第9話 私の友達

 バックヤードの様子を見に行くと、店長が泣いている風守さんの背中を撫でているところだった。


風守かざもりさんには早めにあがってもらおうと思うんだけど、鳥谷とりたにさん。あと一時間、一人でも大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


 そうか、風守さん帰るのか。


 確かに、あんなに泣きじゃくっていてはこの後仕事どころではないだろう。


 店内に戻ってレジ番をしていると、バックヤードのドアが開いて、風守さんが出てきた。 


 ゾンビみたいによろよろと、時々すれ違う人にビクっと驚き・・・・・・怯えながら店を出て行く。


 だいぶ参ってるなぁ、あれ。


 本当なら、ここでかけるべき言葉があるはずだった。


 だけど、私はこれまで、佐倉さくらというクラスメイト以外、誰かと友好的な関係を築いたことがない。


 恋人はおろか、友達もまともにいたことがないのだ。


 だから私は、トボトボと歩いて行く風守さんの背中に、なんて言えばいいかが分からなかった。


 ため息を吐いて壁に寄りかかると、タバコを陳列した棚がガチャン、と鳴った。


 棚にはいくつものタバコが並んでいて、銘柄も無数にある。同じパッケージでも太さ? 長さ? が違ったり、メンソールが入っていたりと。


 吸わない側の人間からすれば知ったことかと一蹴していまいたくなるのがこのタバコという商品だ。正直私は興味もなければ吸いたいとも思わない。


 そもそも昔から、タバコの香りは硝煙の香りにも似ていて、思い出したくもない光景がチラつくから嫌なのだ。


「いらっしゃいませー。タバコでしょうか? 番号でお願いします」


 一人お客さんがやってきたので、レジを開けて対応する。


 私は銘柄なんて知らないので、タバコはなるべく番号で言ってもらうようにしている。


 お客さんは私の後ろの棚をジッと見つめて、欲しい銘柄を探しているようだった。


 そういえば、風守さんは銘柄で言われても手際よく棚から取ってたな。


 吸ってるのかな。


 そんなわけないか。


 じゃあ、一生懸命覚えたのかな。


 自分には関係もない、ただ煙が出るだけのこの変な棒状の名前を。



 十時になると深夜番の人がやってきた。


 私は引き継ぎを終えて、挨拶をしてからバックヤードに引っ込む。


 一人でどうなることかと思ったけど、客足が少なかったのもあってなんとかなった。


 でも、まだやっぱりレジ操作でもたつく時がある。思えば私は昔からパソコンのタイピングなどが苦手だった。


「うーん、風守さんには休んでもらった方がいいわね。それか、レジ番から外れてもらうとか」

「それがいいかもしれないね」


 バックヤードに入ると、店長とオーナーがそんなようなことを話し合っていた。


「とりあえず今週いっぱいは休んでもらうように連絡してみよう」

「分かった、あとで連絡してみるわ」


 夫婦で経営している店長とオーナーは、シフト表を見ながら深刻そうな顔をしていた。


「新しい子もそろそろ来るっていうしね」

「え?」


 着替えている途中、思わず反応してしまった。


 二人は私を見て「どうしたの?」と首を傾げている。


 なんだろう、このザワザワは。


 今日はずっと、寂しさと不安と、いたたまれなさのような妙な感覚が、胸の奥底でもがくように溢れ出しそうになっている。


『変わりたいから』


 困ったように笑った、風守さんの顔を思い出す。


 祈って、願って。でもどこか諦めたようなあの顔。


『どうか、普通の幸せを』


 私にそんな夢を見た、誰かの顔と重なって胸がギュッと苦しくなった。


「風守さんは、頑張ってます」


 店長とオーナーは、キョトンとした顔で私を見ている。


 それでも、開いた口はなかなか閉じてはくれなかった。


「風守さん、レジの操作ものすごく早いし、タバコの銘柄だって全部覚えてます。消耗品の補充だって誰よりも率先してやってくれますし。そりゃ、時々カートの山に頭から突っ込むことはありますけど」


 でも。


「頑張ってます。人と話すのが苦手だから、そんな自分を変えたいんだって、風守さん言ってました。迷惑かけちゃってるから、早く一人前になって、みなさんの役に立ちたいんだって、言ってました」


 着替え終わった制服をギュッと掴む。


「外そうなんて言わないでください。私、風守さんと一緒がいいです! 私、風守さんに教えてもらったからここまでできるようになったんです。もし次ああいう客がきたら、私がなんとかするので!」


 そんな戦力外通知みたいな言い方、しないで欲しい。


「だから、その――!」

「分かってるわ」

「え?」


 顔をあげると、店長が肩を竦めていた。


「風守さんが人と話すのが苦手なことも、それでも一生懸命頑張ってくれていることも。誰よりも周りを見ていて、誰よりもレジの操作が早いのも、全部知ってる。いつもカメラで見てるからね」


