第15話 取り残された者達

「よいしょっと、わお。重いねぇ」

「もう降りたいんですけど」

「えー? いいじゃん。たくさん詰まってるってことだよ」

「肉がですか」

「きんにーく」


 私をおぶって開口一番、なんて失礼なことを言うんだろう。


「そういうときはお世辞でも軽いって言うものじゃないんですか?」

「あたしは痩せてる子よりも筋肉質な子の方が好きだし」

七海ななみさんの好みなんて聞いてないです」

「あれ? そうなの? てっきり知りたがってるのかと思ってた」


 目の前に七海さんの後頭部がある。シャンプーなのか、やはりバニラのような香りがする。この匂いを嗅いでいるとまるで花園に放り込まれたように気分になるから、気をつけないと思い切り吸い込んでしまいそうだ。


「兄はどうしたんですか」

「さっきは金魚すくいやってたよ? 型抜きもやりたいって言ってたから、今頃そっちに行ってるのかな? 団子より花って感じだよね。遊ぶ屋台ばっかり」

「そうじゃなくて、一緒にいなくていいんですか」

「どうして?」

「・・・・・・彼氏でしょう」


 どうしてその言葉を使うたび、唇が裂けるように痛くなるのだろう。


 七海さんは返事をせず、私をおぶったまま人気の少ない道を歩く。


 そんな七海さんの表情は窺えず、私は表情のない後頭部と睨めっこして、それから髪を束ねるかんざしの飾りを眺めていた。


「なんで、私なんですか」


 二回目の質問だ。前も同じことを七海さんに聞いた。


 七海さんはあのとき、ヒミツと言って教えてはくれなかったけど、今はどうなんだろう。あの頃から関係が進んだとは、言い難い私たちだけど。


「一人で歩いてるのが見えたから、大丈夫かなー? って思って」

「一人で歩くだけで心配されるんですか私は」

「だって、なんだか辛そうな顔をしてたから」


 七海さんはどうやら、森崎もりさきくんが彼女といるのを見て走り出したときの私を見ていたようだった。


「失恋しただけです、心配いりません」

「えー! そうなの? 心配いらないなんてことはないよー、一大事だよ」

「一度フラれた人に、もう一度フラれただけです。直接的ではないですけど」

「彼女といるのを見ちゃったとか?」


 よくもまぁ、言い当てるものだ。


 この人は良くも悪くも、観察眼というものに長けているのかもしれない。


 はい、と肯定するのも癪だったので、無言で頷いた。頷くと、顎が七海さんの首筋に当たる。それによって私が頷いたと気付いたのか、七海さんは「そっかー」と、どういう感情なのか分からないような声色で言った。


「結局、私には恋愛なんて向いてないんですよ」


 これからまた新しい恋へ? 


 今度こそ運命の相手と?


 そういうものをバカバカしく思ってしまう時点で、私にはきっと才能がないのだろう。


 もし、日本に生まれて、銃の代わりに人の手を握るような生活を送っていたら、また違ったのかもしれないけど。


「分かるよー、恋愛って難しいよね」

「七海さんは現在進行形で恋愛してるじゃないですか。というか付き合ってるじゃないですか」


 それって恋愛? もっと先に進んだ、何かだろうか。


「せっかく選んでもらった浴衣も汚れちゃいましたし、下駄の鼻緒だってこの通りです。挙げ句の果てにフラれて。神様が言ってるんですよきっと。身の程をわきまえろって」

「そんなことないと思うけどな、亞呂あろちゃんは頑張ってるよ」

「頑張るだけじゃどうにもなりません。すでに死んだ人間を頑張っても決して蘇らせることはできないのと同じで、いくら努力をしても、私はみなさんと同じようにはなれないんです。だってもう、私の運命は生まれたときには決まっていたわけですから」


