第24話


▫︎◇▫︎


 夕食終了から1時間後、ベアトリスたちは与えられたお屋敷の外に出ていた。今年度の肝試しのお題は、まだ1人として知らない。

 ぱたぱたと不気味な音を鳴らしながら漆黒の雲に包まれた空を舞うコウモリに、ざわざわと風に揺らされる木々。地面はぬかるんでいて、空気はどんよりと重たい。


(………雨の兆しね)


 分かっていたとしても怖いものは怖くて、ベアトリスは右手で左手首を強く握り締めた。痛みが精神をぎりぎりのところで現実世界に留めてくれているという現状に悔しさを感じながらも、ベアトリスはあくびをしているローガンを睨みつけた。


「ローガン先生、眠たいのでさっさと発表して終わらせて、お部屋に返してください。全員、体力的な限界を迎えています。なんなら、肝試しをやめてもいいくらいです」


 あくびを終えたローガンは、面倒臭そうに頭をかいて、そしてお題の紙を広げる。


「今回のお題は守りの奥深くにある神殿に行って、そこの奥にある蝋燭に火を灯して帰ってくることだ。簡単だろ?一緒に行くメンバーは、くじで決定する。ほら、さっさと引け」

(マリア、絶対に王太子殿下のものを引くのよ?)


 無言でマリアに圧力をかけたベアトリスは、彼女が頷きながらくじを引くのを見つめながら、自分もくじを引く。

 先生に渡されたくじを全員が引いて、そして一緒に行くメンバーとくっつく。


「………………何でよ!?」

「………そんなに俺とが嫌なら1人でやればいい。できるだろう?筆頭公爵家の気高きご息女、ベアトリス・ブラックウェル」


 ベアトリスが引いた相手は1番望んでいなかった相手、クラウゼルだった。

 彼はくちびるの端を上げ意地悪く笑うと、ベアトリスの頭を優しく撫でて耳元で囁く。


「1人で動いたら、おばけに食われるかもなぁ?」


 ぞぞぞっと背筋に走った悪寒に顔色を悪くしたベアトリスは、右手に込める力を強めるのだった。


 完全無欠と謳われるベアトリスには、大きな欠点があった。


 それは、お化けが苦手なことだ。


 怖いものやお化け全般がどうしてもダメなベアトリスは、けれど、常に強く在らなければならない故に、それを必死に隠し通してきた。けれど、全ての人に隠し通し続けるということは不可能で、今現在では数人にそのことがバレてしまっている。そして、運が悪いことにバレてしまっている人間のうちの1人というのがクラウゼルなのだ。


 バレてしまったのは婚約してちょうど1年ほど経った頃だった。


 その日、王太子妃教育に熱が入りすぎてしまい、帰る時間を見誤ったことによって帰宅できなくなってしまったベアトリスは、王城に泊まることになった。初めての同年代の子供のお泊まりに舞い上がったクラウゼルは、その日の夜、ベアトリスを王城のたくさんのところに護衛も連れずに連れて行ってくれた。けれど、暗い夜のお城というのは存外とても怖くて、探検を始めてすぐに、ベアトリスは帰りたくて仕方がなかくなった。でも、そう言ってしまうと自分の弱点を曝け出すことになると分かっていたとベアトリスは、必死に必死に我慢した。

 けれど、我慢というのはいずれできなくなってしまう。

 ベアトリスはとある財宝部屋に入った時に悲鳴を上げて泣きじゃくってしまった。その財宝部屋にはたくさんの血に汚れた歴代の英雄の甲冑が飾られていた。明かりもなくその部屋に入ったベアトリスには、それが血みどろの戦士人形が動いているように見えたのだ。


 結果、城の中の限られた場所で騒ぎが起こり、クラウゼルは国王夫妻にこっぴどく叱られた。

 そして、ベアトリスの弱さというのが少数に知れ渡ることになってしまったのだった。


「あ、あのー、」

「よくもやってくれたわね、マリア」


 横から心配そうに話しかけてきたマリアに、ベアトリスは頬を膨らました。


「そもそも、くじで相手なんて選べませんよ。というか、この確率で結ばれたんだから、私はベアトリスさまと王太子殿下が運命に結ばれているんじゃないかって思いましたもん」


 夢見心地で話し始めたマリアに、ベアトリスは呆れた視線を向ける。


「もう本当に、なんでこんなことになったのかしら」


 ふぁうっとあくびをこぼしながら、ベアトリスは夕食後になおのこと眠たくなってしまった身体を叱咤して、マリアと話し続ける。


「あなたがくじを上手に引いてくれなかったせいで、クラウゼルルートの手順が4つも踏めなくなったじゃない」

「………この肝試し、手順が集まりすぎてません?」

「乙女ゲームの運営側に文句言ってちょうだい。というか、そもそもこのゲーム、吊り橋効果が多すぎるのよ。何回キャラ殺す気だって話」

「それはなんとなく分かるかも。バッドエンドとかって、即効で殺されるかそれぞれのヤンデレ特有のえげつないお仕置きだったもんね………。私、それが見たくて何回かキャラ殺したなぁ」

