第12話
なんでこいつが――田中がこんなところにいるんだよ。
日が暮れたせいか、田中の大きな眼はまるで二つの黒い穴のようになって俺を飲み込んだ。
化け物に取り付かれたような気味の悪さに、背筋につーっと冷や汗が流れる。
「お前……なんで……」
ランドセルを背負ったまま微動だにすることなくこちらを見据える田中は、今なんて言ったんだ。
俺は今しがた田中が発した言葉を頭蓋の奥で反芻する。
『未来を変えて、一人満足かい?』
聞き間違いなんかじゃない。
田中は今間違いなく〝未来を変えて〟と口にした。
「やはりあの時の信号は鈴木さんのことだったんだ」
あの時……?
なんのことを言ってるんだ。
「ぴっぴぴ……そう。もう見つけた。ぴぴ……ううん、問題ない」
田中は一体誰と話しているんだ。
目を凝らして田中の姿を確認するが、AirPodの類を装着しているようには見えない。
だが、俺の目にはこめかみに指を当てた田中が誰かと話をしているようにしか見えなかった。
「ぴっ、ぴぴ……修正は可能だ」
独り言……にしてはあまりにも奇怪すぎる。
なにより田中は未来を変えたと言ったのだ。
なぜ田中がそのことを知っている。
こいつは俺がタイムマシンを使ってやって来た未来人だと気づいているのか?
だとしたらなぜ知られた。
そもそもそんなこと信じるものなのか。
いくら相手が小学生とはいえ、タイムマシンや未来人などという荒唐無稽なことを信じるほうが稀だ。現に小6の俺は俺が瞬間移動をするまで信じてくれなかった。
それがホクロの位置が同じだったという理由だけで、俺がタイムマシンに乗ってやって来た未来人だと、そんな風に発想するものなのか?
「鈴木さん……いや、外道くんでいいんだよね?」
「――――ッ!」
冷たい風が頬を撫ぜた。一抹の緊張が漂っていた。不気味な黒い眼差しが、まるで闇から忍び寄る魂のように俺を貫いていた。
その視線は、俺の存在を透視し、深淵に眠る秘密までもを知っているかのように感じられた。そのまなざしは時間を超越し、思い出したくもない過去と未来の絶望を一瞥するかのように、俺を縛り付けていた。
こいつは一体いつから俺を見て――見張っていたんだ。
なぜ、俺に対してそのような興味深い視線を向けるのか。不安が胸を締め付け、身体の奥底から湧き上がる恐怖が、俺の全身を震わせた。
「一つ聞いても……? 外道くんの目的は?」
「目的……?」
俺の目的は、来年の夏、嫉妬に狂ったお前によって学校の屋上から突き落とされる十六夜凪咲を助けだすこと。
しかし、そんなことを莫迦正直に教えてやるほど俺はお人好しじゃない。
「そんなこと、知ってどうするつもりだ」
「外道くんとわかり合えるかもと思ったんだ」
「わかり合うだとッ……。お前がそれを言うのかよッ!」
お前さえ居なければ俺は8年間も苦しまずに済んだんだ。
お前さえいなければ俺の隣には彼女が居るはずだったんだ。
お前さえ居なければ俺は普通でいられたんだ。
お前さえ居なければッ……。
お前さえッ……。
「俺はな、田中ッ。昔から世界で一番お前のことが大っ嫌いなんだよッ!」
言ってやった。
小学生相手に大人気ない行為だという自覚はある。
けど、言わずにはいられなかった。
「外道くんはよっぽど、僕のことが嫌いみたいだね」
「――ったり前だッ!」
俺の眉間には深い皺が刻まれた。目は激しい炎に包まれ、顔の筋肉は緊張し、唇は固く結ばれていた。胸の内側で怒りの嵐が渦巻いている。
「そっか。なら仕方ない。交渉決裂、だね」
そういうと、田中はおもむろにランドセルを足元におろした。
「!?」
田中はランドセルから一本のナタを取り出した。
おいおいおい。
こいつ冗談だろ。
田中は相変わらず無表情のまま、その場でナタを振り回して感触を確かめている。
俺はたまらず身を引いた。
風が荒々しく吹きすさぶ。
田中の瞳は虚空を見つめたまま、機械じみた動きで変わらずナタを振り下ろしている。
全身の筋肉は緊張に張り詰め、汗が額から流れ落ちた。俺の息遣いは荒く乱れていた。
眼前には怪物じみた小学生――田中がいる。
田中が放つ気配は空気を凍りつかせ、背筋に寒戦を走らせるほどだった。
「お前……そんなもん取り出して何するつもりなんだよ」
「なにって……もちろんこれで外道くんの首を叩き落とすんだよ」
「は?」
刹那、どんどんどんどんどん――と、鼓動が早くなっていく。
やはり田中は異常だ。
中学の頃に聞いたあの噂も〝いま〟確信に変わる。
こいつはサイコパスだ。
「小学生相手なら負けない。ひょっとしてそう思ってる? だとしたら無理だよ」
「え……?」
な、なんだよ……それ?
