第8話
▫︎◇▫︎
公爵令嬢と平民の小娘という身分違いも甚だしい2人の少女が昼休みという短い時間で会話をしているところを、1人の青年が見守っていた。
太陽のように輝く黄金の髪に深い海のような藍色の瞳を持つ青年、クラウゼルだ。
(………ベティーは彼女を俺の当て馬にしようとしているのか)
憂いを帯びた表情は甘く苦い。
『………あなたとは永遠に親友いたい』
昨日彼女はお酒に酔って赤くなった頬で穏やかに微笑んで、クラウゼルに告げた。自分を嫌っていた彼女からすれば、大きな進歩だろう。けれど、クラウゼルが望む位置はそんな生ぬるいものじゃない。
愛し合う夫婦だ。
両親のようにべったべたのデッレデレを目指すとまではいかないが、そこそこ愛し合う関係が欲しい。一方的ではない愛が欲しい。
「イェッサー!!」
妙に元気な平民娘の声が聞こえて、ベアトリスが呆れているのが見えた。
(可愛い………)
婚約者ベアトリスは控えめにいっても愛らしい。
艶やかで癖のある長い馬の尻尾のような黒髪に、王家の象徴たるさまざまな色彩の宝石を砕いて詰め込んだかのような虹色の瞳。顔立ちとプロポーションはきつめながらに抜群で、本人は小動物のような容姿が好みのようだが、クラウゼル自身はキツめのベアトリスの容姿をとても気に入っていた。
ベアトリスに初対面するする時に戻れるのであれば、クラウゼルは幼き自分を引っ叩いて一瞬で虜にできるようにありったけの猫を被れと言いつけるだろう。
そのくらいに、クラウゼルは出会った当初は大嫌いだった彼女に骨抜きにされていた。
ーーーゴーン、ゴーン、
昼休みの終了を告げる鐘の音が響き、ベアトリスのサロンから2人が出て行くのが見える。
(さて、俺のお姫さまをエスコートしに行くか)
木陰から出て、廊下へと戻ったクラウゼルは甘やかな微笑みの仮面を身につけて、早足でベアトリスの跡を追う。
追いついて手を取れば、彼女は反抗的な態度をとって少しだけ眉間に皺を寄せるだろう。
それが少しだけ楽しみで、クラウゼルは早かった歩くスピードをもっと上げてしまうのだった。
▫︎◇▫︎
クラウゼルに無理矢理エスコートをされて特進クラスへと向かい、そこで攻略対象たちからありとあらゆるナンパを受け続けたベアトリスは、帰宅早々家族共有の部屋でぐったりとしていた。
この状況があと3年も続くのかと思うととても頭が痛い。
しかも、特進クラスの教師は隠しキャラのサイコパス野郎であるローガン・ウェーズリー子爵だ。ありとあらゆるバッドヤンデレエンドが存在しているがゆえに彼のルートは、筆舌し難い『最悪』ルートと呼ばれるほどのクズだ。
ベアトリスもこのキャラクターの攻略に失敗したことで何度エゲツないバッドエンドを見せられたことか………。
思い出して早々に気分が悪くなったゆえに、ベアトリスはぶんぶんと頭を振って彼の顔立ちと成り立ちを頭に思い浮かべた。
肩下くらいの癖っ毛なミルクティーブラウンのはいつも後ろで雑に縛ってあり、瞳の色は珍しいグラデーションカラー。緑と青と水色のグラデーションでできている切長の瞳から分かるように、魔法属性は草と水と氷。
魔法属性がヒントになっているが、彼は本来はとても高貴な家の生まれ。
そう、実は非公式の王弟なのだ。つまり、彼はベアトリスの叔父にあたる。
倫理観が諸々全部綺麗さっぱりお空の遠くにぶっ飛んでいる問題教師なのだが、特進クラスの担任を持っていることからわかるように全てにおいて優れた人間らしい。
このルートだけは、今現在のベアトリスにも問題が解決できない。そもそも、解決する気もない。
だって、彼はマリアが23にも及ぶ手順を全て踏まない限り攻略対象にすらならないのだから。
「ローガン・ウィーズリー………」
ぽつりとつぶやいてみても分かるが、彼の名前は伯父である国王アルノルトとも父であるアルフレッドとも全く似ていない。顔立ちは似ているから兄弟であると分かるが、それ以外の共通点は存在していない。
ーーーがっしゃーん、
