第20話 ガールズ的な何か

 七海ななみさんにパジャマを貸してみたけど、サイズが全然合わなかったのでゆるめのカットソーを貸した。


 私が着ているときよりも服が活き活きしているように見えるのは何故だろう。スタイルというものは時々残酷だけど、その唯一無二の特別さが人を魅了するのかもしれない。


「あんまり見られると恥ずかしいよ」


 お風呂上がりの七海さんは血色がよく、常に頬が赤い。いつもは綺麗だけど、今はかわいさが際立っている。水気を吸った髪はふわりと外側に向かって膨らんでいるのもまた、印象が変わって見える。


 一時間以上経っているとはいえ、私もお風呂上がりだ。どこか違って見えたり、してないかなぁ。


「あ、お布団用意してくれたの? ありがとー」

「ずっと押し入れにしまってあったのなんで、ほこりっぽかったら言ってください」

「ありがとねー亞呂あろちゃん」


 私の服を着た兄の彼女が、深夜、私の部屋にいる。


 変な感じで、妙な感じ。自分の部屋なのにこんなに落ち着かないのは初めてだ。


「雨、止んだみたいだね。明日はちゃんと帰れそう」


 止んだから帰るね、と言われるのじゃないかと思い、一瞬ドキリとした。


「亞呂ちゃんはいっつも何時ごろ寝てるの?」

「バイトのある日は十二時くらいです。それ以外の日はだいたい十時には布団に入ってます」

「そっか、じゃあ今日は十二時まで夜更かしできるね?」

「まあ、明日も休みですし、シフトも入ってませんけど。夜更かしって何するんですか?」

「んー、ガールズトークとか?」

「いつもしてるじゃないですか」

「お泊まりのときはちょっと違うの」


 そういうものか。


 考えてみれば、私が誰かを部屋に泊めるなんて初めてだ。七海さんはそういう経験、いっぱいありそうだな。


「最近、ネイルチップにハマっててさ。最初は使い切りなのかなって思ってたけど、実は壊れるまでずーっと使えるんだって。土日だけネイルして学校始まったら取るっていうのも面倒でしょ? うちのクラスでも流行ってるの」


 私のベッドに七海さんが腰掛けてスマホの画面を見せてくる。


 バニラにせっけんの香りが混ざって、アーモンドのような上品な香りがした。


 あ、あれ? 同じシャンプー使ったんだよね?


「このサマーブルーのとかグラデーションがすっごく綺麗じゃない? いいなーって思ったんだけど、四十個も入ってるんだって! もう半分でいいんだけどなーって思って結局買ってないんだ」

「ほ、ほー」


 七海さんの話に付いていけず、私はフクロウになっていた。


 ファッションは少しずつ分かるようになってきたけど、自分の爪はまだ気にしたことがない。短いほうが取り回しは良さそうだなーって思うけど、確かにネイルを付けている人の指は細長く見えて綺麗だ。


「でも男子って、こういうの全然見てないよね」

「そうなんですか?」

「うん! 柚希ゆずきなんて、なに付けても知らんぷりだし、服とかお化粧とかも無関心なんだよー? ひどくない?」

「うちの兄がすみません」

「あはは、でも男子がーっていうのはほんと。女の子同士ならもっと気付けるんだけど」


 そういえば、七海さんはよく私が買った服とか、選んだものを褒めてくれる。兄は似合ってるとは言うけど、その物に対しての感想を抱くことはあまりないように思えた。


 そういうものなんだなぁ。


「じゃあ女の子同士の方がお得ですね、たくさん褒めてもらえるし」

「ねー! もうこの世界女の子だけになればいいのに!」


 七海さんがとんでもないことを言う。男の人にもいいところはあると思うので、あまり肯定はしないでおいた。


「っていうのが、ガールズトーク」

「いまいちわかんないですね」

「普段は人に言えないようなことを内緒でお話しちゃうの」


 唇に人差し指を当てる、七海さんのお得意のポーズ。最近分かったんだけど、これは二人きりの秘密、みたいなニュアンスのときに使うことが多い。


「七海さんは兄のこと本気で好きじゃないですよね」


 ボソっと呟く。


 これがガールズトークとやらなのかは分からない。


「不誠実だと思う?」


 肯定も否定もしなかった。七海さんはこういところが上手だ。


 人を絶対に傷つけないような器を持っているわけじゃないくせに、人を傷つけないようにばかり立ち回る。


「他の男だったら、可哀想って思いますけど。まあ兄ですし、それはそれで、ドンマイって感じです」

「あはは、塩っ気たっぷりな妹だー」


 渇いた笑い。七海さんはきっと、兄のことを恋愛的な好きではない気がする。


 憶測に過ぎないけど、最近、そう思うようになった。


 七海さんの視線が、私の二の腕あたりを彷徨っている。何ですか? と視線を送ると、七海さんはしれっと視線を外して私を無視する。


 そういうの、盗み見るって言うんですけど。


 一体、私の何をこっそり見ようと言うのだろう。


「そういえばこのベッドすっごくふかふかだね」

「ああ、母が言ってましたけど、なんちゃらスリーパーって言うやつみたいです。通販で買ったらしいですけど」

「知ってる! 有名だよね。へー、これがそうなんだ」


 七海さんがベッドと、私を交互に見る。


「寝そべってみてもいい?」


 七海さんにしては珍しく、遠慮を含んだ聞き方だった。


 私が頷くと、七海さんはそのままベッドに横になる。


 ベッドに腰掛けて、寝そべっている七海さんを見下ろす。なんか恋人みたいだ。愛だのイチャイチャだのが介入しそうだったので、私も一緒に寝そべった。


 それによって、ガールズ的な何かができあがる。


 隣に寝そべって、七海さんの顔を見ると、七海さんは私から逃げるように目をそらす。


「でもやっぱり、寝心地はいいです」

「うん、これなら快眠だねー。腰を痛めることもなさそう」

「それなら、今日はここで寝てみますか?」

「えっ?」


 別に普通の流れだったように思うけど、七海さんが一際大きな声をあげる。


「いいよ、亞呂ちゃん狭いでしょ?」

「ガールズ的な何かです。今日くらいは構いません」

「そ」


 ドレミファ? 


