第22話

▫︎◇▫︎


「………ちゃんとわかっていたじゃないの、ベアトリス。怒ってわダメよ、私」


 青筋を立てながら必死に言い聞かせているベアトリスの視線の先にあるのは、無惨に切り裂かれた野菜が入った変な色のカレーと焦げてしまっている色がところどころ異なっている白米だった。

 現実世界の林間学校をモチーフに作られているのであろう集団宿泊研修では、カレーとご飯をつくる。けれど、貴族社会を生きるベアトリスたちは料理ができない。

 よって、このような悲惨な事件が起きてしまった。


「ベアトリスさま、なんというか………もうちょっと指示を出すべきじゃなかったんですか?」

「無理よ。というか、無茶を言わないで、マリア。私、料理はからっきしだもの。王太子殿下とキースさまがまともなだけまだマシなものができた気がするわ」


 変なカレーをどうにか盛り付けながら、ベアトリスは項垂れる。

 項垂れるベアトリスの隣には、もっと意気消沈したクラウゼルとキースの姿があった。


「すまない、ベティー。いつも通りすれば何も問題ないと思ったんだが………」

「………俺もだ、すまない。ベアトリス」

「いえ、お気になさらないでください、王太子殿下、キースさま」


 超人的な美的センスによって他人には説明できないが料理はできるクラウゼルと野営仕込みの無骨な料理を組み合わせてしまった1時間前のベアトリスを、ベアトリスは飛び蹴りしたくて仕方がなかった。変なカレーをみてわかる通り、クラウゼルとキースは絶対に起こしていけない化学反応を起こしてしまったのだ。


(本当に、時間を巻き戻したい………)


 ベアトリスは大きな溜め息をついて、特進クラスのメンバー全員で座るテーブルについた。

 ことも発端は約1時間前、飯盒炊飯開始直後だった。ベアトリスの予想通り、特進クラスのメンバーは料理に不慣れな人間が多いことが発覚し、全員がこれならできるかも………?と言う内容の料理に取り組むことになった。


 ベアトリスはサラダのレタス千切り、前世で飯盒炊飯を経験したことのあるマリアはご飯炊き、料理経験が以前の飯盒炊飯のみだというセオドリクとノアは野菜を洗い薪を拾う作業、料理が一応できるクラウゼルとキースはカレー作りをすることになった。

 多分、おそらくまともなものが出来るのではないかというベアトリスの淡い期待はあっという間に裏切られることになって、悲鳴と絶叫のオンパレードな飯盒炊飯は、料理開始直後からやってはいけないことのオンパレードだった。


「セオドリクさま!お野菜を洗剤で洗ってはいけません!!」


 洗濯機のように得意の氷魔法を展開して洗剤たっぷりの氷水で野菜を洗い始めたセオドリクに悲鳴を上げたベアトリスは、次の瞬間には薪を使わずに魔法を展開し始めたノアに絶叫した。


「ノアさま!!火力を魔法で調節しては………!あぁ!!焦げてる!!焦げてます!!」


 無惨に消え去り始めた鍋に膝から崩れ落ちかけながらも、隣で一生懸命にご飯を炊いているマリアに目を見開いた。


「マリア!!………なぜ!なぜ容器の蓋を開けっぱなしで炊いているの!?中に火が通らないでしょう!?」


 ぶくぶくと水分が溢れているご飯の容器に慌てて蓋をかぶせたベアトリスは、手に当たったあまりの熱さに声にならない絶叫を上げた。


「ーーー!!」

「ベティー!?」


 慌てて駆けつけたクラウゼルが、近くにあった水をきっていない洗ったばかりの野菜の入った鍋をひっくり返し、びしゃんこになる。

 手にやけどを負って氷魔法で手を慌てて冷やしているベアトリスは、そんなクラウゼルに溜め息を吐く。


「何をしているの、王太子殿下」

「いや、えっと………、」

「邪魔をするくらいならすっこんどいてくれるかしら、王太子殿下」


 肘を使ってクラウゼルを端に避けると、ベアトリスは落ちた野菜を拾う。


「マリア、回復魔法」

「へ!?」

「………私がやるよりも、あなたがやった方が時短になるわ」


 慌てて魔法を使ったマリアによって、ベアトリスの火傷はあっという間に治った。

 気を取り直して全員に作業に戻るように言うと、ベアトリスはレタスがボロボロになるまでレタス千切に戻る。


「………うわあぁっ!?」

「ノアさま!?」


 今度は魔法ではなく薪を使って火を起こそうとしたノアは、次の瞬間には魔道具に魔力を注ぎ込みすぎて爆発を起こしていた。ひたすらにレタスを千切っていたベアトリスは、突然の悲鳴に驚きながらも、的確なに状況を判断して水魔法を氷魔法をぶっ放した。


(何をどうすれば、こんなことが起こるの!?)


