第5話 あなたのヒミツと、私の秘密
昔から普通でありたいと願っていたけれど、その願いはすごく曖昧で、自分でも着地点がどこなのかも分からない子供が見る夢のようなものだった。
友達と遊んでも、私に生じたズレというものはどうしても隠すことはできなくて、仲良くなればなるほど、疎遠になっていく。
今となっては
そこに七海さんという色が追加されることによって、私はこうして黒い衣装を身に纏って街を歩いている。
恐竜のシャツを着て歩くよりは街に溶け込めているし、歩くたびに揺れるワンピースのスカートを見ると、不思議と気分が上向きになる。
「ねぇキミかわいいね。今一人? 良かったらお茶でもどう?」
壁によりかかってスマホを弄っていたら、知らない男に声をかけられた。
「私、かわいいですか」
「え? あ、うん。あははっ、キミ面白いね」
男も私と同じように、壁によりかかる。耳についたピアスは、太陽の光を反射して恭しく光っている。
「怪しいものじゃないよ。まぁ、正直に言えばただのナンパなんだけど」
「はぁ」
恐竜のシャツを着ていても、きっと考古学者か、博識なトリケラトプスくらいにしか話しかけられなかっただろう。
「ね、どう?」
「いいですけど」
「本当? やった。めっちゃ嬉しい」
人懐っこい笑顔に、私も付いていく。
なんとなく振り返ってみたけど、七海さんの姿はどこにもなかった。
「この辺に良い喫茶店があるんだ。ここからなら1kmもないよ。スフレっていうお店なんだけど」
「ああ、あれですね」
灰色の看板が見えたのでそれを指さすと、男は目を丸くしていた。
「驚いた、ざっと200メートルくらい離れてると思うんだけど。キミ、目がいいんだねぇ。視力いくつ?」
「だいぶ前に測ったときは、6でした」
「本当にキミ面白いね、6なんて測定しようがないじゃん」
男は爽やかに笑った。
「そうですね、冗談です。ごめんなさい変なことを言って」
「ああっ、いやいやいいんだよ! むしろ僕、ちょっと変わってるくらいの子が好きだからさ! 気にしないで!」
「・・・・・・・・・・・・」
私の機嫌を損ねないよう細心の注意を払って接する男を見ていたら、突然目の前に人が現れて、私と男は足を止めた。
「へぇ、キミかわいいね」
先ほどの男と、まったくセリフを吐くその人は。
「あたしとお茶でもどう?」
七海さんだった。
どこから見ていたんだろう。この人のことだから、もしかしたら最初から付けてきていたのかもしれない。
「お姉さんもかわいいけど残念、先客がいるんだ。両手に花、なんて。あいにく僕には似合わなくてね。ほら、行こう」
男が手を差し出してくる。とても紳士に、魅力的に。私をどこかに連れて行こうとしてくれる。
「
対する七海さんは言葉少なく、だけど目いっぱいの笑顔を浮かべて白い手を伸ばしてくる。
「亞呂ちゃんっていうんだ。変わった名前だね。ていうかお姉さんたち知り合いなの? なんだ、最初から言ってよ。えっと、姉妹とか?」
「裸を見せ合った関係」
七海さんにしては珍しく、鋭く言い切る。尖った声色に、淡々とした瞳。私に見せてくれる柔和なものとはかなり異なる。
「ね、あたしと来てくれるよね」
差し出された二つの手。どちらを取るかは、私の意思に委ねられている。
普通の人なら、どう考えたって、この男に付いていくんだろうな。
だって、爽やかだし、優しそうだし、紳士だし、カッコいいし。
でも、なぁ。
なんだかなぁ。
私はゆっくりと、七海さんの手の平に指を置いた。
すると、まるで魚が餌を引っ張るみたいに、グン! っと抱き寄せられる。
「信じてたよー亞呂ちゃん」
じっとりと汗ばんだ腕が肌に触れて、急に暑苦しくなる。
「くっつくのやめてくださいってば。というか、裸を見せ合った関係って、絶対勘違いされましたよ! あれ!」
「えー? いいじゃん勘違いされても」
後ろを見ると、呆然と男が立ち尽くして私たちを見ていた。
「なんなら、見せつけてあげる?」
「そんな趣味ないので遠慮しておきます」
「そんなー、なんか亞呂ちゃんってあたしに冷たいよねー。もしかしてあたしのこと、嫌い?」
ボリュームのある袖口は、人と歩く時すごく邪魔だ。露出した肩は、蚊に刺されて赤くなっている。シルクのような肌触りのスカートは、歩くたびにザラザラと太ももを撫でる。
それでも、脱ごうとは思えなかった。
一新した自分に酔っているわけじゃないけど。
なんでだろう。
人として、一人の高校生として。
健全な楽しみ方を教えてもらったみたいだ。
「嫌いじゃないです、けど」
「そっかー」
分かってましたと言わんばかりに、七海さんは笑った。
「じゃあ、約束通りお茶でもしよっか」
七海さんは噴水のある公園まで行くと、自動販売機で麦茶を買った。二人でベンチに座って、まずは七海さんが口を付ける。
「ね? お茶でしょ?」
「あづい・・・・・・」
冷房の効いた喫茶店に行きたい。
やっぱり、あの男に付いて行った方がよかったか。
「はいっ、あと全部飲んで良いよ」
この際、間接キスとかはあまり気にしないようにした。
