第17話

「先輩、真っ青っすよ」


 立ち尽くしてしまって動けなくなった俺を、千寓寺はゆっくりと道路脇のブロックに座るよう促してくれた。


「コーヒーでも飲んで、頭を冷やすと良いっすよ」


 そう言って、千寓寺は自販機で缶コーヒーを二本買い、そのうちの一本を俺に手渡した。


「ああ、すまん」

「先輩、マジで変すよ? いや、先輩はいつも最高に変だったんっすけど……あっ、これはもちろん褒め言葉っすよ! でも……今日の先輩は特に変す。これは褒め言葉じゃないっす」

「……」


 一見自分の知っている世界のように見えて、実際にはまったく異なる世界に迷い込んでしまったら、誰だって今の俺のような状態になるだろう。


「先輩の家――ラボもそろそろ別の場所に移転したほうがいいっすよ。いくら家賃がタダ同然だからって、まだこの辺りに住んでるのなんて先輩ぐらいなんっすから」


 タダ同然?

 毎月8万程払っているんだが……。


「この辺りにはもう人は住んでないのか?」

「そのはずっすよ。危険区域に指定されたエリアから半径2kmは、瘴気から漏れでたモンスターに遭遇する確率がぐっと上がるっすから。普通に考えたらそんなところに住もうなんて酔狂なやつは、先輩ぐらいなもんすよ」

「モン……スター、だと?」


 俺の聞き間違いではないだろう。

 千寓寺は明確にモンスターと言った。

 この世界にはゲームやアニメに出てくるようなモンスターが実在するのか。


 死ぬはずだった十六夜を助けただけで、田中を殺しただけで、世界にモンスターが現れる?そんなばかげた話があるかよ。一体どんな因果の絡み合いだよ!


「今更だと思うかもしれないが、その……瘴気ってのはなんだ?」

「………」


 千寓寺は大口を開けたまま固まってしまった。


「その全然しょうもないネタ、一体いつまで続けるつもりっすか?」

「千寓寺」

「なんすか?」

「落ち着いて聞いてくれ。その……たぶん、いや、もうほぼ完璧にそうだと思うんだけどな」

「はい?」

「俺はこの世界の外道戦樹じゃない」

「………」


 千寓寺は再びぽかんと口を開けたまま固まってしまった。時間が止まったように、俺たちは動けずに互いを見つめ合っていた。


「冗談、じゃ……?」

「ラボに居たってことはタイムマシンのことも知ってるんだよな? さっきちらっと言ってたし」

「そりゃ……まあ」

「ならプリウス見てもらえたらわかると思うけど、俺、あれで2014年12月24日に行ってたんだよ。目的は2015年の夏に死んでしまう十六夜を助けるためだ」

「………」

「いろいろあって帰ってきたら……その、知らない人というか……千寓寺がいたんだよ」

「……」


 やがて千寓寺の瞳は驚きと戸惑いで満たされ、まつ毛を何度も何度も鳴らしていた。理解できない、彼の顔にはそれが書かれていた。


 千寓寺は固まった時間の中で何が起こっているのかを必死に理解しようとしているようだった。彼の頭の中には数々の可能性が渦巻き、答えを見つけるために思考の糸を辿っていたのだろう。


「つまり、本来死ぬはずだった十六夜先輩を助けたら、バタフライ効果によってオレが現れた。そういうことっすか?」


 それだけではないと俺は首を横に振った。


「だけだったらまだいいんだけどさ、俺は危険区域とか瘴気って言葉を今初めて聞いたんだ。ちなみに俺が元いた世界にはモンスターはいなかったと思う。いや、もしかしたらいたのかもしれないけど、少なくとも多くの人はその存在すら知らなかったんだ」


 千寓寺が俺の話を信じてくれたかどうかはわからないが、立ち上がった千寓寺は言った。


「とりあえず自分の目で見たほうが早そうっすね」

「見る……?」

「危険区域と瘴気っすよ」


 そういうと、千寓寺はアパートの下に停めてあった原付きに跨った。


「ださ……」


 てっきり見た目や服装からハーレーダビッドソンとかに乗ってるのかと想像していたのに、実際は年季の入った原付きだった。


「大学生は金ないんっすよ! 文句あるなら乗せてやらないっすよ! その場合先輩はダッシュすることになりますけど」

「うそうそ、冗談だって。原付きめっちゃ便利だよな」

「ったく。調子いいんっすから」



 ◆◆◆



「マジで人っ子一人居ないんだな」


 千寓寺の運転で、俺たちは誰もいなくなった街を走っていた。


 風が静まり、世界は奇妙な沈黙に包まれていた。街には人の姿がなく、通りには瓦礫が散乱している。電柱は傾き、信号機はその役目を果たせずにいる。まるでこの世界から人類が消えてしまったんじゃないかと、そんな錯覚を引き起こしてしまう。


