番外編
12月24日
風除室の窓ガラスに映る私の格好は、さあ友達の家でパーティーするぞーという風貌にはとても見えなかった。
新雪の乗ったベージュのチェスターコートは、昨日お店に走って急いで買ったもので、ついでに買った同色のベレー帽は、被ってはみたものの似合ってるかどうかは分からない。
ただ、いつもと違う私を見せたいその一心で、似合っているかどうかは二の次だった。
チャイムを押して五秒もしないうちに、家の中から
「どうも」
軽く会釈をする。七海さんの視線は私のつま先、それから腰まで上がって、お腹から首まで昇り、やがて視線がぶつかった。
「今日も可愛いね」
開口一番、褒められた。外では雪が降っているというのに、身体が熱くなる。厚着しすぎたせいかもしれない。しれない、ということにしたい。チョロい女にだけはなりたくないのだった。
「今日、誰もいないから」
玄関で靴を脱いでいると、七海さんが私の背中に覆い被さってきて、温かい吐息が耳朶に当たって身体がぞわりとした。
なんでそんな、囁くような言い方をするんだろう。
脱いだ靴を並べて立ち上げると、七海さんは私の顔を見てニコニコと笑っていた。
リビングに行くと、テーブルに大きなケーキが置かれていた。「切るねー」と早速、鼻歌交じりに包丁を入れる七海さんの後ろ姿を見ながら、コートをハンガーにかけさせてもらう。
コートの下には、チェック柄のテーラドジャケットを着ている。ハイウエストのプリーツスカートを合わせてみたけど、どれもファッション誌の受け売りなのでどのアイテムがどういう効果をもたらしているのかは分からない。
ただ、重かった。
着すぎたのかもしれない。
自分を可愛く見せるときにも、重量オーバーというものがあるのだと初めて知った。私の中で「ブー」と警告音が鳴り続けていたけど、まだ脱ぎたくない。
だってまだ、全然七海さんに見てもらってないし。
対する七海さんは、セーターにデニムパンツと、シンプルな格好だった。それでも似合ってるのがすごい。スタイルがいいって本当に得だ。
けど、そんな七海さんの格好を見ると、私だけが張り切りすぎている気がして怖い。
ケーキと一緒に、七海さんが紅茶を入れてくれた。コクの深いアッサムを使った紅茶は甘いケーキとよく合った。
なんだか、七海さんといると、自分まで大人になった気分になる。
「なあに
カップを上品に持った七海さんが、私の視線に気付いて微笑む。
「美味しいです」
「本当? 嬉しい、今日のために紅茶の淹れ方勉強してたんだよー。喜んでもらってよかった」
テーブルの向かいに座る七海さんが、遠くに感じる。もっと近くにいたい。だから私は、急いでケーキを食べ終えた。
「すみません、
「どうぞー」
お皿を洗う七海さんに断りをいれて、仏壇のある部屋に向かう。璃空さんの仏壇には、あの日七海さんから借りたバレットが供えられている。
手を合わせて、璃空さんの遺影と向き合う。
初めて出会ったのは、基地の治療室。とても唐突な出会いだった。あのとき、璃空さんは私にたくさん話しかけてくれたけど、私は璃空さんのことを邪険に扱ってしまっていた。
今思えば、もっと話せばよかった。
まだ子供だった私は、璃空さんの優しさに気付くことができなかった。
・・・・・・早く、大人になりたいな。
そうじゃないとまた、気付かないまま、手遅れになってしまいそうだった。
「ママ、なんて?」
お皿を洗い終わった七海さんが、私の後ろに座って一緒に手を合わせていた。
「いえ、特には」
「そっか」
七海さんと一緒にいるようになってもう長いけど、やっぱりまだ、璃空さんの話をするときの空気はしんみりしている。私も、七海さんも、どう声をかけていいのかが分からない。
ただ、唯一共有できているのは、璃空さんが、とてもカッコいい人だったということだ。
「素敵な、人でした」
それだけを、私はこれから、何度も呟いていくのだろう。
七海さんに、私を救ってくれた人のすごさと、美しさと、生き様を。
「そういえば、七海さんは私と璃空さんの関係を知ってたんですよね?」
「うん、脱衣所で会ったときからね」
秋頃、文化祭の次の日くらいだっただろうか。七海さんから、全てを話してもらった。七海さんが璃空さんの娘だということ、璃空さんがよく、私の話をしていたということ。
「言ってくれたらよかったのに、なんで黙ってたんですか」
七海さんはずっとそれを、ヒミツと称して私には教えてくれなかった。今思えば、別に隠すことではないように思えるのだけど。
「だって亞呂ちゃん。言ったらあたしに、ママを重ねるでしょ」
七海さんは、ほんの少しだけ頬を染めると、口をすぼめて、子供が拗ねるみたいに言った。
「それが、嫌だったから」
思わず、七海さんの顔を追いかけてしまう。
「な、なに?」
七海さんが、いじけるように私を睨む。
