Barrette.5
第21話 こんな時間がずっと続けばいいのに
「あれ? 叔父さん」
すっかり秋模様となった空の下を買ったばかりのスニーカーを履いて走っていると、公園の脇にワンボックスカーが停まっているのを見つけた。
車のそばでは、叔父さんが腕を組みながら難しそうな顔をしている。
目が合ってしまったので、見て見ぬフリはできず、そのまま話しかけた、というわけだった。
「おお、
「いえ、買い物です。
「そうかそうか。ハッハッハ、楽しんでるじゃないか。日本も悪くないだろう?」
「そうですね」
叔父さんと顔を合わせると、決まって昔のことを掘り返される。私はそれがあまり好きではなかった。
「ただ、気を付けなさい」
突然、叔父さんが刑事の顔つきになる。そういえば仕事中か、忙しいときに話しかけちゃったかな。
「昨日、この辺りで通り魔が出たんだ」
「え、またですか」
いつだったか忘れたけど、前もそんなような事件があった気がする。
「おそらく同じ犯人だ。被害者は命に別状はないが・・・・・・」
叔父さんが、眉間にシワを寄せて何かを言い渋る。
「銃を、所持しているみたいなんだ」
「物騒ですね」
「目的が分からない今、しらみつぶしに探すしかないんだけど・・・・・・まぁこれはこっちの事情だ。亞呂ちゃんも、遊びに行くのはいいが、充分、気をつけてね。暗くなる前には帰るように」
「分かりました」
叔父さんも仕事が立て込んでいるらしく、車内にいた警官から声をかけられてすぐに返事をしていた。
叔父さんに頭を下げて、その場を後にする。
通り魔か・・・・・・。
通り魔って、なんなんだろう。目的も分からず、ただ目に付いた人を傷つける者の総称。暴力や、加害でしか自分の感情や願いを訴えかけられなくなった者の総称。
少しだけ、昔の私に似ている気がした。
約束したデパートの駐車場に行くと、七海さんと、それから
「すみません、遅れました」
「ううん、こっちがいきなりお願いしたことだもん。来てくれてありがとう」
「邪夢ちゃんもいるとは思いませんでした」
「さ、さっきそこでばったり会ったんだ。わ、わたしはお母さんにおつかい頼まれてて、でも、どこに売ってるかわかんなくて・・・・・・ウロウロしてたら七海先輩が声をかけてくれて・・・・・・」
「ナンパしちゃった」
またそういうことを言う。
「へ、へへっ・・・・・・ナンパされちゃった」
邪夢ちゃんも邪夢ちゃんで真に受けている。本人が嬉しいならいいけどさ。
デパートに入ると、七海さんは六階にあるアパレルショップへ向かった。店内の装飾は洋服を扱うお店とは少し違って、コスプレめいた衣装のようなものが多く見受けられる。
「経営が劇団だから、素材もしっかりしてるし、レンタルもできるんだって。すみませーん」
七海さんが店員さんを呼ぶ。
文化祭の劇で使う衣装が全部揃わなくて、王子用の衣装を買いに来たという七海さん。この前台本を使って王子役をした私にも見て欲しいということで、私は呼ばれたわけだ。
兄は文化祭間近ということもあって、委員会が忙しくて来られなかったらしい。
先におつかいを済ませてきた邪夢ちゃんが、後から合流してくる。入り口付近で足をガタガタさせて震えていたので声をかけてあげると、生まれたての子鹿みたいに近づいて来た。
「こ、こんなキラキラしたお店・・・・・・わたし入っていいのかなぁ」
「あなたなんか入っちゃダメ! なんて言うお店だったらこんなキラキラしないはずだから大丈夫だと思うよ」
邪夢ちゃんの片手には、和菓子屋さんの袋がぶら下がっている。無事おつかいの品を見つけられたみたいだ。
「亞呂ちゃん亞呂ちゃん」
邪夢ちゃんが合流してすぐ、七海さんがお店の奥から姿を表した。手には話をしていた王子の衣装と、何故かお姫様の衣装を持っている。
