第13話 夏祭り、地に堕ちる弾丸
夏祭り当日は、運良く雲一つない快晴となった。
私は
七海さんは、藍色の落ち着いた雰囲気のある浴衣を着ていた。帯はえんじ色の物を使っていて、髪を後ろにまとめてかんざしを刺しているのも、またいつもと違う印象を受ける。
綺麗、という感想が、七海さんを見るたびに心の中で雨音のように響いている。
「
「ど、どうも」
私の浴衣は桃色を貴重としたもので、所々に花びらの柄が施されている。帯は明るめのエメラルドグリーンで、子供っぽいと私は反対したのだけど、七海さんがどうしてもと言うのでこの色にした。
七海さんみたいに髪の長くない私だったけど、出かける前、家にやってきた七海さんが私の髪を編み込んでくれて、アイロンで毛先も巻いてくれた。
髪が引っ張られているかのような感覚にいまだ慣れない私ではあったけど、いつもとは違う自分が新鮮で、外を歩くだけでドキドキする。
「でも、下駄はやっぱり歩きにくいです。スニーカーに履き替えてきてもいいですか?」
「浴衣にスニーカーは合わないと思うよー?」
「じゃあ浴衣も着替えてきます」
「その歩きにくさも、また醍醐味なんだよ。亞呂ちゃん」
「分かりません・・・・・・その感覚は」
ずっと日本にいたら違うのかもしれないけど、あいにく私は違う。
わびさび、というものをまだ理解できてはいない。
「あー! 早く焼きそば食いてぇー! この時のために今日は朝と昼抜いてきた!」
七海さんを挟んだ反対側を歩く兄は、相変わらず脳天気だった。全然、デートという雰囲気ではない。
「もっとイチャイチャしたほうがいいんじゃないですか」
兄に気付かれないように、七海さんにこっそり耳打ちをする。
「えー? してるよー」
「なんか兄と七海さんって、恋人っていうか友達に同士に見えるんですよ。例えばどっかでいいとこ見せるとか、なんかきっかけがないとそのままマンネリになっちゃいますよ」
私の言葉に驚いたのか、七海さんは大きく瞬きを繰り返していた。
「んー、わかんないんだよね。いいとこ見せるっていう感覚。あたしは今のあたしがあたしだから、良いも悪いもこれが全てだし」
くるっとその場で回ってみせて「かわいいでしょ?」と言う七海さん。あーはいはいかわいいかわいい。
「でも珍しいね。亞呂ちゃんがそんなこと言うなんて」
「兄と兄の彼女の恋愛を応援するなんて、妹なら普通じゃないですか?」
七海さんが、人差し指を口元に当てる。
「よくわかんないや」
「なら私が協力してあげます」
「えー? 亞呂ちゃんが?」
「はい」
色恋沙汰に自信はないけれど、腐っても私は兄の妹だ。兄がどういうものが好きで、どういうものに惹かれるのかくらいは分かる。
夏祭りというものを利用して、少しでも、望む私に近づく。
いや、離れてしまわないように。必死にしがみつくのだ。
「亞呂ー! 七海さーん! こっちこっちー!」
待ち合わせしていた神社に着くと、一足先に到着していた
「おー、おまたせー! えっと、佐倉ちゃんだったよね、あの日ぶりだね。元気してたー?」
「はいっ! 今日七海さんと会えるの楽しみにしてましたー! あ、お兄さんも、今日はよろしくお願いします!」
佐倉のハツラツとした声は、この夏祭りという舞台にとても溶け込んでいるように聞こえた。
「でー、こっちがー」
そして七海さんが、邪夢ちゃんの顔を覗き込む。
「あ、あ、えっと」
邪夢ちゃんは視線をいわしの群れみたいに忙しなく動かしている。が、頑張れ邪夢ちゃん。
「あ、あの・・・・・・以前、食堂で、い、一緒に引っくり返しちゃったご飯を片付けてくれた・・・・・・の、お、覚えてますか」
「えー? ごめん覚えてないや。中学校? 高校?」
「あ、な、なんでもないです・・・・・・
最後の方はもう声になってなかったぞ邪夢ちゃん。