残った麦茶をちびちびと飲みながら、木々に止まったセミたちの大合唱に耳を傾ける。
「普通ってなんでしょうね」
そんな言葉もきっとセミたちがかき消してくれると思っていた。
「何もかもを受け入れること、かな」
けど、聞こえてしまっていたらしい。
気付けば七海さんは私の前の立っていた。
七海さんによってできた日陰が、私の頭を冷ましていく。
「
「兄め」
呪詛を唱える。夏だからか、中々雰囲気はあった。
「周りの人とか環境でその人の価値観なんか簡単に変わっちゃうから、誰かと自分を比べて、普通を定義しなくてもいいと思うよ」
「難しいことを言いますね」
「難しくないよ。亞呂ちゃんのその服、あたしの好きなK-POPアイドルの子が着てる服なんだけどね」
「けーぽっぷ」
知らない言葉だ。ポップコーンの新種だろうか。
「知ってしまえばそれまで。でも、知らなければ、自分のもの」
人差し指をくるくると回しながら、聡明っぽいことを言う七海さん。
「大丈夫だよ。亞呂ちゃんはそのままで」
「逆に、優しいですよね。私に、その」
「なぁに? 言いたいことがあったら、遠慮なく言って?」
心を、見透かされたようだった。
「・・・・・・七海さんは、どうして私なんかに構うんですか」
口にすると、どうにも粘つく。血痰を吐き出しているかのようだった。
「兄じゃなくて、どうして私に」
別に、彼氏と付き合っていく以上、その妹とも仲良くしていこう的な、社交的な理由だったら全然問題はないんだけど。
いかんせん、この人は距離が近すぎる。
言い終わる前に、七海さんはベンチから離れていった。
「教えてあげてもいいけど、その前に」
太陽が、雲に隠れる。
「亞呂ちゃんのことも教えて欲しいな」
陰りのできた視界は、冷ややかに、大気の温度を奪っていく。
「人に聞くなら、まずはそっちからヒミツを暴露するのが礼儀なんじゃない?」
「別に、七海さんの前で礼儀正しくありたいとは思っていないんですけど」
「えー、リスペクトがないなぁ」
結局、教えてくれないのだろうか。
「とにかく、今はナイショ」
七海さんは長い人差し指を口元まで持って行くと、前屈みになってウインクする。気に入っているんだろうか、そのポーズ。
「あたしはまだ、亞呂ちゃんに嫌われたくないから」
「嫌いになんて、なりませんってば」
そこまで言って、しまったと思った。
気付いた時には、七海さんの顔がすぐそこまで迫ってきていた。
「ふーん?」
七海さんの瞳を見ていると、まるで重力を失ったかのように足元がおぼつかなくなる。
「えへ、好きだよー。亞呂ちゃんのそういうところ」
「言っておきますけど、浮気相手になるのはごめんですからね」
「あはは、気をつけるよ」
気をつけるってなんだ・・・・・・。
分からない、この人のことが、さっぱり。
七海さんと別れて帰路に就く。
あれから映画を観に行って、近くのデパートで爪を塗ってもらった。
煌びやかに光る自分の爪を、夜空にかざしながら歩く。
自分で自分のことをカワイイなんて思ったことなかったけど、普段と違う色を纏った自分の身体を見ると心が躍る。なんでだろう。なんでだろうね?
「ちょーかわいいぜ」
ぜ。と語尾にくっつく。兄の影響かもしれない。調子に乗ってる証拠だ。
柄にもなくスキップしながら、七海さんとの約束を振り返る。
来週は美容室に行って、それからまた服を見に行く。私はファッションというものが分からないから七海さんと一緒に、だ。
もしかしたら、近づいているのかもしれない。
私の望む、私という存在に。
「おかえり亞呂、どうだった? 七海とのデートは」
「デートって、いいの? 浮気じゃん」
「だっはは、妹に嫉妬してどうすんだよ」
豪快に笑う兄の横を通り抜ける。
「帰り道大丈夫だったか?」
冷蔵庫から炭酸を取り出して飲んでいると、兄が心配そうな顔で聞いてきた。
まだ気にしてたんだ。本当、心配性というか、弱っちいというか。
「大丈夫だって」
「そっか、よかったぁ。通り魔なんて怖いよなぁ、早く捕まってほしいよ」
そんな兄が私の飲む炭酸をジッと見ていたので差し出すと、兄は慌てて首を振った。
誰が口を付けたとか、そういうのを兄は昔から気にする人だ。
私が七海さんと間接キスしたことは言わない方がいいかもしれない。
お節介かもしれないけど、そんなことを思った。
「いいじゃんその服、似合ってるぜ」
「ありがとうだぜ」
兄との対話を終え、部屋に戻る。
数日残っていたバニラの香りはとっくに消えていて、今は七海がこの部屋にいた痕跡も残ってはいない。
買った服がシワにならないようにハンガーにかけて、クローゼットにしまう。
鼻をスン、と鳴らすと、埃に混じって錆びた鉄の香りが鼻腔をくすぐった。
「ヒミツ・・・・・・」
あちらに言う気がないのなら、私だって教えるつもりはない。
教えたらきっと、今の日常は壊れてしまう。
「あ」
そうか。
ということは私、今の生活が、気に入ってるんだ。
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