「青と黄色で良い感じだなって思うんだけど、亞呂ちゃんはどう?」
「いいんじゃないですか? ちょっとアニメチックな気もしますけど」
「そっかー、邪夢ちゃんは?」
「め、滅相もございやせん。亞呂さんと七海先輩が言うのだからそれで大丈夫だと思いやす」
邪夢ちゃんはときどき、子悪党みたいな喋り方になる。
「じゃあこれにしよっと。それで、こっちの衣装なんだけど、亞呂ちゃん着てみない?」
「え、なんで私が?」
「試着するだけ! ね、絶対似合うから!」
七海さんの趣味全開の、黒いドレス。施された花の装飾でなんとかお姫様感は出てるけど、なかったら女王様だな・・・・・・。
「さあさあ!」
「うわあ!」
押し込むように試着室に放り込まれた。
こうなると着ないわけにはいかないので、私は渋々着ていたシャツを脱ぐ。
着たことのないような服を着るのは、いつも緊張する。鏡に映る自分が、自分の理想とかけ離れていたときが怖いからだ。
「どう? 終わったー?」
「ぎゃー!」
シャツを脱いだところで、丁度七海さんがカーテンを開けて試着室に入ってくる。
「絶対、わざとですよね! この前といい!」
「ごめんごめん、タイミングが良かったね」
「悪かったんです!」
この人はいつも、私が着替えているところを覗き見する。ヘンタイなのだろうか。
「いいじゃん減るもんじゃないし。それに」
「裸を見せ合った仲だろうと意図的に覗くのはヘンタイです不埒です謹んでください」
「えー? 亞呂ちゃん綺麗な身体してるのに、恥ずかしがることないんだよ?」
「き、綺麗ですか?」
そんなこと、初めて言われた。
って、当たり前か。人前で裸体、もしくは下着姿を晒すことなんか今までなかったのだから。
「そうそう、身体の線がシャープでさ、かわいいよね」
「ふ、ふーん」
そう褒められると、嫌な気はしない。
「というわけで、もっと近くで見てもいい?」
「それとこれとは話は別です」
しかしきっちりと、分別はあるのだった。
七海さんはこうやって相手を調子づかせるのが上手い。よいしょよいしょと持ち上げて、天狗になったところで・・・・・・ところで、何をするのだろう。
七海さんは私に、何を求めてるの?
試着室から七海さんを追い出して、ドレスを披露すると、七海さんや邪夢ちゃん、その他店員さんと多方面からお褒めの言葉をいただいた。ドレスを脱いだ後も、そのときの自信が足元に宿ってしまったらしく、デパートを出るまで高らかなで上品な足取りを保っていた。
「亞呂ちゃんのドレスすっごく可愛かったねー、本番もあれで出ちゃう?」
「いや他校の劇に勝手に出るわけにはいかないでしょう・・・・・・」
「そう? バンドとかは他校からも参加してるわけだし、いいんじゃない?」
帰り道、夕焼けの見える街路樹を三人で歩いていた。
「
「わ、わたしはムリです・・・・・・劇なんて、絶対・・・・・・」
私のあとに着せ替えられていた邪夢ちゃんは妖精の衣装を身に纏っていた。邪夢ちゃんの纏うちょっと不思議な雰囲気と俯きがちな姿勢に、艶やかな妖精の衣装が良い具合にアンバランスさを演出していて、私もすごく良いと思った。
「ぷしゅ」
「あ、邪夢ちゃんが気絶した」
自分がステージの上に立ったときのことを想像したのか、邪夢ちゃんがその場で崩れ落ちそうになる。
「あらら、ちょっと疲れちゃったよね。今日は二人とも付き合ってくれてありがとう。お礼に何かごちそうさせて? そうだな、喫茶店とかどう? ここの近くにスフレが美味しいお店があるんだー」
「すふれ」
邪夢ちゃんと顔を合わせる。私も邪夢ちゃんも知らない代物。きっとオシャレなんだろうな。
私が頷くと、邪夢ちゃんは迷ったように俯いた。