 店長はデスクの上に設置されたモニターを指さす。


「まぁ、あの子は自分のこと過小評価しがちだし、自分のこと役立たずだとか、時々呟いてはいるけれど。店長である私の立場から言わせてもらえば、あの子ほど頼りになるバイトの子はいないわよ」

「あ、あれ? でもさっき、シフトから外すって」

「それは今回の件で風守さんがひどく傷ついたと思うから、休養を取ってもらいたいってだけよ。ああいうお客、長年やってればそう少なくはないけど、やっぱり最初は堪えるからね」

「・・・・・・ってことは」

「鳥谷さんの早とちりね」


 かーっと顔に熱が集まっていくのが分かった。


「私としては、いち早く風守さんには復帰して、これまで通り働いてもらいたいもの。まぁ接客業である以上はこういうこと、これからもあるだろうから。続けるか続けないかは風守さん次第だけど。私としては、やめないで欲しいなー」

「そうだね、彼女。今の若い子にしてはすごく真面目だし。面接の時も、喋るのは、まぁお世辞にも上手ではなかったけど。その一生懸命な人柄に惹かれて採用したわけだしね」

「あの時はねー、どもりまくってたわよね」


 店長とオーナーは、思い出すかのように笑った。


「でも、変わったわ、彼女」


 店長は優しく、ハンガーにかかった風守さんの制服を眺めて微笑んでいた。


「さてと、今日は日が変わる前には帰れそう。鳥谷さんも、外暗いんだから、早く帰っちゃいなさい」

「あ、はい。お疲れ様でした」


 思わず居座ってしまった。


「それから、ああいうお客さんには、逆らわないこと。今回は見逃すけど、こちらはあくまで店員という立場があるのだから、礼儀は忘れちゃダメよ」

「すみません」

「ま、分かるけどね。クソジジィに一発かましてやりたくなるのも」


 く、クソジジィ。


 すごい言葉を使うな。制服を脱いだら、もう店員ではないということだろうか。隣で、オーナーは苦笑いを浮かべていた。


「お疲れ様でした」


 店長とオーナーに頭を下げて、バックヤードを出る。


「うわあ!」


 ドアを開けたら人が立っていて、私は思わず大きな声をあげた。


 び、ビックリした。


 ・・・・・・って。


「風守さん?」


 バックヤードのドアの前に立っていたのは風守さんだった。さっき帰った時と同じ格好だ。


「あ、えっと・・・・・・忘れ物しちゃって」

「そうなんですね。店長とオーナーもまだいましたよ」

「そ、そっか」


 風守さん、まだ目元が赤い。


 というか、今も泣きそうになってる。


 大丈夫かな・・・・・・。


 そっとしておいた方がいいかと思い、私はそのまま風守さんに別れを告げて店を出た。


 夏の夜とはいえど、少し風が冷たい。こっそりと、夏は秋に向かって走り出している。


「鳥谷さん!」


 後ろから声が聞こえて振り返る。


 夏に続いて、風守さんも走ってきていた。


「あれ、風守さん。忘れ物は――」


 言い終わる前に、手を握られた。


 へ?


 風守さんは私の手を握ったまま、肩で息をしている。ゼェハァ、と肺にかかった呼吸が、どれだけ全力で走ってきたのかを物語っていた。


「あのー」


 風守さんの顔を覗き込む。


「あ、ありがとう・・・・・・」

「はい?」

「わ、わたしのことっ・・・・・・か、庇ってくれて」


 手を握る力が強くなる。


「バックヤードで、泣いてるとき、店内から・・・・・・鳥谷さんの声が聞こえて・・・・・・」

 

 げ、聞こえてたのか。


 まぁ、店長にも聞こえてたみたいだし、そりゃそうか。


「ご、ごめんね・・・・・・わ、わたしなんかのために」

「謝ることないですよ。だって風守さん一生懸命頑張ってるのに、あんな言い方ないじゃないですか」

 

 衝動的な自分の言動を振り返ると、よくもまぁあんなことをお客さんに言えたな、と自分の達者な口が恐ろしく思えてくる。


「う、嬉しかった」


 風守さんは、私の手を握っていたことに気付くと、パッと顔を赤くして手を離した。


「そ、それに・・・・・・店長さんたちにも・・・・・・言ってくれてたでしょ?」

「あ、それも聞こえてた?」


 風守さんは、恥ずかしそうに顔を俯かせる。それが頷いたのだと気付くと、私の顔にも自然と熱が集まっていった。


 うわあ、恥ずかしい。


 私、思い切り「風守さんがいいです!」とか言っちゃったけど。


「し、知らなかった・・・・・・わたしが、あんな風に思ってもらえてるなんて・・・・・・わ、わたしてっきり・・・・・・足手まといと思われてるものだとばっかり・・・・・・」

「私は最初から、いい先輩だなって思ってましたけどね」


 キュッと唇を締める風守さん。


「お、同い年だよ」

「え、そうなんですか?」

「う、うん。わたし、高一だし」

「えー、そうだったんですね」

「だから、け、敬語じゃなくても・・・・・・いいよ」

「そっか。うん、分かった」


 そう言うと、風守さんはホッと息を吐いた。


「よかったね、風守さん」


 何はともあれ、風守さんにとって今日は良くも悪くも、特別な日になっただろう。


「あ、あの・・・・・・!」


 それじゃあね、と言おうとしたら、また手を握られた。


 手を握るの、好きなのか?


