第7話 恋の探究心

 別に、無理矢理恋に落ちたいわけじゃなかった。


 ただ、目に映るその全ての人類哺乳類爬虫類、命を持つ生き物は、誰かが誰かを愛した末に生まれたものだ。そう考えると、恋をしないと、愛を知らないと、この地球からのけ者にされたように感じてしまう。


 それに、普通の高校生として恋愛は義務のようなものであると、佐倉から借りた少女漫画には書いてあった。


 普通の人間として、普通の人生と、普通の幸せを。


 そう願った人がいる限り、私のやるべきことは、その普通とやらを探すことだった。


 とりわけ、恋というものがそれに値する。


「押せばいいのにー」


 押しボタン式信号の前で立ち止まっていたら、後ろから七海ななみさんが話しかけてきた。


 当たり前のように、だ。


 私は「なんでここにいるんですか!?」と驚きたいのに、あちらは私といることが当然かのように接してくる。


「もう少し経ったら押そうと思っていたんです」

「そうなのー?」


 道路をチラッと見て、七海さんが薄く笑う。


「もしかして、車が通らなくなるの待ってた?」

「だって、押して止めたら、申し訳ないですし」

「やーん、亞呂あろちゃんやさしー」


 後ろから抱きつかれて、危うく道路に身を投げそうになる。


「今から亞呂ちゃんの家に行こうと思ってたの。柚希ゆずきはもう帰ってるかな」

「さあ、どうでしょう。というか一緒に帰らなかったんですか?」

「だって、気付いた時にはもういなかったんだもん。生徒会ってそんなに忙しいのかなー」

「たまには待っててあげたらいいんじゃないですか? きっと喜ぶと思いますよ。ああ見えて兄は単純なので」

「そうかな。あたしそういうの、あんまり気が利かなくてさぁ、今度試してみるよ-」


 ボタンを押して、信号を青にする。そうすると車側の信号が赤になって、車が止まる。


 自分の行いが多数の存在に影響を及ぼす。そういうの、私は苦手だ。昔からあまり、得意じゃない。


 とりあえず、私は今、兄が心配だ。兄は目に映ったものをそのまま受け取るような人だから、人を疑うことをしない。事故でお金が必要になったから百万振り込んで置いてー、とか言われたら躊躇せずに振り込むのが兄だ。


 兄はこの人に、たぶらかされてるだけなんじゃないだろうか。顔の良い女にたぶらかされるのが趣味なら、止めはしないけどさ。


「どうしたの? じっとあたしのこと見て。好きになっちゃった?」

「なんでそういうこと平気で言えるんですか・・・・・・」


 よほど自分に自信があるのか。


 それとも、困ってる私を見たいだけなのか。


「えー? なんでだろうねぇ」


 くしし、と羽の生えた悪魔みたいに笑う七海さんを見ていたら、後者な気がしてならなかった。


 兄のタイプって、こういう人なんだ。


 ふーん、へぇ。と、家族のそういう一面を見ると、複雑な気分になる。


 私は、どういう人がタイプなんだろう。


 サッカー部のキャプテンである森崎もりさきくんは、顔がカッコいい。あと、なんか走ってる姿が眩しかった。だから虫が光に惹かれるように、告白した。フラれたけど。


 私って意外と、面食いなのかな。


 佐倉さくらの言っていた通り、同性同士の恋愛でも私は困らないし、かといって異性はダメなのかと言われればそういうわけでもない。


 その気になれば猫でも犬でも好きになれる。いや、ダメか? それは普通じゃないか。


 せめて同じ人間を好きになろう。


 ネズミを咥えて走り去っていく野良猫を見ながら、そう思った。


「おかえり亞呂。あれ、七海も来たのか、なんだメッセージ送ってくれたらよかったのに」


 家に着くと、兄が玄関で出迎えてくれた。私の後ろから「やっほー」と顔を出した七海さんに、兄も驚いていた。


「えへー、ビックリさせたかったから」

「まんまとビックリさせられたよ」


 仲良く笑い合う二人を置いて、私は着替えを取りに自分の部屋に向かう。


「亞呂ちゃんの部屋は相変わらずなんにもないねー」

「だからなんで入ってくるんですか!?」


 部屋に入ってきた七海さんを押し返す。「やーん」と七海さんがわざとらしく高い声をあげた。


「兄はどうしたんですか兄は」

「お茶持ってきてくれるんだって。それまで亞呂ちゃんと遊んでることにしたの」

「私これからバイトなのでそんな暇ないです」


 ハンガーにかかったバイト先の制服をカバンに詰める。


 バイト先のコンビニまでは自転車で十分ほどかかる。シフトが入っている五時まであと四十分はあるけど、この前習ったことの復習もしたいのでなるべく余裕を持って出ておきたい。


