第23話 これが私の答えだ

   

 逃げた犯人はあの後すぐに逮捕されたこと、それから、私の身元は刑事である叔父さんが説明してくれたことで事情聴取はとても簡素なものに終わった。


 母に電話をしてもらって迎えにきてもらう運びとなったが、ここに連れてきたのは警察の方々なのだから、送ってくれたらいいのになー、なんて思ったりもした。


「お疲れ様です」


 廊下で荷物を受け取っていると、叔父さんがご丁寧な口調で話しかけてくる。


「叔父さん、ありがとうございます。私のこと、話してくれて」

「お礼を言いたいのはこちらだよ。犯人の手がかり、掴んでいたにも関わらず事件を事前に防げず申し訳ない」

「い、いえ。私もすみません」


 頭を下げる叔父さんにビックリして、慌てて私も謝る。


亞呂あろちゃんが謝ることはないよ。亞呂ちゃんの活躍がなかったら被害が出ていたかもしれない。本当に面目ない。コーヒーは飲めるかい?」

「あ、はい」


 叔父さんが廊下の自動販売機でコーヒーを買って、私に投げてくれた。


 カシュ、と空気の抜ける音が廊下に響く。署内は案外静かで、窓口の付近では観葉植物がぽつんと植えられているだけ。病院の受付を思い出すような風貌の場所だった。


「あの、叔父さん」

「ん? 何かな?」

「特別じゃないくせに特別になろうとするから、今の若いやつらは矛盾を起こすんだって、犯人の男が言ってました」


 ドアの後ろに隠れながら聞いていたけど、あの男が言いたかったことを、私はすべて理解できたわけじゃない。ただ、男が抱いている憎悪と恐怖の矛先が、私だということだけは分かっていた。


「そうなのでしょうか。私、私たちは・・・・・・危険な存在なのでしょうか」

「違うでしょ」


 叔父さんは驚くほどきっぱりと否定した。


「そもそも特別ってその人の中にしかないものだから、今の子たちがとか、昔の人は、とかって論争がそもそもお門違いなんだ。亞呂ちゃん、キミにとっての特別ってなんだ?」


 私にとっての、特別?


「百万円手にすること」

「ハッハッハ! たしかに、僕も欲しいねぇ」


 存外ウケてくれた。


「けど、世の中には百万円なんてはした金にしかすぎない人もいる。人によって特別というのは変わるものなんだ」


 叔父さんもコーヒーを飲んで、思い切り咳き込んでいた。


「誤嚥なんて若い頃はしたことなかったんだけどね、年取ると咳き込むのが当たり前になって困るよ」


 叔父さんは口元をハンカチで拭いて、缶をゴミ箱に捨てた。


「つまり、まぁ今回の犯人の男から見たら若い子という存在は恐怖なんだろうけど、そうやって世代や世間を一緒くたにまとめて区別すると視界が狭くなりがちだ。亞呂ちゃん、キミはキミの特別を信じなさい」

「私の、特別ですか」

「キミの大好きな、普通、でも構わないけどね」


 普通と特別、並べてみると一見違うように見えるけど、目指して走り出すと、道のりは同じだ。


 叔父さんはまだ仕事があるようで、奥の部屋へと入っていった。私は叔父さんに頭を下げて、署を出る。外はすでに暗く、空には月が見え始めていた。


 駐車場を抜けた門の近くまで行くと、七海ななみさんの後ろ姿が見えた。


「七海さん」


 声をかけると、長い髪がカーテンのように靡いて、反射した月の光を塗装するように宙を舞う。


「亞呂ちゃん」


 お互い、会話に整然さがなかった。


 どこかぎこちない。何から話そうか。何を話されるだろうかという疑念から、どちらも一歩を踏み出せずにいるような状態だった。


「あの、実は」


 ヒミツを、話さなきゃいけない時がきた。


 そう思って口を開きかけたのと同時、私は七海さんに抱きしめられていた。


「え、あの・・・・・・七海さん?」


 あまりに突然のことだったので、私の腕はいまだに宙をさまよっている。


 私の背中を折る気なんじゃないかと思ってしまうほど、力強く抱き寄せられる。私の首筋に顔を埋めた七海さんが、小さく何かを呟いた。


「・・・・・・か」

「え?」

「亞呂ちゃんのバカ!」


 ・・・・・・怒られた。


「なんであんなに危ないことするの!? 相手は刃物と、銃を持ってたんだよ!? そんなのに立ち向かっちゃダメでしょ! ああいうときはジッとしてないと亞呂ちゃんが怪我しちゃうかもしれないんだよ!?」

