第22話 グッバイ普通

 私はすぐにドアの裏側に身を隠した。


「二手に分かれろ。店員だな? お前はこっちだ」


 あの男は、何をしている? 人質でも取る気か? 人員を分けているのは、交渉を成立させるための交換条件に備えている?


 あまり顔を出すわけにはいかないので鮮明に中の様子を確認することはできないが、考えつく可能性はそれくらいだった。


 とりわけ、やっていることは立てこもり犯というやつに近い。


「そのガキを黙らせろ!」


 男の声に混じり、子供の泣き声がする。おそらく、さっき私たちの隣のテーブルに座っていた子だ。


 両親と分けられてしまったのだろうか、あやす声は聞こえない。


 しかし、こんな開けた場所で立てこもりとは、とんだ素人だ。透明な窓ガラスの中で身を潜めるなんて、私を撃ってくださいと言っているようなものだ。訓練だったら始まる前に怒鳴られてるぞ。


 店の外を歩く人達も、さっきの銃声に気付いたのか、何事かとこちらの様子を窺っている。


 一つ、息を吐く。


 大丈夫だ。あの中に警察に通報した人も何人かいるはず。


 そうでなくとも、交渉が目的ならあの男が自ら警察に連絡をするだろう。


 今すべきことは、男を刺激しないよう、大人しくすることだ。


「お母さんとお父さんと離ればなれになって不安なんです、この子もあっちのみなさんと合流させてください」


 その場で、思わず転びそうになった。


「それがダメなら、せめてこの子だけでも外に出してあげてくれませんか」


 七海ななみさん・・・・・・?


 あの人、何やってるんだ・・・・・・!


「人質の要求なんか呑めるわけねぇだろ黙ってそこに座ってろ」

「でも――」

「身の程を知れって言ってんだ!」

「きゃあっ!」


 男の叫び声と、七海さんの悲鳴が同時に聞こえる。椅子が倒れたような音がして、中の緊迫感がこちらまで伝わってくる。


『変な人来たら、みんなで逃げようねー、絶対だよー?』


 ・・・・・・全然、逃げないじゃないか。


 何立ち向かってるんだ。


 あの人はいつも、言ってることとやってることがめちゃくちゃなのだ。


 こういうときは、大人しく身を潜めてればそれでいいのに・・・・・・!


「な、なら目的はなんですか? もし人質が目的なら、思い通りに動かない子供は障害になるはずです」


 それでも怯まない七海さん。


 今度は、食器の割れる音が聞こえた。


「あ、そっか言わなきゃわからねぇか」


 鼓動が早くなる。


 こめかみのあたりで、自分の血管が脈動しているのが分かった。


「今の若い子ってぇ、あれ野放しにしちゃヤベーと思うんだわ。分かるだろ? 最近のニュース見てりゃさ、わっけわかんねーことで捕まってる奴ら、全員十代だ。あいつら、生まれた時からインターネットとか、SNSとかに囲まれて生きてっから自分のこと特別だって思い込んでるんだよ。そのくせ特別になりたいって思ってる。矛盾してるだろ? その矛盾が事件起こすんだよ」


 てめぇらも聞け、と男が声を張り上げる。


「人と違うことすりゃいいと思ってるし、小さい頃から自分は自分らしくなんて根拠のねぇ美徳を教え込まれて生きてるから、ムカつくからはいじゃあ殺します、それが許されると思ってやがる。常識とかルールに抗うのがカッケェって勘違いしてっからな、特別とワガママを履き違えてとんでもねーことやらかすんだよ」


 男の声がくぐもる。反対側を向いた証拠だ。


 私はドアの隙間から、バレないように中の様子を窺った。


「そんなガキ共が大人になってみろ? 承認欲求と自己肯定感に狂わされた大人たちが社会を作ってその結果どうなると思う? 無法地帯のできあがりだ。成功したやつだけ成功して、失敗したやつはそのままどん底。劣等感に押し潰されて、結局奇行に走るのがオチ。そうなったときあいつらが標的にするのは誰だ? 決まってる、俺たち今の大人だ」