「へー! どこどこ? どこでバイト始めたの?」

「コンビニです。古街跨線橋の下の」

「あー、あそこかー。そうなんだー、へー」


 七海さんの口が、猫みたいになってた。


「な、なんですか」

「んふふー、別にー? 偉いなーって思って」

「そうですか偉いですか」


 私はどうやら偉いらしい。やったぁ。


「亞呂、もう出るのか?」


 部屋を出ると、ちょうどお茶を持ってきた兄と出くわした。おぼんにはコップが三つ載っている。


「バイトだから」

「あー! そっか、今日は水曜日だもんな。バイトはどうだ? やれそうか?」

「うん、なんとか。みんな優しいし」

「そっかそっか。まぁ大変なこともあると思うけど、頑張れよー。あ、でも外暗いし送ろうか」

「いいよ、子供じゃないんだし」


 兄と手を繋いで、仲良く店長と挨拶をする歳でもない。


「夜道には気をつけてねー、通り魔が出たら、あたしのこと呼ぶんだよー?」


 にょきっと七海さんの首が生えてきた。


「呼んでどうなるんですか・・・・・・」

「んー? 返り討ちにしてあげる」

「あっちが刃物持ってたらどうするんですか」

「それもそっか。そういうときは、どうすればいいのかな」

「逃亡ですかね」


 シュッシュッとシャドーボクシングをする七海さん。喋ってる最中にシャドーボクシングをする人、嫌だなぁ。


「そ、そうだぞ七海! 刃物なんか持った危ないやつに遭ったらら即逃げる! そういうのは警察に任せておけばいいんだ! 刑事やってる叔父さんも言ってたぞ!」

「だ、そうですけど七海さん」

「もー、冗談に決まってるでしょ? 変な人来たら、みんなで逃げようねー、絶対だよー?」


 七海さんの声が、やけに廊下に響いた気がする。


「逃げる以外の選択肢が、無ければの話です」

「あってもダーメ」


 足を止めずに、さっさとバイト先に向かえばよかった。


「わざわざ亞呂ちゃんが立ち向かう必要なんか、ないんだから」

  

 七海さんの赤みがかった髪が、抉られた赤土のように舞う。昔、似たような土砂を顔にかぶったのをふと思い出した。


「それなら、通り魔に遭遇しても、七海さんには連絡しません」

「えー、なんでよー」

「刺されるのは一人でいいですから」


 七海さん助けてーって助けを呼んで、二人刺されてあぼーんしたら、笑い話にもならない。腹を抉られて、出る物が全部出たら、電話してあげよう。


 自分の行いで多数の人たちに影響を及ぼすのは、苦手なんだ。

 

 だから私は、車が通らなくなってから押しボタンを押すし、刺されても通り魔がいなくなってから電話する。


 倒れた私を見たら、七海さんはどう思うだろうか。


「ばか」

 

 七海さんは、口をとがらせて、拗ねたように言った。


 兄に連れられて部屋に入っていく七海さんの背中を見送ってから、私も転がるように階段を降りる。


 一階の廊下を歩いていたら、偶然母と鉢合わせた。


「これからアルバイト? 頑張ってね、ご飯は冷蔵庫に入れておくから。帰ったらチンして食べて」

「うん、ありがとう」


 母にお礼を言って、家を飛び出す。


 ファッション雑誌を読んでいたら欲しい服がたくさん出来ちゃって、全部欲しいからお金を貯めるためにアルバイトを始めた。


 なんて、普通なんだろう。


 なんて、普通の女子高生なんだろう。


 刃物だろうと、弾丸だろうと。


 この正常を、壊すことなんかできやしない。


 さて、恋でも探しに行くか。

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