「いいじゃん邪夢ちゃん。こういうときは年上の財布の紐の緩さにあやかろうよ」
「い、いいのかな・・・・・・なら、行ってみたい。ゆ、夢だったんだ、友達と喫茶店入るの・・・・・・」
なら夢を叶えてもらおう。七海さんに。
こんな日常の中で夢を叶えられるっていいなぁ。それとも、夢ってそういうもの? きっかけを必要とせず、ただ志をだらだらと持ち続けていたその先で、のんびり待ってくれているものなのだろうか。
それなら私の夢も、叶うかな。
「それじゃあいこーう!」
「おー」
「お、おぉ~」
三人の声が街路樹に響く。
いつか見た、私の目の前を通り過ぎていく高校生たちの姿を思い出す。
そういえばあの人たちも、こんな風に、今だけを生きるような、刹那的な笑顔を浮かべていた気がする。
私も、できているかな。
七海さんの紹介してくれた喫茶店は、ウッドカラーを基調とした落ち着いた雰囲気のお店だった。
私たちの他に五組ほどのお客さんがいるだけで、そこまでお客さんの出入りは多くないようだった。
座ったテーブルの丁度隣で、子供連れの家族が私たちと同じように買い物袋を脇に置いて紅茶を飲んでいた。
その女の子がジッと、私たちのことを見ている。
それに気付いた七海さんが女の子に手を振ると、女の子はキャッキャと笑った。あちらのご両親も、そんな七海さんに笑顔で頭を下げている。
ほんの一瞬の出来事だったけど、すごく素敵な光景だな、と思った。
メニュー表を見ながら、七海さんオススメのスフレを注文する。ついでにコーヒーも頼んでみた。スフレコーヒーなんてものもあって、テーブルまで運ばれてきたときには、邪夢ちゃんと顔を見合わせて驚いた。
そんな私たちを見て、七海さんが笑っている。
ああ、いいな。
私が欲しかったのは、こういう、まったりとした時間なのかもしれない。
小さい頃はずっと神経を研ぎ澄ませて、日本に帰ってきても数年は、飢えた野犬のように警戒しっぱなしだったから。
こうやってリラックスできる時間が、すごく幸せだ。
こんな時間がずっと続けばいい。
「あ」
「どうしたの? 亞呂ちゃん」
コーヒーを飲み終えたところで、むずかゆいものをお腹の奥で感じた。
「あの、ちょっと」
「行ってきていいよ」
何も言っていないのに、七海さんは分かってくれたようだ。
二人に断りを入れてから、私はトイレに向かう。
七海さん、あんな人だけど、気遣いはしっかりできるし、そういうところが年上って感じがして。時々頼りたくなるし、甘えたくもなっちゃうんだよね。
邪夢ちゃんは、ずっとコーヒーの上に浮かぶスフレつっついてたな。何をするにも楽しそうで、表情がコロコロ変わる邪夢ちゃんは見ていて楽しい。
今度は、
兄は・・・・・・お腹いっぱい食べようとして雰囲気壊しそうだから、呼ばなくていいか。
「ふふ」
そんなことを言ったら兄はきっと拗ねて、それを見てみんなが笑って、結局、全員でここに来るんだろうな。
そんなような、きっとあり得る未来を想像して、一人で笑ってしまう。
キモいかな。
鏡に映った自分の顔をこねくり回して、キリッとさせる。
よし戻ろう。
そうやって、トイレのドアに手をかけたときだった。
――空気を抉るような、渇いた音が店内に響いた。
次いで悲鳴があがるが、すぐに沈黙が訪れる。
「全員動くんじゃねぇ!」
声が聞こえて、私はドアの隙間から店内の様子を覗き込んだ。
店の真ん中、出口を塞ぐようにダイニングテーブルを挟んだ場所に、黒い衣服で身を包んだ男が立っている。
背丈は、かなり高い。
片手にはナイフ。
そしてもう片方の手には、硝煙の立ち込める、黒い拳銃が握られていた。
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