近くで陶器が割れる大きな音が聞こえて、物が割れたであろう方向を向いたベアトリスは不思議そうな顔をした。視線の先では、驚きと困惑、そして恐怖に彩られた顔をした父親アルフレッドが狼狽えていたのだ。
「? ………どうかしたの?お父さま」
「な、何故、その名前を知っている………。リズ!どこでその名を聞いた!?」
がしっと肩を掴まれて、痛みに表情が歪む。
普段は冷たい容姿ながらに温厚なアルフレッドからは考えられない狼狽ぶりだ。
「………教師の名前よ。それからお父さま、痛いわ。手を離して」
「っ、す、すまない」
「………………」
ローガン・ウィーズリーに関するベアトリスの持っている情報は少ない。ルートを全てクリアしたとしても全て明かされることのない彼の過去は、おそらくだが楠木梨瑞の死後発売された2~5に収録されていたのだろう。
「お父さま、ローガン・ウィーズリーがいかがしたの?」
異母兄であるアルフレッドならば情報を持っているかもしれないと期待しながら、ベアトリスはじっと彼の顔を見つめる。無邪気に見えるように気を使って作り上げた表情は、彼には不審に映っているかもしれない。
「なんでもない。………忘れなさい」
(………お父さまがここまで拒絶することは珍しいわ。これは探れそうにないわね)
メイドによって片付けられていく床と陶器を見つめながら、ベアトリスは自室へと向かうのだった。
『虹の王子さまを落としたい!!』の情報を日本語で書き記している本のローガン・ウィーズリーの欄に、ベアトリスは“ベアトリスの父アルフレッドに恐れられている可能性あり”と日本語で書き足した。
「………何もかもがわからない。この本はどこまでが正しいのかしら。どこまでがこの本の通りに進んでいくのかしら」
(私が変革した部分はどこまで影響を及ぼすのかしら)
全てが恐怖に染まっていく。
漆黒の皮表紙の本は、誰に見られてもいいように全て日本語で書き記している。けれど、誰かが読み解いてしまうかもしれない。誰かが本の内容を攻略対象たちに伝えてしまうかもしれない。
『虹の王子さまを落としたい!!』に振り回されて生きているにはマリアだけではない。ベアトリスもそうだ。
ーーーパァン!
落ちていく気分を持ち直すために、ベアトリスは自分の頬を強く張った。
「さあ、お夕飯を食べてマリアのところに行かなくちゃ!今くよくよ悩んでも仕方がないわ!!」
(私はモブオと結婚するために、マリアは王太子殿下と結婚するために最善を尽くさなくちゃ)
未だに顔色の悪いアルフレッドとそんな彼を不安そうに見つめている母親ベルティアとともに夕食を摂ってから、ベアトリスは『どこ○もドア』を使って学園にあるマリアの寮室へと向かう。
「ど、どこ○もドア!?」
「ご機嫌よう、マリア。徹夜でお勉強を詰め込む準備はできたかしら?」
「え、て、徹夜!?勉強!?私、何も聞いてないんだけど!?」
驚きしか感想を抱けなくなっているマリアは、正直に言って見ていてとても面白い。
「さあ、お勉強を開始いたしましょう」
どさっと机の上に置いたのはベアトリス執筆の3冊の本。
中身はベアトリスがそれぞれの教科においてテストに出題される確率が高いと踏んだものだ。
「ひょえっ、………ま、まさかこれを一夜で丸暗記しろって鬼なことは………、」
「言うわよ?何か悪い?というか、このくらいなら4時間あったら丸暗記して応用に持っていけるわ。さっさと読み込みなさい。終わったら仮テストよ。
あぁ、あとその本読み込む間は常に癒し魔法のダイヤモンドダストをあなたを中心に直径1メートルの円形で出し続けること。分かったかしら」
ベアトリスの凄みのある笑みで言われた彼女は半泣きで頷いたあと、急いで魔法を展開して本を開いた。
ーーーぴりっ、
「びゃっ!?」
「あ、言っておくけれど、私はあなたが魔法を展開している直径1メートルの円形部分以外のこの部屋全てに全ての属性の魔法のダイヤモンドダストを発生させているわ。だから、あなたがちょっとでも集中力を乱して魔法の範囲をずらすと、私の展開している魔法のうちのどれか1つがあなたに炸裂するわ。さっきは雷だったから静電気で済んだみたいだけれど、炎だったら丸焦げになるわよ?