 こぼしてしまえば、あとは無意識だった。


 胸の内に溜まっていたものがぽろぽろ漏れて、七海さんの首元に落ちていく。


 なんで私、七海さんに愚痴ってるんだろう。


「なれないんです。私はもう、そういう人間に。こびりついた過去と因縁は、一生背負っていかなくちゃいけないものだから」


 教えて欲しい。


 私はまだ、答えを知らないから。


 私は一人で答えに辿り着けるほど頭も良くないし、強くない。だって今までずっと、誰かに助けられてきた。


「私は一度死んだ身です。だからこれは、拾った命なんです。救われた命なんです。この命に希望を託してくれた人のために私は生きなければなりません。でも、時々分からなくなるんです。自分という存在が、とても遠くに見えて、何をするのが正解なのか分からなくなる。本当にこのままでいいのか、やっぱり、あのとき死んでおくべきだったのかって・・・・・・」


 きっと七海さんからしてみれば、いきなり何を話しはじめているんだろうと思っていることだろう。


 私も、自分で何を言っているのか分からなかった。ただ、寝言のように思いつく言葉を並べ立てた。


「自分のことが、嫌いになりそうです」


 気付けば、私は七海さんの身体にしがみつくように、腕に力を込めていた。・・・・・・首、締まってないかな。


「じゃあ亞呂ちゃんは、他の人も嫌い?」

「え?」

「こんな自分を許してくれない世界なんて滅んでしまえー、自分以外の人間全員不幸になってしまえーって思ってる?」


 思っていた時期もある。


 この世の全てが憎く、何も信じられなかった頃も確かにあったけど。


「少なくとも、私の周りの人たちには、幸せでいてほしいです」


 今は違う。


 兄や七海さん、それに邪夢じゃむちゃんも、佐倉さくらも。私にとって大切な人だ。その人たちの誰が不幸になっても、私は悲しむと思う。


「なら大丈夫だよ、亞呂ちゃんは」


 今、もしかして励まされた?

 

 後押しするような七海さんの声に、私は困惑するしかなかった。 


「あたしも自分のことは嫌いだし」


 人気のない脇道。遠くから聞こえてくる祭り囃子に紛れて、七海さんの声が灯籠のように流れていく。


「だから、好きになれるように頑張ってる」


 よいしょ、と七海さんが私を担ぎ直す。太ももに当たる七海さんの手は、とても冷たかった。


 七海さんの自由奔放さは、自分に対する自信からくるものだと思っていた。この人が自分のことを嫌いだなんて、本当にあり得るのだろうか。


「あたしね、この世界から全部の争いがなくなってくれたらなーって思ってるんだ」


 ずっと漂っていた煙を、手のひらで掴んだようだった。


「偏見とか、差別とか。いろいろあるけど、どんな自分も、どんな他人も、心から許してあげられるような、そんな世の中になってくれないかなーって思ってる」

「そんなの、できっこないです。この世には頭の堅い連中がたくさんいます。話し合いじゃどうにもならない野蛮な人間も、攻撃することを悪と思わない偽善者も、他人の気持ちを考えられない利己主義を謳う人もいます」

「うん、分かってるよ。それでも、人が人を傷つけることのない世の中になって欲しいなって思ってるし、しなくっちゃとも思ってる」


 七海さんという一人の人間と、初めて対話をしたような気分だ。


「でも、そんな自分が、争いの引き金になることを知ったの。そんなあたしが、あたしは嫌い。だから好きになれるように、争いの引き金にならないような人間になるために、今は自分を変えようと頑張ってる」


