第31話

 ベアトリスがアルフレッドを演じるようになってからの数日は、目まぐるしい日々だった。アルフレッドの葬儀に、当主になったことに関する他家への挨拶、その他諸々の日々の業務も勿論のしかかってくる。ベアトリスは改めて父の苦労を身に沁みて知ることになった。


 けれど、そんな日々も1週間もすれば落ち着いてきてしまった。


 仕事に忙殺されることによって何も考えなくてもいい楽な日々というのは、存外あっという間に終わってしまうもので、ベアトリスはその度に思考が悪い方向に向かうことに気づいていた。


(だめだめ、シャキッとしなくちゃ。………ちゃんと、しなきゃ)


 新たな仕事を探して、ベアトリスは睡眠時間や休み時間を取れないようにして働く。身体に悪いことは重々承知であるが、どうしてもやめられない。

 カリカリと万年筆で書類を書き上げているベアトリスの耳に、雑音が入る。


「ーーーとーしゅ、ごとーしゅさま!!」


 イラッとしながら振り返ると、そこには安心要素満載のモブ顔が佇んでいた。


「………モブオ」

「やーっと気付いた。トリス、悪いけどそろそろ休憩。トリス以外のみんな潰れちゃってるよ~」


 彼に指摘されて、ベアトリスは周囲を見回す。

 執務室付きの複数の侍従の机には、眠気覚まし用のコーヒーの使用済みカップやエナジードリンクのガラス瓶がこれでもかというほどに積み上げられていた。侍従たちは生きる屍とかして、目の下に真っ黒な隈を作り、げっそりと痩せた頬と無表情で、朦朧とした意識のまま仕事をしていた。


「あ………」


 全ての人がベアトリスと同様に動けるわけではない。ましてや彼らは文官だ。武官としての仕事を手伝えるほどの体力を持っているベアトリスとは違うのだ。


(また、………間違えた………………)

「はーい!みんな今日はかいさーん!!トリスさまは僕がしーっかり休ませとくから、みんなも眠っておいで~」

『ありがとうございます』


 モブオの声に、言葉に、文官たちが安堵を隠し切れぬ礼を言う。

 ベアトリスは自らのくちびるを噛み締めてから深く頭を下げた。


「申し訳ございません。周りが見えていませんでした。数日間のお休みを出します。各々しっかりと羽を伸ばしてきてください」


 文官たちはその言葉に頷いて、覚束ない足取りで去っていく。その背中を見送りながら、ベアトリスは深くため息をついた。


「………すまない、モブオ」

「いいってことよ。つーか、………何生き急いでんの?」


 すっと目を細めた彼の表情に、言葉に、ベアトリスは苦笑する。

 彼はいつも周囲をよく観察している。普段はそのことを上手に隠しているし、あえて人の心に踏み入るなんていう無礼な真似もしない。けれど、今日の彼はいつもと異なっているようだ。スッパリと言う物言いは、多分普通の人ならカチンときて殴りかかっているぐらいに直球ストレートだ。でも、長い付き合いのベアトリスはちゃんと分かっている。ちゃんと知っている。彼が本気でベアトリスのことを心配して、だからこそ逃さんと言わんばかりにはっきりと問い詰めてきていることに。


 でも、ベアトリスはそんな彼の想いに応えられない。

 応えてはいけない。


「………お父さまの死を受け入れないといけないから、かしら」


 嘘は言っていない。

 でも、本当のことも言っていない。


(私はお父さまを殺した責任を負わなければならない。汚れるのは私の手だけでいい。私の1番星のために、国に蔓延る全部の膿を出し切って、最高の王座を捧げる。そうしたら、………私は終れる)


 遠い地を見つめるベアトリスにため息をついたモブオは、ぐっとベアトリスの腕を引っ張った。


「!?」

「………今日、城下で祭りがある。ブラックウェル公爵の死を悼むためにも中止にしようという案があったけど、この祭りは先代公爵が最後に手がけた仕事だから、強行することになった。公爵は、人の喜ぶことをすることが好きな人で、毎年違う催しをしてくださっていたから、それが、周知に事実だったから、民衆はこれでもかってぐらいに楽しむ気でいる」


 ベアトリスは本当に何も知らない。

 父の裏の顔も、表の顔も、本当に思っていたことも、何もかも知らない。これは、知ろうとしなかったベアトリスへの罰だろうか。父が祭りの管理をしていることは知っていた。でも、毎年慣習に則って事務的に処理しているものだと思っていた。


「………お父さまは、毎年違うことをしていたの」

「あぁ。花火をどでかく打ち上げる年もあれば、幻影系の魔法で大きな夜空に生き物を描く年もあった。花びらがたくさん舞い散る年もあったし、食べ物が配られる年もあった。………僕は中でも、トリスの10歳の祝いが含まれていた年に行われた祭りが好きだったな。食事を配って、衣服を配って、花びらに花火、あとは木々への飾りも手掛けてくださった。本当に、綺麗な祭りだった」

「………………」


 ベアトリスはお祭りの日は公務に明け暮れて祭りになんて行ったことがなかった。

 だからこそ、見てみたいと思った。父が残したものを、父がベアトリスのために用意したこともあるというお祭りを。


「行こう、トリス」

「………えぇ。そうね」


 ベアトリスは淡く、困ったように眉を下げて、そっと微笑んだ。


 ベアトリスは父に似せたシャツにジャケットスラックの上から、だぼっとしていてとても大きなローブを被った。顔ごと全てを覆い隠すように身につけて、モブオと共に城下へと降る。


