第4話

▫︎◇▫︎


 8年後、ベアトリスはゲームとは違って実力で王立魔法学園への入学を果たし、学園へと向かう馬車に揺られていた。隣には麗しの王太子殿下が座っていらっしゃる。


 ここ8年、つまり入学までの間、ベアトリスは散々王太子に嫌われる行動をとってきた。

 例えば服装、


『王太子殿下、あなたはどんな女が好き?』

『………短い髪に簡素な服を好む女』

『そう、ありがとう』


 ここ数年、ベアトリスは自分が大嫌いであるけれど、彼の好みとは正反対の長髪にし、その髪を縦ロールに巻き上げてポニーテールにしたり、服も動きやすさを最優先にスリット入りのマーメイドラインすれどもゴージャスに見えるように宝石やレースの飾りをいっぱいにしてみたりした。なんというか、乙女ゲームの際のベアトリスとは全く違うけれど、それでも悪役令嬢らしくなった。

 他にも、魔法や勉学、魔道具作りでは、


『こんなこともできないのね、無能。そんなことでは、誰も王太子だと認めてくれないわよ。私なしでも王太子と認められないといけないのでしょう?さっさと私よりも賢くなりなさい、のろま』


 と言って罵倒してみたり、他にも、クラウゼルが『監禁』ルートに進む原因たる家族関係の改善に努めてみたりした。

 なんでも、クラウディアは虹の瞳に生んであげられなかったことを申し訳なく思って上手に付き合えず、アルノルトは子供との関わり方が全くわからなかったようだ。

 家族仲が改善した暁には、ベアトリスは国王夫妻にたくさんの感謝をされた。


(ここまでお膳立てしたんだもの。今では王太子殿下の瞳に関して触れ回る人間はいないし、彼は乙女ゲームの時よりも完璧だと名高い。婚約破棄には持っていけなかったけれど、真実の愛を前にすれば、彼の態度も変わるはず!!)


 ここ数年、妙に構ってくる王太子クラウゼルがヒロインとイチャイチャする場面を思い浮かべたベアトリスは、痛む胸を抑えて首を傾げた。


(変なの。不整脈かしら?)


 ベアトリスは窓の外を眺め、モブオへの思いを馳せた。ベアトリスが適当に名づけてしまったブラックウェル家の庭師の少年は、実は平均以上の魔力の持ち主で王立魔法学園への入学権を得られるレベルの実力者だったらしく、本名もモブオだった。『なんという運命!!』とベアトリスがうっとりしたのは言わずもがなだが、ベアトリスは彼を婚約破棄された暁には婚約者にしようと密かに考えていた。


「ベティー、何を考えている」


 冷酷な声音で呼ばれ、ベアトリスはふいっと横を向いた。


「何も、ただ、あなたが変わったなと思っただけよ。あと、前から言っているけれど、『ベティー』って何?馬鹿にしてるの?」

「馬鹿になどしていないさ。ただ、愛らしいお前の愛称にはぴったりだと思ってな」

「そう、私は『テディーベア』みたいで嫌だからやめてちょうだい」


 冷たい声音でピシャリと言ったベアトリスに、クラウゼルは甘い顔を無表情にしたままくいっとベアトリスの顎を上げさせた。ベアトリスはここ数年で毎度ギリギリでしかどの教科も勝てなくなってきた王太子に、思いっきり苦々しい表情を向ける。


「俺に命令する権利が、お前にはあるのか?」

「ないわね。婚約者の王太子殿下」


 わざと刺々しい口調で話すベアトリスに、クラウゼルは思いっきり顔を顰めた。最近は顔立ちは王妃なのにも関わらず、国王に似てきている王太子に、ベアトリスは辟易としている。冷酷無慈悲というのが本性ならば、周りの人にもそう振る舞えばいいのにとしか思えないのだ。


(何がきらきら完璧王子よ。ただのブラックすぎる腹黒王子じゃない。私には、コレの良さが全くもってわからないわ)


 悪態を心の中で吐きまくったベアトリスは、窓の外を見ながら疲れを癒していく。この公の場や両親の前では仲良くしてくる馬鹿王子のせいで、ベアトリスとクラウゼルはとても仲がいい婚約者同士という設定になっているのだ。