「はあ!?」


 どの口が言うんだ、と思ったら私も自然と大きな声を出してしまっていた。


「そっちだって、人質のくせに何犯人にもの申してるんですか!? アホなんですか!? 男が逆上して七海さんのこと撃ってたらどうするんですか!」

「しょ、しょうがないでしょ!? 子供が泣いてるんだよ!? そばにいたあたしが助けないで誰が助けるの!」

「七海さん前に通り魔が出たらみんなで逃げようねー絶対だよーとか言ってたじゃないですか! それがなんであんなことになるんですか!? あべこべじゃないですか! ハンドル壊れてるんですか!?」

「困ってる人がいたら話は別でしょ!? あたしはなんともなかったんだからいいじゃん! 問題は亞呂ちゃんだよ! あんなことして! あたし、亞呂ちゃんに何かあったらって思ったら怖くって腰抜けちゃったんだよ!?」

「それならそっちだって! 七海さんがもし撃たれちゃったらって思ったら勝手に身体が動いてたんです! そもそも七海さんがあんなことしなきゃ私だって黙って隠れてるつもりだったのに! 七海さんのアホ!」


 互いに睨み合いながら、思ったことを全部吐き出す。


 これが、喧嘩というやつか。


 思えば私は、こうして誰かとぶつかったことはなかった。


 なんだろう、ちょっとだけ、気分がいい。


「亞呂ちゃん、あんなことしたのに、全然怖がってないんだもん」


 それに、こうして喧嘩をしている今だけは、七海さんの本当の気持ちを聞けている気がした。


「もうしちゃダメだよ・・・・・・あんなこと・・・・・・」

「大丈夫ですよ、全然普通に、怖かったです」


 ほとんど無意識の出来事だったとはいえ、全てが終わったあと、ようやくやってきた死と隣り合わせだったいう実感は、確実に私の指を震わせていた。


「失敗してたら死んでたかもしれないわけで・・・・・・いえ、死ぬのが怖いんじゃありません。七海さんと、もう会えなくなるのが、本当に怖くって・・・・・・」


 あのとき脳裏に浮かんでいたのは、七海さんと過ごした思い出の数々。ようやく手にした、やっと分かった。私にとっての幸せ。それを二度と見られないと思うと、頭がどうにかなりそうだった。


「だからもうしません。そんなの・・・・・・嫌なので」


 私を抱きしめる力が、ふっと緩んだ。


 目の前の七海さんは、少しやつれていて、髪が乱れている。あんまり、綺麗じゃないなと思うと、少しだけ笑えてきた。


「七海さん、聞いてくれますか。私の昔の話です」


 七海さんはゆっくりと頷いた。それを見て、私は自分のことを、包み隠さず七海さんに伝えることにした。


 小さい頃中東にいたこと。本当の両親はすでに亡くなっていること。それから各地を転々として、いろんな大人に保護されながら、最終的に基地に辿り着いて、人を殺す方法を教えてもらいながら、人を殺すためだけに生きてきたこと。