 いつも脱走する時のように変装するのもありだと思った。

 けれど、今日はそのままでいるべきな気がした。

 根拠はない。でも、かんがそう訴えかけてきたのだ。


 城下へと降るにつれて、人々の華やかで嬉しそうな声が聞こえる。城下町全体にはたくさんの7色に輝くシャボン玉がふわりふわりと舞っていて、ここが異空間のような幻想を抱かせる。


「………これがお祭り」


 前世では何度も体験したことのあるお祭り。

 人々はお祭り特有のちょっと洒落たお出かけ着を着て、出店が並んでいる大通りを思い思いに買い食いしながら歩いている。その表情には憂いがある人もいるけれど、ほとんどが嬉しそうな満面の笑みだった。


「お父さまの作った、作り上げたお祭り………」

「………………」


 城下をぐるっと見回したベアトリスは魔法を展開する。音を収集する魔法は身体への負担が大きい。けれど、どうしても人々の心情を知りたかった。何を思って、どういう気持ちでお祭りに参加しているのか知りたかった。

 徐々に音が自分の近くにやってきて、あっという間にベアトリスの耳はありとあらゆる人の声で埋め尽くされる。それが不快にも快感にも感じられて、そんな感情に翻弄されながら、ベアトリスはいつに間にかモブオが買ってきていた焼き鳥を口に入れながら声を仕分けていき、その声を、その言葉を、形にしていった。


《わーい!シャボン玉が飛んでるよぉ!!》

《待って待って~!!》

《わたあめ食べる人この指とーまれ!!》


 楽しげな子供の声に、くすっと笑い声がこぼれた。


《公爵さまのおかげで、今年のお祭りもとっても楽しいわ!》

《そうね、………来年からはどうなるのかしら………………》


 大人たちの困惑と不安の声に胸が痛んだ。


《ーーーそういえば、王太子殿下はどうなるのかしら》

《あぁ、彼、ブラックウェル公爵令嬢………、いいえ、今は公爵さまね。ブラックウェル公爵さまとしか結婚しないって宣言しているのでしょう?》

《えぇ。彼女が公爵家に残るって言ったら彼は………、》

《王家は、………この国はどうなってしまうのかしら………………》



 年若い娘の声に、ベアトリスは頭痛を感じた。

 何が起きているのかよく分からなかった。けれど、それと同時になんとなく悟ってしまった。あの日の口付けは、彼の本気を示していたのだと。


『私、クラウゼル推しなんだぁ!!』


 ひゅっと頭に浮かんだマリアの声に、ベアトリスの胸がぎゅぅっと締め付けられる。

 ずっと蓋をしていた気持ちが溢れ出したような、そんなふわふわした感情に苛まれて、ベアトリスはくちびるを淡く噛み締めた。


「………トリス。僕さ、好きな子できたんだ」


 ぶわっと風が吹き上げて、ベアトリスとモブオの間を駆け抜けた。

 短くなった漆黒の髪が、耳から滑り落ちる。


「そっか………、」

「トリス、………君もそろそろ正直になったほうがいい。絶対に後悔するから」


 真っ直ぐとベアトリスの6色の目を射抜く若葉色の瞳に、ベアトリスは妙な安堵を覚えた。

 ずっと知っていたかのような既視感は、どこからくるものかはもう忘れてしまった。


「まぁ、僕が言えるのはここまでかな。行ってこい。突っ走ってこい。玉砕してもいいから、思いっきりぶちかましてこい」


 拳を前に突き出してきたモブオに苦笑して、ベアトリスは男勝りな悪戯っ子のような笑みを浮かべる。


「言われなくとも」


 くすっと笑ったベアトリスはふわっとローブの裾を靡かせ、祭りの喧騒から遠ざかり、そして夜の闇にとろけていった。


▫︎◇▫︎


 街の喧騒から遠ざかるベアトリスの背中を切なげに見送った男は、ぐっとくちびるを噛み締めてくすんだ金髪を雑な仕草でかきあげる。


「ほんっと、僕ってダサい。今世もヘタレすぎて反吐が出る」


 自嘲したモブオは星と双月が眩く輝く、日本よりもずっと澄んでいて圧倒的に天高い夜空を見上げる。


「君に、『月が綺麗ですね』っていえたらどんな幸せだったか………。でも、僕にはそんな資格なんてない。前世で君をアレだけ傷つけてしまった僕には、本当は君を見ることさえ許されないんだよ」


 若葉の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。


(これで本当に最後だった。………僕と彼女の道は違えた。さようなら、トリス。………さようなら、ーーー梨瑞)


 ひらりとその場から姿を消した男は、人々の笑顔にあふれた街に目を細めて、そしてその光景に背を向ける。全ての輝きを詰め込んだ場所から遠く遠く離れた地に向かう男の行方は、誰も知らない。


 ーーー公爵家の庭師にして忠臣モブオは、ある日を境に、誰の視界にも入らなくなった。

    ある人は駆け落ちしたと騒ぎ、またある人は彼が事件に巻き込まれたのではないかと心配した。

    けれど、若き女当主の命令によって誰も彼の行方を探すことはなかった。

    女当主は涙ぐみながらも、彼が残したのであろう1枚の手紙を手に、最高の友人を手放したのだった………ーーー。


 乙女ゲーム『虹の王子さまを落としたい!!』に転生した少年モブオの未来に、幸多からんことを祈って。

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