第27話 友達の妹が、何故かあたしに会いに来る

 文化祭の翌日、あたしは柚希ゆずきを屋上に呼び出していた。


 言うべきことは決まっていた。だけど、本人を目の前にするとその言葉が中々喉から出てきてはくれなかった。


 そのとき初めて、恋とは平等に傷つくものだと分かった。


 あたしを振ったあの子も、これから柚希を振るあたしも。振った方は擦り傷、振られた方は切り傷、そんなようなものが、大なり小なり残るもの。


 それでも人が恋を求めて止まないのは、傷ついてでも手に入れたい幸せがあるからなのかもしれない。


 そう思うと、一歩前に踏み出せた。


「突然でごめん、あたしと、別れてほしいの」


 柚希の顔を見ることはできなかった。だから俯いたまま、嘘偽りのない気持ちを伝える。


「柚希のことが嫌いってわけじゃないんだ。だけど、あたし、他に好きな人がいて」


 きっとこれから、柚希とは何度も顔を合わせることになる。それに、どうせいつかバレることだ。あたしが、あたしでいる限り。


「あたし、女の子が好きなの」


 言った。


 屋上を覆う空は、もうじき冬を連れてくる。灰色が、冷たい風を地上に吹かして。


「本当は、柚希のこと好きになろうって思って頑張った。でも、諦められなくって、だから――」

「了解」


 柚希の声のトーンは低くもなく高くもなく、感情を読み取れるほど鮮明ではなかった。


「ごめんね、こんな言い訳みたいな説明しかできなくて」

「いや、別に。七海ななみが本気だっていうのは伝わってきたから」


 柚希は自分の首元に手を添えながら、歯を見せて笑った。


「諦められないのが、恋だもんな」

「・・・・・・うん」


 その快活さと、自分のことをどこか他人事とでも思っているかのような軽々しい爽やかさは、どこか亞呂あろちゃんにも似ているものがある。


 血は繋がっていなくても、同じ屋根の一つ下で暮らしていれば似てくるのかな。


 いいな。


 あたしも、亞呂ちゃんと同じ空間で暮らしたい。


「じゃあ、恋人関係は解消ってことで」

「そう、だね。でも、柚希と付き合ってたこの三ヶ月間は、すごく――」

「ストップ」


 柚希は、手のひらを突き出して、あたしを制止した。


「気、遣わなくていいから」


 思えば柚希は、あたしと二人きりのときも、手を繋ごうとも、キスをしようともしてこなかった。


 柚希はもしかしたら、あたしの気持ちに、気付いていたのかもしれない。


「あれ、今音がした?」

「誰かに聞かれてたかな・・・・・・教室戻ったら絶対イジられるわ」


 屋上のドアが半開きになっていた。偶然、誰かが居合わせてしまったのだろう。


 柚希は学校でも女子から人気があるから、やっかみも含めて付けられていた可能性もなくはないけど。


 そんな人気の男子生徒を好きになれなかったあたしが、とやかく言うべきではないのかもしれない。


「あたしが先に出るよ。一緒に出ると、なんかね」

「そうだな」


 というよりも、本当はこの場から早く離れたかったのが本音だ。


 あたしはたった今、人の気持ちを踏みにじった。自分の都合で、人を傷つけた。他人から向けられた好きに、応えることができなかった。


 こればかりは、今後も慣れそうもない。


「射的、次は負けねぇからな!」


 ドアに手をかけると、後ろから柚希が大声で叫んでいた。


 がに股で、銃を撃つポーズをしている柚希は、全然カッコよくない。好きでもない。けど、優しい。


 その瞬間、柚希はあたしの中で、一人の友達となった。


 あたしは返事はせずに、屋上を後にした。


 教室に戻る頃にはすでにあたしと柚希が別れたということが噂になっていた。


 別れた理由を説明すると、クラスの子が前のめりになって聞いてきた。


「他に好きな人がいるって・・・・・・もしかして、文化祭のときキスしてた、あの子!?」


 クラス中の視線が、あたしに集まる。


 背中に、じっとりと嫌な汗が滲む。


 渇いた喉がへばりつき、舌の奥がざわつく。


