第8話 変わりたいから

 アルバイトの業務は、一週間ほど続ければだいたいできるようになった。レジの操作もその他点検や商品の整理なども、特別なスキルは必要なく、誰でもできるようなものばかりだったのも幸いした。


「す、すごいですね・・・・・・鳥谷とりたにさん、もう全部一人で出来るようになってて」


 七時のピークを過ぎると、客足はピタッと止まる。おつりの整理をしていると、いつのまにか隣に来ていた風守かざもりさんが相変わらずの隙間風みたいな声でそう言った。


「風守さんが丁寧に教えてくれたからだと思います」

「えぇっ!? わたし、もしかして褒められてる!?」

「褒めるというか、感謝してるというか」

「人から褒められたのなんて、生まれて初めて・・・・・・へ、へへ」


 えぇ。どんな人生送ってきたんだいったい。


 人生なんて、感謝して感謝されての繰り返しだ。人生一つじゃ、足りないくらいに。


「でも、やっぱりす、すごいよ鳥谷さん。わたしは全部覚えるのに二ヶ月はかかったから・・・・・・」

「そうなんですか? でも、いまだに風守さんのレジ操作のスピードには追いつけません」

「あ、これ? わたし、家だとパソコンばっかりいじってるから、そ、その陰キャだから・・・・・・こういうのは得意なんだ。というか、これくらいしか、取り柄がないといいますか」


 ここ一週間、風守さんと話して分かったけど、風守さんは自分のことをあまり評価していないみたいだ。謙虚、とはまた違って、卑屈、という言い方の方が正しいだろうか。


「取り柄があるなら、活かさなきゃですね」


 私がそう言うと、風守さんは小さく「うん」と呟いてから一杯になったゴミ袋を店の裏にある倉庫に捨てに行った。


 外から帰ってくると、風守さんは額の汗を拭いてタバコの補充を始める。


「あ、そこは私がやりますよ。お客さんいないですし、風守さんは休んでてください」

「うっ・・・・・・すでに鳥谷さんの方が先輩みたいだね・・・・・・」

「すみません調子乗ったこと言って」

「ううん。でも、や、やらせて・・・・・・あっ」


 タバコの箱を落として、鳥谷さんが慌てて拾う。身体を起こすと、頭を棚にゴツン! とぶつけた。


 す、すごい音だ。


 目が合うと、風守さんは目に涙を浮かべながらカートンの包装紙を破いた。


「わたしが一番、足手まといだから」


 風守さんは、相変わらず不健康そうな視線を下に落としている。


「ここのお店って、すごく明るい人が多いでしょ。それでいて、仕事もできて、気遣いもできる良い人ばっかり。わたしは暗いし、しゃ、喋るの下手だし、気が利かないし。失敗して、怒られてばっかりだから・・・・・・たぶん、ずっと色んな人に迷惑かけてる、んです」


