第25話 普通の恋をして、普通の幸せを手に入れる
開演二十分前になると、劇に出る全ての人がステージ裏に集まっていた。
最後まで台本を確認している人もいれば、友達と楽しそうに談笑している人もいる。みんなそれぞれ、この劇に対する姿勢は違うみたいで、楽しくやりたい人もいれば、いい劇にしたいと意気込む人もいるみたいだ。
その中でも、恥はかきたくないからせめて大きな失敗だけはしないようにしよう、という考えの人が一番多い気がした。
私もその内の一人だ。
特にこの劇に思い入れはないし、オリジナル改変されたシンデレラへのこだわりもない。他の人の足だけは引っ張らないように、やるつもりだ。
あくまで保身的に考える私。
だけど
七海さんはずっと、ステージ裏のカーテンの隙間から観客席を見ている。家族でも来ているのだろうか。七海さんの表情はどこか、硬い気がした。
「緊張してるんですか?」
「わあ!」
茶化すつもりだったのに、七海さんはその場で飛び上がって大きな声を出した。
「な、なんだ
「さっきから観客席ずっと見てたみたいですけど、誰か来てるんですか?」
「そういうわけじゃないけど、人。結構いるなぁって、そう思ってただけだよ」
「ならやっぱり緊張じゃないですか」
「それとはちょっと違うんだよ。ただ、不安になるでしょ?」
「不安?」
七海さんがカーテンを閉める。体育館から漏れる照明が遮断されると、一気に暗くなって七海さんの表情が見えなくなった。
「ちゃんと全員に楽しんで帰ってもらえるかなーって」
「まるでプロみたいな意識を持ってるんですね。劇団員にでもなるつもりですか?」
「劇に限らず、だよ。人には人の、好きなものってあるでしょ? それと反対に、どうしても許せないものっていうのもあるから。この劇で、誰かを不快にさせるようなことがあったら、それは嫌だなって」
俗に言う地雷というやつだろうか。
「でも、そんなのわかりっこないじゃないですか」
今日来た観客の中の、あの人はシンデレラとか童話全般が苦手だ。あの人は恋愛ものが苦手。あの人はハッピーエンドが嫌い。あの人は、ドレスじゃなくてスーツが好き。
いるかもしれないけど、そんなのいちいち気にしてたら、劇なんかやってられない。
「けど、気になっちゃうんだ」
七海さんはステージ裏の階段に座って、膝に顎を乗せて黄昏れるように俯いた。
この人は、そうなのかもしれない。
言動は少々破天荒なところはあるけど、この人は他人の本質を見抜くのがとても上手だ。だから人の地雷にも敏感だから、それだけは言ってはいけない、ということをうっかり言ってしまうということもない。
優しすぎるのだ、七海さんという人は。
「中学の頃、好きな友達がいてさ」
七海さんがボソッと、私にだけ聞こえるような声量で呟いた。
好きな友達・・・・・・。
友達なんだから好きなのは当たり前だと思うけど、七海さんは、そうではなかったのだろう。
「ほんとに好きだったから、告白しちゃった」
七海さんは笑っていたけど、私が心配しないように誤魔化しているに違いない。本当、要らないお節介だ。
「でも、それがすっごくショックだったみたいで、その子はあたしに『裏切り者』って言った。そりゃそうだよね、ずっと仲良く遊んでたのに、あたしだけは、本気の好きだったんだから」
「それは、その友達の言い過ぎな気がしますけどね。告白したのだって、気持ちを知って欲しいからですよね? じゃあ、裏切りでもなんでもないじゃないですか。七海さんは真っ直ぐ自分の気持ちと向き合っただけで」
顔も知らないその人の、敵になるような事を言う。だけど、私はどんな人が相手でも、どんな状況でも、七海さんの味方をしてしまいそうな気がした。
「ありがとう亞呂ちゃん。でも、その子を傷つけたのは事実だから。それっきり、その子とは疎遠になって、空っぽな日々の始まりだったよ。でも、空っぽでもいいのかなーって思った。本当に何気ない日常を過ごすことで誰も傷つけずに済むのならね」
七海さんはため息を吐いて、遮光カーテンの方を見た。
「あの中の何人が、平穏を望んでいるんだろう」