 あまりに悲惨なことが起こりすぎて、ベアトリスは頭痛を禁じ得ない。


「………キースさま、セオドリクさま、今回の飯盒炊飯はあなたたちの活躍に頼り切りです。どうか、どうか失敗なさらないでくださいまし」

「あー、すみません、ベアトリス嬢。早速なのですが、野菜を切っていたら指を切り落としてしまったようで………、」

「はい!?」


 綺麗な断面を描いて切り落とされている指に目眩を感じながらも、ベアトリスは無言でマリアに合図する。


「今、癒します」


 断面を綺麗に合わせたセオドリクの指を、一応この世界の聖女マリアの超絶技巧によって癒す。あっという間にくっついた指を不思議そうに見つめた彼は、すぐに作業に戻っていった。


(………もう、指は切り落とさないでほしいわ………)


 背中に冷や汗をかいてぐったりとしているベアトリスは、次の瞬間、ベアトリスに土下座する勢いで頭を下げたキースに溜め息をついた。


「………今度はなんですか?」

「………さ、」

「さ?」

「砂糖と塩を間違った………」

「はい!?」


 本当にやる人がいたのかと衝撃を受けながらも、ベアトリスはどうすべきか頭を回転させる。自分が作業に加わったとしても足を引っ張る未来しか見えないし、そもそも多分、マシにするどころかもっと悪化させる。


(この場で最も適任なのは………、)

「王太子殿下、そのバランス感覚のみに頼った超絶料理技術を活かすときよ。とりあえず食べてみて、味をどうにかしてみてください!!」

「………無理だと思うぞ?この味は」


 ベアトリスの願いを聞くと同時に、カレーを一口舐めた彼は、眉間に皺を寄せた。微笑みの仮面を最近は脱ぎっぱなしにしている彼だからこそ見られる年相応な反応に、ベアトリスは申し訳なさを感じた。


「頑張るだけ頑張るしかないわ。それとも、私の微妙を通り越して、気絶するカレーが食べたいかしら」

「ふっ、それはそれで面白そうだ」

「………面白がらないでちょうだい。生死がかかっているのよ?」

「………大袈裟な」

「私の料理は、そのくらいに危険だということよ」


 屋根を隔てて見える空は、びっくりするくらいに広い。

 今日は飯盒炊飯の後に、集団宿泊研修の会場をぐるっとみんなで歩き、地図を覚えることになっている。夕飯は料理員さんが作った料理を食べて、夜は肝試しをしてから眠ることになっている。


「ふふふっ、………本当に楽しみだわ」


 真っ青な空の眩しさに目を細めたベアトリスは、横で今日の予定を全部ぶち壊す勢いで失敗をし続けているマリアに青筋を立てるのだった。


 そして、やっとのことで出来上がったカレーというのが、今現在目の前にある、なんだか絶対に食べてはいけない予感のするカレーライスというわけだ。

 ごくりと唾を飲み込んで、ベアトリスは食べる前から恐怖に慄いた。歴戦の戦士と戦場で対峙した時よりも感じてしまう死の予感と、圧倒的恐怖に、失笑を禁じ得ない。

 逃げのためにまずサラダを食べようと思ったが、自分が千切ったサラダは、なぜか食べられるものではなくなっていた。ぼろぼろの葉物にひしゃげたトマト、マヨネーズがべちょっと付いている見た目は、食欲を低下させる。


(我ながらセンスが壊滅的ね)


 昔から勉強や運動には困らないのにも関わらず、なぜか芸術や家事になると点でダメなベアトリスは、自分のダメさ具合に気が滅入ってしまう。何から食べたら口の中が無事でいられるか必死にで頭を回していると、クラウゼルが真っ先にフォークを動かしてサラダを口にした。


「「「「「!?」」」」」


 全員が驚きに目を見開くと、彼は目を瞑ったままベアトリス作の見た目がとても悪いサラダを飲み込む。形の良い喉仏が動く色気たっぷりな姿に、ベアトリスはついつい目線を横にずらした。