 俺は驚きと不安に満ちた目で街を見渡した。


「あれはッ!」


 コンビニに人影を発見した。しかし、その姿を見てすぐに人ではないと認識を改める。


「ゴブリンっすね」

「ゴブリン」


 俺が山で轢き殺したのと同じ怪物だ。

 あれはゲームでお馴染みのゴブリンだったのか。


「ゴブリン単体は雑魚っすよ。猿みたいなもんっすね。車なら全然轢き殺せるし、拳銃が効くんで簡単に倒せるんすけどね。他はそうもいかないんすよ」

「銃……持ってるのか?」

「この状況っすからね。5年前から日本でも銃の販売と所持が解禁されたんすよ。当時は解禁派と禁止派のデモが日本中で巻き起こって、そりゃもー大変だったんすよ。死人まで出たっすからね。でもまあ、日に日に危険区域が増え、モンスターが街中に現れるようになってからは、銃の解禁に文句をいう人はかなり減ったみたいっすよ。ちなみに先輩もえらくいかついショットガン持ってましたよ」


 持ってんのか。

 あんなのが街中うろついてるなら当然か。


「一部では未だに、瘴気はアメリカの陰謀だっていう奴もいるっすよ」

「なんでアメリカなんだ?」

「そりゃ世界中で銃が売れて一番儲かるのはアメリカっすからね。実際アメリカ製は人気高いみたいっすよ。世界で初めてのスキル習得者もアメリカだし、まあ色々と怪しいのは事実っすね」


 そういえば、元の世界線でもボーギング博士が超能力者の実験をしているって明護が言っていたな。

 確かネバダにあるグルーム・レイク空軍基地だったか。


「千寓寺はどんなスキルを持っているんだ?」


 俺は好奇心から尋ねた。


「さすがに持ってないっすよ。基本スキルカプセルはレアドロップっすからね」

「え?」


 レアドロップ……?

 あれってモンスターを倒せば絶対に入手できるものじゃないのか。

 ゴブリンを轢き殺して出たのはレアだったのか? 田中からドロップしたのは?


「ゴブリン倒したら手に入るんじゃ?」


 千寓寺はけらけらと笑った。


「そんなの都市伝説っすよ。確かにどんなモンスターでもスキルカプセルをドロップするとは言われてるっす。だけどモンスターによってドロップ率は全然違うんす。雑魚モンスター、それもゴブリンからドロップする確率は天文学的確率と言われてるっす。以前の先輩ならゴブリンなんて狩るだけ無駄だって鼻で笑ってたっすよ」

「なら、たとえばスキルを持っている人が死んだらそのスキルはどうなるんだ?」

「その場合は確実にドロップするみたいっすよ。但し、複数スキルを所持している人が亡くなっても、すべてのスキルがドロップするわけではなく、ランダムで一つだけみたいっすね」


 なるほど。

 だから田中の死体からスキルカプセルが出たのか。


「でも下手にスキルなんて持ってしまえば、却って命を狙われるだけっすけどね」

「そうなのか?」

「そりゃそうっすよ。スキルカプセルは高額で取引されてるっすからね。過去には超激レア、金のカプセルが100億ドルで落札されたって噂っす」

「100億ドル!?」


 金のカプセルって……えッ!?

 あれそんなにするのかよ。

 いや、つーかそんなの持ってるって知られたら100%命狙われるのでは?


「ちなみに、実際にスキルを狙われて殺された人とかっているのか?」

「スキル狩りのことっすか? いるっすよ。てかたぶんしょっちゅうっすね。モンスターからドロップするかわからないのを狙うより、そのほうが確実で効率いいっすからね」


 それほどすごいスキルだとは思えないのだが、俺が金のカプセルを使ったことは誰にも知られないようにしなければ、知られてしまえば世界中が敵になってしまう。



「見えてきたっすよ。あそこが危険区域――瘴気っす」

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