第17話 花鳥風月

 璃空りくさんの言う通り、私の怪我は完治まで一ヶ月ほどの時間が必要となった。


 その間、私はベッドの上で寝ているしかなかったのだけど、毎日のように璃空さんは私のところにやってきた。


「うちの娘は十歳だから、亞呂あろくんとも歳が近いんだよー? 今度連れてこよっか」


 いや連れてこれるかーい、と。自分で自分にツッコみを入れている。


 というか、こんな風にぺちゃくちゃ話しててもいいのだろうか。


「ねー、亞呂くんはどんな服が好き? ストリート系?」

「着られればなんでもいいです」

「えー! もったいないよ、亞呂くんスタイルもいいし、小顔だし」


 璃空さんは、私が睨んでいるのにも気付いていないのか。ただ気にしていないだけなのか、ニコニコと笑顔を浮かべたまま私に喋りかけてくる。


 しかし、この治療室で寝ていてもやることがないのは確かだった。


 話し相手くらいにはなってあげてもいいのかもしれない。


「わからないです、そういうのは。別の話をしてください」

「んー、じゃあ、あたしの野望について話してあげようか」


 璃空さんは不敵な笑みを浮かべながら、私のベッドに腰掛けた。


「あたしの野望はね、世界平和」

「世界平和?」

「そ、人と人とが傷つけ合うことのない、幸せな世界のこと」

「そんなのできるわけないじゃないですか」

「そうかな、あたしはそうは思わないよ」

「なら、璃空さんは今ここで俺を殺した方がいいですよ。俺がいる限り、そんな世界はやってこないし、来させない」

「あら、それはどうして?」

「俺は今、人を殺すために生きてる。親も、大切な人も、全部殺されたから。だから殺す。殺される前に殺さなくちゃいけない」


 世界平和なんて、クソ喰らえだ。


「殺さないよー、亞呂くんは貴重な日本人だし。それに、もしかしたら亞呂くんを死なせないことで、争いが一つ減るかもしれないから」

「どういうことですか」

「聞いたよ? 亞呂くん、すごい狙撃の技術を持ってるんだって? ボスが自分のことみたいによく自慢してたよ」

「ボスが・・・・・・?」


 どうして? ボスは私を認めてくれてないんじゃなかったのか?


「その技術でいつか、誰かを救ってくれるかもしれない。そうして、一つ命が消えずに済んだら、今度はその命が誰かを救ってくれるかもしれないでしょ? 一瞬でこの世界から争いをなくすなんてことはできないけど、そうやってゆっくり、繋いでいくことはできるのかなってあたしは思ってる。だからこうして、世界各地を回って、人を助けてるんだ」

「けど、俺たちは人を殺す。人を殺すような人を助けるのは、争いに加担してることになるのではないですか?」

「さっきも言ったでしょ? 人を殺せるってことは、人を守れるってことだよ」

「よくわかりません」


 この人の言っていることは、希望的観測や夢見がちな楽観的なものが多く、容易に首を縦に振れるようなものではなかった。


「亞呂くんも、いつか分かる日が来るよ」

「俺が、誰かを救うとでも?」

「あたしはそう思ってるけどなぁ」

「根拠のない妄言です」

「理屈だけを追い求めていたら、自分の感覚を信じられなくなっちゃうよ?」


 訓練では、まだボスに勝てる見込みはない。


 けど、会話では。この人には勝てない。そう思った。


「璃空さん、そんな奴に難しい言葉使ったって無駄だよ。アロの奴、人を殺すことしか眼中にねぇ、だからボスにも勝てねえんだよ」


 奥のベッドで寝ていた男が、私にヤジを飛ばしてくる。


「はいはい、そっちもそっちで安静にしててよね。聞いたよ? この前勝手に抜け出したって」

「るせぇなぁ。戦わなきゃ金にならねぇだろ」

「でも、悪化して戦うこともできなくなったら。おうちに帰ってお仕事しなきゃだよ?」

「げぇ、それだけは勘弁してくれよ。俺ぁ、普通の仕事なんてできやしねぇんだ。傭兵として働いて、どかんと大金ひっさげて嫁と娘のこと見返してやるまではくたばるわけにはいかねぇ」