 腕には鳥肌が立って、意識がふわりと、浮き上がっていく。


「うん」


 頷いた。


 怖くて、顔は上げられなかった。


「そうなんだー、あの子他校の子でしょ? タメ?」

「え? あ、ううん、一個下なんだ」


 あたしが思っていた反応ではなくて、少し戸惑う。


「そっかそっかー。何はともあれ、別れた理由が前向きなものでよかったよー」

「・・・・・・変って思わないの?」


 当たり前のように続いていく会話。あたしはそれが信じられなくて、夢から目を覚まそうとする。


「え、なんで? 思わないけど」


 そこであたしは、初めて顔をあげた。


 視界に飛び込んでくるクラスメイトの表情。


 それは、なんでもない、日常を過ごす平穏なもので。


「えー、いいなぁ」「七海ちゃん頑張って! 応援してるよ!」「七海ちゃんをあそこまでメロメロにさせるなんて、あの女子やるな・・・・・・」


 あたしの好きを否定する人は、どこにもいなかった。



 下校して家に帰ると、テーブルにパパの書き置きがあった。


 仕事が忙しくて、今週は帰りが遅くなるのだそう。書き置きと一緒に添えられていた千円札を眺めながら、今夜は何食べようかなーと考える。


 着替えて、それから、自室のベッドに寝そべる。


「亞呂ちゃん、誘ってみようかな」


 一緒に料理とかできたら楽しそうだな。どうせパパは帰り遅いわけだし。


 そんなこんなで、スマホで亞呂ちゃんにメッセージを送ろうとしたけど、文字を打ち込んだところで、指が止まる。


 亞呂ちゃんとのトーク履歴。短い文章のやりとりでしかなかったけど「分かりました」とか、丁寧な亞呂ちゃんの言葉遣いを見ていると心がポカポカする。「今帰りましたま」というメッセージは、おそらく誤字だろう。亞呂ちゃんはタップがあまり得意ではないのか、よくこういう誤字をする。そういうところが可愛いし、気付かずに送信しちゃうところもまた抜けていて愛らしい。


 それとも、気付いてるのかな?


 後で気付いて焦っているのか。もしかしたら、あえて気付いてますけど、誤字が何か? みたいな態度を取ってるのかもしれない。


 言及したら、亞呂ちゃんは照れるかな。


 それとも、怒る?


 亞呂ちゃんがあたしに飛びかかってきたら、あたしはそのまま抱きしめて転がってしまうかもしれない。


 驚くことに、あたしはそんなことを考えながら、一時間もベッドの上にいた。


 好きな人のことを考えていると、時間が経つのが早い。これが、夢中っていうことなのかな。


 久しぶりに、人を心から好きになれた気がする。


 中学の頃に敗れた悲惨な恋も、はじめはこんな風に、甘酸っぱいものだったっけ。


 よし、亞呂ちゃんのところに行こう。


 鏡に映ったあたしの姿を確認すると、横の髪が跳ねてしまっていた。変な寝っ転がり方したからかな。


 ちょっと出かけるだけなのに、寝癖直しウォーターで髪をリセットして、再びセットし直す。リップももう一度塗って、できるだけ最高の状態の自分に近づける。


 亞呂ちゃんに少しでも可愛いって思ってもらいたい。あたしの身体に付着するすべての成分は、そんなような恋心で構成されている。


「よし!」


 行こう。


 亞呂ちゃん、今何してるのかな。バイトかな? そしたら、バイト先まで顔出してみようかな。制服姿の亞呂ちゃん、すっごく可愛いんだよね。


「あ」


 そうだ、その前に、ママに挨拶していこう。


 仏壇の前に正座して、お線香をあげる。


 ママ、あたしね。


 すっごく好きな人がいるの。


 その人にこれから、告白してくる。


 もしかしたら断られちゃうかもしれないけど、それでもいいんだ。


 その代わりあたしは、きっとあたしのことを好きになれると思うから。


 でも、どうだろうね? いいですよって言われたら、あたしきっとその場で抱きついちゃう。そしたら亞呂ちゃんは顔を赤くしながら「喜びすぎです」とか言うのかな。可愛い。


 夢見すぎ?


