兄の彼女が、何故か私に会いに来る

野水はた

Barrette.1

第1話 兄の彼女との遭遇

 平穏を望む私にとって。


 それはまさに、日常を撃ち抜く弾丸だった。 


「ぎゃー!」


 私的には、教科書通りの反応ができたと思う。


「だ、誰ですか!?」


 脱衣所で服を脱いでいたら、知らない女が浴室から出てきて、それを見て悲鳴をあげる。


 うん、まったくもって、正常の反応。


「わお、ぺったんこだねぇ」


 対して相手の女は、異常な反応だった。


 初対面で、しかもここは私の家なのに、人の裸体を見てぺったんこだなんてどうして言えるのだろう。


「揉めば大きくなるってぇ、大丈夫だよー」


 手をワキワキさせてにじり寄ってくる女。


 あ、こいつ、関わっちゃダメなタイプだ。


 私の直感がそう言ってる。


「ふ、へ、ヘンタイ!」


 不審者から変質者へ、そして最終的にはヘンタイになった。


 言ってる間に、ヘンタイの手が私の平らな胸にぺたっと触れる。


「な、なっ」

「なるほど」


 こういうのって大体、寸止めじゃないのか。


 知らない女の、知らないコミュニケーション。


 未知とは恐怖に最も近いのだと、身をもって痛感する。


 壁に追い詰められた私を覆うように女が倒れてくる。


 なんだこれ、壁ドンか? 知らない裸の女に?


「半熟が一番美味しいよねぇ」


 ずり、と壁を伝って崩れ落ちた私。


 視線を合わせるように女も屈む。


 胸が見えてるとかアレが見えてるとか、そんな裸同士の葛藤を通り越して胸を触られた私に、次は何をする気なんだろう。


 まるで小さな虫を観察するみたいに大きく開かれた瞳は、無邪気とも言える光を宿して私を注視する。


 顎を伝う水滴が、綺麗な膝元に落ちていく。


 数秒視線を交差させていると、冗談みたいに整った顔面が近づいてきた。


「ところでさ」


 真剣な瞳が、私を捉える。


 は? なに急に。え?


 長いまつ毛に、水滴が付いている。


 それを目視できるほどの距離に、女の顔があった。


 う、うそでしょ?


 蛇のように鋭い黒目が、私を覗き込む。


 蛇がカエルを丸呑みするみたいに。


「タオルって、どこかな」

「は?」

「やー、聞くの忘れててさ」

「二番目の、棚ですけど」

「ん、ありがとー」


 鼻歌を歌う女。


 他人の家の脱衣所で、よくもそんなリラックスできるな。


「キスされるかと思った?」

「はぁ?」


 私が呆けてる間にも、女はタオルで髪を拭きながら「うわはー」と笑っている。からかっているのか、それとも本気で頭がおかしいのか。


 ユーモアとミステリアスを天秤にかけていたら、頭がぐらっと傾いた。


「あたしも、しちゃうかと思った」


 関わっちゃいけないタイプの人間。


 あちらから関わってこないとは、言っていない。


 


「紹介するよ、七海ななみはオレの同級生で・・・・・・まぁその、彼女だ」

「どうも彼女でーす」


 結局あのあと、私はゆっくり風呂に入る気もせず、服を着て自室に逃げ込んだ。

 

 七海とかいう、名前なんだか名字なんだか微妙な名前の裸女は、兄から服を借りて元裸女になっていた


「で、こっちが俺の一つ下の妹、亜呂あろ

「亜呂ちゃんって言うんだー、可愛い名前だねー。アロサウルスみたいだね?」


 せめて自己紹介を終えてから、裸の遭遇を果たしたかった。


 そうしたらこの人の頭が恐竜並みに原始的だということを理解したうえで、さっさと逃亡できたのに。


「ていうかさっき脱衣所から声聞こえたけど、なんか喋ってたのか?」

「なんでもないから」


 裸同士で対峙して睨み合ってましたなんて説明できない。女同士でキスがどうのこうのとせめぎ合っていた事実なんか、栓を抜いて風呂のお湯と一緒に流してしまいたい。


 私が誤魔化すと、七海さんは何がおかしいのかニコニコと笑っていた。


「ていうか柚希ゆずきのシャツでかいよー、胸元見えちゃう」

「しょうがないだろ、それしかないんだから」


 彼シャツという奴だろうか。噂には聞いていたけど。


 実際に目の前で見ると、子供のおままごとのような幼稚さが見えて、こっちまで恥ずかしくなってくる。


「彼女、いたんだ」

「一ヶ月前かなー、三回目の告白でようやくだったぜ」


 ぜ、ってなんだその語尾キモい兄が調子に乗っている。


「一回フラれたら諦めなよ・・・・・・」

「諦めきれないから恋なんだろ!」


 それっぽい言葉で返される。


「仲良いんだねー」

「良くない」

「こんなもんだろ」


 兄と私の正反対の返事に、七海さんはまたくすくす笑う。


 いや、常に笑ってるのだこの人は。


 しかも愛嬌がある笑い方ではなく、不適な笑みで、目を細く光らせている。


 性格はおかしく、佇まいも奇妙。しかし顔だけは冗談みたいに整っているこんな女を、兄はどうして堕とせたのだろう。興味はないけれど、疑問ではあった。


「ま。彼女ができてよかったねお幸せに。さよなら」


 人と関わるだけでも疲れるのに、兄の彼女のよろしく社交辞令で接していたらホントの自分を見失いそうだ。


「うるさくだけはしないでよね」

「分かってるって」

 

 兄を睨んで、ドアを閉める。


 閉まりきる、その瞬間。


 七海さんと目が合った。


 七海さんは人差し指を口元まで持って行って。


「しー」


 子供が隠し事をするみたいに、笑った。


 ナイショにしてね?


 そう言われているみたいで、ドアを閉める音が無意識に強くなった。


 ・・・・・・変な人と、知り合ってしまった。

 

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