「い、いいでしょ? 今はこうして、ちゃんと教えてあげたんだからっ」
「そんなムキにならなくても・・・・・・別に怒ったりしてないですってば。ただ、人の縁って、不思議だなって、そう思っただけです」
私がそう言うと、七海さんも落ち着いたようで「そうだね」と小さく呟いた。
「部屋行こっか」
線香の火を消して、七海さんの部屋に向かう。
七海さんの部屋に来るのは四度目だ。
一度目は文化祭の日。二度目はテストの前日。三度目はお泊まり会。
そして今日はクリスマスデートである。
七海さんの部屋は来るたびに模様替えされていて、今回もまた、本棚の位置とカーペットの色が変わっている。
松ぼっくりのクッションを受け取って、お腹と膝で挟んで座る。本来はこれに座るべきなんだろうけど、なんとなく、七海さんの私物にお尻をくっつけるのは、恥ずかしくてできなかった。
というか、なんなんだろう、この松ぼっくり。前も思ったけど、七海さん、ちょっと変なのが好きなんだな。
「亞呂ちゃん、亞呂ちゃん」
七海さんが、ちょいちょいと人差し指を動かしている。
「言うか迷ったんだけど」
え、なんだろう。
「見えてるよー、おぱんつの方が」
「はぇ」
たしかに、私は今体育座りのような格好をしているので、七海さんの位置から見たら丸見えだ。
気が抜けて無防備になっていた。
急激に熱が顔に集まっていくのが分かる。
「いいですよ見ても」
もうここまで来たら、今更恥ずかしがる方が恥ずかしい気がしてきた。
「見られてもいいようにしてきたので」
だから私は強がる。子供みたいに。
「あ、えっと」
すると七海さんまで、顔を真っ赤にして俯き始めた。
はい? いやいや、おぱんつ見られた私が恥ずかしがるのは分かりますけどなんで七海さんが恥ずかしがってるんですか。そもそもそっちが見えてるよーなんて言わなくてもいいようなこと言ってからかってきたんでしょそもそも私は見られてもいいようにしてきたって言っただけなのにうわ私何言ってるんだ!!
互いに向き合いながら、今の言葉の意味を理解しようとしている。
耳まで真っ赤にしながら、視線を交差させる。
「亞呂ちゃん・・・・・・?」
何かを、何かの許可を、催促されている。
私は松ぼっくりのクッションをギュッと抱きしめながら、七海さんの名前を呼んだ。
部屋に響いた私の声は、まるで自分の声じゃないみたいだった。
七海さんが私の膝に手を置いた。目が合う。近い。まつげの本数を数えられるくらいに。互いの鼓動が聞こえるくらいに。吐息が当たるくらいに、近い距離で見つめ合う。
だけど、耐えられないのはいつも私だ。私が先に、目をそらしてしまう。
床に落とした視線の先には、真っ白になった私の指があった。・・・・・・どれだけ力入れてたんだ。
頬に、七海さんの冷たい手が添えられる。
こっちだよって、誘われるみたいに顔の位置を変えられて。
そっと、触れ合う。
触れ合う時間は長かった。息を止めている間、七海さんの手が私の手に重なって、夢中になる七海さんは無意識なのか、次第に体重をかけてきて、私は倒れないように床に手を付いていた。
唇が離れる頃には、私と七海さんはとんでもない体勢になっていた。適当にガチャガチャ動かした知恵の輪みたいに、絡み合っている。
「早いか」
七海さんが自分の制御の効かなさに、自嘲気味に笑う。
「早いです」
私も私で、同じような気持ちだった。
「ケーキの味した」
七海さんが唇に指を当てる。照明を反射する七海さんの唇が、その指によって形を変える。あんなに柔らかいんだもんな・・・・・・と、思い出すと身体がもぞもぞする。
このままウワー! って窓から飛び出したい気分だった。そうでもしないと、身体がこのまま爆発四散して、冬の花火になりそうだ。
「亞呂ちゃん」
なりそうなんです本当なんです。冬の花火ですって、面白いでしょ。
頭の中でジョークを並べ立てて、なるべく脳を正常に近づけようとする。だけど、七海さんと重なると、七海さんのことしか考えられなくなる。
七海さんの手が私を探すように動いているのに気付いて、私もそっと手を伸ばす。
七海さんは何も言わずに、私の手を引いた。
「亞呂ちゃんからもして欲しい」
「わ、分かりました」
どくん、と心臓が鳴る。
待ち焦がれるように私を見上げる七海さんの表情は、絶対に普段は見せてくれないようなものだった。それを私にだけ見せてくれているのが嬉しくて、その好意に応えてあげたくなる。
「電気消してもいいですか?」
「えー? どうして?」
「恥ずかしいので・・・・・・」
「劇のときはしてくれたのにー」
「あれは、観客全員に見せつけてやろうって思ってただけで、それに、あれは七海さんのためでもあったんです。七海さんの好きが間違ってなんかいないって、証明してあげようと」
「分かってる。ありがと」