「風守ちゃんね! あたしは七海。で、こっちが彼氏の
「は、はひぇ」
ガシッと手を握られて、ブンブンと上下に振られる邪夢ちゃんは、すでに憔悴しきっていた。
「それじゃあさっそく屋台に行こーう! あたし、りんご飴食べたーい!」
「アタシも食べたいでーす! りんご飴ー!」
七海さんと佐倉は、なんとなく波長が合うみたいで、自然と足並みが揃っていた。
二人が先頭を歩いて、その後ろを兄が付いていく。更にその後ろに、私と邪夢ちゃんはいた。
「大丈夫? なんかげっそりしてるけど」
「へ、へへっ・・・・・・心配いりやせん、この試練を乗り越えれば、わたしも晴れて陽キャの仲間入り。全員でエナドリ飲みながらパリピでイェーイするんでぇ・・・・・・」
「試練て」
やっぱり邪夢ちゃんには、ムリさせちゃったかな。
でも、来てくれたことは嬉しい。
「今日の亞呂さん、き、綺麗だね」
「え、そうかな」
「あっ!? う、うん、なんだか大人っぽく見える。髪型と、浴衣のおかげかな」
「本当? ありがとう。邪夢ちゃんは・・・・・・あはは、いつも通りだね」
邪夢ちゃんは黒いジャージで身を包んでいて、スリッパをぺたしぺたしと鳴らしながら歩いている。髪型もいつも通り、飾り気のない真っ直ぐな髪が、項垂れるように肩甲骨まで伸びている。
「邪夢ちゃんはもうちょっと前髪あげてもいいかもね。せっかく綺麗な二重なのに、見えないのは勿体ないよ」
「い、いやいや・・・・・・そんな、わたしなんかの顔面をみなさんに見せてしまってむしろごめんなさいという気持ちで・・・・・・」
「すごい卑屈だね!?」
そのまま針金みたいにぐにゃっと曲がってしまうんじゃないかというくらいに猫背になる邪夢ちゃん。
ちょっと目を離せば、そのまま人の波に連れて行かれそうなほど足取りは頼りなかった。
「きょ、今日はありがとう亞呂さん。誘ってくれて」
人差し指同士をくるくる回しながら、邪夢ちゃんが「へへ」と笑っていた。
「た、楽しもうね。なちゅまつり」
「・・・・・・うん」
心臓が、ギュッと締め付けられる。
どうしてだろう。
邪夢ちゃんから秘密を打ち明けられて以来、ずっとこんな感じだ。
邪夢ちゃんと楽しい時間を過ごせば過ごすほど、空気が抜けるみたいに胸の奥がざわつく。
「亞呂! 射的やろうぜー!」
兄が屋台の近くで、私を呼んでいた。
「ごめん邪夢ちゃん、ちょっと行ってくるね」
私は邪夢ちゃんの返事も待たずに駆け出して、子供みたいにはしゃぐ兄の元へと向かった。
「お、亞呂ちゃんじゃないか、久しぶりだねぇ」
「げ、叔父さん」
射的の屋台に入ると、見知った顔がヌッと現れた。
「ハハハ、去年のお盆以来かな。元気だったかい?」
「まあ、それなりに。・・・・・・叔父さんは今日はお仕事ないんですか?」
「町内の夏祭りは僕の楽しみでもあるからねぇ! 貴重な有給を使わせてもらったよ。ハッハッハッ!」
「刑事さんにも、有給ってあるんですね」
射的の屋台を切り盛りしていたのは、私の・・・・・・厳密には兄の叔父に当たる人だった。
中東から日本に帰る時、この人にはお世話になった。私があっちで育ったことを知っているのは、この人だけだ。
今は刑事をやっているらしく、連休以外、あまり会うことはないけど、こうしてたまに顔を合わせると昔と同じように接してくれる。
「叔父さん! これどうやるんだっけ!?」
「あー、柚希くん。相変わらず元気だねぇ。ええっとね、ここを、こう引いて――」
兄がさっそくお金を払って射的用の銃を手に取る。
「だー! ダメだ当たるけど倒れねー! 叔父さん、これ接着剤使ってない!?」
「心外だなぁ。ほら、この通り景品は全部ちゃんと倒れるよ。ただ、弾の当て所が大事だからねぇ、四隅の端っこか、芯となるど真ん中か。一寸の狂いも許されない。射的はそういう世界なんだ」
