第6話
「リズ、どうしたんだ?目が赤い」
「っ、なんでもないわ、お父さま。お母さまも、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
出迎えてくれた両親に心配の表情で見つめられたベアトリスは、困ったように肩をすくめた。帰りの馬の上で何故か泣いてしまったことがバレて恥ずかしくて、頬が赤く染まる。
母親ベルティアがあわあわと慌てて、くまのぬいぐるみやうさぎのぬいぐるみを持ってくるのもまた可愛らしい。だが、ベアトリスはいつもならば絶対にツッコむことにもツッコむ気になれなかった。
「ごめんなさい、お父さま、お母さま。今は少しだけ、自由にさせてもらってもいい?私、ちょっとだけ疲れちゃったみたい」
にこっと笑って、自室へと鞄を手に駆け上がる。
両親の『待ちなさい』と言う声が聞こえるが、もちろんお構いなしだ。ベアトリスは荷物をベッドの真ん中に放り投げると、風魔法を身に纏ってお庭へと飛び降りる。3階から躊躇いなく飛び降りたベアトリスに、数人の使用人が驚いて目を見開いていた。口が開きっぱなしになっている人もいて、思わずクスッと笑ってしまう。
ーーーとんっ、
受け身をとって服をささっと整えると、モブオの元へと歩いていく。この時間ならば、物置小屋に庭道具を片付けに行っている時間だろう。
「モーブオ!」
「ベアトリスお嬢さま!?今日は学園じゃなかったのかい!?」
「ん~、もう終わったよ~」
小さい頃からのアッタクの末に
ベアトリスは彼に名前を呼んでもらえるという幸せを噛み締めながら、にいっと笑って拳を前に突き出した。
「ねっ、今日暇?飲みに行こうよ!!」
「おっ、アリかも。奢ってよ」
ちょっと癖のある錆びた金色の髪に優しげな若葉色の瞳。ザ・モブといった風貌の彼は、見た目に似合わず少しチャラめの性格をしていて、ベアトリスの遊び仲間になっていた。
「え~やだよ。割り勘、もしくは先に酔っ払った方が払うでどう?」
「それ絶対僕が負けるやつじゃんっ、」
「あはははっ!!」
気軽な感じが心地よくて、ベアトリスは心の底からの感情をさらけ出せる。
「じゃあ、いつものところ集合で。私、着替えてくるから」
「りょーかい」
彼に敬礼の真似事をして、ベアトリスは再び部屋へと戻っていく。ベアトリスの魔法での奇行は半分日常と化しているため、魔法で飛んで部屋に戻っても使用人が腰を抜かしたりすることはない。
ただ、飛び降りは心臓に悪いらしい。たまにベアトリスの元に執事からの苦情が入ることがあった。
部屋に入ると髪を縛っていたクラウゼルにもらった漆黒のリボンをばさっと解いて、ぎゅっと三つ編みに編み込んで焦茶色の帽子を髪を全て隠しきるように被る。服もマーメイドラインの改造制服から着替えて胸をサラシで押し潰してからラフなシャツと焦茶色の7部丈ズボンに履き替えてサスペンダーを身につけ、ハイヒールから革靴に履き替えた。少しだけ使い込まれたように見えるような服は、ベアトリスが町の古着屋で手に入れた物だ。
コットンとメイク落としを使って化粧を全て落としてしまえば、鏡の前には1人の美少年が誕生する。
父親似の彫りの深い顔立ちは、女のような格好に髪型をしなければ男のようになってしまう。
(好都合ね)
今からすることを考えれば、徳があって損がない。
ベアトリスはにいっと口の端を上げた。
腰に護身用のそこそこ良質で質素な剣を帯し、瞳に特殊な魔法をかける。
瞳が焦茶色になっているのを確認したら、準備完了だ。
「じゃあ、お父さま、お母さま、行ってきます」
お部屋でぼそっとつぶやいて、ベアトリス特性の某国民的アニメの秘密道具『どこ○もドア』を魔法で作り出して発動する。ちなみに、この魔法も父親アルフレッドにお蔵入りを命じられた魔法の1つだ。
もちろん、見ての通り守っていないわけだが。
ーーーがちゃっ、
ドアノブを引いて見えるピンク色の扉の先は、街の裏路地だ。
いつもと変わらぬ場所に転移できたことに安堵のため息を落としてから、近くの捨てられた箱の上に座る。数分間瞳を閉じて待っていると、足音が聞こえてきて、庭仕事でついた泥を洗い落としたモブオがやってきた。
「相っ変わらず不思議な速度だな。おい」
「でしょ?ド○えもん先生の秘密道具ってすごいんだよ?」
「前から思ってたけど、ド○えもん先生って誰だよ」
「2頭身の青い猫型ロボットだよ?」