 七海さんの表情は見えない。けど、少し寂しそうな声色であるように聞こえた。


「自分を裏切って自分を変えるのって、辛いよね」


 理解しているような口ぶりだったけど、それは七海さんの、本心でもあるのかもしれない。


「あたしは亞呂ちゃんのこと好きだけどね」

「・・・・・・また、そんなことを簡単に言って」

「あはは、こういうこと言われると、困る?」


 七海さんにしては、変な聞き方だな、と思った。


「亞呂ちゃんは恋をしたいんだもんね。あたしにかまけてる暇なんかないか」

「したいですけど、する方法も分かってません。それに・・・・・・」


 俯いていたら、突然地面が明るくなった。


 顔をあげると、夜空に大きな花火が上がっている。


「今は、七海さんが一番、いいなって思ってます」


 もし恋人にするのなら。


 兄は兄だから論外。邪夢ちゃんは友達だし、そういうことは考えられない。佐倉は元々、彼氏をよく作ったり別れたりするような人だから、私が入り込む隙はない。


 そう思うと、私の交友関係の仲で、私が好きになる可能性があるのは七海さんだけだ。


 消去法じゃない。


 七海さんといると、なんだか自分という絡まった糸を、ゆっくりと解されていくような気持ちになる。これがどういう感情なのかは分からないけど、すごく、心が温かくなるのだ。


 今もこうして、七海さんにおぶられてるわけだし。


 いろいろ悪いことが連鎖して、夏祭りというものが嫌な思い出になるところだった。そこに七海さんが現れて、荒んでいた私の心を落ち着かせてくれた。


「あたしもだよって真剣に言ったら、亞呂ちゃんはどうする?」


 花火を見上げながら、七海さんが言う。抑揚のない、嘘か本当かなのかすら分からないような、機械的な声だった。


 別に、機械と会話したいわけじゃない。だからあえて私は、肉声を意識して、人工的に答えた。


「それは、普通の恋愛ではないので、断ります」


 兄の彼女と付き合うなんて、一体、罪が何層重なってるんだろう。ミルフィーユにでもなってるんじゃないだろうか。


「だから、今は必死に、七海さんのことを好きにならないように頑張っています」


 頬を七海さんの肩に乗せる。


「そうだね、普通じゃないね」


 七海さんは再び、歩き出した。


「あたしもがんばろっと」


 私たちは、私たちの信じる道に向かって進んでいる。


 そこに優劣も、悪も、正義もない。


 ただ、正解と間違いがあるだけだ。


「そういえば、邪夢ちゃんから聞きましたよ。七海さん、学校でも誰にでも優しい優等生なんだって」

「えー? 優しいなんて、そんなつもりないんだけどな」

「それも、争いをなくしたいからですか?」

「それに繋がってくれたら、とは思ってるよ。とはいっても、そんな打算的に人と関わってるつもりはないよ。いずれそうなってくれたら、って思ってるだけで」

「なんだ、つまらない」

「あら、拗ねちゃった」


 声色に出ていたらしい。七海さんの足取りが、少しだけ弾むように変わる。


「亞呂ちゃんって、そんなに面白いことを求めるような人だったっけ?」

「分かりません。ただ、つまらないんです」


 これ見よがしに、七海さんの首を絞めてやる。軽くね。


 ――私にだけ優しくしてくれてるのかと思ってました。


 出かかった言葉を、喉で塞き止める。


 これじゃまるで、私にだけ優しくしてと言ってるようなものだ。


 七海さんのことは好きにならないようにって決めたばかりなのに。


「亞呂ちゃん、花火、綺麗だよ」


 意図の分からない、七海さんの優しい声に、目の前に広がる花火の色を重ねる。


 ドン、ドン、と。


 まるで銃声のように、夜空と大地を轟音が揺らす。


 それでも心が荒まないのは、きっとこの人といるからなんだろう。


「亞呂ちゃん?」

「すみません、ちょっと眠くって」


 七海さんに体重を預けて、深く息を吐く。


「今日は忙しかったもんね。いいよ、寝ちゃっても」

「・・・・・・はい」


 返事が曖昧になる。


 声が熱されたバターのように溶けていって、祭り囃子に浸透していく。


「あたしがちゃんとおぶっててあげるから」


 この人の背中は、あの人の背中に似ている。


 戦場だというのに、死と隣り合わせの場所だというのに。


 いつもあの人は笑っていて、だけど、私を助けるときだけ、必死の形相を浮かべて。


「子供扱い、しないでください・・・・・・」


 夢と現実が重なった場所で、私は目を瞑る。


 七海さんの温もりと、バニラの香りに包まれながら。


 少しだけ、自分を許す時間を与えた。 

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