「………なんというか、真里って意外に肝が座っているわよね。私、あの画面は1回で十分だって思ったわよ………」

「そう?梨瑞っちは分かってないな~。だって、バッドエンドといえども、イケメンフェロモンダダ漏れ画面って結構最高じゃない?」

「………私はあまり好ましくなかったわね」

「そっか。残念」


 本気でしょぼけているマリアに、ベアトリスは頬を引き攣らせて苦笑した。やっぱり、マリアとベアトリスでは完成が大きく異なっているようだ。


「マリアちゃーん!そろそろ行っくよ~!!」


 チャラ男ノア・ガランドールがにっこりウインクして、マリアを呼び出す。肝試しのマリアのパートナーであるノアは、ゲームとは随分異なっている気がする。

 真っ直ぐな藍色の長い髪に、青から赤に変化するグラデーションの瞳。魔法師団長の息子であり、公爵令息の彼は中世的なとても美しい容姿をしている。魔法属性は炎と水と正反対なのにも関わらず、完璧に2つの属性を卸しているところはさすが魔法師団長の息子としか言いようがない。

 彼が楽しいことが大好きなのは、ゲームと全く変わっていない。けれど、彼の行動になんとなくの変化が現れているのだ。


「変わったな、ノア」

「………そう、ね。どこがとは説明できないけれど、なんだかちょっと変わった気がする」


 クラウゼルの言うように、出会った当初のゲームキャラクターそのままだったノアは、どこかが変わった。それがいい変化なのか悪い変化なのかは分からない。でも、ベアトリスはこれがいい変化であることを願っている。

 攻略対象としての彼は、自分の顔が大好きなナルシストキャラで、母親が亡くなってしまったことによる深い深い悲しみによって狂ってしまっていた。でも、この世界でのノアの母親はベアトリスの持っていた医療技術によって存命だ。だからこそ、彼の性質は根本から異なっているのかもしれない。彼のバッドエンドルートである、通称“人を好き勝手動かしたい『人形愛好家』ルート”は変わっていないかもしれない。

 でも、ベアトリスは知っている。何か深い事情があって、人間は狂ってしまうということを。


(全てを救えるだなんて、傲慢なことは思っていない。でも、………ーーー手に届くものは全て、守り抜きたい)


 ベアトリスはぎゅっと拳を握ってから、エスコート用に手を差し出してくれたクラウゼルの手に自分の手を乗せた。


「いぎゃあああああぁぁぁぁぁ!!」


 肝試しの旅へと出発して数分、目の前に現れた空飛ぶタオルにベアトリスは絶叫する。ベアトリスの声に驚いた漆黒の鳥がばさばさと不気味な音を立てて飛び立ち、それがまたベアトリスの恐怖を煽って再びの絶叫を巻き起こす。早くも喉に痛みを感じ始めてしまっているベアトリスだが、肝試しの折り返し地点である館までの道のりは、まだ10分の1ぐらいしか進んでいない。


「ふぇぐっ、」


 ぼろぼろと目からも涙を流しながら歩くベアトリスに若干引き気味ながらも、へっぴり腰で全く歩けなくなってしまっているベアトリスを引きずるようにして歩いているクラウゼルは、腕に当たる感覚が何なのかを考えないようにしながら、無心で歩く。隣のベアトリスの絶叫が響く度に自分の身体がビクッと震えているのは、絶叫にびっくりしているにであって、決してこの空間が怖いからというわけではない。

 気配もなく、目の前に風魔法で持ち上げられた骸骨がぷかっと浮かぶ。


「!?」

「いやああああああぁぁぁぁ!!」


 ベアトリスはまたもや絶叫をあげて、座り込みかける。目から溢れる涙を止める暇も、恐怖を薄らげる暇もない。恐怖は唐突に、そして着実にどんどんやってくる。


(帰りたい、帰りたい帰りたい、帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい………!!)


 楽しみにしていた集団宿泊研修なはずなのに、ベアトリスはいつのまにか帰りたくて仕方がなくなってしまっていた。けれど、帰ることなんてもちろんできないし、肝試しは進まなければ終わらない。


(もう、いやぁ!)


 エスコートをしてくれていたクラウゼルを羽交締めにしながら、ベアトリスはやっとのことで森を少しだけ歩くことができた。最強の魔法剣士の隣というのは、安心感があるものだ。


「………いくら俺でも、実体のないものは切れないぞ?」


 何かぶつぶつ文句を言っているが、そんな場合ではない。恐怖によって足がすくみそうなベアトリスは、早く肝試しを終わらせたくて、少しだけ歩くペースを早めた。


 ぐっしょりと冷や汗によって濡れた服が気持ち悪い。

 絶叫によって痛めてしまった喉がヒリヒリする。

 涙によってぼやける視界は最悪レベルに何も見えないし、ずっと耳鳴りがしている。


 ーーーそれに何より、ずっと気持ちが悪い。


 背中に悪寒のようなものが走り続けているし、毒蛇にじわじわと殺されかけているかのような、そんな不安感にずっとかられてしまっている。

 ベアトリスは片手で腰にある剣の柄を握りしめながら、『大丈夫、大丈夫』と呪詛のように唱え続ける。


「………俺を呪い殺す気か?」

「いいから黙ってて」

「はい」


 恐怖によって血走った目で掠れ声のベアトリスに怒鳴られたクラウゼルは、ぎゅっと口を噤む。ぷるぷると手が震え続けていながらも前をしっかりと見据え続けているベアトリスは、唐突にぱたんと立ち止まった。


「は?」


 いつからだろうか、この変化が訪れていたのは。


 何も聞こえないどろりとした漆黒の空、

 生き物が骸となって落ちている道、

 ゆらめいていた植物はいつの間にか灰へと変化して消えている。

 空気に紛れ込むは吐き気を催す死臭と圧倒的な死へのカウントダウン。


 ーーーベアトリスは、道を誤った。

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