊敬していないわ。もっとちゃんと寝なさい。寝ない子は育たないわ」
自分の方こそ寝ていないだろうにクラウゼルに寝ろと命じる姿が、傲慢でいて自信に満ち溢れている。彼女のことを恐れる人間が多いことも頷ける姿だ。
(………昨日の事、これっぽっちも覚えてなさそうね)
彼がベアトリスへの周囲の評価を頭の中で考えていた一方、ベアトリスは昨日飲み過ぎによって倒れてしまったクラウゼルのことを気遣っていた。
「………どうかしたのか」
「いいえ、何も。そういえば、今日はクラス確定の日だったわね」
「あぁ」
「まあ、私たちには関係ないことね」
特進クラス確定と言っても過言ではないベアトリスとクラウゼルは、他の生徒が悠々自適に馬車の中で過ごすのだった。
馬車はあっという間に学園に到着し、ベアトリスたちは学園に降り立った。
「あのお方たちはやっぱり特進クラスだったらしいわ」
「まあ、当たり前よね。そもそも、教師陣たちは教わる側になるのではなくて?」
「うふふっ、そうなりそうよね」
(教師は敬うもの。それなのにも関わらずあの口の利き方とは、お家の教育がなっていないわね)
生徒たちの噂話によってあらかた予測が立ってしまったが、一応クラス発表の表を見に行った。もちろんベアトリスとクラウゼルは特進クラスで、注目のヒロインマリアは………、残念ながら上級クラスだった。
(でも、上級クラスの4番なら登ってくるのも早そうね。やっぱり、運動と勉強が足を引っ張っているってところかしら)
マリアの成績は魔力量100点、魔力制御90点、筆記60点、運動能力20点で400点満点中270点だった。平均約70点と良くも悪くもない。同じくらいの得点の生徒は正直に言って沢山いただろう。けれど、あの魔力量と魔法制御によって彼女を下手なクラスへはおけなくなってしまった。ベアトリスは扇子で隠した口元を少しだけ嬉しそうに歪めた。
「そろそろ行きましょう、王太子殿下。授業に遅れるわ」
「………そうだな」
(ベティーはあの娘を徹底的に育て上げる気だな)
入学試験の時よりも一気に成績が駆け上ったマリアに、クラウゼルは正直驚いていた。ベアトリスが付いて勉強を筆頭とした諸々を教えていたとしても、全てにおいて成長が早い。
(なるほど、確かにあの娘は面白い。けれど、どんなに面白くて外面がいい令嬢でも、ベアトリスには勝てない)
ベアトリスがマリアに行う次の
教室へ向かうために、2人は全く同じタイミングで足の向いている方向を変えて歩き始めた。ベアトリスの腰には、もちろんベタベタと触りたがるクラウゼルの手が触れている。
(う、うざいわね。これは、)
「………王太子殿下、私、寄るところがあるの。先にクラスに行っておいてもらえるかしら?」
「いやだ」
(………こいつ、3歳児なのかしら)
聞き分けのないクラウゼルに、ベアトリスはじとっとした視線を向ける。
「お花を摘みに行く淑女の後をつけるだなんて、王太子殿下はケダモノなのね」
「!?」
「ほら、さっさと先に行ってくださる?」
思いっきり顔を顰めたクラウゼルに、ベアトリスは思わずにこにことしてしまう。
(ここ数日でここまで表情が変わり果てるだなんて、本当に面白いわね。もっと早く仮面を脱げと言うべきだったわ)
ルンルンな気分のベアトリスは上級クラスの隣にある化粧室に入ってお化粧を直した後、上級クラスの中へと突入していく。
けれど、ベアトリスの気分とは裏腹にクラスの雰囲気は一触即発の最悪な状況だった。
「きゃっ!!」
「平民風情がわたくしと一緒のクラスで、しかも成績4位だなんて、馬鹿げているわ!!さっさと退学なさい!この汚れた血が!!」
ーーーぱぁん!!
「うぁっ、」
激しく頬を打たれて頬を打った少女の取り巻きに突き飛ばされたマリアが、ベアトリスの前に倒れ込んでくる。
マリアのことを平手打ちした黄金の縦ロールに紫色の吊り目をした少女の名前はヴァイオレット・ラビリンスという。ヴァイオレットは、ベアトリスの実家ブラックウェル家が所属している派閥である王権派の家の子供だ。ラビリンス家は伯爵家であり、少し前まで中立派だったために彼女の家の立ち位置は今とても不安定だ。
それなのにも関わらず、学園で彼女がここまで自由奔放に動いている姿に、ベアトリスはどうしても頭痛を隠せそうにない。
(これは1度締めておかないと、もっと悪化しそうね)
ーーーパチンっ!!