(都合がいい女を隣に侍らせればいいものを、なんで私なんかを………)


 面倒臭い役を押し付けられているベアトリスは、心の中で大きく舌打ちをした。瞬間、クラウゼルがベアトリスの方を真剣な顔つきで見つめてくる。


「クラウゼルと呼べと言っているだろう?」

「………呼ぶわけないでしょう。“運命のお相手”に会ったら読んでもらいなさい。お馬鹿さん」

「………………俺の“運命”はお前なんだがな」


 最後の呟きはベアトリスに聞かれることなく蒸発して行ったが、クラウゼルはそれを気にすることはなかった。ベアトリスが好意に鈍感なのは、今に始まった事ではないからだ。


(まあ、気長に落とすとしよう。その前に、“モブオ”とかいう男を始末した方が良さそうだ)


 クラウゼルは瞼を落として足を組み直し、眠りについた。ここ1週間の疲れもあり、クラウゼルはあっという間に深い眠りの底へと落ちていった。


▫︎◇▫︎


 久方ぶりに夢を見た。

 内容はもちろん、愛しの婚約者についてだ。

 彼女は最初から強烈で、正直に言って最初は気に入らなくて仕方がなかった。


『今のあなたにはこの婚約を破棄する力なんてないわ』


 嘲るような声、


『ーーー舐めないで。そんな生ぬるい殺気、痛くも痒くもないわ』


 並の兵士でも震え上がって膝をつく殺気を受けてなお、平然と立って微笑む彼女に表情、


『わたくしの趣味は、剣術、魔法、勉学、あとは魔道具作りですわ。ちなみに、集団運動、話術、人付き合い、お料理、お裁縫、お片付け、などなど人とのコミュニケーションが必須なことや、家事全般は救いようのないレベルに壊滅的です』


 自分の弱みを平気で開出す堂々とした姿、


『………興醒めね』


 心底ガッカリした表情に、呆れた声、


『王太子殿下、もっと強くなって出直してきて。私、あなたみたいな弱い男はごめんなの王太子殿下、もっと強くなって出直してきて。私、あなたみたいな弱い男はごめんなの』


 立場をも考えない、徹底的に打ちのめす言葉、


『王太子殿下、あなたはどんな女が好き?』


 緊張すらしていない平然とした問いかけ、


『こんなこともできないのね、無能。そんなことでは、誰も王太子だと認めてくれないわよ。私なしでも王太子と認められないといけないのでしょう?さっさと私よりも賢くなりなさい、のろま』


 発破をかけるための厳しい声音。

 時折見せる憂いを帯びた表情がなんとも美しくて、クラウゼルはいつも彼女のことに見惚れていた。彼女が自分のために常に動いていることにも、当然気がついていた。わざわざイラっとする言葉で罵倒をしてくるのは、全て自分に反抗心を与えて成長させるために発破をかけるためで、自分の両親に直談判をして怒鳴っていたのも、自分の愛されていないと感じる本当は愛されている環境を愛されていると分かりやすい変えるためで、いつも自分に嫌われるように動いていたことも当然気がついていた。

 だけど、


(逃がさない)


 ベアトリスが好きすぎる男クラウゼルは心の中でそういうと、ゆっくりと意識を浮上させた。


▫︎◇▫︎


「おい!寝坊助!!………ごほんっ、お寝坊な王太子殿下、そろそろ起きたらどうなの?そんなに私に殴られたいだなんて、変態気質なのね」

「………殴るな。今代1の剣士と名高いお前の1撃は無駄に重いんだ」

「あ、そう。じゃあ行くわよ」


 クラウゼルはベアトリスの頬についている、窓枠にもたれかかって寝ていたであろう跡を見て苦笑した後、彼女に手を差し出してエスコートをする。


(さあ、自慢の婚約者をお披露目するとしよう)


 花咲き誇る4月、さまざまな歪んだ人間の陰謀と願いがこもった乙女ゲーム『虹の王子さまを落としたい!!』が開始された。


▫︎◇▫︎


(私、なんでエスコートされて入学式に向かってるの………?乙女ゲームではベアトリスはとっても嫌われていて、エスコートなんて夜会とかの必要最低限だったはずなのに。というか、そもそもお話が変わりすぎてて参考にならないのよね………。攻略対象の歪んだ性癖は、全部私が先回りして叩きのめしといたし)