ドレスの裾をつまんで、ひらひらと仰ぐ七海さんの様子は、子供が拗ねているみたいだった。
そんな七海さんを見て、合致がいった。
「七海さんは、許してほしいんですね」
この人はきっと、世間に抗う強さも、自分の正しさを証明する勇気も持っていないんだ。誰かのためならいくらでも動けるくせに、自分のことになるとどこか遠慮して、一歩身を引く。そんな人だ。
「でも、誰かに許してもらう必要なんかないと思います。誰がどう感じようが、七海さんの好きは七海さんのものなんですから」
「亞呂ちゃん・・・・・・」
小さくだけど、七海さんが頷いたように見えた。
「それに、七海さんは大丈夫ですよ。今日、ここまで来る途中、いろんな人に話しかけられてたじゃないですか」
ドレス姿の七海さんを見て「綺麗」と言ってくれたり「頑張ってね!」と言ってくれている人もいた。
そんな人たちに対して、七海さんは笑顔で応えていた。
「みんな、七海さんのことが大好きなんだと思います」
それはただ単に、七海さんが綺麗だから、というわけではないはずだ。
七海さんという人間に、人を惹き付ける魅力があるのはもうわかりきっている。だけど、それ以上に、七海さんは、いろんな人たちに優しくしてきた。
誰にでも優しい人だ、なんて邪夢ちゃんが言っていた。誰にも傷ついて欲しくないと願いながら学校生活を送ってきたから、七海さんは違う学年の人からもそう思われているんだろう。
そんな七海さんに救われてきた人は、必ずいる。邪魔ちゃんは、以前食堂でご飯をひっくり返したときに、七海さんに助けてもらったと言っていた。
そういう人たちは、今度は自分が七海さんを救ってあげたいと、そう思っているはずだ。だから声をかけるし、だから応援だってするのだ。
七海さんはそんなことにすら、気付いていないようだけど
「あはは、そうだと嬉しい」
「絶対そうですよ。たとえ七海さんがどんなものを好きでも、どんな人を好きでも、みなさん、応援してくれると思います」
だから私も、その手を取った。
「まぁ、それも今日で分かりますよ」
「亞呂ちゃん?」
七海さんの手を引く。
私より歳も上で、大人びていて、とても綺麗な人の手は、とても冷たく、とても軽い。
だからこそ、ギュッと力強く握る。
きっとこの人は、多少強引でないと、自ら殻の外に出ようとはしてくれないのだ。
「よし」
連れ出してみせよう。
私は今日、そういう役なのだ。身分相応。バチは当たらないだろう。
立ち上がる私に釣られて、七海さんも立ち上がる。
開演十分前、鏡の前で前髪を整えて、リボンを結び直して本番に備える。
「髪、伸びたね」
七海さんがふわっと、私の後ろ髪を撫でていく。
「あ、ごめんね。急に触っちゃって」
「なんですかそれ、七海さんらしくない」
あんな話をしたあとに私にスキンシップを図ってしまったことを気にしているのか、七海さんはシュン、としおらしくなってしまっていた。
「七海さんみたいな綺麗なロングに絶賛憧れ中なんです。だから当分は髪切りませんよ」
「そうなんだ。あたしに、憧れ・・・・・」
七海さんが自分の髪を撫でて、照れくさそうに笑う。
「でも、王子役だとちょっと邪魔になっちゃうかもね・・・・・・あ、そうだ。あたしのバレッタ貸してあげる、よかったら使って?」
「そんなの持ってたんですね」
「うん、今日は劇やるから、もしかしたら必要になるかもって家から持ってきたんだ」
七海さんからバレッタを受け取って、後ろ髪を束ねる。
「似合ってる、可愛いよ亞呂ちゃん」
「私は逆に、七海さんが告白されなかったのが不思議です」
「え?」
これだけ簡単に人を褒められて、厭味なく「可愛いよ」なんて言える人が近くにいたら、誰でも好きになっちゃうと思うけど。
私は少なくとも、この人のことが好きだ。
顔面はいい。スタイルもいい。これだけで、憧れる要素はある。そこから人懐っこい笑顔と愛嬌に惹かれて、七海さんから貰う優しさと純粋な言葉に救われて。時折見せる寂しそうな表情を見てこの人のことをもっと知りたいと思うようになって、気付けば頭の中、七海さんばっかり。
『オシャレしたり、かわいい服着たり。あとは、そう。恋をしたり』