 敬語とため口が要り混ざる風守さんは、ボリュームを変えるつまみをぐりぐり回したみたいに、音量を変えながら話す。


「コンビニって接客業ですもんね。人と話すのが苦手って人は、大変かもしれません」


 私は得意でも苦手でも、どっちでもないけれど。


「でも、じゃあなんで風守さんはコンビニを選んだんですか? 製造業とか、向いてる仕事はたくさんあると思いますけど」

「えっと、それは・・・・・・か、変わりたいから」


 今まで一番、力強い声で風守さんは言った。


「ずっとこのままじゃ、多分、だ、ダメだなって思って・・・・・・だから、人とたくさん喋って、変われたらって、お、思ったんですけど」


 タバコを補充し終えた風守さんが、困ったように肩を竦めた。


「見ての通りで。・・・・・・へ、へへっ」


 そんなことないです、とか、軽い励ましは言えなかった。私は別に、ここに来る前の風守さんを知ってるわけじゃないし。


 だから、もしいつか風守さんが前に進めたときのために。その言葉はとっておこうと決めた。


「ウォークインの整理、ま、まだだったよね。レジはわたしがやるので、任せてくださいっ、あ、あの、押しつけてるわけじゃなくって」

「分かってます。行ってきますね」


 自分で言った自分の発言に自分で傷ついてる風守さん。私はきっと苦笑いを浮かべていたと思う。


 なんだかなー、と。心に引っかかり続けるような人だった。



 ちょうど炭酸のコーナーを整理し終えた頃、店内から大きな声が聞こえた。


 ウォークインの中から、店内の様子を覗き込んで見る。


 なにやら、風守さんがお客さんに絡まれてるみたいだった。


 うわあヤバそう。


 やっていた仕事を一旦中断して、店内に走った。


「だからさぁ! タバコ売れって言ってんだよ! わかんねぇかなぁ!」


 五十代くらいの男が、レジの前で怒鳴っていた。かなり大柄で、態度も声も威圧的だ。


 風守さんはすっかり萎縮してしまって、声を出すこともできずに怯えていた。


 いざこざのせいで出来てしまった列のお客さんを、店長が隣のレジでさばいている。風守さんの方を時折見てはいるようだけど、レジを離れられないみたいだ。


 わ、私の出番かぁ。


「風守さん、どうしました?」


 事情を知るために、風守さんに話しかける。


 だけど、風守さんは顔を真っ青にして、返事ができるような状態じゃなさそうだった。


「こいつがさぁ! タバコを売らねんだよ! 身分証明書が必要とかどうとかって、俺のどこが未成年に見えるんだよ! あぁ!?」


 びく、と風守さんの身体が震える。


 そんな大きな声出さなくてもいいのになぁ、と思いながら、あれこれ言葉を探す。


「えっと、なんか法律で、そんなようなものがあったようななかったような」

「あぁ!?」


 ヤバい、浅い知識がバレそうだ。


 でも本当に、あったような気がするんだけどなー。どうだったっけ。


「そんなもん、臨機応変でなんとかしろよ! 免許証忘れたくらいでタバコ売らねぇってのかこの店はよ! そもそもこんな喋ることすらもできねぇ役立たず雇ってる店側に問題あるよなぁ!」


 風守さんの・・・・・・方は見たくなかった。


「まぁまぁ、とりあえずお客さん、タバコが欲しいのでしたらご相談に乗りますから」

「ちっ、なんだよ最初からこの聞き分けのいい姉ちゃんをよこせよな」


 風守さんに替わってレジに立つ。


 小さな声で「ここは任せてください」と言うと、風守さんはお客さんを捌き終わった店長に連れられて、バックヤードに入っていった。


「そう、思い出しました。確か、未成年にタバコを売った店は閉店になるとかなんとか、そういうのがあるんです」

「俺のどこが未成年に見えるってんだよ!」

「見える見えないじゃなくて、決まりなので。決まりは規律を正すためにあります。正義か悪か、ではありません。武力紛争において民間人への攻撃や毒ガス、細菌兵器、および対人地雷とダムダム弾の使用が禁止されているのと同じです」

「はあ? 何言ってんだお前」


 あれ。


 私の中にある知識を一生懸命引っ張ってきたんだけど、あんまり伝わってないみたいだった。


「えーっと、つまり」


 ヤバい。しゃしゃり出たはいいものの、私は入ってまだ一週間の新人。それっぽい方便すら出てこない。


「どんな理由があっても、人を傷つけてはいけないということです」

「俺がいつ傷つけたよ! あぁ!?」

「心の刃で」

「随分詩的だな!」

「詩人を目指しているので」


 真っ赤な嘘だった。なれるのならなりたいけど。


「とにかく、そんなわけで、申し訳ございません。うちの店は、ルールにバカ正直に従う融通の利かない大真面目な店なんです。タバコを購入いただきたいのであれば他のお店をお当たりください」