 男が、銃を人質に突きつけて話を言い聞かせている。


「そうやって、今のクソガキ共の逆恨みが始まれば被害に遭うのは俺たちだ。だからな、その前に、俺たちが今の若い奴らを殺さなくちゃならねぇ」


 私と、同じだ。


 殺される前に殺す。


 それが自分を守る最善の手段だと、信じて疑わない。


「だからてめぇらは見せしめだ! 警察を呼べばテレビ中継もされる。それを見てる奴らの前で、てめぇらには死んでもらう。それで思い知らさせんだよ、てめぇら若けぇやつらは、大人の言うことに従って生きてりゃいいんだってな!」


 加害でしか訴えかけられることのできなくなった者の、総称。


 本当、どこの国にもいるんだな。


「っつーことで、まずはてめぇだ。さっきはよくも俺にタテついたな、いるんだよな自分のことを正義の味方だと思ってるやつ」

「あっ!」


 男が七海さんの腕を引っ張って、銃口を突きつける。


 ――あ。


 警察が到着するまで、大人しくやり過ごす。


 それが最善の方法だ。分かってる、分かってるんだけど。


 あいつ・・・・・・七海さんに触って――。


「ドアストッパー」


 気付けば、手に取っていた。


 それから、消臭スプレー。


 丁度トイレにあったものを見繕う。


 ドアストッパーを右手に持って、消臭スプレーは後ろのポケット。


 あとは、スマホのライトをオンにする。


 普通の女子高生になる。


 平穏な生活を送る。


 それはまぁ、そうなんだけど。  


 果たして。


 ――大切な人が危ない目にあっているのを黙って見過ごすのは、普通なのだろうか。


 よし、行こう。


 勢いよくドアを開けてスマホを投げる。


「あ!?」


 男の視線はライトの付いたスマホに一瞬移った。


 その隙に、私は男めがけて全力で駆け抜ける。


「んだ、てめッ!」


 男がナイフを振り上げる。


 あ、やっぱそっちなんだ。やはり、銃の扱いに慣れてるわけじゃない。


 後ろのポケットから消臭スプレーを取り出して男の顔に吹きかける。男は顔を防ぐため銃を持った左手を突き出した。


 私はドアストッパーを思い切り握りしめ、男の手の甲に振り下ろす。


「が――ッ!?」


 重い音を立てて銃が床に落ちる。


 男は目を手で覆いながら、一心不乱にナイフを振り回す。


 突き刺すんじゃないんだ。こっちも素人、だけど、武器を持てば非力な子供だろうと人を殺められる力を持つ。


 肘を押さえ込んでナイフの柄を握る。同じくドアストッパーを叩きつけると、男は悶絶して地面に転がり落ちた。


 カラン、と音を立てて落ちたナイフの刃を踏んで、思い切り曲げると、ナイフはひしゃげたのち、あっけなく折れた。


 ほぼ、十秒も経たない出来事だった。


 我ながら、うまく出来ただろうか。


「亞呂ちゃん、後ろ!」


 七海さんが叫ぶ。


 ――え?