 ベアトリスは当時の混沌を思い出し、げんなりしながらも彼に連れられるがままに歩いた。


「ベティー、」

「………………」


(王太子で王子さまキャラの愛情不足による『監禁』ルートは潰したし、近衛騎士団長の息子にして脳筋キャラの父親を見習った『鎖』ルートも、魔法師団長の息子でナルシストキャラの母親そっくりの自分の顔が大好きで人を好き勝手動かしたい『人形愛好家』ルートも、宰相の息子で頭脳キャラの物言わぬ者こそ美しいという『死体愛好家』ルートも、教師で隠しキャラのサイコパス野郎の筆舌し難い『最悪』ルートも、全部潰した。ヒロインがバッドルートに進んでも、大変なことにならないはずよ)


 もう自分に1回言い聞かせると、ベアトリスはもう少しで出てくるであろうヒロインが走ってくる方向に視線を向けた。


(………あれ?ヒロイン、なんか変じゃない?)


 偶然余所見しながら走っていたら、王太子にぶつかるという設定だったはずだが、ヒロインは猛スピードでこちらを鬼の形相で睨みながら走ってきている。


(え、ちょっ、な、何してんの!?)


 焦茶色の髪に薄桃色の星が飛び散る瞳を持った癒しの魔法を持つヒロインであるマリアは、どうやら肉食系だったようだ。


「お、鬼の、形相………」


 殺気を放ちながらえげつない顔つきで突っ込んでくるヒロインのことを、こう評価したベアトリスに共感してくれる人は誰もない。何故なら、この世界に『鬼』はいないからだ。

 ヒロインはスピードを落とすことなくクラウゼルに突撃しようと走ってきて、そして最後の最後で足を捻ってベアトリスの方に倒れ込んできた。


 ーーーズッデーン!!


 ベアトリスは次の瞬間、クラウゼルに抱き上げられ、ヒロインだけが見事に顔から地面にのめり込んだ。


「………………」

「う、うわーん、うわーん、」

(も、もっとマシな泣き真似ができないわけ!?)


 心の中でノリツッコミを入れたベアトリスは、地面にのめりこんでいるヒロイン相手に、必死になって笑いを堪えた。


「ベティー、行くぞ」

「は、え、えぇ!?」

(いやいや、王子だったら普通助けるでしょ!?普通!?というか、私あんたを常識人に仕立て上げたつもりだったんだけど!?頭のネジぶっ飛んでんの!?)

「ベティー、」


 有無を言わせぬ声音に深々と溜め息をついたベアトリスは、自分の後ろをついてきている侍女に自分が学園から特別に与えられているサロンにヒロインをしておくように命じ、クラウゼルの後を歩いた。

 彼がヒロインを助けずにスルーしたことを見てスカッとしたとは口が裂けても言えないベアトリスは、ヒロインに後ろ髪を引かれながら、入学式へと向かい、王太子クラウゼルを除け者にして新入生代表挨拶を行った。

 やっぱり、乙女ゲームと現実はほとんど違うものになってしまっているなと思いつつ、ベアトリスは完璧な挨拶をこなすのだった。


 今日1番の大仕事を終えたベアトリスは、疲れ切った身体に鞭を打って、自分専用のサロンに向かおうと入学式終了後すぐに席を立った。公爵令嬢という立場もあって、学園では皆平等と謳われていたとしても皆緊張してベアトリスに誰も話しかけてはこない。ベアトリスはそれをいいことに、ヒロインと対面するためにサロンへと向かおうとする。

 けれど、足を踏み出そうとした次の瞬間、パシっと手を掴まれた。


「どこに行くんだ?」

「………サロンだけど、何か文句でもあるの?王太子殿下」

(あぁー、もう!うざったいわね!!さっさとどっかに行ってくれないかしら?)

「あぁ、大いにな」

「………………」


 手を掴んできた相手は言わずもがな主席を奪われたクラウゼルだ。


「主席代表殿は、これから生徒会への加入式があるはずだが?」

「………じゃあ、次席殿が私の代わりに行ってきてくれるかしら?私、これからとーっても大事な用事があるの」

(そう、あの肉食形ヒロインにあなたを押し付けるっていう大事な用事がね!!)