丸い頭に頭と同じサイズの身体をした青い猫型ロボットの某国民的キャラクターを思い出したベアトリスは、もう見ることのできないアニメを思い出して、少しだけ感傷に浸りかけるが、次の瞬間には全部が吹き飛んだ。
「いやっ、色々わからんしっ!!」
(だよね。まあ、モブオと一緒にいて気が楽なのは、こう言うサバサバした性格ゆえかな)
苦笑しながらも、ベアトリスは前世のことを思い出した。
甘くて苦い、けれど、何よりも甘美で大切な前世のことを。
ベアトリスの前世楠木梨瑞も今世同様とても幸せだった。
呆れながらもオタ活への理解のあった母親に、同じくオタクだった父親。
目元は母親でそれ以外は父親似だった容姿は、芸能人顔負けとまではいかないが読モに誘われるくらいに綺麗でそこそこ自慢だった。仲良し家族と近所周辺では有名で、週末や祝日には必ず家族で過ごしたものだ。
勉強はかなりできた方で有名高校に特進クラスで入学できたし、運動は色々な部から勧誘が来るくらいには得意だった。
ゲーオタ故に友達はほとんどいなかったが、幼馴染のみーちゃんとは、いつも一緒にゲームをしていた。いわゆるオタ友だったのは否定できないが、価値観が同じ人とつるむというのは悪いことではないと梨瑞は考えていたし、結構幸せな時間だった。
だからこそ、稀に前世を思い出しては寂しくなる。
今世同様にひとりっ子だった故に、両親はさぞ梨瑞の死を悲しんだことだろう。
でも、悲しんだってもう戻れない。
だからこそ、
ふっと星が出てき始めた空を見上げれば、2つの月が並んで見える。
真っ赤な三日月と真っ青な満月。
今世と前世が全く違う異世界であるとありありと思い知らさられるこの美しい空が、ベアトリスは大嫌いだった。
(あぁー、父さんと母さんと一緒に、ド○クエ全クリしたかったな………)
何気ない願い、けれどもう叶わない願いは、ベアトリスの心の中で何度も響いていた。
「さあ、モブオ。今日はじゃんじゃん飲もう!!」
今世ではお酒の制限年齢なんて存在していない。
だからこそ、16歳ベアトリスはお酒をたくさん飲んで嫌なことを、嫌な気持ちを、全部全部忘れることにした。
「おえぇー、」
10杯目の麦酒を煽り始めたベアトリスの横で、モブオが2杯目の麦酒を片手に酔いつぶれてしまっている。
店に入ってはや2時間。頼んだ品物数は10数個に上るほどに飲んだくれたベアトリスは、けれど全く酔っていなかった。
(………ここばっかりは、お父さま似の体質を恨むしかないわね)
どんなに飲んでも酔えないザル体質をアルフレッドから受け継いでいたベアトリスは、酒でも飲んで色々と忘れようと思ったのだが、まったくもって酔えなかった。それどころか、隣で酔い潰れているモブオを介抱しなくてはいけない始末だ。
「モブオ。大丈夫?」
「うぇー、き、きもちわるい………、トリスはあいかわらず、よってないね」
「当たり前だろう?僕、ザルだもん」
ごくっともう1杯飲み切って、飲み屋の大将に新たな麦酒を注文する。
すると、隣の席に座っていた金持ちらしき商人が近寄ってきた。さっきから色々な人が代わる代わるやってきては、ベアトリスにお酒やおつまみを奢ってくれているのだ。
「えぇい!野郎!!次は俺が奢ってやんよ!!その飲みっぷり、見ていてこっちが清々しいわ!!」
「わあぁ!ありがとうございます!!僕、飲んでも飲んでも酔えないんですけど、お酒好きなんで酒代があまりなくて………、」
「なるほどな………、女房ができたら怒られねぇようにしねぇーとな!!」
「ご助言、ありがとうございます!!」
ハキハキと喋りながら次の1杯をごくごくと飲んで枝豆を口の中に放り込むと、口の中が幸せになった。
「おえぇー、そろそろ帰ろうぜ?僕もう限界………、」
それからもう10杯近く麦酒を飲んだベアトリスにモブオがストップをかけたのは、10時過ぎくらいの時間だった。
「もうこんな時間か………、」
「そうそう。4時間も飲めばお前も十分発散できただろう?」
「………そうだな」
肩をすくめて彼の肩を担ぐと、ベアトリスは店の出入り口へと向かう。オーダーの際にそのままお金を払う形式のお店は、お店を出る時にお金を払わなくて済むのでとても便利だ。
「また来いよなっ!!」
「今度は飲み比べしようぜっ!!」
「奢ってやるから、今度は別嬪さんでも連れてきなっ!!」
仲良くなったお客さんからの声に悪戯っ子のような笑みでぺこっと頭を下げると、ベアトリスはもう真っ直ぐ立てなくなってしまっているモブオを支えて帰路に着く。