「うまい」


 たった一言、ベアトリスはその言葉に目を見開いて、彼の顔をじっと見つめた。


「味覚音痴?」

「おいっ、失礼すぎないか!?」

「ふふふっ、ごめんなさい。ちゃんと分かっているわ、………お世辞だってことぐらい」


 ベアトリスは彼に『ありがとう』と呟いて、サラダを口の中に入れた。マヨネーズと絡められた瑞々しい野菜は、案外見た目にそぐわず美味しかった。

 その後、微妙な味のするカレーを1番最初に口にしたのはキースだった。キースが頷いたのを見てからみんながカレーを食べて、やいやい文句を言い合っていると、お片付けの時間はあっという間にやってきた。あまりに早く楽しい時間が流れて、ベアトリスは少しだけ残念に思ってしまう。


「………バッドエンドまであと36時間」

「? ………バッドエンドってどういうこと?梨瑞っち」


 お皿を洗っていると、マリアがベアトリスに首を傾げた。

 ベアトリスは自分が頭の中で考えていたことを口走ってしまっていたことに衝撃を受けながらも、冷静に彼女に教えることにする。


「………この乙女ゲームに存在するバッドエンドのうちの1つがここっていうことよ。2日目の夜、楽しい楽しいキャンプファイアーのあと、17名もの生徒が毒ガスに侵された上に滅多刺しにされて死亡するバッドエンドかしら。私、あなた、王太子殿下を筆頭に上級クラスのメンバーが死亡するみたいよ」

「………ねえ、私聞いてないんだけど」

「………言ってなかったからね。そもそも、さっきの話を聞かれるまでは言う気すらさらさらなかったわ」

(ーーーだって、あなたは何も考えず、自分の思う道に進む方が可愛らしくて、真っ直ぐなんだもの)


 皿を磨きながら、ノアやセオドリク、キースとじゃれあっているクラウゼルにベアトリスは優しい目線を向ける。そして、自分の決意を固めるようにくちびるを噛み締めた。


「絶対に、誰も死なせない」


 ベアトリスはバトルジャンキーだ。

 けれど、その実ベアトリスが最も得意としているのは守る剣であり、魔法だ。それは一重に、最初は好奇心であったとしても、家族を、大事な人を守るために、強さを追い求め続けたベアトリス故に至った戦う理由だからだろう。


▫︎◇▫︎


 空気を一瞬だけ張り詰めた剣呑なものにさせたベアトリスに、クラウゼルは横目で視線を向けた。


(今日のベティーは、否、………集団宿泊研修が始まる少し前から、ベティーの動きが変だ)


 最近異常なまでに神経質になってちょっとしたことに怒る彼女は、どこか不安を抱えている。重い重しを背中に常に背負い続けている彼女は、何を知っているのだろうか。何を思っているのだろうか。分からないことは頭の中をスパイラルして、結局は自分には何もできないという結論に至る。

 ベアトリスの周囲をうろちょろしているハエのようなお花畑女は、そんなベアトリスを適度に休憩させているのだから、なかなかに引き剥がせない。正直に言って、クラウゼル以外がベアトリスに近づくことは不本意でイライラして仕方がない。本当ならば、集団宿泊研修なんていう危険なものには近づけたくなかった。


 ーーーカアァッ!!


 漆黒の鳥が大きく鳴くのを聞き、クラウゼルは森の中に入る。周囲の気配に警戒しながら結界を張り、鳥から手紙を受け取る。


~~~


 r.wは黒です。お気をつけください。


~~~


 影からの報告書をぎゅっと握りつぶすと、紙からぐしゃっと悲鳴が上がる。クラウゼルは魔道具で報告書を燃やして消すと、元の場所に戻る。


「何をしてんだ?殿下。作業サボんなよっ!!」

「うるさい、キース。ちょっと抜けたぐらいでぐちぐち文句を言うな。お前は小姑か」


 やいやい文句を言う学友に言い返すという学園ならではのことを楽しみながら、クラウゼルは大空に視線を向ける。


(何があろうとも、必ず守り切る)


 次の瞬間泡によってつるつる滑る手で何も考えずに皿を持ったクラウゼルは、皿を落として割ってしまった。もちろんその後には、ベアトリスのきついお説教が待っていた。

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