ぱらぱらと雪が降るなか、灼熱の風が俺を吹き抜けた。
田中の指先から火の粒が飛び散ると、微弱な炎が田中の手のひらの上で舞い踊る。それは次第に勢いを増していく。
その様子はまるで、星が生まれる宇宙の一瞬を思わせた。
瞬間、田中の手のひらから巨大なファイヤーボールが生み出された。まばゆい光が田中の周りを包み込み、熱さが空気をゆがめる。その赤く燃えさかる炎は、田中の手のひらの中で暴れ続けるかのように見えた。
「――――――ッ!?」
田中の手から放たれるファイヤーボールは、まるで自然の摂理に逆らうように空中を進み、俺のはるか後方で轟音と共に爆発し、美しかったはずの緑道を灼熱の炎が飲み込んでいく。
またたく間に熱気が辺りを包み込み、熱風が背中をなで上げる。
「あ……失敗、失敗。怖がらせるためにわざと外したわけじゃないよ。まだ慣れなくて」
「………」
ヤバい。
こいつはヤバすぎる。
あんなの掠っただけでアウトだ。
「……なるほど。やっぱりこれはエネルギーをかなり消耗するみたいだ」
ぶつぶつと独りごちる田中が再びランドセルに手を突っ込んだ。何かを探しているようだ。
「カ、カロリーメイト……」
ステックタイプのカロリーメイトをぼりぼりと貪り食っている。
そうか!
田中もあの怪物を倒して超能力者に――スキルを習得したんだ。
スキルを使うと急激な空腹感に襲われる。それをカロリーメイトで素早く補っている。
「そんなに食って……喉つまらないのかよ」
その心配は無用と、田中はランドセルから500mlのペットボトルを取り出し、ぐびぐびと渇きを満たしている。
一気に飲み干した田中がペットボトルを投げ捨てると、再びファイヤーボールを生み出した。
「おい、莫迦ッ! よせッ!」
目の前が赤い輝きに包まれる。
地獄から飛び出したかのようなファイヤーボールが眼前に差し迫っていた。
俺は咄嗟にスキル
轟音と共に大地は揺れ、緑道に広がる炎はさらに勢いを増した。
俺は呆然と立ち尽くし、破壊の渦に巻き込まれる恐怖が全身を支配する。
そして1分後、またも熾烈な炎が目の前へと迫ってくる。
「――――ッ!?」
俺は地面に伏せるようにしてそれを躱した。
焼けるような熱さが肌を襲った。俺は絶望の淵に立たされていた。
しかし、俺はすぐに自分を取り戻した。生き延びるためには全力を尽くさなければならない。
せっかく小6の俺が勇気を振り絞って十六夜に告ったのに、こんなところで意味不明に殺されてたまるかッ!
その瞬間、俺の心は決意に満ちた。
地面を蹴りつけ、緑道を駆け抜ける。
ファイヤーボールから逃げ切るため、生命の限りを振り絞る。
炎が後方で猛り立つ音が聞こえ、熱風が肌を焼き尽くす。
息を切らせながら、俺は一瞬だけ後ろを振り返った。
「マジでなんなんだよ、あのクソガキッ!」
業火に包まれる道の向こうから、ナタを携えた田中が向かってくる。
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