「でも、今は違うじゃないですか。観客もいません。ってことは、私が、したいからするっていう・・・・・・その」
なかなか前に、踏み出せない。
すると七海さんは、私の頭に手を添えて、優しく撫でた。
「ごめんね、あたしが悪かったよ。恥ずかしいもんね、大丈夫。ゆっくりでいいよ。みんなそうやって大人になってくの。亞呂ちゃんもいつかできるようになるよ」
カチン、と頭の中で火花が散った。
七海さんの両手首を掴んで、そのまま床に押し倒すと、七海さんは大きな目を瞬かせて驚いていた。
「七海さんって、そういうのわざとなんですか?」
仰向けになった七海さんの髪が、砂丘のように流れていく。露わになった耳元には、星形のピアスがしてあった。
全然気付かなかった。
なんだ、七海さん。
ちゃんと張り切ってくれてたんだ。
「・・・・・・わざとだよ」
七海さんのピアスを指で撫でると、七海さんが顔を横に背けて言う。
「こうしないと、亞呂ちゃん来てくれないから」
頭が、クラっとした。
ああ、可愛いなこの人。
いつもは大人びた雰囲気で、一人でも生きていけますけど? みたいな余裕そうな顔でいるくせに。
時々こうして甘えてくるのが、本当にズルい。
私の視界ごと、七海さんに落とす。
世界はそのままゆっくりと、私と七海さんだけの空間に変わっていく。
目を瞑ると、七海さんの吐息以外聞こえなくなった。時々、私の名前を呼ぼうと唇が動いているのを感じて、また、愛おしくなる。
恋、なんて、もうとっくに通り越してしまったのだろう。
こうやって私たちは、階段を上って行くみたいにまた、次のステップへと進んでいく。
胸に広がるこの好きの伝え方を考えると、その際限の無さに気が遠くなりそうだ。いったい、私の気持ちをこの人に伝える方法は何通りあるんだろう。
指折り数えても、人生一つまるごと使っても、足りそうにない、途方もない幸せ。
今の私は、まだこうすることでしか好きを伝えられないけれど。
いつか、また違う方法も見つけられるかな。
「だーいすきですよ、七海さん」
「ねぇ、全然気持ちこもってないよー」
「七海さんの真似です」
「あたしはこもってるもん」
見つけられるよね。
だって私の人生は、私には勿体ないほどの幸せで溢れているのだから。
「亞呂ちゃん、愛してる」
「それはそれで・・・・・・なんか嘘っぽいです」
「ええー? 厳しくない!?」
きっとそれは、私も七海さんも分かってる。
分かってるから。
なぞるようにして、遊ぶんだ。
たったそれだけで、私たちは満たされる。
でも、やっぱり、ちょっと子供っぽいかな。
「七海さん」
「今度は何ー?」
七海さんの指に私の指を絡めさせる。
くすぐったいのか「きゃー」と笑う七海さんの耳元で、そっと囁く。今日、七海さんにされたみたいに。
「可愛いです」
「・・・・・・・っ」
キュッと縮こまる七海さん。
人には散々言うくせに。
弱いんだなぁ。
「チョロいですね」
「う、うぅ~!」
爆発しそうな七海さんを、抱きしめる。受け止める。どんなものでも。
七海さんがこっそり、暖房の温度を下げた。
私も、熱くなってきたのでジャケットを脱ぐ。
結局、シャツ一枚になってしまった。
「電気消してもいいですか?」
「う、うん」
七海さんが緊張気味に、頷いた。
「なんだか、修学旅行みたいだね」
「ムード」
釘を刺す。
中々、前に踏み出せない私たち。
自分の歩幅も忘れるくらい、相手のことを思っている。
「いたっ、なんか落ちてきたんですけど!」
「目覚まし時計かも。あ、そこアロマが置いてあるから気をつけてね」
「・・・・・・なんか踏んじゃいました」
「あたしのネイルケースが!」
ガチャガチャと音を立てながら、暗闇の中で物を探す。
そしてほぼ同時に、振り返って、頭がごっつんこして、二人で笑い合う。
「あ、あの・・・・・・色々ありましたけど」
「うん、じゃあ、今度こそ」
お互いに、かしこまる。
まるでお見合いでも始めるみたいで、二人でまた笑ってしまう。
いけないいけない。ここから先は真面目にしなきゃ。
「いいよ、あたしたちは、あたしたちらしく」
七海さんが暗闇でも分かるくらい、嬉しそうに笑っていた。
「亞呂ちゃんが、教えてくれたことだもん」
「・・・・・・はい」
そう言って、キスをする。
確かめ合うように、許し合うように。
窓の外の明かりが、しんしんと降る雪を照らし出す。
今日は、クリスマス・イブ。
今頃、サンタさんは頑張ってるのかな。とか、いまだにそんな子供みたいなことを想像してしまう。
七海さんが不安そうに私を見ていたので、すぐに七海さんを抱き寄せた。
――ああ、早く大人になりたいな。
兄の彼女が、何故か私に会いに来る 野水はた @hata_hata
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