うふふっ、精々読了終了の制限時間である5時間後までに大怪我をしないように頑張りなさいな。あ、自分に癒し魔法を使用するのはもちろんオッケーだから、治しながらでもいいわよ。
それじゃあ、頑張ってね?」
「は?うそっ、制限時間なんて聞いてない!?」
ーーーひゅぉぉぉー、
「びゃっ!つめたっ!!今度は氷!?」
ーーーびゅぅぅぅー、
「うぎゃっ、あれ?乾いた?風?あははっ、よかっ、」
ーーーばっしゃーん、
「………今度は水だね。びっちゃんこだ」
(………ものの3秒で3回も食らうなんてマリアはやる気があるのかしら?
まあ、大怪我に繋がらないように常に魔法は制御しているし、特に問題はないかしら)
スパルタベアトリスはマリアを構うのもそこそこに、帝王学の本と君主論の本を読み直し始める。
明日は学園で昼までクラス編成決定編の試験を受けたのちに、王宮でクラウゼルと共に王太子・王太子妃に関するテストを受けなければならないのだ。内容は今まさに復習をしている帝王学と君主論からの抜粋問題であり、どこかのページの一節ずつを抜き取って穴抜きで答えなくてはならないらしい。
負けず嫌いベアトリスは、クラウゼルに負かされることがないように明日の試験勉強ではなく王太子妃のテスト勉強に精を出す。
(まあ、正直に言って仕舞えば、どちらのテストも必要箇所の本は全て暗唱できるようになっているから復習の必要もないのだけどね)
2冊の本を無事に読み終わってパタンと閉じると、こくんこくんと船を漕ぎながら本を読み込んでいるボロボロなマリアに呆れた視線を寄越した。
ベアトリスの手元にあるクラウゼルから去年の誕生日にもらった黄金でできた懐中時計は、勉強前に確認した時間から3時間進んでいる。
(3時間で180回近くの制御不足って………、本気でやる気があるのか疑いたくなるわね。それに、今にも寝そうだし………)
ーーーぼうっ、
「うぎゃああぁぁぁ!!髪が燃えた!?」
「………………」
(アレがヒロインとか、世も末ね)
燃え上がった焦茶色の髪をパタパタと叩いて消火した彼女は、半泣きでまた本を読み始める。まだ1冊も読み終わっていない状況で制限時間を半分以上使い果たしてしまっている彼女は、おそらく時間内に本を読み終わることができないだろう。
(まあ、読み終わらないことは分かりきっていたことだから良しとして………、この魔力制御の無さは流石にやばいわね。特進クラスどころか、初級クラスに突っ込まれて魔力制御の訓練から受けることになりそうだわ。そもそも、魔力量も少なすぎる)
「………ダイヤモンドダストの範囲を直径1,5メートルに変更。残り2時間は10分私の魔法を喰らわなかった毎に1つ公爵家のシェフ特製の高級菓子を進呈するわ。最高で12個手に入ることになるわね。さあ、頑張りなさいな」
「お、おやつ………!!」
目が爛々と輝いた彼女は、ぐっと魔法を使用する範囲を広めると、一心不乱に魔力制御を始めた。もちろん、読書の手は止まってしまっている。
「あぁ、あと、読み終わらなかった本の冊数の2倍菓子はマイナスされることになるから、精々頑張ってあと3冊読み終わらしなさいね」
「ひょえっ、」
しっかりと釘を刺してから、ベアトリスは自分が持ってきた試験対策本を1冊手に取って読み始める。明日の試験ももちろん手抜きは許されない。勝負する相手はなんと言っても幼き頃は神童と呼ばれ、今は“完璧王子”と恐れ慕われる王太子クラウゼルだ。秀才であるベアトリスには、努力する以外に彼に勝てる道などない。
(天才ってこれだから嫌いなのよね。
マリア、私が菓子の条件を出してから30分、1度もミスをしていないわ。私なんかと違って、彼女は1発でなんでもできるようになる。確かに、主人公補正と彼女が取っていたとしてもおかしくないわね。
………天才って、やっぱり嫌い。そして、その才能を手放しで褒めてあげられない私も、嫌い)
黙々と作業をする2人の間には、小さな溝のようなものができていた。
けれど、2時間後には馬鹿みたいに色々なことで一喜一憂するマリアのことを見て、ベアトリスが心を開いたことにより、その溝はすぐになくなってしまうのだった。
(あれだけテストに出る内容しか書いていない本を読んで、仮テストの結果が50点か………、)
「あ、アヒルじゃなくなった!!こんなにいい点数のテスト初めて!!」