 それに続くくらい、短い返事だった。


 そのまま二人で天井を見上げながら、秒針の動く音を聞く。


 結局その後は他愛のない話と小突き合いが続いて、十二時を過ぎたあたりで電気を消した。隣にはしっかりと、七海さんがいる。布団出した意味なかったな。


「柔らかい」


 このまま寝るとばかり思っていたのだけど、電気を消しても七海さんは会話を止めなかった。ベッドと私の二の腕を交互に触って、簡素な感想をつぶやく。


「亞呂ちゃんは柔らかいのと硬いの、どっちが好き?」

「寝られたらどっちでもいいですね。こだわりは特にないです」

「そっか」


 また他愛のない会話が始まった。そう思った。


「あたしはね、小さい頃からずっと柔らかい方が好きだった」


 七海さんの低い声。やけに響く。


「だからこれが普通なんだってずっと思ってたんだけどね、中学校のとき自分が普通じゃないって知ったの。みんな実は硬い方が好きで、というか硬い方を好きになるのが当たり前でしょって感じで、ビックリしたなぁ」


 暗闇だから七海さんの表情は見えない。けれど、悲しげではなかった。代わりにどこか、諦めたような、まるで他人事のような声色をしている。


「争いをなくしたいーなんて言っておきながらさ、あたし自信が争いの種になってたんだよ。だからあたしもみんなと同じになるために、硬いのを好きにならなきゃって思ってたんだけど」


 伸びをしているのが、隣の気配と、ベッドの軋む音から伝わってくる。


「やっぱいいなぁ、柔らかいの」


 困るよ、と付け加えて、七海さんが小さく笑う。


「時々自分がどこへ向かってるのかわかんなくなる」


 七海さんの弱気な発言を、私は初めて聞いたかもしれない。


 けど、弱気な発言をしない人間なんてきっといないと思う。いたとしたらそれは、人ではなく、冷たい、鉄のような何かだ。


「ガールズトーク、終わり」


 スパッと切り上げるように、七海さんが会話を中断させる。


「これがあたしのヒミツその一」


 その一ってことは、まだあるのか・・・・・・。


「前は教えてくれなかったのに、どうして今は話してくれたんですか」

「ごめんね」


 全然、答えになってない。


 そこでふと、邪夢じゃむちゃんの言っていたことを思い出した。


『秘密にすることで守られる自分もいるけど、秘密を打ち明けることで、救われる自分もいるから・・・・・・』


 七海さん、もしかして・・・・・・困ってる?


 もしそうなのだとしたら、私にできることってなんなんだろう。


 人を助けるなんて、私にはまだ到底できない。璃空さんやボス、それから他の人たちが私に伸ばしてきた手のひらの意味を私は知らないから。


「文化祭の劇、見に来てね」

「はい」

「きっとお姫様になるから」


 お姫様が王子様に恋をする。そんな物語はこの地球上にはるか昔から存在している。だからこそ、それが当たり前であり、普通なのだ。


 けど。


 本当にそれでいいのだろうか。


 普通って、身を削って浸透していくことなのだろうか。


 七海さんの手が近くにあったので軽く触れると、七海さんがビク、と身体を震わせて逃げていく。一瞬だけ触れた七海さんの手の甲は、ひどく冷たかった。


 この人は、何重に張り巡らせているんだろう。自分を守るための普通とやらを。


「そんな言葉が聞きたかったわけじゃないんですけどね」


 仰向けになって、天井を見上げる。隣で、七海さんの身体がこちらを向いた気配がした。


 私と七海さんの息遣いが、空間に溶けていく。


「亞呂ちゃんって時々ズルいよね」


 逃げていった七海さんの手の甲が帰ってくる。私の手に当たると、そのまま知恵の輪のように複雑に絡まった。


「七海さんが言えるセリフですか? それ」


 交換し合うこの熱は、どこで循環しているのだろう。布団の中で上がり続ける体温。駆け出すように逸る鼓動。


「眠れませんね」

「眠れないねぇ」


 閉じる気のない瞼が、今という時間を惜しんでいる。


「少女漫画でも読みますか」

「お、いいね勉強だね」

「王子様とかお姫様とか、ばっかじゃないのー? みたいな作品がたしかあったはずです」

「このタイミングで!?」


 電気を点けると、七海さんが「まぶしー!」と亀みたいに布団に引っ込んでいく。


「えっと、これなんですけど。途中で出てくるサブキャラが噛ませすぎて可哀想なんですよね」


 寝るのに失敗して布団から這いだす。寝間着姿のまま、二人で少女漫画を読み合い恋とは何かを語り合う。


 ガールズ的な何かの詳細を私は知らないけど、少なくとも私は、この時間がとても好きだ。このもどかしい気持ちを纏いながら、時折恥ずかしくなって「きゃー」と声を出し合うこんな夜がずっと私のものになればいい。


 そう願わずにはいられない。


 璃空りくさんは、こんな私を見て満足してくれているかな。


 今度邪夢ちゃんにでも聞いてみるか。


 その後も七海さんとの少女漫画談義は続いた。


 七海さんはずっと、少女漫画に出てくる親友キャラの話をしては、少しだけ寂しそうに笑うのだった

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