裏路地に入って『ど○でもドア』でモブオを家に玄関前に放り投げれば、介抱は終了。ベアトリスの帰宅の時間だ。けれど、ベアトリスは帰りたい気分になれなかった。
卓越した身体能力を使って誰の所有物かもわからない建物の屋上へと登る。
大嫌いな双月が、少しだけ近づいた気がする。
はあぁーっと息を吐き出せば、春になったばかりの肌寒い空気は白く染まる。ベアトリスはただ淡々と夜空を見上げていた。
けれど、ふっと人の気配を感じて剣の柄に手をかけた。
ーーーシャンっ、
鈴の音がなるように滑らかに剣を走らせれば、目の前にはローブを被った男が現れる。
相手の剣との鍔競り合いに入り分が悪いと感じたベアトリスは、バックステップを踏み男から距離を取る。
「何者だ」
命じるような淡々とした問いかけ。
その声に、ベアトリスはとても嫌~な聞き覚えがあった。
「………えっと、」
ちらっと辺りを見回してみれば、周囲には王家の影が佇んでいる。
ここは地声に戻すべきだと判断したベアトリスは、低く出していた声をいつもの高さに戻して彼に問いかける。
「………ここは、王家の隠し通路なのですか、
「!?」
剣を構えたままの彼は、呆然とした表情をしている。
久方ぶりの周囲に人がいる場で崩れた彼の表情に、少し頬が緩んだ。
ちなみにだが、周囲にいる王家の影の警戒心はマックスにまで上がってしまっている。あちら側はベアトリスの正体に気がついていないらしい。
(この姿もこの遊びも、そろそろ納め時だったから丁度よかったわね)
ふわっと帽子を脱ぎ、三つ編みを解いた。癖っ毛な髪が吹き上げた風に靡いて一瞬視界を隠す。その隙に瞳の色を元に戻せば、美少年ベアトリスは美少女ベアトリスに早戻りする。
『!?』
王家の影たちの驚愕の気配にちょっとだけ嬉しくなりながらも、ベアトリスは表情に出さずにクラウゼルへと礼をした。
「このような姿でのご挨拶をお許しください」
「構わない。顔を上げろ」
「ありがとう存じます」
何をしているんだと言わんばかりのクラウゼルの表情は、いつもに比べてとても豊かだ。人がいる場では甘い表情しかしない彼よりもずっとずっと好感が持てる姿に、ベアトリスはいつもよりも柔らかな表情を向ける。
ここは公の場ではない故に、そこそこ自由が効く。
「何をしているんだ?」
問いかけも、幼き頃のように少しだけぶっきらぼうだ。
「じゃあ、手合わせでも願おうかな」
(ただ答えるだけじゃつまんないでしょう?)
だからこそ、ベアトリスは口の端を片側だけ上げて幼き頃のように自分の要求だけを彼に叩きつける。
「少し遊んだら帰る。先に帰っておけ」
クラウゼルの命令に、影たちが困ったような気配を流した。
「私が彼を責任をもって送るわ。下がりなさい」
「………承知いたしました、ブラックウェル公爵令嬢」
代表格であろう影の男がベアトリスの言葉に頭を下げ、部下もろとも撤収した。そんな様子を見つめながら、ベアトリスはそっとため息をつく。
そして、剣を振り翳しながら彼の間合いへと突入した。
「まさかあなたが1番に私の夜遊びを見つけるとは思わなかったわッ」
ーーーガキンっ、
ベアトリスの剣がぎしぎしと悲鳴をあげる。
剣の性能差が多いに反映されている状況がとても不服ながらも、今度は彼が仕掛けてきた剣を受け止めた。
「………これが1度目じゃないんだな」
「えぇ!何か悪い!?」
自分だけが必死な状況に、イライラと悲しみが募っていく。
いつからか、どうやっても彼を叩きのめすことができなくなっていた。
「お酒に頼って何が悪いの!?嫌なことを全部全部忘れたいって思っちゃダメなの!?ねえ、教えてよッ!!」
ーーーカキーンっ、
彼の剣が宙に飛んだ。
そして、目の前には男の胸板があった。
「へ?」
「………お前は強いままでないとダメだ」
何を言っているのか分からなかった。
でも、大嫌いなイケメンの彼の胸に抱きしめられるのは心地が良くて、ベアトリスはつい瞳を閉じた。そして、そこで気がついた。
自分の瞳に涙が溜まっていたことに。
「………泣かせてやるのは今だけだ。お前は最強でなくてはならない。俺よりもずっと強くて、ずっと前を走っていないとダメだ。ずっとずっと俺の目標じゃないとダメだ。ダメなんだ」
「………っ、」
(どうして、どうして私だけこんな目に遭うの………!?父さんとゲームしたい!!母さんとお買い物に行きたい!!会いたいよっ!!どうして!どうして私だけ会えないの!?)