仮試験直後、ぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶマリアを横でずーんと沈み込んでいるベアトリスは、彼女のテスト容姿をぐしゃっと丸めてへなへなと椅子に座り込んだ。
平民用の寮室に置いてある使い古された椅子がぎいっと悲鳴をあげる。
「ず、頭痛と眩暈が………、」
ベアトリスの見立てでは、魔力制御はこの5時間で人並み以上にできるようになった。
けれど、それ以外は全くもってどうにもなっていない。魔力量はそこそこ多いが、ゲームのマリアやベアトリスのように突き抜けているわけではないし、運動能力については時間がなくて練習すらできていない。勉強については2点から50点に跳ね上がったとしても、特進クラスに入るには全くもって足りていない。
(やばいわね。これは学園を買収して成績を………、いいえ、成績を買収できるのは入試まで。それ以降の試験での成績の買収は不可能に近いわ。できたとしてもリスクが高すぎる。できることと言ったら、教師を買収しての魔力計測装置の石の交換と試験解答の事前入手。1番のネックである身体能力については教師を買収するにしても公開試験だからどうにもできないし………、)
「ーーーあちゃん、ベアちゃん!!ねえ、明日おやついくつくれるの!?」
(………人が真剣に悩んでいる時におやつでご機嫌マックスになっているなんて、本当に空気が読めない子)
にこにこと笑って期待に満ち溢れた瞳をこちらに向けてくるマリアは、本当に愛らしい。確かにこれならば攻略対象に好かれるのもわかる気がする。
小柄でうさぎのような元気な性格に、ふわっとした焦茶の髪、星が飛び散る薄桃の瞳。庇護欲をそそるという表現が最も似合う彼女は、何もかもがベアトリスとは正反対だ。
「明日の菓子は6個よ。12個中4個はあなたが魔力操作に失敗、2個は本が読みきれなかった罰則だから、まあ、頑張った方じゃないかしら」
「本当!?やったぁ!!ベアちゃんに褒められたー!!」
(6個って言われた時には死にそうな顔をして、頑張ったと言われたら心の底から幸せだって表情をするなんて、本当に一喜一憂しすぎよ)
少し息を吐いてから、ベアトリスはマリアが仮試験を受けていた間に制作した紙を彼女に手渡した。紙には腕立て伏せ10回、背筋10回、腹筋10回、スクワット10回、柔軟5分と記されていて下には日付と表が記されている。
受け取った彼女は首を傾げてベアトリスの次の言葉を待っていた。
「毎日10分でできるフィットネスメニューよ。体力・筋力増強のために、毎日こなしなさい。メニューは少しずつハードにしていくから、サボったら後々辛くなるわよ。あと、1週間で息が上がらずに全メニューをできるようになったら、好きなケーキのホールを1つ用意するわ。もちろん、和菓子や焼き菓子を注文してきても構わないわ」
「マジで!?」
ぺかーっと紙を宙に掲げながら、マリアはくるくると踊り始めた。ステップがはちゃめちゃで、見るに堪えない。
ーーーどかんっ、
はちゃめちゃなステップを踏んでいたマリアは、案の定床に敷かれていたカーペットの端に足を引っ掛けて顔面からすっ転んだ。鼻の頭が少しだけ赤くなってしまっている。
「………マジよ。だから、クラウゼルをギャフンと言わせられるようになるように頑張ってちょうだい」
ベアトリスは『あなた、本当に床キッスが好きね』という言葉を飲み込んで激励をすると、魔法を使って自室へと帰るのだった。
「さあて、今度は私自身のお勉強を頑張る時間かしら」
今の時間は12時。
タイムリミットは1時間だ。
「明日でそうなところをまとめた本は読んだから、1時間で出来得る限りの教本を読み込んでおこうかな」
壁際にある身長よりも圧倒的に高い本棚から10冊の分厚い本を取り出すと、ベアトリスは1時間後にタイマーがなるように自作の魔道具を設定して読書を始める。
明日のテスト範囲に含まれる本の中でも最高難易度の本を黙々と読み始めたベアトリスは、1時間後にタイマーが鳴っても初めは気が付かなかったくらいに集中してテスト勉強に取り組んだのだった。
(………前世でここまで真面目に勉強したことってあったかしら)
厨房の魔道具に向けて明日学園に行くまでに6個菓子を用意してくれとメッセージを入れてベッドに入ったベアトリスは1時30分、疲れもあってかあっという間に夢の世界に
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