 でも、夢すら見ようとしなかった頃に比べたらずっと幸せだよ。


 あたし、幸せだよ。ママ。


 ――ピンポーン。


「あれ?」


 そんなとき、不意に家のチャイムが鳴った。


 誰だろう、配達の人かな?


 どうせこのまま出かけるつもりだったし、とお出かけようの靴を履いてドアを開ける。


「ぜぇ・・・・・・ぜぇ・・・・・・・な、七海さん・・・・・・」

「え!? 亞呂ちゃん!?」


 本当の本当にビックリした。


 だって、あたしがこれから会いに行こうとしていた人が、今目の前にいるのだから。


 それにしても、すごい汗。肩で息してるし、走ってきたのかな。そんなに急いで?


「あたしの家、よく分かったね?」

「兄に教えてもらいました・・・・・・ハァ、ハァ・・・・・・」


 息が荒い。


 膝に手をつく亞呂ちゃんに手を伸ばしたところで、亞呂ちゃんが顔をあげた。


「そんなことより、これ!」


 亞呂ちゃんが、あたしの目の前に何かを突きつけてくる。


 あ、それ・・・・・・。


「そういえば貸してたね、わざわざ届けに来てくれたの? ありがとう」


 文化祭のとき、亞呂ちゃんに貸したバレッタだった。


「そういえばじゃないですよ! これ・・・・・・なんで、七海さんが持ってるんですか!」

「あ、分かった?」

「分かった? って・・・・・・本当に、七海さん、あなたはいっつもそうです! なんでそんな!」


 亞呂ちゃんが、ぷるぷると震えている。


「七海さん!」

「きゃあ!」


 亞呂ちゃんが、あたしに飛びかかってくる。


 あ、あれぇ?


 これじゃあ、抱きしめられないよ。


「めちゃめちゃビックリしたんですからね!?」


 亞呂ちゃんがあたしに馬乗りになる。


 必死な表情の亞呂ちゃんは、顔を真っ赤にして、あたしを見下ろしている。


「そうだね、じゃあまずは、服を脱いでもらうところから始めよっかな」

「はっ、な、何言ってるんですか!? やっぱり七海さんってヘンタイなんですか!?」


 ひどい言われようだった。でも、間違ったことは言っていない。


 その衣服の下に、説明するよりも簡単なことが眠っているのだから。


「違うよー。うん、分かった。じゃあ。もう一個、言ってなかったヒミツ、教えてあげる」


 亞呂ちゃんの胸に手を添えて、その鼓動を感じるように。命の軌跡をなぞるように、目を瞑り、空に向けて言い放つ。


「あたし、小さい方が好き」

「なっ」


 みるみる顔を赤くしていく亞呂ちゃん。


「亞呂ちゃんは?」

「な、何がですか」

「教えて欲しいな、亞呂ちゃんのヒミツも」


 亞呂ちゃんは視線を逸らしてから、恥ずかしそうに、口をすぼめて、小さく呟いた。


「どっちかといえば・・・・・・と、年上が、好きですけど」


 あ、やばい、可愛い。


「わぷ」


 衝動的に、亞呂ちゃんを抱き寄せる。


「な、七海さん! そんなことより、今はそのバレッタです!」

「うん、ありがとう。亞呂ちゃん」

「ちょっと!? 聞いてるんですか! 七海さん!」


 自分を押し殺して、無音だった世界に、声が響く。


「ちゃんと! 説明してもらいますからね!」


 今日も、騒がしい一日になりそうです。

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