Barrette.2

第6話 背後には気をつけましょう


 アルバイトを始めてみた。


 七海ななみさんとデートをしたあの日から、誰かからカワイイって思ってもらうことの楽しさを知って、ファッションに興味を持ちだしたのがきっかけだ。


 いろいろと季節にあったファッション誌を眺めながら、この服カワイイけどモデルさんのスタイルがいいだけだな・・・・・・なんて、ひねくれたことも思うようにもなったけど、知らない未来の自分を想像するのはワクワクする。


 でも、服を買うにはお金が必要だということに気付いたのは、だいぶ後だった。


鳥谷とりたにさんは今日で二日目だったよね。今日は昨日と同じようにレジ打ちを練習して、慣れたら本番もやってみよっか」


 佐倉さくらに紹介してもらったコンビニは、佐倉の言うとおり同年代の子が多く、雰囲気も明るくて居心地はよかった。


 店長がバックヤードから顔を出して、フライヤーの近くをウロウロしていた私に声をかけてくれたので、私も「はいっ」と返事をする。


 元気よく、を意識して若干声が上ずる。


 今は夏休みだけど、まだ仕事期間の人が多いのか、昼間は客足が少なかった。


「もうちょっとしたらバイトの子が来ると思うから、そしたらその子に教えてもらってね」


 昨日は佐倉が教えてくれたけど、シフト的には今日は違う子がくるらしい。


 まったく知らない人・・・・・・なんか緊張するな。


 メモを見返しながら、時々入店するお客さんから身を隠したりしていると、バックヤードの方から朝礼の声が聞こえてきた。


 かちゃ、と恭しくドアが開いて、バイトの子が顔を出した。


「あ、よろしくお願いします。鳥谷です」


 自分の名字を口にするのはあまり慣れない。


 ぎこちなく頭を下げると、視界に映ったつま先がピンと立っていた。


「よ、よろしくお願いしまっ、します・・・・・・風守かざもり、です・・・・・・」


 ひゅ〜、どろどろ。


 そんな肌寒い隙間風を連想するようなか細い声だった。


「今、レジ打ちを練習してたところなんです。おつりの返し方とかは習ったんですけど、電子マネーの時の操作がまだ分からなくて」


 風守さんは、私が話しかけると「ひぃっ」と怯えるような声をあげて、一歩二歩、三歩・・・・・・十歩ほど下がってレジ下に積まれていたカゴの山に背中から突っ込んでいった。


 ガッシャーン! という音が、店内に響き渡る。


 ええー・・・・・・?


「ご、ごごごめんなさい・・・・・・わたし、たち、立ち上がれるのでっ」


 風守さんは尻からずり落ちると、そのまま軟体動物みたいに立ち上がって、軟体動物みたいに笑った。


 いや、まぁ、たぶん。ミジンコが笑ったら、こんな感じになる。


「へ、へへっ、電子マネーは慣れだよ慣れ。まあ最初は分かんない、分かんないよねっ、へへ」


 崩れたカートの山を直しながら、急に先輩風を吹かせてくる風守さんは、しゃっくりするみたいにずっと「へへ」と言っていた。


「すみませーん、タバコくださーい」

「ひゃあぃ!」


 お客さんがレジまで来たので、まだ対応できない私は一歩退いて風守さんに任せた。


「あ、15番? あ、75番・・・・・・3つ? あ、え? す、すみません、もう一回・・・・・・あ、15番で良かったんですね・・・・・・すみません、えっと、570円になりやす。へへっ」


 なんだか、悪徳な商人みたいになっていた。


「ぁありがとうございましたァ!!!!」


 そして最後だけ声デカ!


 いきなりの大声に、私もお客さんもビックリしていた。


 なんとか対応を終えると、風守さんはホッと胸を撫で下ろしてこちらを向いた。


 くまのできた不健康そうな目で、ぼーっと私・・・・・・の後ろを見ている。


「どうかしました?」


 虫でもいるのかと振り返ったけど、そこには何もいない。


「あ、いやっ、き、気にしないでください。それで、レジの操作だったよね・・・・・・で、電子マネーの時はね、ここをおおお押すのです」


 おが多かったけど、どうやらちゃんと教えてくれるらしい。


「ここが、こうでっ、えっと・・・・・・・あ、は、早かったら言ってくださいね、遅くするから・・・・・・教えてもらいながらメモ取るのって大変だよね、へ、へへっ」


 敬語が混ざったりどっか行ったりなのかは少し気になったけど、すごく親身に教えてくれる人だな、というのが第二印象だった。


 第一印象は、言うまでもない。


「それから、予約商品の時なんだけど、こっ、これが1番難しいんだよね・・・・・・わたしも最初の頃は覚えられなくて、失敗ばっかりして・・・・・・色んな人に迷惑かけて・・・・・・怒られたなぁ」

「はぁ」

「あぁぁっ、でもわたしは怒ったりしないのでっ! 間違えても、いいよ・・・・・・なんて、へっ」


 言いながら、風守さんはレジのボタンを操作していく。その手つきは、店長よりも慣れているように見えた。


 それから一通りの操作を教えてもらった。風守さんはどもりながらも、一生懸命教えてくれて、メモを取っている間はソワソワしながらも待ってくれたりで、すごくやりやすかった。


「今日はありがとうございました風守さん。すごくわかりやすかったです」


あがる時間になったので、風守さんに挨拶をしにいった。


 風守さんはお客さんがいないと、テキパキと仕事を進める。逆に、お客さんが入ってくると、門番のようにレジの前で固まって、中々動かなくなったりする。 


 人・・・・・・苦手なのかな。


 そうだとしたら、なんで接客業なんて選んだんだろう。


「風守さん?」


 声をかけても返事がない。


 風守さんの視線は、また私の背後に注がれていて、時折気まずそうに「あ、いや」と呟いていた。


 後ろを振り返っても、誰もいない。


「お疲れ様でした。次もまたお願いします」


 地蔵みたいに固まった風守さんから、返事はなかった。


 バックヤードに戻って、タイムカードを切る。制服を脱ぎながら店長に今日覚えたことを報告して、次回からは一人でもできそうだと伝えると、店長は嬉しそうに笑ってくれた。


 カバンを背負って、バックヤードを出る。


 店の出口の前に立ったその瞬間。


 ガッシャーン!


 後ろで音がした。


 振り返ると、カゴの山に風守さんが突っ込んでいた。


「だ、大丈夫ですか!?」

「い、言い忘れてた・・・・・・」


 風守さんが、カゴを頭にかぶったまま私を見る。


 何事かと私は身構えて、


「お、お疲れさま・・・・・・」


 すぐに脱力する。


「はい、お疲れ様でした」

「うんっ、へ、へへ・・・・・・」


 ミジンコみたいに笑う風守さんを置いて、店を出る。


 気になって、もう一度振り返って見るけれど。


 やはり後ろには、何もなかった。

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