 振り返ると、男が一人、焦った表情を浮かべて、私に銃口を突きつけていた。


 もう一人いたのか。


 思い返せば、さっきの男の視線移動は、もう一人仲間がいるようにも見えた。それに気付けなかった私のミスだ。


 平和ボケ、かな。


 警戒心なんて、ずっと前になくしてしまっていたから。


 私はすぐに地面に落ちた銃を拾い上げて、すぐさまもう一人の男に狙いを定める。


 だけど・・・・・・。


 撃てない。


 所詮これは脅しだ。


 私には、この引き金を引くことができない。


 もう誰も傷つけない。誰も殺さない。


 引き金を引けば、その約束を破ることになってしまう。


 男は指を引き金にかけ、力を入れる。


 幾度も見てきた発砲の瞬間、力の入れ方。


 この男は、撃つ気だ。


 殺される前に殺す。それは、とても合理的で利己的だ。自分が生き残る術として、これほど適したものはない。


 ――撃たれる。


 撃たれると、どうなる? 死ぬ。死ぬのか。


 しかしこの命は、璃空りくさんに救ってもらった命。


 璃空さんの言う通り生きて、その末に死ぬのなら後悔はない。


 私はこれまで、璃空さんに生かされてきたのだから、こういう結末も充分あり得た。


亞呂あろちゃん!」


 七海さんの声。


 まるで走馬灯のように、七海さんと過ごした日々の思い出が頭の中を駆け巡っていく。


 楽しかった。そう思うのと同時、死にたくないと思った。


 けど、私が生き残るには、目の前の男を殺すしかない。


 そんなこと、私にはできない・・・・・・。


『アロ、てめぇにとっておきの技を教えてやる――』


 ・・・・・・自然と、指は引き金にかかっていた。無意識だった。


『敵の顔じゃなく、銃口を見ろ。射線はほぼ垂直、ならあとは引き金を引くだけだ。アロ、てめぇの狙撃力なら難しいことじゃねぇだろ』


 私はずっと、璃空さんに生かされているのだと思っていた。


『大切なのは勇気と胆力。射線上に自ら立つ、失敗すれば死に繋がるハイリスクな技だ。使うときには、命を賭けろ』


 けど、違った。


 私は、私の人生は、出会った全ての人によって構成されている。


 私を産んでくれた両親、保護してくれた大人たち、お世話になった基地の人たち。私を育ててくれた今の母。それから、私に日常というものを教えてくれた兄、佐倉、邪夢ちゃん。・・・・・・七海さん。


『まぁ、てめぇに命を賭けてでも守りたい存在がいたらの話だけどな』


 いる。


 いるんです。


 今ここに。


 ――ガキンッ!


 銃口が交錯したその瞬間。


 私の撃ち放った弾丸は、男の持った拳銃に直撃し、甲高いを音を立てて後ろの椅子に着弾した。


 あとコンマ一秒、遅れてたら危なかった・・・・・・。


 私は男の手から落ちた銃をすぐさま拾い上げ、二丁の拳銃を男二人に突きつける。


「な、なんだよコイツ・・・・・・!」

「い、イカれてやがる」


 武器を全て奪われた男たちは、怯えるように床を這いずって――。


「やってられるか! ずらかるぞ!」

「だから若い奴らは嫌なんだよ!」


 男二人は、脱兎の如く店を飛び出していった。


「七海さん、大丈夫ですか」 


 床にへたり込む七海さんに手を伸ばす。


 しかし七海さんの視線は、私ではなく、握られた、銃に向けられていた。


 あぁ、そっか。


「すみません」


 銃を置いて、手を伸ばす。


「亞呂。ちゃん・・・・・・?」

「ええっと、これはですね」


 困惑の表情。どう説明すればいいか分からず、私は誤魔化すように笑うしかなかった。


 周りを見ると、呆然と立ち尽くす人たちが、私を見ていた。


 怪訝な表情は、やがて歓喜に変わっていき、


「う、嘘! キミ! 今何したの!? 早すぎて全然見えなかった・・・・・・!」

「私達、助かったの!?」


 店内が一気に騒がしくなる。さっきまでの緊迫感を打ち消すように、助かったという安心感がそうさせたのだろう。


 やがて警察が到着したが、拳銃を二丁ひっさげている私を見てギョッとしていた。


 そして後から付いてきた刑事姿の叔父さんが、私を見て肩を竦めている。


「この子が助けてくれたんです! もう、犯人をこう、殴りつけて! 武器を奪って!」


 一緒にいた人たちが、一生懸命私の無実を説明しようとしてくれていた。


「と、とりあえず話は署の方で・・・・・・みなさんも一応聴取を取りたいので・・・・・・」


 あーあ、終わったな。


 こんなことをして、何にもありませんでしたー、とは問屋が卸さないだろう。


 七海さんにも、もちろん、邪夢ちゃんにも説明しなくちゃだし。


 さよなら、私の普通の高校生活・・・・・・。


 せっかく順調だったのに、まさか自ら破壊してしまうとは。


 でも、いいか。


 そのおかげで、大切な人を守ることができたのだから。


 そんなこんなで、事情聴取のために署まで向かう私たち。


 引き金を引いた私の指は、今も微かに、震えていた。

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