「くそー、叔父さん、もっかい! もっかいやらせて!」
「はいよー」
兄はすっかり童心に返ってるみたいだ。
おーい、デートはどうしたんだー。
「楽しそうでなによりだよ」
叔父さんが、ニコニコと兄の方を見ながらつぶやく。今のはきっと、私に言ったのだろう。
「たかがおもちゃの銃で、よくあんなに熱くなれますよね」
「なら、やってみるかい? 一回五百円だ」
叔父さんが銃を渡してくる。
「前から思ってたんですけど」
銃を受け取る。
腕に抱き留めるには、少し、小さい。
「射的って、高いです」
「値段設定に関して、明確な法律はないからね」
刑事っぽいことを言われて、ぼったくりをはぐらかされる。
バイトしてなかったら絶対やらなかったけど、まあ、いいか。
あれ、財布どこだっけな。
ああそうだ、巾着だ。
「あー! 亞呂ちゃんが射的やってるー!」
においでも嗅ぎつけたのか、七海さんがこちらにやってくる。
「どれ狙うのー?」
「亞呂! あれ行こあれ! 一番デッカいの!」
七海さんに付いてきた佐倉が、ひな壇の一番上に置かれた、クマのぬいぐるみを指す。
「いや・・・・・・ムリでしょ」
こんなコルクの弾で、あんな大きなぬいぐるみが動くとは思えない。
「一回で打てるのは五発。コツとしては、両脇に弾を当ててぬいぐるみを奥にズラして、最後は中心を狙い撃つ。クマの鼻が目印だね」
叔父さんが、手で軽くちょんちょんとぬいぐるみを押して、最後に鼻をちょんと突くと、ぬいぐるみは叔父さんの言うとおりに後ろに倒れた。
「ちゃんと狙えば落ちるようにはなってる。狙う価値はあると思うよ?」
「行け行け亞呂! ぶち抜いちゃえ!」
「いや風穴空いたぬいぐるみ使うの嫌だよ」
佐倉のヤジに文句を言いながら、銃を構える。
距離はざっと、四メートル。
こんなの・・・・・・簡単すぎる。
「お、おぉ・・・・・・スナイパー亞呂・・・・・・」
後ろで、邪夢ちゃんも見ている。
「あはー、緊張の一瞬だね?」
そして何故かプレッシャーをかけてくる七海さん。
はぁ。
ため息を吐いて、引き金に指をかける。
どうせ、たかが五百円だ。
「亞呂ちゃん?」
どうせコルクの弾だ。
子供騙しのただの遊びだ。
「亞呂さん?」
「あれ、どうしたの亞呂。撃たないの?」
それなのに、引き金にかけた指に、力が入らない。
このまま撃てば、クマのぬいぐるみの中心部。心臓に当たる部分に必ず当たる。
それで一発。絶命。私の勝ち。簡単だ。
外すワケがない。外さない訓練を、ずっと積んできた。それだけの技術が、私にはある。
『キミを兵器になんてさせない』
いつから私は、人間になっていたのだろう。
感情もあり、思考も、趣味嗜好も、一丁前に持っている。いや、持たせられたのだ。冥土の土産、縁起でもないものを。今も背中に、重くのし掛かっている。
「七海さん、やります?」
「え? なんであたし? 亞呂ちゃんやりなよ」
「兄にいいとこ見せる、いいチャンスですよ」
そう言うと、七海さんがチラ、と兄の方を見る。
「兄はああいう性格なので、かわいいところよりもかっこいいところ見せた方が気を引けますよ」
「じゃあ・・・・・・お金は後で返すからね」
「別にいいですってば」
七海さんは口をとがらせながら納得いっていない様子だったけど、渋々私から射的の銃を受け取ってくれた。
「あれ? 七海先輩がやるの? でもなんか、めっちゃ様になってるー! かっこいいー!」
「ちっちゃい頃、よくやってたからねー」
佐倉の言う通り、七海さんの構えは割と様になっていた。だけど、薬指と中指が用心金にかかっていないところを見ると、おそらく独学なんだろう。
一発目。
七海さんの放ったコルクはぬいぐるみのお腹に命中した。だが、この軽いコルクじゃ、面に当ててもたいした衝撃は与えられない。
叔父さんの言う通り、角に当ててちょっとずつ奥にズラしていくのが最善の方法なんだろう。