七色に輝く瞳を冷え冷えと細めたベアトリスは、周囲の視線が全てベアトリスに集まるように、気を読んで皆に1番効果をもたらすタイミングで扇子を閉じる大きな音を立てる。
「さて、何が起こっているのか説明願えるかしら」
ベアトリスはくるりと辺りを見回した。その表情は表向き微笑みを浮かべているのにも関わらず、何故かとても不穏に見える。
「わたくし、この汚れた無能の平民を諌めておりましたの。そうしなくっては平民なのにも関わらず、自分は貴族と同じだと思い込んで付け上がるかもしれませんでしょう?だから、これは当然の措置ですわ!!」
1歩前に踏み出したヴァイオレットが、一切空気を読まず満面の笑みで捲し立てるように話してきた。彼女の取り巻きはベアトリスに流れている不穏な空気を感じ取っているのか、とても顔色が悪い。
「ベアトリスさま!!ちゃんと平民に躾を行えたわたくしとお友だちになってくださいまし!!」
(………こんな無能、学園には必要ないのではないかしら)
ベアトリスはどうにも空気が読めなすぎるヴァイオレットに、冷え冷えを越えて殺気混じりの視線を向けてしまう。
彼女は自分が正しいと信じて疑っていない。ほんの少しも自分は間違っているとは思ってもいない。馬鹿で愚かで滑稽な娘。
ベアトリスは微笑みを深めて周囲にインクのような暗雲を広げながら、ヴァイオレットにお返事をする。
「あら、お久しぶりですわね、ラビリンス伯爵令嬢。わたくし、あなたに名を呼ぶことを許可した覚えはありませんわよ。分を弁えるべきではなくって?」
「へ?」
ヴァイオレットは何を言われたのか分からないと言ったように、心底不思議そうな表情をした。貴族の娘にも関わらず、腹芸を全く身につけていない彼女は、これだけ言われて尚ベアトリスの心中を全くもって察しない。
「わたくし、自分がお付き合いをする方は、身分・容姿・能力・態度に関わらず、全て自分で選んでおりますの」
「まあ!流石ですわ。ベアトリスさま!!」
感激したように両手を組んだ彼女に、ベアトリスはすっと表情を全て消した。
「………わたくしはあなたに名を呼ぶなと申したのです。お聞こえにならなかったのですか?」
底冷えするかのような声に魔力を乗せて、ベアトリスは1年上級クラス内に冷たい空気を流し始めた。
「べ、ベアトリスさま?」
呆然としたように尋ねてくる彼女に、ベアトリスは再び底冷えした微笑みを向けた。
「何度言えば分かってくださるのでしょうか。わたくし、あなたに名を呼ばれることが不愉快ですの。ちゃんと『ブラックウェル公爵令嬢』とお呼びくださいまし」
「え………?」
「言ったでしょう?わたくし、自分でお付き合いする方はこの目で見て決めると。あなたはそれに合格できなかった。それが全てですわ」
にこっと今度は笑みを明るくして、ベアトリスは膝をついてマリアを抱き起こす。回復魔法を使って彼女全体を癒した瞬間、周囲からひゅっと息を飲む声が聞こえた。
「な、何を………、べ、ベアトリスさま!あなたさまはそんな汚れたモノを庇うと言うのですかッ!?」
顔を真っ赤に染め上げて、ヴァイオレットは激昂する。そんな姿さえも滑稽で、ベアトリスは彼女に慈愛の笑みを浮かべた。
「ねえ、あなたのその扇子を作ったのはどなたかしら?」
「こ、これですの?これは扇子作りで有名な男爵がお作りになった力作かしら。とっても美しいでしょ?」
「えぇ、美しいわ」
急に扇子を褒められてびっくりしながらも、彼女は自慢げに胸を張った。
「じゃあ、その扇子の材料を集めたのはどなたかしら」
「へ?………そんなもの存じ上げませんわ。その知識は必要でして?」
「えぇ。必要ですわ」
(この会話でね)
扇子をゆらゆらと揺らして必死に考える姿は健気で、だからこそ彼女の家がそもそも平民を人間として扱っていないことが伝わってくる。
(平民をモノとしてか考えられないから、領民のことを考えられない。領民のことを考えられないから、領地が発展しない。領地が発展しないから、領主は領民を顧みない。………とんだ悪循環ね)
ここ数年で財政が潰れかけているラビリンス伯爵家を思い出したベアトリスは、大きな溜め息を落とした。
「その扇子の材料を汗水流して集めたのは平民でしてよ。ちなみに、育てたのも平民ですわね」
「なっ、」
彼女はわなわなとくちびるを震わせ始めた。貴族さえいればこの世は成り立つと彼女は本気で思っていたのだろう。
(本当に、可哀想な子)
ベアトリスはぱらりと扇子を広げて口元を覆った。
「ちなみに言えば、その扇子を購入した代金も平民がお仕事をして得たお金でしてよ?制服も、靴も、髪飾りも、その他諸々生活に必要な品物は全部平民から得たものです。基本的には、材料を作ったのも平民で、材料を集めたのも平民で、作り上げたのも平民です。そして、挙句の果てには購入するために得たお金すらも平民から得たのもなのですよ。貴族とは基本、平民によって生活を支えられている頭でっかちな生き物なのですわよ、ラビリンス伯爵令嬢」
「べ、ベアトリスさま………、」
「お黙り」
真っ青な顔でぷるぷると震え始めたヴァイオレットに、ベアトリスはピシャリと言葉を叩きつける。
「無礼なのはどちらなのですか?分を弁えずわたくしに話しかけるあなたと、能力を評価されてこの学園に入学したマリア嬢。ーーーわたくしは、あなたの方が無礼者としかとれなくってよ」
ヴァイオレットは膝から崩れ落ちた。ぼーっとした表情でぼろぼろと泣いている姿は、正直に言ってそこまで可愛くない。
はあっと溜め息をついた次の瞬間、ベアトリスはぞぞぞっと背筋に悪寒が走ってギョッと後ろを振り返った。
「何をしている、ベアトリス」
「お、王太子、殿下………」
ベアトリスの後ろに立っていたのは、この世で最も美しい顔をした金髪藍眼の甘やかな笑みを浮かべた青年だった。
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