心の中で不満をぶちまけながら、ベアトリスは暫し嫌いなイケメンであるクラウゼルの腕の中で泣いてしまうのだった。
どうしてと問いかけても、答えはわからない。
どんなことでも答えというものは存在している。数学も国語も理科も社会も英語も、その他のことにだって答えというものは存在している。
けれど、楠木梨瑞がベアトリスに転生した理由なんていうものは、どれだけ数式に当て嵌めても、物事を読み込もうとも、科学的に実証しようとしても、歴史的に見直したとしても、語学を変更して考えたとしても、何をしたとしても分からない。
16年。
そう、ベアトリスは16年という決して短くない年月をかけて異世界転生というものについて考えていた。
だからこそ断言する。
楠木梨瑞は選ばれたのだ。
何千何万の死者の中から神によって悪戯に選ばれ、そして理不尽に転生させられた。
望んでもいない転生をさせられた。
(私の死も、神の悪戯なのかもしれない)
理不尽な死に方を思い出してぞっと背筋に悪寒が走る。
30分必死になって考えているうちに泣き止んだベアトリスは、恥ずかしくなりながらもクラウゼルの腕から離れた。
「さあ、帰るわよ、王太子殿下。これ以上の時間は国王陛下ご夫妻にご心配をおかけしてしまうもの」
「………そうだな」
ベアトリスはクラウゼルにどう帰るのかと視線で問いかける。
「はあー、帰ると言っておいて、君は帰り方も分からなかったのだな」
少し意地悪な表情をした彼は、先導するように建物の中に入っていく。ベアトリスは周囲を見回しながら存外綺麗に整えられた建物に感嘆のため息をこぼしてしまう。
「本当によくできた建物ね」
「5代前の国王が建てたものらしい」
「魔法技術の高さが窺えるわ」
全てにおいて完璧と言わざるを得ない建物の設定、かけられた魔法の高度さにベアトリスは舌を巻く。さすがのベアトリスにも、絶対に再現できない技術の高さだ。
「………なあ、今日はあの女を見てから本当に変だぞ?」
「そう?普通だと思うけれど」
「変だ」
断言されてしまっては否定できない。
(変、か………。そうだね。変かもしれない。あなたのことを考えると胸がぎゅーってなったり、妙に泣きたい気分になったり、前世のことをものすごく思い出したり、………ものすごく変だ)
「………酒、何杯飲んだんだ?ザルのお前が酔ってんだ。普通の量じゃないだろう?」
「酔ってなんかないわよ。そうね………、20杯くらい麦酒を煽ったと思うわ」
思い返せばものすごく多い量を飲んだ気がする。今までに経験したことのない量だ。それだけ、心が荒んでいたということでもある。
「飲み過ぎだ、バカ」
「馬鹿とは何よ。馬鹿とは!!」
「馬鹿は馬鹿だよ。バーカ」
久方ぶりの幼稚な語彙力の少ない口喧嘩に、少しテンションが上がる。確か最後にしたのは12歳くらいの頃だったと思う。その頃から、クラウゼルのベアトリスと2人きりの時以外の表情が甘いマスクの鉄仮面になった。
「ふふふっ、何よ。それ以外語彙がないわけ?育ちのいい王子さまは罵倒の言葉すら知らないのね」
「はあ?箱入りの公爵令嬢がそれを言うのか?」
「ぶはっ、私を箱入りって言うのは王太子殿下ぐらいのものよっ、」
永遠に思えるくらい長い時間爆笑しながら、建物に設置されていた秘密の通路に入る。
(あぁ、やっぱり………、)
「………あなたとは永遠に親友でいたい」
ベアトリスはお酒に酔った楽しげな表情でちらっとクラウゼルを見上げるのだった。
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