 頭を深々と下げる。


「ちっ、最初からそう言えばいいんだよ」


 男は、毒気が抜かれたようにため息を吐いていた。


「普通に接客してくれりゃ、こっちだって普通に接してやるんだよ。ちょっと詰めただけでメソメソ泣きやがって。そりゃこっちだって怒鳴りたくなるだろ」


 捨て台詞を吐くように、男が去って行く。


 普通に接客? 普通に接する・・・・・・。


「あっはは、お客様」


 つい、笑ってしまった。


「世界には、色んな人がいるんですよ。自分を変えたいと願うちょっと泣き虫な頑張り屋さんもいれば、自分の感情をコントロールできない理性の効かなくなった大人もいる。それが分からない人は、きっと一生普通にはなれないんでしょうね」

「あぁ?」

「こちらに普通の接客を求めるなら、あなたこそ普通に買い物すればよかっただけなのでは?」

「普通の買い物ってなんだよ。てか、なんだ? お前、喧嘩売ってるのか?」

「いえ、同情してるんです。分かりますよ、普通って難しいんです。言葉では簡単でも、普通を維持することはなかなかできることじゃない」

 

 口が勝手に動く。でも、もう止まらなかった。


「あの子に役立たずって言ったこと、撤回してもらってもいいですか?」

「なんでそんなことしなくちゃならねぇんだよ。そもそも、今頃裏に引っ込んで泣いてるんだろ? まともに接客もできねぇ奴に役立たずって言って何が悪いんだよ」

「いえ、悪くはありません。ただ、言い過ぎてしまった場合、謝罪をするのが人として・・・・・・普通だからです。普通のお客様」

「てめ――ッ!」


 男が私の胸ぐらを掴む。


 威嚇。

 

 恐喝。

 

 それは私が、涙を浮かべるか、ごめんなさいと頭部を垂れるまで終わることはない。そういうものだ。


 血走った眼が、私を許さないとでも言うように鋭く睨んでいる。


「・・・・・・・なんだ、お前」


 男が睨む目つきから、驚きの表情に変わっていく。


「なんで、表情一つ変えねぇんだ」

 

 それは、多分。慣れているから? 


「ちっ」


 男は私から手を離すと、後ろを振り返った。


 店内に残っていたお客さん数人が、男を睨んでいる。


「ったく・・・・・・はいはい、役立たずとか言って悪かったな。これでいいかよ」

「はい、こちらこそ。タバコをご用意することができなくて申し訳ございませんでした」

「・・・・・・あぁ」


 男は終始不満げな様子だったけど、自分が注目の的になっていることに気付いたのか、すぐに出口へと向かった。


「ありがとうございましたぁ。またお越しくださいませー」


 ニコニコと、どこの誰だっけな。

 

 笑顔の達人みたいな女の顔を思い出しながら、私も笑顔を作る。


 これでいいんだよ。話し合えば、人は分かり合える。


 わざわざ銃口を向けて、刃物を振り回して、自分の正義を主張なんかしなくたっていいのに。世界はきっと、そうもいかないんだろうな。


 それから何人かお客さんが私のレジまでやってきて「大変でしたね」と労ってくれた。私は「いえいえ」と相手の優しさに感謝しながら商品を袋に詰めた。


「はぁ~」


 お客さんが店内からいなくなったのを見計らって、その場でへたり込む。


「ムキになっちゃった」


 商品をお買い求めいただけない理由を丁寧にご説明してお帰りいただくつもりだったのに、おもいっきりぶちかましてお帰りいただいてしまった。


 なるべく平穏な日々がいい。


 面倒ごとに首を突っ込みたくなんかなかったんだけど。


「なんで私、あんなこと言ったんだろ」


 店のルールなんて知ったことじゃないし、男の言う通り成人済みであることは明らかなのだから、お堅い頭をほぐしてタバコなんかさっさと売って帰って貰えばよかったのだ。


 それなのに、なんで。


 引き下がることができなかったんだろう。


 胸の奥がざわつくこの感覚の正体を、私はまだ、知らないのだった。

 

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