 だけど結局誰も殺すことはできなかった。敵に拠点を攻め込まれたとき、たくさんの人が死んだこと。その原因の発端が、引き金を引けなかった私にあること。


 そんな私を許してくれて、守ってくれて、救ってくれた人がいたこと。


 その人に普通に生きて、普通に幸せになって欲しいと言われた。だから私は、今もこうして普通を追い求めて生きていること。


 私の命は、その人のためだけにあったこと。


「これが私のヒミツです。本当はもっと、平穏に生きたかったんですけど、今日はこんなことになっちゃったので。私の普通はこれでおしまいですね」


 自嘲気味に笑ってみる。だけど、不思議と後悔はなかった。


「そう、なんだ」


 七海さんは私の話を最後まで真剣に聞いてくれた。


 そして静かに頷いて、真剣な顔で私を見た。


「よかったの? その人のために普通になろうしてたんでしょ?」

「今日のはもうしょうがないですよ。不可抗力です。それに・・・・・・答えも分かったので」

「答え?」


 ずっと追い求めていたもの。


 私の生きる意味、命の価値。


 璃空りくさんの残してくれた言葉。


「普通ってきっと、私の中にしかないんです」


 さっき叔父さんが言ってくれた言葉で、ピースが揃った。


 私は一人で答えに辿り着けるほど頭も良くないし、強くない。だからこれからもこうして、いろんな人たちの思いを借りて、人生を突き進んでいくのだろう。


「世間から見た普通に合わせて、自分の中の異常を磨り減らして溶け込んでいく。それって一見普通に近づいているように見えますけど、世間が変わってしまったら普通とは言えなくなるじゃないですか。そうやって移り変わっていくものに身を置くのってすごく不安定だし、無意味だと思うんです」


 だってそうだ。


 璃空さんは何も、大人しく生きろなんて言っていない。


 一般人に溶け込んで生きろなんて言っていない。


「私が一番、私らしくいられる私になること。それがたぶん、普通ってものなんです」


 これが、私の答え。


「七海さんは、どうですか?」

「あたし・・・・・・?」

「前に話してたじゃないですか。布団の話です。本当は柔らかいものが好きだけど、それは普通じゃないから、硬いものを好きになるようにしたって」


 私の部屋で話してくれた、七海さんのヒミツ。


「たとえば、もし私が七海さんに恋したとして、私は七海さんの好きになろうとしている硬いものになろうなんて思いません。私は柔らかいままで、嘘偽りのない私を好きになってもらおうと努力します。普通の私を、見て欲しいので」

「でも、あたしのは亞呂ちゃんとは違うよ。亞呂ちゃんのヒミツは、誰かを救うことのできるものなのかもしれない。けど、あたしのは誰かを傷つけることしかできないから。だから・・・・・・」

「もしその方向に進んで七海さんが七海さんらしく生きていけるのならそれでいいです。けど、七海さん、辛くないですか。自分で自分のこと、傷つけてないですか?」

「それは、そうかもしれない。でも、もう誰も傷つけたくないし、あたしも、傷つきたくない。だから自分の過ちを見つめて・・・・・・ひた隠して、変わろうと――」

「って、思うじゃないですか」


 我ながら、ドヤ顔をしていたと思う。それくらい、自信があったのだ。


「隠す事と恥じる事って、違うと思いますよ」


 一度否定されたから自分は間違ってる。そう思ってしまうのは簡単だ。結論を急ぐというのは、考えを放棄することに等しいから。希望を捨てれば一緒に絶望も消えるから、それで楽なのかもしれない。


 でも、それはやっぱり、私は悲しいなって思う。


「別に、女の子同士でもいいじゃないですか」


 ギュッと握った七海さんの手は、羽毛布団のように柔らかい。


「・・・・・・ッ!」


 七海さんは振り払うように、私の手を振りほどく。


「む、迎えが来たみたい。あたし行くね、それじゃあね。亞呂ちゃん」


 七海さんが駐車場に向かって走って行く。


 追いかけてもよかったけど、なんとなく、今日は違うなって思った。


 小さい頃の私だって、その力で誰かを救えるかもなんて言われたって、絶対にすぐには理解できなかった。


 何年も経って、いろんな人に出会って、いろんな人に助けられて、それでようやくここまで来たのだ。


 私も、七海さんの中の「いろんな人」のうちの一人になれるかな。


 私が救われたように、私も七海さんを救ってあげたい。


 この気持ちって、なんなんだろう。


 友情? それとも――。


「お節介かもしれませんけど、お互い様ですよ」


 七海さんだって、いきなり私の部屋に入ってきて、私の心に入ってきて、私のことを好き放題救っていったのだから。


 あなたも、私と同じ、普通になってもらいます。


「逃がさないぞー」


 口調まで、七海さんっぽくなってしまった。


 花のように笑い、鳥のように腕を広げ、風のように駆けて、月を見上げる。


 璃空さんに託された私の、普通の人生は。


 まだ、始まったばかりだ。

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