 その男は、天井に手を伸ばして、目を細めた。


「娘もそろそろ成人だ。デカくなってるだろうなぁ」


 私と同じ、人を殺すだけの存在が、何かを夢見ている。



 それから一週間、その男は戦場に復帰して、それから二度と帰ってくることはなかった。


 無人になったベッドを撫でながら、璃空さんが小さくつぶやいた。


「お金お金って、必要なのは分かるけどさ」


 璃空さんの目はどこか悲しげで、寂しげで、それでも諦めることはない、強い光を宿していた。


 そして私も、腕と背中の怪我も治り、いよいよ訓練に復帰の運びとなっていた。


「さて、亞呂くんもそろそろ復帰だね」

「はい。ようやく、殺せる」


 璃空さんが来ない間は、ずっとシミュレーションをしていた。人の命を奪う工程を何度も繰り返し、そのたびに、私は両親の仇を討ち、生きる実感を手に入れる。


「璃空さんも、その・・・・・・ありがとうございました」


 この人にも、曲がりなりにも世話になった身だ。喋るとちょっと変な人だけど、治療の腕だけは確かで、感染症にもかかることなく私はこうして今も元気でいられた。


 それに、世界平和という仰々しい野望も、最初は冗談かと思っていたけど、次第に本気で叶えたい夢だということが分かって、少しだけこの人のことが理解できた気もする。


「璃空さんは、もうじき帰っちゃうんですよね」

「そうだね、ここにいるのはボランティアだから、滞在時間も決まってるんだー。来週には一度日本に戻らなくっちゃ」


 璃空さんがこの場所を離れなくちゃならないというのは、つい数日前に知ったことだ。


「何? 寂しくなっちゃった?」


 ズイ、と身を寄せて私の顔を覗き込んでくる璃空さん。こういうところは、やはり今でも苦手だ。


「違います。ただ、気になって」

「んー?」

「日本って、どんなところですか」

「そうだねぇ、四季折々?」

「桜、という奴ですか」


 聞いた頃はあるし、写真でも見たことはある。


「そうそう! 他にも自然がたくさんでね、花鳥風月なんて言葉もあるくらいなんだから」

「花鳥風月?」

「そう。風流というか、雅というか、そんな感じ! とにかく、たくさんの幸せが巡ってる場所かな」

「幸せ・・・・・・」


 そんな、自然に囲まれるだけで幸せなんて。日本人って、くだらないな。


 それから三日ほど経って、私はようやくこの治療室から出られることになった。


 支度をしていると、ボスが治療室に入ってきて、思わず臨戦態勢に入った。


「獣かよ。メリハリつけねえと、土壇場で集中力切れるぞ。ガキってのは勢いとやる気が全てだと思ってるからタチが悪い」


 ボスは私を一瞥すると、ベッドに寝転がった。


「昔はもっとふかふかのベッドだったんだがなぁ」

「何の用ですか」

「まぁ聞け」


 ボスは天井を見上げたまま、足を組んで口を開いた。


「お前、どうして人を殺したい」

「は?」


 いきなり、なんだ。


 ボスの意図が、さっぱり分からない。


「殺すことで得られるものがあるからです」

「殺したことはあんのか」

「まだ、ないですけど。でもいつか、必ず殺してみせます」

「そうか」


 ボスの声を久しぶりに聞いたということもあるけど、少しだけ、前と印象が違う気がした。


「ここに寝てた男がいたろ。ちっと頭の悪い奴でなぁ。普通の職にはろくにつけねぇもんで、犯罪に手を染めながら国を転々として、結局ここへ辿り着いたんだ。家族を見返すためには金が必要だっつって、傭兵として戦ってた」


 ボスが自分の寝そべっているベッドを叩く。


 まだ記憶に新しい。私をバカにした、兵士の顔を思い出す。


「何も殺すためだけに銃ってもんがあるわけじゃねぇ。お前は殺意だけに動かされてるから、俺に勝てねえんだ」

「じゃあ、どうすればいいんですか」

「いいか、てめえの狙撃力は確実に敵の頭をぶち抜くことができる代物だ。もちろん、目や、鼻だって狙える。ってことはだ、もっと他のものを狙ってもいいわけだろ」


 ベッドから勢いよく起き上がるボスは、不気味だった。


 笑っていたのだ。


 まるで夢見る子供のように。


「アロ、てめぇにとっておきの技を教えてやる――」

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