 それにしては、手の中がじっとりと汗ばんでいる。


 それとも、なんだ、これは。もしかして・・・・・・告白ってやつか!


「ど、どうしたの?」


 こほん、と咳払いをして、告白に身構える。


「と、とととっ、とっ・・・・・・!」


 バグった電子音声みたいになっていた。


 風守さんはすーっと息を吐くと、もう一度。


「友達に、ならないっ!?」

「へ?」


 聞き返すと、潤んだ風守さんの、だけど力強い瞳が私を見つめ返す。


 その言葉が、どれだけ勇気を必要としたものだったのか。


 風守さんの表情を見ていれば、考えるまでもなかった。


「わ、わたし・・・・・・変わりたいって理由だけじゃなくって、友達も欲しくてバイト始めたのっ。が、学校でも、いっつも一人だし。な、仲良い人、できたらなって思ってて、だから、その。わたしと友達にょ!」


 最後にめっちゃ噛んでいた。


「うん、いいよ。私も友達とか全然いないし」

「え、えぇ、そんな風には見えない」


 じゃあどんな風に見えてるんだろう。気になるな。


「本当だよ、私も学校だとほとんどぼっちだし。バイト先でもまだ友達って言えるほどの仲の人いなかったし。だから風守さんと友達になれるなら私嬉しい」

「こ、こんな自分の気持ちを真っ直ぐ言える人に友達がいないなんて・・・・・・どおりでわたしには今まで一人もいなかったわけだ・・・・・・人生難しすぎる」

「あはは、分かるー」


 難しいよねー、人生。


「えっと、ていうことは・・・・・・」

「よろしくね、風守さん」


 手を握り返すと、風守さんの顔がぱーっと明るくなる。


「う、うん! うんうんっ! 友達、友達!」


 子供みたいに喜ばれると、こっちまで嬉しくなるな。


「じゃむ」

「ん?」

「じゃ、邪夢って呼んで。わ、わたしの名前なの。へ、へへ・・・・・・変な名前でしょ」


 まぁ、確かにあんまり聞かないけど。


 ただ人と異なるだけのことを変だと言ってしまったら、世の中、異端ばかりになってしまう。


「別に変なんてことないんじゃない? 私だって亞呂だし。恐竜かよーって」


 七海さんに言われたいじりを、まさか自分で言うことになるとは。


「へ、へへっ、恐竜って、へへ・・・・・・」


 ・・・・・・めっちゃウケてた。


 いいけどさ。


「よろしくね、ええっと、邪夢ちゃん?」

「う、うんっ。亞呂さんっ、へへ、へ・・・・・・」


 お互いに名前を呼ぶと、どこかくすぐったい気分になる。


「わたし、こういう風に友達同士で名前を呼び合うの、ゆ、夢だったんだぁ」

「お互い二文字だから、呼びやすいね」

「へへ、呼び放題・・・・・・お得・・・・・・」


 お得? なのかはよく分からないけど、風守さん、もとい邪夢ちゃんが嬉しそうだったのでまぁよしとした。


「そ、それじゃあ亞呂さんっ、あ、あの。今日はあり、ありがとう。本当に」

「全然、私はたいしたことはしてないよ」

「ううん、それでも、あ、ありがとう。すっごく、すっごく嬉しかった・・・・・・! わ、わたし、もうちょっとだけ、頑張ってみる。ちょっとでも、か、変われるように」


 決意の固まった、強い目をしていた。


 名残惜しそうに口を閉じると、邪夢ちゃんバッ! と顔を勢いよくあげた。

  

「ば、バイバイ。亞呂さんっ」

「うん、またね邪夢ちゃん」


 手を振ると、邪夢ちゃんも大げさに手を振り返してくれた。


 何度もこちらに振り返る邪夢ちゃんに、小さい声で「転ぶよー」と忠告する。


 そして姿の見えなくなっていく邪夢ちゃん。


 見送ってから、私も自分の帰り道を辿る。

 

 私の想像していた告白ではなかったけど。


 私には恋人よりも先に、友達という奴が必要だったのかもしれない。

 

 帰ったら、兄と七海さんに自慢してやろう。


「ふふ、ふふふ」


 ・・・・・・邪夢ちゃんの笑い方が移ってしまった。


 と、そんなわけで。朗報です。


 こんな私にも今日、友達が出来ました。

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