だけど、もしかしたらこれは普通の恋じゃないのかもしれません。
私の好きな人は、兄の彼女です。
私は兄から、七海さんを奪い取ろうとしている。
でも、いいですよね。
普通って自分を縛る言葉じゃなくって、自分を解き放つ言葉だって、気付いたので。
公演が始まると、最初に出番がある七海さんがステージに向かっていく。
舞台袖から七海さんの演技を見守り、やがて私の番がやってくる。
王子という割に、女子の制服を着ている私を見て観客が困惑しているのが伝わってきたけど、私は気にせずセリフを読み上げた。
かぼちゃの馬車に乗ってやってきたシンデレラと舞踏会に参加する。十二時になるとシンデレラは魔法が解けるからと急いで帰ろうとする。
そのシンデレラの手を、私が取る。
「待てよ、俺はお前ともっと踊りたい」
台本を書いた演劇部の人の趣味である、チャラ男王子の役を演じながら、やっぱないよなー、と心の中でダメ出しをする。
だけど、観客席からは時折「きゃー!」という声があがっていたので、需要はあるのかもしれない。
「いけません王子様。わたくしは十二時までに帰らなければなりません」
そう言って走り去っていくシンデレラ。
馴染みのある、ガラスの靴を拾い上げ、翌日私は、その靴の持ち主を探しに行く。
そこからある程度のオリジナル要素のある展開を交えながら、ついに劇はクライマックスを迎える。
ここから、チャラ男王子の壁ドンのシーンだ。
散々練習もした。私と七海さんの息はバッチリだ。このまま何事もなく劇を終える。七海さんはどこか、安堵の表情を浮かべていた。
まるで、許されたと。自分に言い聞かせるように。
「私、あなたのことが好きです」
だから私は、台本とは違うことを言った。
俺ではなく、私。チャラ男みたいな口調はやめる。いつもの、私の口調だ。
「けれど、わたくしの身分は――」
七海さんは一瞬驚いて固まっていたが、すぐに台本通りのセリフを読み上げる。
「身分なんかどうだっていいです。そもそも私は王子でもなんでもないし、というか男でもないし」
観客席が、ざわつき始めた。
急に口調の変わった私に、中々次のセリフを言わない七海さん。これがアドリブだということに、気付いたのだろう。
「そもそも、私は性別を好きになってるわけでもないですし、身分を好きになってるわけでもない。私はあなたという人間に恋をしたんです」
「あ、亞呂ちゃん・・・・・・! ちょっと、セリフ」
小声で七海さんが耳打ちしてくる。
これは、私からの告白だ。
大丈夫、七海さんが裁かれることはない。
さて、お集まりいただいた裁判官のみなさん、是非判決を下してみてください。
私が七海さんを好きになるのは、有罪ですか? 無罪ですか?
まぁ、どっちでもいいですけどね。
だってこれは、誰かに許してもらうものでもないから。
ずっと、平穏を望んでた。
人と同じように生きることを普通だと勘違いして、自分を押し殺しながら過ごすなんでもない退屈な日々を日常だと思い込みながら生きていた。
だけど違った。
普通は、自分らしく生きること。
私の自分らしさとは、これまで出会ってきた全ての人達の強さを受け継ぐことだ。
戦場での生き方、銃の撃ち方、命の重さ。それからファッションと、オシャレと、そして恋。
これらをなかったことになんて、私はやっぱりできそうにない。
だから私は、あなたに教わった恋というものを実践します。
裸で出会って、いきなり胸を触られたこと、私は忘れてません。
私は私らしく、だからあなたも、あなたらしく。
普通を貫いて、世間が謳う普通を凌駕する。
「嫌なら避けてください」
七海さんの顔を両手で包む。
体育館が一瞬で静かになり、観客の息を飲む様子が伝わってくる。
七海さんの驚く顔を覆うように、唇を近づける。
知ってますか? 七海さん。
あなたが怖がる、その恋愛は。
白馬の王子様に夢見るより、よっぽど現実的なものなんですよ。
それを今、分からせてあげます。
もう止まる気はない。
これは平穏を望む七海さんの。
日常を撃ち抜く弾丸だ。
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