「お、なんだ七海もやってるのか! しかもぬいぐるみ狙いかよー、落とせなくねー?」
兄も七海さんに気付いたようで、様子を見に来る。そんな兄の片手には、残念賞のお菓子が握られていた。
「七海さん」
兄に気付かれないように、七海さんに耳打ちする。
「バランスを取るために、薬指と中指を用心金にかけてください。反動も抑えられます」
「用心金?」
「引き金を囲う枠のことです。あと、スタンディングは一番射撃が安定しません。肘を台に乗せて、銃は目標と垂直に構えてください」
「こう?」
七海さんが言われた通りに構える。
二発目。
今度は大きく外に逸れたが、さっきよりはぬいぐるみの角に近い部分に弾が飛んでいる。
「今のが第一射軸線です。次は、肘ごと少しズラして調整してみてください。あと、撃つときは息を止めるとブレが生じにくいです」
三発目。
見事弾はぬいぐるみの左足に当たって、ぬいぐるみが奥にズレた。
「今度はぬいぐるみの十メートル先を撃ち抜く感覚でやってみてください。局所を見るのではなく、あくまで遠くを見るんです」
四発目。
私のアドバイスもあってか、七海さんはさらにぬいぐるみを動かすことに成功する。
「あとはぬいぐるみの鼻ですね。あそこまでの小さな的になると、一発で当てるのは難しいです。風や銃口の汚れ、それから弾の質も影響しますので」
「じゃあどうすればいい?」
七海さんは片目を瞑って、銃を構えながら次の指示を待っている。
「信じましょう。気持ちの乗った弾は、必ず当たってくれます」
誰がどの口で言っているんだろう。
当てたことも、引き金を引けたこともないくせに。
五発目。
七海さんは見事最後の弾をぬいぐるみの鼻に命中させた。
「うそ! 当たったー!」
「おめでとうー! まさか一発で取られるとは思わなかったよ! 柚希くんの彼女さん! 筋がいいねえ!」
「えー!? 七海先輩すごーい!」
周りも驚いていたが、私も例外ではなかった。
確かに教えはしたけど、まさかそれをいきなり実践して、成功させるなんて。
「七海さん、射撃の才能ありますよ」
「えー? そうかなぁ」
七海さんが当てたぬいぐるみを抱いて、嬉しそうに笑う。
「かっけぇ・・・・・・やべぇ-・・・・・・」
兄は兄で、本気で感心しているようだった。まぁ、ぬいぐるみと、残念賞じゃなぁ。
「亞呂ちゃんもいいアドバイスだったね。授業料だ、これ持っていきな」
七海さんすごーい! と後ろでわちゃわちゃ聞こえてる中。叔父さんが私の手のひらにお菓子を握らせた。
顔をあげて叔父さんを見ると、叔父さんも私を、神妙な顔でジッと見つめていた。
「なにか言いたいことでも」
「いや? それも、キミの選択だ」
結局、叔父さんが何を言いたいのか分からなかった。
叔父さんに軽く会釈をしてから、射的の屋台を後にする。
私は叔父さんから貰ったお菓子を食べながら、盛り上がっている七海さんご一行の後ろに付いて歩いた。
このお菓子、パッサパサだなぁ。
口の水分が全部持っていかれるみたいだ。
このままじゃ、いつか枯れてしまう。
「亞呂ちゃん?」
七海さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。前屈みになった拍子に、七海さんのかんざしについた飾りが優雅に揺れた。
「なんでもないです。よかったですね、兄。七海さんに惚れ直したんじゃないですか?」
七海さんの抱いているぬいぐるみが、力なく腕を垂らしている。その目に生気はなく、また、命も鼓動もありはしない。
七海さんはやはり、どこか納得していないように口をとがらせていたが、兄に呼ばれると、笑顔を浮かべて駆けていくのだった。
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