 にこにこと甘やかな笑みを浮かべるクラウゼルと高飛車な笑みを浮かべるベアトリスは、お互いに一歩も引くことなく攻防を続ける。


「へえ?この学園に生徒会よりも大事な用事があるんだ。随分と変なことを言うね。この学園では、理事長よりも先生よりも生徒よりも生徒会が偉い。なのに、生徒会よりも大事な用事があるだなんて、とても変だ」

「………………えぇ、そうよ。大事な用事があるの」

「それは生徒会が終わってからではダメなのか」


 断定形で聞いてくるあたり、彼はとても性格が悪い。

 ベアトリスは諦めたように七色に輝く宝石のような瞳を細めた後、大きなため息をつく。


「あなたは私をエスコートしたいだけでしょう?」


 ベアトリスはそう言うと、彼に預けるように右手を差し出した。

 クラウゼルはベアトリスの右手を下から掬い上げ、腰に右手を回すと生徒会室へとエスコートを始める。


「ベタベタ触ってきて気持ちが悪い。あなたはエスコートもまともにできないわけ?情けないこと」

「ふっ、我儘で手厳しい婚約者なことだ」

「………………」

(本当に埒が開かない。ヒロインにさっさとこのうざったい男を引き取ってもらわなくちゃ)


 モブ専転生悪役令嬢ベアトリスは、8年経っても安定のモブ専だ。よって、無駄にきらきらしい顔面偏差値の多いこの学園は、地獄でしかなかった。


(王城もきらきらしいのが多かったけれど、まだおデブとかツルテカがいたから我慢できたのに………。………ここにはおデブもツルテカもいない。………はあー、本当に地獄ね)


 周囲の俗に言うイケメンを眺めながら、ベアトリスはピクっと眉間に皺を寄せる。


「………相変わらずのイケメン嫌いだな」

「? なんか言った?」

「いや。なんでも」


 甘い微笑みの表情を維持したまま、クラウゼルはベアトリスから視線を外す。


「それにしても、あなたも表情を操るのが上手になったわね。出会った当初はすぐに不機嫌な顔丸差しになっていたのに、今はその砂糖だだ漏れ感満載の表情が人目のある場で崩れているのを見なくなったわ」

「砂糖だだ漏れ………、」


 若干傷ついたかのような表情をした彼を見つめながら、ベアトリスは少しだけ罪悪感に苛まれる。


(か、彼の顔が嫌いだからっていう幼稚な理由でいちゃもんをつけるのは、あんまり良くない行いだったかも………)


 ほんの少しだけしょぼんとしたベアトリスは、最近ベタベタと甘えたがるクラウゼルに謝罪の意味を込めて少しだけ近づいた。


「!? べ、ベティー!?」

「………………ご褒美かしら。お母さまは、私が何かを成し遂げたら、必ず頭を撫でてくれるの。けれど、あなたは頭を撫でられるよりも、私が近づいた方が喜ぶでしょう?だから、少しだけ近づいてあげたのよ」


 なんてこともないかのように語るベアトリスの頬は、普段に比べて少しだけ赤い。けれど、そのことを指摘する人間は誰一人として存在しない。ベアトリスは帰ったら新入生代表挨拶を頑張ったご褒美に両親にいっぱい褒めてもらおうと心の中で意気込みながら、生徒会室への道のりを歩む。


(そういえば、ヒロインはゲームと違って生徒会に入り損ねてたわよね………。本当に、この乙女ゲームは変わり過ぎててもう良くわかんなくなってしまっているわ)

「ーーーそういえば、お前はいたく入学式の時の顔面突入少女を気に入っているようだな」


 ベアトリスは一瞬だけ彼に視線を向けた後にこてんと首を傾げた。


「なんのことかしら。私には、分かりかねるわ」

「はははっ、………俺の情報網を舐めるなよ?婚約者殿」

「うふふっ、使程度に見破られるような行動はとっていないかしら」


 愛らしい雰囲気でころころと笑う2人の周りには、背筋が凍りつくような空気が流れていた。周囲の人間は、そんな2人をくしゃみをしたり、震えたりしながら見守ることとなった。


(未来の王太子夫妻怖ぇ~………、)


 この日、さまざまな思惑が蠢く魔法学園で、初めて全生徒の心が揃ったのだった。

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